部隊準備(裏) 自由な軍人、苦労する常識人
桜国軍の俸給事情は役職・階級によってかなり差異がある。
佐官級以上はともかく、それ未満の肩書きの収入は軍属以外の者とそこまで大きく差はない。
情報監理局所属・吟堂牧音少尉もまた例外ではなく。
もっとも、彼の場合は子どもはみな独立しており、この桜国で妻と二人で特に不足も不満もなく日々を過ごせる程度ではある。
そんな慎ましい彼の楽しみもまた慎ましく、たまに茶店で緑茶ときざみ海苔をあしらったみたらし団子を一本食べるというものだった。
その日もまた団子の余韻と茶の香りを楽しんでいたのだが……。
「失礼します、吟堂少尉殿」
「うん? 君は?」
「ハッ。幾島佑斗三等武官であります。竜胆中将閣下より、少尉殿をお連れするよう命じられております」
◇◇◇
「ご苦労、幾島三等武官。あぁ、退室のついでに世話役に黒茶の用意を伝えてくれたまえ」
「ハッ! 失礼します!」
まるで背筋に鉄柱でも入っているかのような見事な敬礼をして、若い鬼人が部屋を出た。
三等武官と中将では本来なら言葉を交わすことさえ不敬罪などと叱責されることを思えば、当然の反応だろう。
「さて吟堂少尉。そんなに嫌そうな顔をしないでくれたまえ。さすがの僕も傷付いてしまうよ?」
そんな繊細など欠片もないだろうに、と思っても口にはしない。
「つい先日、中将閣下の……ある意味では個人的な後始末を押し付けられたばかりですからな。また面倒ごとだと警戒するのは至極当然のことでありましょう」
これも不遜な物言いだが、言われた中将は気にした風もなく、むしろ楽しそうに笑っている。
桜国軍兵務局中将・竜胆玄一郎。
己の才覚だけで35歳という若さで中将の襟章をもぎ取った、軍内部でも指折りの実力者である。
また、その容姿はついこの間に紅盃式を済ませたばかりと言っても通じるほどの美丈夫で、色町の女どもも流し目一つで黙ってしまうと言われるほどだ。
黒茶を運んできた世話役の娘の態度を見る限り、それは噂ではなく事実なのだろう。
「あぁ、あの…羽根島大佐が連れてきた、なんとか屋の話か。うん、あれはご苦労様としか言いようがないかな」
「荻腹屋です閣下。まったく、蓋を開けたら想定以上にゴミが詰まっておりましたからな、苦労しましたとも」
「まぁまぁ。今回は大丈夫だよ。そんなに難しいことではないよ。そもそも、だ。なんの用事か……いや、誰に関する用事かなんて、少尉には容易く想像できているだろう?」
「えぇ。まぁ」
通常業務であれば監理局に話を下ろせばよいだけであり、また、こうして個人的に人まで遣わせて呼びつける必要もない。
そしてこうして呼び出される時というのは、とある若い武官が関わっているときだと、吟堂は正しく理解していた。
「察しがよい部下はそれだけで金銭百万に値するね。さて、お察しの通り今回は百弥中尉に関する依頼だ」
「今回も、でありましょう。先日の大捕物のきっかけになった四人の精霊、あれらはみな中尉殿の御手付きでありました」
「そうだったかな? そうだったかもしれないな。で、だ。今回は穏便なものだよ。ごく普通の、部隊編成の報告書を届けて貰うだけさ」
吟堂が報告書の内容に不審な点がないか繰り返し繰り返し確認する。
疑いの気配を隠そうともしない様子を、竜胆はただただ楽しそうに眺めていた。
◇◇◇
「お久しぶりです吟堂少尉殿。相変わらず粋な装いですね」
しばらくぶりに合う中尉は変わらず丁寧な対応で、よく言われる精霊使いらしい驕りは欠片も感じなかった。
余計な気を遣うことなく会話を進めることができるので、打ち合わせは特に苦労なく始まったのだが……。
「君一人で16人、とは……なんというか、思い切ったね」
「なにせ引き継ぎの時にな~んにもありませんでしたから。人手不足を解消しないことには何にもならないでしょう?」
中尉のいうことは全く正論である。
正論ではあるが、妖精ならまだしも精霊の数を現場の判断でそこまでそろえるのは何とも度胸のいる話だ。
それだけの魔導水晶であれば、かなりしつこく納品を言われるものだ。
