着任初日(裏) 戦いの始まり
裏というよりも後編。
宋虎がナキリに施設の案内をしてもらっているちょうどその頃。
スズリたち5人は屯所内の一室で地図を囲んでいた。
「あの……虎徹さん、一つよろしいですか?」
「はい! なんでしょう!」
「中尉殿は…どういった方なのでしょうか?」
「はい! ……はい?」
スズリの質問に首をかしげる虎徹。
どう見ても質問の意図がわかっていない様子だ。
「あー、えーっとですね。こういうとき、普通なら私たちに任せるということはまずありません。嫌な言い方になりますが、普通の指揮官であれば、あれやこれやと口出しするものです。その、精霊使いの多くの皆さんは、ご自身の優秀さにはまったく疑いがないので」
「はい! 局長は優秀な方です!」
「そ、そうですか……」
相変わらずキラキラした表情の虎徹。
このままでは話が進まないと察したのか、和泉守が代わりに答えた。
「ふむ。成程、スズリは自尊心丸出しの俗物ばかり相手にしてきたものだから、局長の度量具合に驚いているわけだな?」
「……まぁ、そういうことになります」
容赦のない物言いに言葉を詰まらせながらも、スズリは和泉守の指摘を否定しなかった。
精霊使い達との巡り合わせが悪かったか、スズリはまともな指揮官に恵まれなかったのだ。
現場を知らないにも関わらず事細かに指示を出す。
当然、見当違いな命令になって守護精霊たちの負担は増える。
結果、トラブルにつながるのだが案の定指揮官たちは自分の非を認めない。
何故なら自分の指揮に間違いなどないと本気で信じているからだ。
「私の方からも色々と献策したりもしたのですが、一度たりとも聞き入れてもらえたことがなかったので……少し、驚きまして」
「へぇ~、他ぁそんなカンジなのか。オレら、運が良かったみてぇだな?」
「ラッキー……? うん、よかったねー……局長なら、きっと。大丈夫だよー……」
「だな!」
「なんにせよ、任せていただいたからにはそれに応える必要があります。それでは皆さん、始めましょう」
スズリはあくまで指揮官となる人間の、精霊使いのサポートのために呼び出された支援精霊である。
戦闘能力は雑魚相手に多少戦えるレベルでしかないが、こうした軍師的役割を果たすための能力に秀でてる。
また、播磨の街に勤務する憲兵官や住人の協力もあって、有用な情報も多数手元にある。
指揮官である百弥が段取りを任せてくれたお陰で存分に能力を発揮できたスズリの手際は見事なもので、今夜巡回するルートは簡単に決定した。
「もちろん、場合によっては現場の判断で臨機応変な対応をお願いします。中尉殿もそれを望まれるでしょう」
◇◇◇
百弥に見送られ、夜の中を歩く4人の侍。
隊長を任された虎徹は灯りを手に先頭を歩いていた。
初めての出陣、その命令を勝利で飾らんと、魔獣の気配を探りながら歩く。
その後ろには和泉守が。
スズリから得た情報をもとに構築したイメージと実際との差違を修正している。
鬼神丸、菊一文字の二人は索敵には参加していない。
鬼神丸は今の自分にはそういう作業は不向きだろうと、ひとまず戦闘に集中することにした。
菊一文字は守護精霊として召喚されたことを、自分の足で世界を歩く感触を楽しんでいた。
