1.転移者、関口夜紅
歴史もののストーリー第二弾になります。
第一弾の物語を書いている中で思いついた内容で、史実道理に進もうとしない輩を史実通りに進ませる話を書いたらどうなるだろうか、というところから始めました。
色々と他の方の作品を読んでみて「家康を主軸にした話が少ないなぁ」と感じたことから物語の中心人物を徳川家康に選んでおります。
プロットはほぼ出来上がっているので一話目だけを書いてまずは投稿します。
(二話目以降の投稿はかなり先になるかも・・・)
それでも面白そうだと思って頂ければ、幸いに存じます。
徳川家康という戦国武将をご存じだろうか?
中学、高校で日本史の授業を受けていれば誰もが知っている名であろう。
「泣かぬなら 泣くまで待とう ホトトギス」
こう詠われるように家康という人物は何かを成し遂げるために気を伺いつつじっくり待つという堅実タイプのように言われるかもしれないが…
実際の家康は、そんなことなどない。
直ぐに逆上するし、後先考えないし、我儘に振舞うし、気分屋だし…数え上げればきりがない。
これは、そんな破天荒で激情的な性格の家康くんとそれを陰で支え続けた未来からの転生者の物語である。
長い物語になるやも知れぬが…気長に読んでもらえると有難い。
物語の始まりは、天文18年。
駿河の今川家に連なる一族の屋敷から始まる。
その少年は長い夢を見て目が覚めた。
薄汚れた木板の天井が目に入ってきたが、少年には見覚えのないものであった。周囲を見渡す。体中の疲れがひどくゆっくりとしか首が動かない。
「夜紅様!」
突然声を掛けられ少年は吃驚した。
…やく?
少年は言葉の意味も分からず声のするほうを見た。着物姿の女が涙を浮かべてに自分を覗き込んでいた。
「お目覚めになられましたか夜紅様!」
少年は女の言葉に違和感を覚えた。いや、言葉だけでない。衣服や、自分を覆う布団にも違和感を覚えた。
いつの時代?
少年は最初にそう思った。そして周囲の景色を見ているうちに側にいる女の名が頭に浮かんだ。
「…静」
「はい!静に御座ります!直ぐにお方様を呼んで参ります!」
そう返事すると女は慌てて立ち上がり部屋を出て行った。取り残される少年。天井を見上げて考えると段々と思い出してきた。
そうだ…今の俺は“夜紅”だ。
駿河の守護、今川義元の重臣、関口親永の三男だ。高熱を発して倒れたのだ。…どのくらい寝ていたのだろう?
少年は周囲を見渡した。みすぼらしい家屋に風流とは言えない庭。
…だがおかしい。自分の中に別の記憶がある。俺は工事現場で働いていた。そうしたら後ろから衝撃を受けて…。
「夜紅!」
そう言ってせき込みながら慌てて部屋に入り込んできた女性。少年はその女性の顔を見て安堵したかのように微笑んだ。
「母上……。」
少年はそう口ずさんで手を伸ばした。女性はその手を取って自分の頬を摺り寄せた。
「ああ…良かった!良かった!もう目を開けぬかと思うてしまった!…本当に良かった!」
何度も少年の手に頬擦りをして涙を流す女性。少年の記憶は更に鮮明に蘇ってきた。
この女性は俺を生んだ母。…いやこの時代の俺を生んでくれた、というべきか。関口親永の側室で駿河の商家の娘だ。実家は確か借金の形に母上を関口家に置いていったとんでもない家だったはず…。
「母上、ご心配をお掛けしました。熱も下がりましたし、頭もすっきりしております。…もう大丈夫です。それよりも何か食すものは御座いますか?」
母は我に返り、側に控える静を見た。静は一礼して直ぐに立ち上がって部屋を出て行く。少年はゆっくりと自分の体を起こした。
「だ、大丈夫かえ?」
「はい、この通り。」
少年の見せる笑顔に母親は息子を抱き寄せた。頬を摺り寄せ泣きじゃくる母に少年は少し恥ずかしくなった。
「私がもっと良い家の出であればお前にこんな思いをさせることはなかったのに…。」
母の言葉は少年の心に突き刺さった。彼女は自分の身分の低さが原因で息子に苦労や病気をさせていると思っているようであった。
「母上、今更身分の事を言ってもどうにもなりませぬ。夜紅はこの通り元気になりました。それでよいではありませぬか。」
そう言うと少年と母は笑った。
それから静が戻ってくるまで少年と母親は他愛もない話をした。
静の持ってきた米粥は味気も何もなくはっきり言ってまずかった。
関口夜紅
駿河今川家に連なる家柄で、現当主義元からも信任されている親永の三男である。彼の名は歴史上に出てくることはない。だが確実に歴史を動かしていた男である。