(いや、彼の場合は融通が利くのか。未承認を逆手にとって戦力を整えるとは。相変わらず怖いもの知らずだな)
権利を行使せぬかわりに、義務を果たす義理もない、つまりはそういうことなのだろう。
「なんとかこの南4区を全て見廻れるようにはなりましたが……ま、それだけで最前線を、生存限界を維持できるならここまで追い込まれはしなかったでしょう。近々、何かしら動きはあるはず」
「……うむ。そうだな」
断定的な物言い。
これも軍備幼年学校時代から何度か経験している。
まるで似たような状況を、過去を知っているかの如く先手を打って備える。
だが注意深く観察すれば、彼が何かしらの情報をもとに思考を構築しているのがわかる。
監理局の人間ですら悩むような断片的な情報から様々な選択肢に備えるその能力は、上層部の人間がなんとかして兵務局から引き抜けないかと画策したほどだ。
……本人にあっさりキッパリ断られたのだが。
「今のうちに言っておきますが、俺は納品より戦力優先しますよ」
「うん、そういうだろうと思ってある程度準備はしてある。言い訳の方は任せてくれていい。情報統制は得意分野だからな」
「そりゃそうでしょうよ。そういえば部隊運営のスタッフなんですが」
「そちらも任せてくれていい。君の管轄下となれば希望者を募るのもそこまで―――」
「そのことなんですが、妖精で賄おうかと思うんです」
「―――妖精で?」
常に冷静な吟堂にしては珍しく言葉が途切れた。
部隊運営に妖精を使うなど聞いたことがない。
「局長、普通に人を雇わなくてもよろしいのですか?」
「んー、ほら、お前たちも精霊だしさ。妖精をエーテルリンクしとけばなんとかなるんじゃないかな」
「できないことはないと思いますが……いえ、確かに今の妖精たちを見る限り問題なく業務を遂行できるかと」
わずかに悩んだものの、日頃の妖精の働きぶりを思い出したのか、スズリは大丈夫だという。
だが目の前でやり取りを聞いていた吟堂は随分と衝撃を受けたらしい、呆けた顔をしていた。
(盲点だった……確かに彼の、人の姿を模した妖精たちなら可能だな。やれやれ、莫迦か私は。人の姿をした妖精どもを実際に目の当たりにしておきながら、そこに思い至らないとはな。どうやら私もずいぶん頭が固くなっていたいたようだな。うむ、百弥中尉。やはり彼は普通の軍人とは一味も二味も違う……)
動物の姿を模した妖精を、数でもって魔獣ぶつけて対処する。
それがあまりにも当たり前すぎて、それ以外の使い方を考えようともしなかった。
管轄の異なる部署に勤めているとはいえ、情報を扱う文官でありながら可能性を、思考を放棄していたという事実に吟堂は不甲斐無さと……面白さを感じていた。
「では吟堂さん、スタッフは妖精で……吟堂さん?」
「んんッ!? あぁ、すまんすまん。えー、浮いた分の人件費をだな、何とか君の部隊に組み込めないかと思ってな」
「そこまで無理してくれなくても……」
「いや、いい。気にするな。よい刺激をくれたお礼だ」
「はぁ…?」
「書類をまとめて形にするのは私の仕事だ。ひとまず自由にやってくれ。そうそう、君の部隊には七参八壱が割り振られる。七参八壱機動霊装部隊。設立おめでとう」
「まだ正式な命令書できてないでしょうに。……ありがとうございます」
◇◇◇
ひとまず一度目の打ち合わせは終了した。
数日の間、吟堂がこの街に滞在し、ともにやり取りをしながら正式な書類として書き起こす。
あるいは、正式な書類として“処理”されるよう手を打つか。
「さて、ひとまずお暇しようか。……百弥中尉殿、中尉殿が滞りなく任務を全うできますよう、小官も全力で任務に当たる所存であります」
「感謝します。……少尉、よろしく頼む」
「ハッ!!」
誰が見ているわでもないが、けじめとして軍人らしい敬礼で別れる。
なんとなくだが、そうしたい気分になったのだ。
そんな唐突なイタズラにも自然と合わせてくれるところも、自分が百弥青年を気に入っている理由なのかもしれない。
(盲点だった、本当に。そうか、なるほど妖精か。これは必ず報告が必要だな)
宿に向かう吟堂牧音の顔は、先の知恵者のものではなく。まさにイタズラ小僧のそれだった。