「ふむ……22時、か。スズリが言うにはそろそろ具現化が始まる頃か?」
辺りはすっかり暗く、そして静かになっている。
パチンッ、と懐中時計の蓋が閉まる音がよく響く。
「皆さん、くれぐれも油断はしないように―――あれ?」
◇◇◇
「……あぁ、なるほど。昼間の御車は新しい精霊使い殿でございましたか」
これから危険な紅い夜が始まるというのに、人の気配がして不審に思い近付いたところ、ある店の前で商店の主人を名乗る男と従業員がふたり、灯りも持たずに戸締まりをしていた。
「はい。それで皆さんはこんな時間に何を?」
「それがですね、うちの若い者が糠床の後始末に不手際があったかもしれないと相談に来ましてね? こうして確かめに来た次第です。まぁ後始末はしっかり整っていたのですがね」
危険な夜に呼び出されたわりに店主の声色は楽しげだ。
雇い主にしてみれば真面目な従業員の態度は好ましいものなのだろう。
ミスの可能性を黙って大事に繋がることに比べれば、多少の面倒など許容範囲である。
「報告ではそろそろ魔獣が活性化する時間です。皆さんも早めに帰宅なさってください」
「あい、すいません。精霊さんたちもお気をつけて」
「はい。それでは巡回を―――」
「まて、虎徹姉さん。どうやら現れたようだぞ。ここから南東の方だな」
和泉守の一言で穏やかな空気が崩れた。
表情と声色、そしてそのセリフから何が起きるのか全員が察したからだ。
「―――きましたか。和泉守さん、お菊ちゃんは私と一緒に現地に。鬼神丸ちゃんは皆さんを安全なところまで」
「いえ、お気遣いは不要でごさいます」
「……よろしいのですか?」
「はい、手前の家はすぐそこにあります。二人は今晩はそこで過ごしてもらいます。それに、南東のエリアは結界の張り替えがまだのはず。古い護りのままでは住人も不安でしょう、どうかお願いします」
三人が頭を下げる。
多少は余裕を持って魔獣避けの結界は張り替えると知っているが、やはり古くなった結界のまま夜を過ごす怖さには敵わない。
ならば優先すべきは自分たちよりも……という思いがある。
「…わかりました。みんな、急いで向かいましょう!」
◇◇◇
翔ぶが如く駆け出した4人を見送り、町人たちが急ぎ足で帰路につく。
「店長、今度の精霊使い殿はどんな人なんでしょうね?」
「さてねぇ。事前に知らされた話では大分とまともな方のようですね。そのせいで御偉方の不興を買って、軍備幼年学校を出てすぐ最前線に送り込まれたとか」
「それはまた、なんとも……まぁ、まともな軍人さんってなら、俺たちにとっちゃラッキーでさぁな!」
「前任の中佐殿はなんというか……でしたからね」
「さ、私たちも急いで帰りますよ。精霊さんの申し出をお断りしておいて怪我したのでは面目ないですからね」
◇◇◇
魔獣の反応がした地点に虎徹たちが到着するとほぼ同時。
高まった妖気の中に二足歩行の何者かの影が―――魔獣の具現化が始まっていた!
「一番槍! いっただきィッ!!」
「―――、―――ッ!?」
霊力で強化された身体能力で弾丸の如く飛び出した鬼神丸。
その手元には霊気を具現化させた武器が、霊気兵装が握られていた!
人の天敵である魔獣に対し、唯一にして最大の効果を発揮する、まさに切り札と呼べる強力な武器である!