物語はこの男を中心に徳川家が天下を手に入れるまでの話となる。
翌日、夜紅は母に連れられて自分の父親と謁見した。父親の関口親永は今川家中でも親族衆に連なる重臣で屋敷も大きく立派であった。当然着ている衣服もきれいなものである。謁見の間で何人かの家臣を従えて入ってきた父親の姿を見て少年は思った。
自分は場違いではないか。それがひしひしと感じられる。親永以外からは蔑みの視線を感じるのだ。まるで敵に囲まれているようであった。
「病は癒えたか、夜紅?」
父に声を掛けられて夜紅は我に返った。
「は!おかげ様で。」
「それは良かった。何か不自由なことはないか?」
「恐れながら、熱は下がりましたが体力のほうが…宜しければ我の食す量を増やして頂けませぬか。」
少年の言葉に周囲の男たちが眉をひそめた。しかし親永はそれに気づかぬ素振りで話を続けた。
「…そうか。我が家もそれほど食べ物が余っているわけではないが、うぬらにはいつもより多めに回すよう言っておく。」
「有難き幸せ!」
少年の嬉しそうな礼とは裏腹に家臣たちは不機嫌な表情だった。
「久しぶりにうぬの顔を見て安心した。下がってよいぞ。」
父の言葉に二人は深く頭を下げて部屋を出て行く。短いながらも父との対面は終わった。
理解したことがある。
まず、我ら母子は関口家から疎まれている。親永からはそうでもないようだが。恐らく身分の問題であろう。そして十中八九その原因は正室にある。親永の正室は今川義元の妹。今川家中では最上位の身分だ。傅く家臣も多いのだろう。こっちは破産して行方を眩ませた商人の娘。後ろ盾もない。そんな娘の子供と仲良くする理由もない。
次に謁見で脇を固めていた家臣の名を知らない。どころか、この家で静以外の名を知らない。つまり少年と母の周囲には静しかいないということだ。
二人は立派な屋敷を出て、奥のほうへと歩いていく。途中ですれ違う女中などに蔑みの目を向けられる。静と合流して母屋へと戻るが三人の会話はなかった。
俺たちは孤立している。
それが意識を回復して新たな人格となった少年“夜紅”が最初に考えた事であった。
暫くは穏やかな日々が続いた。親永の約束した通り、少年たちに回される食糧は増え、母の顔色は良くなった。恐らく母は栄養失調だと思われる。何とかしてあげたいと少年は思うのだが、自分の持っている知識ではどうすることもできなかった。
普通、有力家臣の子ともなれば、守り役や剣術指南、学問指南がいてもおかしくないと思うのだがそれすらいない境遇に嫌気がさす。そんな日々が続いた。
天文19年。
少年たちが住む母屋の裏手に新たな屋敷が立てられた。少年たちが住む屋敷よりも大きい。
「新しく側室を取られたのかしら?」
母親は何の気なしに口ずさむが静が暗い表情を見せていた。側室が増えれば寵愛の量も減る。当然だが元より親永がここを訪れたことがないではないかと少年は思った。それよりも少年には気がかりなことがあった。
少年には前世の記憶があり、そこにはこの戦国時代の出来事に関する知識がある。
この時期に関口家にやってくる新たな者…少年には心当たりがあった。
やがて荷物が運ばれ、人の出入りが多くなり新しい屋敷が賑わう。けれど少年と母が住む母屋には誰も近づかず、まるで存在していないかのような扱いであった。
そしてある日、新しい屋敷に夜紅と同じ年ごろの童と若すぎる家臣たちを引き連れて入っていくのを目撃した。
「誰かしらね?」
何も知らされていない母には誰なのか想像もつかない。だが夜紅にはそれが誰なのかを知っていた。
「三河の松平という者らしいですよ。」
「まあ、そうでしたか。……してその者はいったい?」
「今川家への人質…だそうです。父上が預かることになったのでしょう。」
「そうでしたか…。」
「いずれにしても我等には関係のないこと。」
そう言って少年は庭先を望む縁側の障子を閉めて隣の屋敷から見えないようにした。関わる必要もない。この時はそう考えていた。
翌日になって庭から声がした。
疎まれている我らに声をかける変わり者はいったい誰だと少年は静よりも先に縁側に出た。
「初めまして。」
壮年の武士が挨拶をする。
「ここには関口家のどのようなお方がお住まいか。」
武士が夜紅に問いかける。夜紅は隣の屋敷のほうを見た。その様子を見た武士が慌てて頭を下げた。
「これは御無礼を。某は酒井雅楽頭正親と申す。その屋敷に住みたる松平家の家臣に御座る。以後お見知りおきを。」
夜紅は少年っぽく挨拶した。その様子をみた正親は笑顔を見せた。
「それではここにはどなたがお住まいか?」
