市井巡察(別) 帝都・桜国のとある日の様子
帝都・桜国。
島国の東、武蔵の国にあり日乃本の象徴たる日輪の帝居を中心に広がる、日本最大の繁栄都市。
商業、文化はもちろん、桜国軍の本部をも従える、まさに日本の中心と呼ぶに相応しい装いである。
だが哀しいかな、人が二人以上集まれば揉め事争い事は切り離せないのが現実であり、繁華たる桜国でもそれは例外ではない。
中心街からいくらか外れた往来で、今日もまた厄介事は起きていた。
◇◇◇
「堪忍、堪忍してください! 娘はまだ白盃式も済ませてないのです! どうか御容赦ください!」
「なぁに、心配いらんよ。まったく問題ないってもんよ。少しばかり歳が若くても肉付きは上等じゃねえか。なぁオメェらよ!」
「「へいッ!」」
「父さん! お父さんッ!」
周囲の店より気持ち程度に高値の呑み屋の前で、態度の悪い男どもが若い娘を連れ込もうとしていた。
もちろんそこはそういう店ではなく、少しばかり機嫌の良い日に少しばかり贅沢をしたい労働者が散財していく、実に健全な店構えをしている。
故に店主も店員も迷惑そうではあるが、連中に対して何も言えぬまま成されるがままである。
「…おい、誰か憲兵官を呼んでないのか?」
「ケッ! あの高給取りどもが平民通りのトラブルに駆け付けてくれるものかよ」
「アイツら、荻腹屋のところの破落戸かよ……くそ、この辺の自警団じゃ黙らされるのがオチか……」
中心街であればともかく、外れの平民たちのテリトリーでは憲兵官の取り締まりも有って無いに等しいものである。
それ故に自警団という組織が存在するのだが、それらもまた役目に尽力する者もいれば役得に溺れる者もいる。
そして、得てして市民に尽くさんと働く者たちは権力と相反することが大概であり、その限界を知る市民たちの表情は苦い。
「金銭なら多少は持ち合わせてます! 荻腹屋さんですから、もちろん喜んで献上します! だからどうか! 娘はどうか、お願いいたします! 堪忍してください!」
偶然側を歩いていた不幸な親子の父親が、土に汚れるのも構わず必死に頭を下げる。
しかし。
「まぁまぁ落ち着けよお父さんよ。なに、そんな貴重な金銭を巻き上げるほど俺たちは苦労してねぇからよ。それに心配せんでも、皆で使い終わったら娘も無事に返してやるよ。なぁッ!」
「「へいッ!!」」
下卑た笑い声が起こる。
それを不快に思うものは大勢いても、誰も助けに入らないし、入れない。
「さて、あんまり遅くなると若に叱られちまうな。おぅ、行くぞ」
「「ウスッ!」」
「やだッ! イヤッ! お父さんッ! お父さんッ!!」
「待ってくださいッ! 堪忍ッ! 堪忍をッ!!」
◇◇◇
「……もし、通して頂けますか?」
「あぁ? 誰か知らんが連中に近付くのは止めた方が―――いや、あんたらか。すまねぇが頼むぜ」
野次馬の最後尾、声をかけられた男が振り向いて固まり、それの姿を認識して道を譲った。
その様子に気が付いた他の皆も男に倣って道を開け、それは、それらは騒ぎの大本たる男どもの前に現れた。
それは四人の女性。
頭に被った制帽と、肩に羽織ったマントから軍属だろうということはわかる。
だが服装がそれらに対し合致していない。
随分昔の軍備統合計画から軍人も憲兵官も襟付きとズボンに制服が統一され、日乃本装は帝族主賓の式典でさえ着用されることはない。
だが彼女らは全員、着物袴で統一している。
さらにはサーブルの代わりに今日日は骨董品扱いされている打刀を腰に下げている。
時代遅れの、カビの生えた侍。
彼女らを知らぬものはそう評価するだろう。
そう、知らぬものは。
「……ええと、こちらの方々はどういった御仁なんでしょうか?」
隊長格だろうか、森人の女が首を傾げる。
「え、っと! あの人たちは荻腹屋っていって、二週間くらい前に水無月通りに新しくお店を構えた人たちです!」
野次馬の一人が説明する。
それを聞いた四人は色々と察したらしく、ため息がこぼれた。
「…かーっ、だからアーシも言ったじゃないですかー。一人か二人くらい帝都に残っておこうって」
「出立前に掃除は丹念に行ったはずなのだがな。まったく、いくらでも湧いて出るものだ」