「あぁッ! 鬼神丸ぅ! 一番槍は虎徹の役目だったのに!」
「へッ! 悪いな虎徹姉ェ、早いもの勝ちってヤツさ!」
「はー……数、多いねー……」
「先ほどの話の通り、結界が古くなってきた影響、か。雑魚とはいえ、この量では人間では安眠できなんだろうな」
刀を構える少女たちを取り囲むのは、小型二足種“ゴブリンタイプ”と呼ばれる魔獣。
動きは遅く力も弱いが一度に大量に実体化する、集団で相手をのみ込むように襲い掛かってくる数の暴力。
いよいよ魔獣たちが具現化を完了し、本格的な戦闘が始まった。
人類の天敵と呼ばれるだけあって、人間では魔獣に一切歯が立たないといっても過言ではない。
通常の刀剣による攻撃はもちろん、霊気を纏わせにくい銃弾は論外。
せいぜい術士による護りの術式で防ぐ程度。
だが守護精霊は違う。
「そぉら、よッ!」
鬼神丸の一振りで魔獣がまとめて吹き飛び。
「とぉー……」
菊一文字がすれ違う旅に魔獣が細切れになり。
「はぁッ!」
虎徹の一刀で余韻もなく魔獣が光の粒となって消え。
「ほぅ…ずんだパフェ食べ比べセットか……そそるな」
和泉守が魔獣に見向きもせず茶店の張り紙に思いを馳せていた。
「「戦えェーーッ!!」」
「なんだ? ふたりとも、そんな大声を出して。近所迷惑だぞ?」
「なんだ? じゃねーよ! 和泉姉ェ、ちゃんと戦えよッ!!」
「和泉ちゃん! いま戦闘中だから! 初任務なんだからねッ! 真面目に戦おうッ!?」
「いいじゃないか姉さん。鬼神丸もお菊もまったく苦戦してないし、余裕だろう?」
「パフェ…食べたーい……」
「おう、お菊も興味あるのか? たしかにナキリの料理は美味かったがな。せっかく呼ばれたのだ、色々と食してみたいものだろう?」
精霊たちはエーテルリンクと呼ばれる方法で情報を共有できる。
が、共有できるのは情報のみで経験は伴わない。
パフェというものの存在は知っていても、その味まではわからないのだ。
「そりゃ、和泉ちゃんの気持ちもわかるけど~」
「それに、だ。全員で飛び掛かったのでは不足の事態に対応できんかもしれんだろう? ついでに言うなら姉さん、カンテラ」
「あ」
和泉守の手元では先ほどまで虎徹が手にしていたカンテラが揺れている。
「頑丈にできてるとはいえ、放り投げるのは如何なものだ? これで火事でも起きてみろ、局長の御立場が無いなんてレベルじゃないぞ?」
「ぐふっ」
局長への敬意メーターが振り切りつつある虎徹にとって痛恨のミスであった。
任務を成功させんと奮起したはずが危うくメンツを潰すところだったという事実は、虎徹にとってはゴブリンどもの一撃よりもはるかに重い。
「カンテラなんてそうそう壊れねぇだろ。軍の備品だぜ? っと、ラストだッ!」
最後の一匹を鬼神丸が切り伏せた。
「これで……全部ー?」
「いや、別の場所にも沸きつつあるな」
サボっているように見えて、しっかりと索敵を行っていた和泉守は次の戦場を見つけていた。
「鬼神丸、次は私に譲れ。さすがに一度も抜刀しないのでは、な」
「しゃーねーな。和泉姉ェ、灯り、預かるぜ」
◇◇◇
1人が周囲の警戒を続け、3人が戦うというスタイルを繰り返すこと数回。
街中も一通り巡った頃。
「……いる、ねー。大物……ちょっと、危険……?」
口調は変わらないものの、敵を見つけた菊一文字の表情は真剣だ。
「場所はどこですか?」
「西。街の中だけど……強い」
◇◇◇
「おおっと……ハッ! どうするよ、かなりヤバそうだぜ?」
現場では魔獣の具現化は起きていないが、妖気の歪みが感覚ではなく視覚で確認できる。
“ソレ”が危険なモノであることはスズリからの情報で知っていた。
「是非に及ばず。局長の敵対者を野放しにしておく理由がありません」
霊気の鋭さを増した虎徹たちが歪みのなかに踏み込む。
瞬間。
「ほぅ。やはり結界か。これは中々に大物が出そうだな?」
妖気の歪みを中心に形成された壁に4人が囚われる。
結界、である。
高い密度の妖気で形作られた赤黒いその壁は、人間の霊気は言わずもがな、守護精霊の霊気を以てしても破壊するのは非常に困難である。
歪みから生まれる魔獣を倒さない限り出ることは叶わないが、その頑丈さからどれだけ暴れても周囲への被害が出ないという利点もある。
「出てきたー、ね……?」
「大型二足種、タウルスタイプですか」
現れたのは精霊たちの3倍は大きい牛頭の魔獣。
どういう理屈で生成されたのか、錆びて朽ちかけた巨大な戦斧を持っている。
それが四方を囲むように4体。
虎徹たちは生まれたての守護精霊にしてはかなり強力な霊気を持っているが、さすがは最前線たる播磨の国といったところか。
タウルスたちの宿す妖気は、虎徹たちの霊気を大きく上回っている。
相手は格上、数の有利も無し。
通常であれば勝ち目のほぼない戦い。
だが。
「いいね……滾ってきやがるぜ……ッ!」
鬼神丸の表情には焦りも怯えも一切ない。
否。
鬼神丸だけでなく全員の表情は追い詰められた者のそれではない。
「ふふ…ふふふ……がんばる、よー」
「この図体なら魔導水晶も大物が取れそうだ。局長へのよい土産になるなぁ?」
慢心なく相手が格上と認めた。
するとどうか、不思議なことに体の奥底……いや、魂の奥から力が湧いてくる。
より明確に、主たる百弥との強いつながりを感じるようになったのだ!