「ここは関口刑部少輔の側室、西風が住んでおる。我はその子、夜紅じゃ。」
「それはそれは御無礼を。直ぐに戻りて我が主を連れて参る。我らの挨拶をお受け下さいませ。」
夜紅としては断りたかった。家中で孤立する側室に挨拶など不要だからだ。だが、酒井正親は事情を知らない。断れば彼の面子を潰すことになろう。少年がしぶしぶ頷くとそそくさと戻っていった。夜紅は振り返って挨拶を受ける準備を整えるよう指示した。…といっても一番広い部屋の掃除をするだけだが。
やがて正親が数人の若人を連れてやって来た。静が応対し、夜紅と母の待つ広間にやって来た。
母が上座に座り、夜紅がその隣に座る。夜紅と同じ背の少年が先頭に立って下座に座り、その後ろに幾人かの少年が頭を下げて座った。
こいつらは俺たちのことを身分の高い方々と勘違いしてるな…。屋敷の造りとか見たらわかりそうなもんだが……。
母上も困惑した表情を見せていた。
「初めて御意を得ます。某は三河国岡崎松平の清康が嫡孫…竹千代と申しまする。」
たどたどしい言葉で挨拶をする童。普通に見ればほほえましいのだが、我等には困惑しかない。母上も、静もどうしていいのかわからず黙っている。
夜紅はため息を一つついた。俺が代わりに応対するしかないか…。
「面を上げられよ、竹千代殿。」
少年の言葉少し驚きを見せた一同は顔を上げた。
「我は関口刑部少輔が三男、夜紅と申す。我と母への挨拶…感謝いたす。お察しかとは思うが我が母の身分はあまり高くなく…こうして挨拶を頂くことも珍しい。何せ此処に住まうはこの三人だけ。折角の挨拶なれど真っ当なもてなしなど能わず……。ご容赦頂きたい。」
夜紅は頭を下げた。下座の一同は顔を見合わせていた。どうとりなせばいいのかわからず言葉を失っている。
「竹千代殿、わが父は今川家の重臣。貴殿を駿河に呼び寄せ此処に住まわせたるも何かしらの思惑があってのこと。それを重々気を付けておれば過ごしやすいと思う。」
酒井正親が慌てて平伏した。
「あ、有難きお言葉。肝に銘じまする!」
「酒井殿…先も言うたように我も母も余り身分は高く御座らぬ。そんな我らに致す礼儀…感謝に耐えませぬがご無用と心得ませ。」
正親は恐縮しきっていた。
勘違いから始まる付き合い…というのも悪くない。ここで相手に対して誠意を尽くし、恩とか義理とかを感じてもらえれば、母にとっても良いかもしれぬ。波乱に巻き込まれる可能性もあるが…。そんなことを考えながら夜紅は正親に礼を言った。正親は恐縮し他の家臣は黙って見守っている。
「…夜紅。」
最初の口上以降黙っていた竹千代が口を開いた。竹千代より少し大人びた若人が小声で「竹千代様!」と制しようとしたが、竹千代は無視してすくっと立ち上がった。
「夜紅は此処にいつも一人で居るのか?」
問いかけられた少年は黙ってうなずく。
「そうか…。」
竹千代は暗い表情を見せて俯いたが、少し考えてから顔を上げた。
「邪魔をした。」
そう言って夜紅と母親に向かって一礼すると踵を返した。
「帰るぞ。」
若い家臣たちに小声で告げるとさっさと出て行く。家臣たちが慌てて後を付いていく。正親が最後に頭をもう一度下げて出て行った。
一行が見えなくなって静が肩の力を抜いて足を崩した。
「吃驚しました…あのお方たちは私たちのこと何にも知らないようでしたね。」
確かにそうだがお前が言うと母上に失礼だぞ。
そういう目で静を見やると、静も慌てて口を噤んだ。
「静…次からは、白湯くらいは出せるようにしておいてくれる?」
母の西風は優しい笑みを浮かべながら言う。
「え!きっとあのお方たちはきっともう…」
「いいえ、竹千代様はこの先何度か此処を訪れるでしょう。…そういうお顔をされておりました。」
そう言って母は夜紅を見た。夜紅も頷く。
恐らく竹千代は俺たちの境遇に自分を重ね合わせたのだろう。哀れみとかではない。同情でもない。同じ者同士、力を合わせて生きたい…そういう顔をしていたと夜紅も感じていた。
関口夜紅
本物語の主人公。今川家の重臣、関口親永の三男。母の身分が低いためこれまでまともな教育は受けていない。しかし、前世の記憶を持ち、豊富な知識を有している…はず。
西風
主人公の母。親永の側室だが、商人の娘と身分が低く屋敷内でも孤立している。栄養失調気味。
静
西風に仕える女中。
関口親永
元の名は瀬名義広。今川家の重臣で関口家の養子となる。義元による三河侵攻で功績があり義元からの信頼も厚い。
松平竹千代
後の徳川家康。まだ破天荒さは現れていない。
酒井正親
松平家臣。