反抗開幕(裏・前) それぞれに、まず優先すべきは
精霊使いに割り当てられる駐屯所は基本的に規模が大きい。
召喚などを含む特殊な業務に対応するため、通常の兵務武官の駐屯所とは別の規格にせざるを得ない。
それに加え、特権階級ならではの下らない見栄の張り合いという理由もある。
最前線での戦闘経験という肩書きを求める貴族階級の軍人が着任したさいに、前任者より己が格上であることを示さんと改築、あるいは増築を繰り返すからだ。
巻き込まれる地元住民や呼びつけられる職人たちにしてみれば迷惑極まりないことだが、良識ある一部上層部の軍人たちが何かと手を打つことで不満をなんとか抑えている。
それはここ、南播磨4区駐屯所も例外ではなく、妖精含め百を超える人員全てに個室が割り当てられる程度には広い。
個室といっても造りは簡素なものなので一部屋はそこまで大きくないし、妖精たちは部隊ごとに部屋を共有しているのだが。
◇◇◇
さて、そんなお屋敷のごとき駐屯所での縁側では今、何人かの精霊や妖精たちがのんびりと羽根を伸ばしていた。
「あー……今日もよい天気ですねー…」
「……なぁ和泉姉ェ、虎徹姉ェどうしたんだ?」
「局長の散歩に付いていけなかったのが不満なんだろう。私たちは今夜の見廻り組だからな、待機するよう命じられただろう?」
「なるほど。そりゃしゃーない」
畳の上に転がるその様は、タウロスタイプやウェアウルフタイプと戦闘中の、闘志に満ちた狂犬のごとき勇ましさの面影はない。
「あー、よい天気ですねぇー」
「天気……だねぇ……ふぁー」
「お菊はいつもどおりだな。まぁよ、最近は人手も増えて余裕出てきたからな、たまにはいいと思うけどな!」
「ああ。こうして心置無く昼間から白桃酒を嗜めるというものだよ」
「ははッ、和泉姉ェは前からそうだった―――」
その瞬間、駐屯所の、否、百弥栄虎配下の全ての精霊と妖精の意識が強制的に切り替わった。
警鐘の音。
それも、大結界のある西側からの音。
◇◇◇
精霊も、妖精も、瞬時に霊装を具現化して駆け出した。
外に出れば突然の警鐘に驚き戸惑う民衆の姿が。
ともかく事態を把握するべく西へと向かおうとしたところ、都合よく見張り役の兵官がやはり慌てた様子でやってきた。
「何事か?」
「伝ッ! 大結界より侵蝕の魔獣出現ッ!! 直ちに甲種戦闘配備を実行せよとのことッ!!」
和泉守の問いに声が震えるのを圧し殺すように憲兵が答えた。
もちろん精霊たちも自分が務める役目については把握しており、直ぐ様それぞれ動き出そうとしたのだが……。
「了解した。さて、土方隊。緊急事態だ。私は配置に着くからお前たちは局長を探しに―――」
「百弥中尉殿でしたら、すでに現地にて指揮をとられております! ご自身も魔獣を押し留めるべく交戦中で―――」
伝令の憲兵官の言葉が終わるより早く、何者かの影が跳んだ。
「姉さんッ!!」
影の正体は虎徹であり、とっさに和泉守がその腕を掴んだが―――
「放せッ!!!!」
それは普段の彼女とはかけ離れた、強く荒々しい攻撃的な叫びだった。
局長が魔獣と戦っている。
人間である局長が、人間の天敵存在である魔獣と。
その事実が虎徹のたがを外したのだ。
「お前も知っているだろうッ!? 人間では魔獣に敵わないッ! 早く行かなければ局長がッ!!!」
「落ち着け姉さんッ! 甲種戦闘配備だッ!! 局長のお言葉を忘れたのかッ!?」
「ッ!! ……局長の、言葉」
「市民の安全を最優先とせよ。それを妨げるもの、如何なる障害をも即座に排除せよ。それがたとえ」
「たとえ……貴き身分の御身であっても」
「……すみません和泉ちゃん、ありがとう。そうですね、皆さんのことを放ったまま助けに行っても、むしろ局長に叱られてしまいます」
「大丈夫だよ姉さん。局長の側にはラプターとファルケンもいるし、妖精たちもいる。何よりも局長が御自ら指揮を振るっているのだ、負けるわけがない」