湧き上がる力が体を満たすにつれて、少女たちの愛らしい顔が獲物を狙う獰猛な獣の如くに変化した。
「―――行くぞバケモノども。今宵の虎徹は血に飢えているぞ」
◇◇◇
「中尉殿、温かいお茶をどうぞ」
「ん、ありがとう」
時刻は早朝の4時。
屯所の門前では一睡もしていない百弥たちが虎徹たちの帰りを待っていた。
指揮官たる百弥が寝ずに帰りを待っている以上、他の皆も寝るわけにはいかない。
別に強要されたわけではない。
彼女たちの知る指揮官は、初任務くらい起きたまま出迎えたい……などと口にすることはなかった。
その気遣いが嬉しくて、こうしてナキリの淹れてくれたお茶を飲みながらスズリもタタラも4人の帰りを待っているのだ。
「そろそろ帰ってくるかねー? けどまぁ、アタシが見る限りだけどよ、あの4人ならそう簡単にやられないと思うゼ?」
「ん? あぁ、大丈夫だ。そこは心配してないよ」
即答だった。
「アイツらは負けないさ。絶対にな」
きっと勝つだろう、といった希望的なもの言いではない。
表情や声色からは揺るぎない確信のようなものを感じる。
水が低きに流れること誰も疑問に思わないように、彼女たちの勝利を欠片ほども疑問に思っていない。
自分の判断に疑問を抱かないのは、かつての指揮官たちと同じ。
だが彼らとは決定的に違う。
今度の指揮官からは……百弥からは精霊たちに対する信頼をちゃんと感じてとれる。
「……そうかい。ま、アンタがそういうなら大丈夫だろうさ」
タタラも、会話を聞いていたスズリもナキリも上機嫌だ。
◇◇◇
そのまま待つことしばらく。
通りの向こうから浅葱の羽織の侍娘たちの姿が見えた。
4人全員が無事である。
「お、ちょうどお天道様も起きてきたな」
朝日に照らされた守護精霊たちの表情から、警邏任務の出来具合は聞くまでもない。
魔獣は日乃本の各地に出現しており、昨夜だけでもどれだけの戦闘が行われていたのかわからない。
百弥にとっては記念すべき着任最初の勝利であるが、大局的に見れば数多くの勝利のひとつ、取るに足らない出来事でしかない。
そのことを百弥は充分に承知してる。
イレギュラーの転生者とはいえ、たかが一個人の行動など大きな影響力はないと、その女神の言葉を彼は一度たりとも忘れたことがない。
慢心した結果、あっけなく命を落としてしまわぬようにと強く心に刻み込んでいる。
故に、きっと彼は忘れてしまったのだろう。
女神の語る感覚は人間のそれとは規模が全く異なることを。
故に、きっと彼は気が付かないだろう。
これからの己の行動が、人々にどれだけ多大な影響を与えてしまうのかを。
調べてみたところ、ランプやランタンを労働現場で使えるよう頑丈にしたものがカンテラというらしいです。
と、いうことで戦闘想定の見回りなのでカンテラに。