「一か月空ければこーなるよねー。いやぁ、宋虎クンに合わせる顔がないねー」
「へッ!どこの誰だか知らねえがよぅ、荻腹屋のお抱え用心棒の俺らに逆らおうなんて命知らじゅぎょお……ッ!?」
問答無用とはこのことか。
にやけ面のままのこのこと森人の前まで歩いてきた男の一人が、腹の中央を蹴り飛ばされ真横に飛んで行った。
「まぁまぁ。汚れは時間で溜まるもの。溜まったものはまた掃除すればよいでしょう?」
「テメェッ!」
「女だからって調子に乗るなよッ!」
「こっちにゃ娘が……娘が…?」
「娘ってのは、この子かい?」
「お父さんッ!」
「よかった……本当によかった……!」
男たちが気を取られていたほんの数瞬の合間に、囚われていた娘は無事解放されていた。
「ちょいといいかい? 今日のところはアーシに譲っておくれよ。たまにはいいだろう?」
「…はぁ。まぁ構いませんが。では薄緑さん。よろしく、お願いしますね?」
「ああ。任せなぁ……」
薄緑と呼ばれた竜人の女の顔に凶悪な笑みが宿る。
軍人のモノでもなければ武人のそれでもない、ある種の狂人めいた色艶のある笑みが。
「「―――ひ、ひぃッ!?」」
◇◇◇
「あぁん? 表が騒がしいぞ! せっかくの上等な酒が台無しじゃねぇかッ!」
店の中では荻腹屋の若旦那が女たちを侍らせて機嫌よく杯を傾けていたのだが、なかなか戻らない用心棒たちと表から聞こえてくる不快な喧騒に苛立ちを隠せずにいた。
「へい、それが―――」
「……ちッ! 役立たずどもがぁ……ッ!」
部下の報告を聞いて渋々ながら表まで足を運べば、そこには無様に倒れた自分の用心棒たち。
一人立っている竜人の女は獲物すら使わなかったのか、見事に殴り倒されていた。
「強いな、女。その強さ、貴様、人間じゃないな?」
「んー? そらーね。まぁこれでも精霊やってんだよね。守護精霊ってヤツさ」
「そうかそぉかぁ軍属の精霊か……なら話が早い。テメェら全員、跪け!」
勝ち誇った叫びが場に響く。
「……は?」
「うちの店は桜国軍は羽根島大佐殿の贔屓でなぁ。テメェら軍備品のオツムでも意味は分かるだろう? 処分されたくなきゃサッサと這い蹲って命乞いしろやカスどもがぁッ!!」
軍備品。
人類の切り札たる守護精霊であっても、その恩恵の実感のない者にしてみればその程度の認識であり、決してこの男特有の価値観などではない。
事実、帝居を始めとした安全が保障されている場においては、軍備品でなければ良くて装飾品程度の扱いでしかない。
故に、よほどのことがなければ大佐級の一言であれば簡単に“処分”される。
が。
「はぁ。またあの人ですか。おいたをあれほど百弥“少尉”に懲らしめられたというのに、まぁ懲りないお方ですね」
「あぁ?」
「いずれにせよ。情報提供のほど、ありがとうございました」
「何を―――ギャバァッ!?」
膝への一撃。
音から察するに、完全に皿骨ごと砕けただろう。
「あ、あ、足…ッ!? おれの、俺の足、あ、しがぁあッ!? テメ…ぎゅぷ」
森人の女侍がうっすらと微笑みを浮かべたまま、倒れた男の喉笛を容赦なく踏みつけた。
「さて、少尉殿……いえ、今は中尉でしたね。私としたことがうっかり。さて中尉殿がいつ帝都に足を運ぶか分かりませんからね。掃除は綺麗に丁寧に、です」
◇◇◇
荻腹屋が急に店を畳んでから二日ほど後。
数日前の騒ぎのことなどすっかり忘れた吞兵衛通りの酒場に、いつぞやの四人が集まっていた。
「……実はひと月ぶりの帝都なんです。少し良いものをお願いしても?」
「へいッ! 今日は銀羽根岩魚が大振りでさぁ!」
「ではそれを。あぁ、米酒は最初は甘口から順番にお願いします。皆さんは?」
「アーシも同じで。ゆっくりたっぷり節度ありで楽しまんとでしょう」
「私は少し腹に入れたいな……とりあえず牛メシにカブの味噌汁を付けてくれ」
「私もー。ごはん食べるー」
「はい。では、そのようによろしくお願いいたします」
「へいッ! すぐにお持ちしまさぁッ!」
人が二人以上集まれば揉め事争い事は切り離せないのが現実であり、繁華たる桜国でもそれは例外ではない。
なれどそれらの悪意から人々を守護する存在がいるのもまた事実。
完全などは望むべくもないかもしれないが、それでも今日も帝都は平和である。