「はい…遅くなってすみません。和泉ちゃん、鬼神丸ちゃん、お菊ちゃん、すぐに受け持ちのエリアに…にぃ……? あれ、お菊ちゃんは?」
「んー? お菊ならとっくに妖精連れて自分の担当ンとこ行っちまったぞ」
「えぇ……?」
「ほう、珍しい。よかったな姉さん、珍しくお菊が自主性を発揮したぞ。喜ばしいことだ」
「そうだけどッ! そうなんだけどォッ!!」
何故かわからないが深い敗北感を感じて素直に喜べない虎徹。
そんな虎徹をなだめつつ―――
「イーグル、ヴァルチャー、局長の守護を頼む。我らも憲兵官への引き継ぎを終了次第、すぐに向かう」
「バッチかしこまり♪ いずみっチも一応、きーつけてね? 侵蝕ってフツーじゃない系らしいじゃん?」
「ああ。では後程」
「あっはっは! それじゃ、コチラも移動しようか? なぁ、りーんちゅ~?」
「……そう、ですね」
報告を聞いて即座に飛び出そうとしたのは虎徹だけではなかった。
林冲もまた、役目を切り捨てて百弥中尉の元へ駆け付けようとしていたところを思いとどまっていた。
目の前で虎徹が騒がなかったら、間違いなく彼女が吼えていただろう。
ともかくこれで、事前の取り決めどおりに事が動き出した。
◇◇◇
「装具よし。……貴様ら、機器の動作は問題ないな?」
「はい、少尉殿。千載一遇の機会ですからね、侵蝕の魔獣のデータ、欠片も逃さず収集しましょう!」
宿場街のとある宿の一室では、表の騒ぎから事態を察した情報監理局の文官たちが動き始めていた。
部隊結成の書類の仕上げ作業を中断し、吟堂牧音少尉の指示のもと、魔獣の情報収集に使う道具類の準備を完了している。
彼らの目的は侵蝕の魔獣の戦闘データである。
長い戦いの日々を送りながら、通常の魔獣に比べて侵蝕の魔獣のデータは少ない。
否、ほとんど無いと言っても過言ではない。
通常精霊使いや憲兵官は戦力の測定など技術も機材もなく、そもそも避難誘導のために測定などしている暇がない。
今回のように、偶然情報監理局の人間がいて、偶然機材が揃っている機会は稀である。
「しかしまぁ、中尉殿らしいというか。まさかご自身が直接現場で指揮をなさるとは、まあ無茶をなさいます」
「まさに百弥中尉殿らしさだな。でなければ我らも逃げ出したいところではあるが、これを見逃せば次の機会が果たしてあるか?」
「無いでありましょう。……よし、準備よろし! 吟堂少尉、よろしくあります」
「うむ。では急ぐとしよう」
表通りでは案の定、住民たちが右往左往している……などということはなく、緊張した面持ちではあれど混乱は見られない。
歓迎できない賑かさはあるが、避難準備をしっかりと行っていた。
軍歴の長い吟堂は侵蝕を何度か経験しているが、これほど落ち着いた様子を見るのは初めての経験であった。
その理由については想像は容易だ。
統率のとれた憲兵官と区役所職員の案内と、それぞれの持ち受けた範囲にて警戒体勢にある精霊と妖精たちのお陰だろう。
(この徹底ぶりも中尉殿らしさかもしれんな。逃げるための用意などと、大抵の精霊使いでは自ら提案などできまい。誰が己の無能ぶりに備えよと言えるものか)
市民の逃走の必要とは、つまりは精霊使いの敗北である。
故にこのような備えは初見であり、それでも“らしい”の一言で済ませることができるのは軍備幼年学校から百弥を知るからである。
(情報収集。それが第一であって、場合によっては我らも退散せねばならんが……)
ちらり、と部下どもの様子を盗み見る。
少尉官の自身の部下だけに、階級は高くて一等文官。
(いよいよなったらば私が残らねばなるまい。それで若い連中が生き残れば御の字だろう。幸いにして私は命令できる立場だからな。そもそも――)
そもそも、かの精霊使いが後れを取る様が想像できない。
もしかして、と。
不思議な高揚感を抱えたまま、吟堂はともかく現場へと向かった。