素晴らしきかな味の暴力
夜の六時過ぎというのは不思議な時間だ。
街は天然の明るさを捨て人工の光に溢れ始める。
少しやつれたサラリーマンが跋扈し始め客引きが言葉巧みに店を紹介する。
駅の近くは特にそうだ。
オフィス街と観光街が混在するこの街には北と南で大きく性質が異なる。
私は今、そんな雰囲気の中駅北側のオフィス街、そのハズレにある通りにたっている。
怪しげな店が建ち並ぶその場所に今回の目的地、
「ムキムキ」があった。
唐突だがみなさんは「二郎系ラーメン」をご存知だろうか?
その始まりは1968年、慶應義塾大学近くに出来たラーメン二郎だとされる。
その特徴はなんと言っても見た目のインパクトだろうか。
豚骨ベースのこってりしたスープにチャーシューを煮込んだタレを入れたスープ。
それが太くごわごわとした自家製麺に絡み、さらに上にはこれでもかとボイルしたもやしとキャベツ、チャーシューである「ブタ」がこんもりと敷き詰められている。
更にはこの上に乗った野菜やニンニク、タレに至るまで某コーヒーショップのような呪文が存在する。
少なめ、多め、まし、マシマシ、タレには濃いめがあり、言葉の通り注文段階で大盛りに増やせるのだ。
そのため若い学生を始め、バリバリのサラリーマン、おじいちゃんに至るまでハマれば通いつめてしまう中毒性が凄まじいラーメンだ。
私はそんな素晴らしきラーメンが地元近くで味わえると聞き、わざわざ片道30分でここまでやってきたのである。
しかしまぁ凄い立地だ。
店舗周辺に見える店は先程も言ったが怪しげな店。
サングラスにスーツの怖そうな兄ちゃんがたっている。所謂パブだ。
そこに挟まれるようにして建つこの店の看板は黒地にピンクの筆文字で「ムキムキ」。
近づくまでは本当にラーメン屋なのか、そうであっても入っていいのかどうか非常に疑わしい店構えだった。
しかしながら、私は今店に吸い込まれて行く行列の中にいる。何故か。
それはこの鼻をくすぐる香りの所為だ。
醤油と豚骨、それに強烈なニンニクの香り。
これは正しく私が求めたものの香りに間違いはない。
腹の虫が嗅覚に反応し喝采を始め、私の脳は引き返すという言葉を失った。
仕事帰りでやつれた顔に期待を込めて目をギラギラとさせるサラリーマンらの後ろへ私は吸い込まれた。
まだか。まだなのか。
並ぶこと15分ほどになるだろうか。
私の胃は空腹で限界だった。
一人、また一人と入れ替わる列の中、とうとう私がドアの前に着いた頃にはすっかり腹と背中がくっつき口はヨダレで溢れ、目はギラギラと輝いていた。
しかし、この瞬間こそ男は好きなのだ。
一人で何故かこっそりと並ぶことは言い知れぬ背徳感と期待感、達成感と幸福感を与えてくれる。
ドアノブに手をかける瞬間すら気持ちよく感じてしまいそうになるほどだ。
店中は非常に狭く、席はカウンターのみ。
店自体は真四角で座席は手前と向かって右側の壁に沿うように6席ほど。
余った空間は全て厨房で、客のスペースは椅子の後ろは誰も通れないほどに狭い。
右側手前の角に券売機があり、先客に頭を下げながら私は見様見真似でチケットを購入した。
同時にお冷を入れながら入手したチケットは並盛。
今の空腹状況ではラーメンのみであるメニューならもう少し入りそうだと考えてしまうが、今は並でいいだろう。私はこの考えに後々救われるのである。
さて、やっとの事で席に着いた私は店主に向かって呪文を唱えるのだ。
「並醤油味、マシマシカラメで」
店主は軽く頷くと厨房の奥に消える。
どうやら私の呪文は通じたようだ。
異様な緊張感から解放され私はやっと周りを見る余裕が生まれた。
皆一様に麺をすすっている。
隣の一人、あの丼は大盛りだろうか。相当な量があるように見える。
さらにその横はカレー味なるものを食べている。
ほう。うずらの卵もあるのか。次回は注文しよう。
そんなことを考えているうちにどうやら私のラーメンが完成したようだ。しかしなんだろうか。縮尺というか対比というかおかしい気がする。
何せ今まで私が大盛りだと思っていた器でやってきたのだ。
多い。しかも重い。軽自動車のホイールほどの大きさの丼にこんもりとモヤシが乗っかり、その上には大さじ1から2ほどのにんにくが鎮座。さらに魚粉をこれでもかとふんだんにぶっかけ、とろとろゴロゴロのチャーシューを大量に乗せてそれは私の前にやってきた。
冷や汗を流しながら両手を合わせ挨拶をする。
「いただきます」
シャキシャキしたモヤシが非常にうまい。
しかしなんということだろうか。
麺が見つからない。食べても食べてもモヤシが減らないのだ。
このままでは麺に着く頃にはにはモヤシがなくなってしまうのではないか。
そんなことを考えているうちにある行動を目撃した。
その人は、それは丼のそこに箸を突き入れ麺とモヤシを思いっきりひっくり返す。
そう。知る人ぞ知る技。「天地返し」である。
早速私も続けてやってみた。
なるほど。
底にいた麺がスープと一緒に回るので満遍なく絡んだように見え、覆いかぶさっていたモヤシが程よく見えなくなった。これで食べやすくなった。
そこで私はもう一度驚いたのだ。
太い。麺が異常なまでに太いのだ。今持つ箸の真ん中ほど、先程まで覆っていたもやしっよりも太く見える。まるでうどんと焼きそば麺の親戚のような太さだ。カップ麺のうどんほどにありそうな麺は少し固茹でで、食感はモッチモッチしている。モチモチではなくモッチモッチなのだ。
顎の疲れと根気、胃の残量と格闘しながら、私は次第にスープまでもを飲み始める。
先程も言ったが、豚骨ベースの醤油、少し背脂が浮いたニンニクマシマシのスープのなんと美味なことか。これは暴力的な旨みの奔流が口に広がる。
確かに止まらない。
私は鼻水がたれることも厭わず、食べ続けた。
スープを飲み干し、器をゆっくりと下ろしてやっとの事で食べ終わり口周りをひと舐めしてから備え付けの箱ティッシュで拭い、手を合わせまた私は挨拶を行う。
「っはぁ! ご馳走様でした!」
帰りは黒烏龍茶を注文し、私は店主に食べ終わったことを伝え帰路へつく。
パンパンになった腹を擦りながら先程の幸せな時間を振り返る。
今日は非常に満足だ。幸せだ。そんな考えと同時にこう思うのだ。
「また必ずここに来よう」
12月の夜は寒い
私が初めて二郎系ラーメンを食べた時を思い出しながら書いた駄作です