市井巡察(裏) 軍人にして若人にして武人
「……うむ。服装の乱れはないな。大変よろしい」
憲兵所の出口付近で、数人の若い兵官がベテランの竜人から身だしなみを確認されていた。
これは今日ばかりの特別なことではなく、警邏任務に出動する前に必ず行う、いわば彼らの日常の一部である。
「しかし貴様ら、いいのか? 今回の件はあくまで中尉殿の私用扱い。貴様らが参加せねばならん理由はないぞ?」
中尉殿、つまりは百弥の私用であるという。
近隣住民への顔見せ、それと播磨南第4区の視察である。
着任より今日まで屯所を出られなかったものの、新たに4人の精霊を召喚したことにより余裕ができたのだと、今回の話を相談に来たのだ。
それならばと兵官歴の長い人間が非番を利用して案内役を買って出たのだが。
「せっかくの非番だろうに、貴様ら、暇なら旨いものでも食い歩けばよかろうに」
「いえ小隊長、暇だからこそ、であります」
「はい。今度の精霊使い殿はなかなか大した人物であるとの噂は自分たちも聞いております」
以前よりこの街で過ごしていたスズリやナキリからはもちろん、区長である荒木女史や幕城署長から話は少しずつ広がっていた。
それらの人物評価を裏付けるかのように、この一週間の、特に後半の夜は実に過ごしやすくなっていた。
あるいは何も変わらない、静かな夜には程遠い、戦いの音が響く夜。
だが聞こえるのは精霊たちの勝鬨の声であり、それを不快に思う者は一人としていないのだ。
だからこそ若い兵官どもも中尉殿に一言挨拶にと、朝からこうして襟を正している。
ちなみに希望者はほかにも多数いたのだが、大人数では迷惑になると二人に絞られたのだ。
「そうか。ならばオレも何も言わん。実のところ、オレも少しばかり楽しみにしていたからな」
◇◇◇
人格者。
最初の感想はそうなった。
これまでの、そして前任の精霊使いとは比較にならない丁寧な態度は、憲兵官たちを安心させるには充分な対応だった。
「あの、だからですね? 私は一応、任務の一環としてですね……」
「まぁまぁ中尉殿、ほんの一口、ただのジュースですよ。酒精があるワケではございませんから」
それは民衆にとっても同じことで、誠実さの現れる応答に、誰もが好意的に接触を試みる様子だ。
(ふっ。軍人の顔を維持せんとしても、やはり若さは隠せんからな。誰も彼も、あるいは微笑ましく思うのも当然か)
本来の軍人らしい丁寧な言葉使いだが、それが普段のそれでないことは誰もが感づいた。
帝国日輪法に基づけば、18歳の紅盃式を済ませた時点で成人であり、彼もまたギリギリ成人扱いされる歳ではある。
が、やはり若いのだ。
丁寧に過ぎる言葉使いは正直、似合っていない。
だがそこには立場に胡座をかくような嫌味らしさではなく、どちらかといえば大人に憧れる子どもが精一杯背伸びをしているかのような微笑ましさがあった。
その手の“らしくなさ”は、年長者は可愛がりたくなるものなのだ。
とはいえ。
「あー、皆の衆。歓迎するのは結構なことだろうが、いい加減中尉殿を困らせてしまうぞ。そんなに急かさないでも、一巡り終わればじっくり時間もできるだろう」
菓子やらソーダ水を勧めるだけならともかく、このままでは麦酒まで持ち出しかねない空気になっていた。
群がっていた民衆もさすがに調子にのり過ぎたと反省したのか、一言二言をかけてから離れていった。
「助かりました…じゃない、すまない、助かった」
「お気になさらずに。良好な関係であることができるなら、それは喜ばしいことでしょう」
「そう言ってくれるとありがたいな。さて、待たせたな。見回りを再開しよう」
「「ハッ!!」」
◇◇◇
再開した見回りの姿を、小隊長は数歩遅れでその背中を見て思う。
(軍人、精霊使いか……だが、あの立様は武人だな。それも)
本物の、命を削る修羅場を知る武人の気配。
過去に、幼年学校時代か、あるいはさらに遡るのかはわからないが、確かに知っているはずだ。
(もし、もし仮にその路地から悪漢が奇襲をかけたとして……まぁ、無理だろうな。警戒の範囲と精度が尋常ではない。あの若さであの領域とは恐れ入る)
命を失うギリギリのところか、さすがに一度死んだなどということはあり得ないとして、まず相応の戦場を知っているのだろう。
その上で死の恐怖を武技として昇華させたのだろう。
市民の生命を守るという、己の役目を果たすために。
(これは確かに、署長の言っていたように確かに期待してしまうだろう。誰もが、もちろんオレもだが、確かに違うものだと)
心なしか、年若い中尉の後ろを歩く竜人の背筋は、普段よりも若々しいものであった。