4‐⑦ これでいいのか?
ずっと胸に引っかかるモノがある。
ここに来て僕は幸せを手に入れていた。だけど、僕が幸せだからと言ってそれでいいのだろうか?
――銀の英雄。
あの日、彼女の墓の前で僕は誓った。英雄になると、一歩ずつしっかりと積み重ね、前進し続ける白銀の英雄になると。
なのに僕はこうして忘れたフリをして生きている。
こうしている間にもミソロジアの人間は苦しんでいる。僕の知らない所で多くの人間が死んでいる。
わかっている。このままじゃダメなことぐらい。それでも僕は、今の生活を手放したくは無かった。
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――二十一日目。
ツミキ・クライムの一日は朝の八時から始まる。
牢屋が開くのは朝の十一時。バーガーショップ“GRIFFON BURGER”は十二時には店を開く。つまり、開店準備の時間は十一時過ぎから約45分ぐらいしかないのだ。
ゆえに朝八時に行うべき情報交換はパソコンのメールによって行う。
ツミキは朝のコーヒーを飲みながらメールを開いていた。
「えっと、今日のシフトは……リンクさんとハミさんと、あとは店長も来てくれるのか」
情報を見た後は朝と昼の分のご飯を食べ、十一時に部屋を出る。
「いってらっしゃい~」
「うん。シン! 洗濯物は任せるよ!」
「うぃっす~」
そして店まで走り、開店準備をして笑顔を作る。
「いらっしゃいませー」
それから夕方の五時まで働き、
「お疲れツミキ君! 今日は上がっていいよ!」
「はい! お疲れ様です! お先に失礼します!」
五時半には部屋に帰る。
「おかえりダーリン!」
「お疲れさま~」
「あ、来てたんだ。マリス、ポール」
ツミキ、シン、マリス、ポールの四人でポールの手料理を囲み、一緒に食べる。
そして色々遊んだ後、夕方六時半。ツミキは向かいの部屋を訪れるのだ。
「いらっしゃい、ツミキ君」
そこには隅っこで本を読んでいるテンオウ・オルコットが居た。
「お待たせ、テンオウ」
テンオウと一緒に歴史書の感想を言い合うだけの時間。この時間がツミキにとってはかけがえのない時間になっていた。
初めて趣味を共有できる人間。ツミキは誰かと趣味を共にする喜びを生まれて初めて得ていた。
「この南方の戦いのMVPは間違いなく〈アプロトシア〉だよ」
「すごいよねー、性別隠して女性の身でありながら二十歳まで前線で戦果を挙げ続けるなんてさ」
「うん、憧れる……」
「テンオウが男の振りしてるのってアプロトシアの真似なの?」
テンオウは「え」と言葉を漏らす。
「私が女だってわかってたの?」
「うん。昔、男の振りした女の子と一緒だったから、そういうことには敏感なんだ」
「そう、なんだ……」
テンオウはベレー帽を脱ぎ、顔を上げる。
帽子で隠していた髪が降り、女の子らしい艶やかな長髪が背中にかかった。
テンオウは顔を赤くしながら言う。
「そ、そういう趣味ってわけじゃなくて! ここだと男の方が気楽だったから、男の振りしてたの……」
「廃棄指定地区でも女の子は同じような理由で男の子の振りしてたよ」
「ごめん。騙してて……」
「いいよ別に」
「――ツミキは廃棄指定地区の出身なの?」
「うん。生まれは別だけどね。――おっと、もうこんな時間か」
夜七時半。ツミキは立ちあがり、帰る準備をする。
「あ! そうだテンオウ。明日ここに友達連れてきていい?」
「友達?」
「うん。僕らと同じで本好きの子がいるんだよ」
「いいよ。ツミキが連れてくる子ならきっと大丈夫」
「わかった! じゃあまた明日ね!」
ツミキは別れを言い、テンオウの部屋を出る。
ツミキは自分の部屋に入って、寝る前にやるべきこと済ませ布団にくるまった。
夜九時半、ツミキは眠りにつく。
(今日も充実した一日だった)
やりがいのある仕事。同じ趣味を持つ友人。整った環境……
ツミキにとってこの監獄の中は素晴らしいものだった。生まれてからずっと、落ち着きのない日々を送っていた。
――だけど、ようやく手に入ったのだ。楽しい生活が。
(はずなのに……)
ツミキは布団の中で左胸に右手を当てる。
ツミキは己の内に、なにかを抱えていた。言い表せぬ、モヤモヤとした塊。
今のツミキにはまだわからない、その塊が何なのかを。
(そういえば、さっき僕は『男の振りした女の子と一緒だった』って言ったけど――アレンって、男の振りするような子だったっけ? アレンじゃない。なら僕は一体誰を指して……)
その時、ツーッとツミキの頬を水滴がなぞった。
「あれ?」
ツミキは瞳から流れた涙の意味がわからずに、涙を拭った。するとそれ以上瞳に涙は溜まらず、次は逆に瞳が渇いた。
――――――――――――
真っ暗な部屋で、通信端末の光のみが辺りを照らしていた。
ここはトート・ゲフェングニスを除いてヘビヨラズの誰も知らない部屋。トートの肉体が居る部屋である。そこでトートは生身である男と通信していた。
「ツミキ・クライム、奴は完全に堕ちましたよ。てゆうか警戒しすぎですよアルタイル様は~」
『ふむ。それならいいが』
通信の相手は三秦星にして義竜軍の総司令アルタイル。
トートは毎日アルタイルにツミキの状況について報告をしているのだ。
「なんだか拍子抜けっすね~。もっと反骨精神モリモリ君をイメージしてたのに、全然真面目でいい子ちゃん。前情報と違うじゃないっすか」
『警戒を怠るな。私が貴様にした命令は覚えているだろうな?』
「“ツミキ・クライムを監獄内に留めること”、そして“ツミキ・クライムと表立って衝突しないこと”。ですよね?」
『そうだ。これ以上奴の好きにはさせられん。貴様とツミキ・クライムが衝突しなければ奴の予知は外れ、尚且つツミキ・クライムが外に出なければ器候補同士の戦いも起きない』
「あれあれぇ? でもでも、アンドロマリウスの復活を考えるなら、JJ博士の言う通りに動くのが最短ですよね?」
『――これ以上事を荒げずとも、カミラ・ユリハなら英雄の器になると私は思っている。今はとにかく奴を出し抜き、予知を乱す。そうすればアンドロマリウスが復活した際に動きやすくなるだろう』
「りょーかいでーす! くれぐれも、その際には……」
『わかっている。今はとにかく、ツミキ・クライムを手懐けるのだ』
トートの本体は「大丈夫ですよ」と自信満々に言い切る。
「ツミキ・クライムはもう腐りました。後は土にかえるだけです」
そんなトートに対し、アルタイルは忠言する。
『トートよ。戦士の内に眠る闘志は、絶対に腐ることは無い。肉体が、人格が、記憶が、鈍れば鈍るほど訴えかけてくるのだ。「これでいいのか?」、と』
「……。」
『ツミキ・クライムは理由さえあれば必ず牙を剥く。その時は、貴様の鎖程度では抑えられん。気を付けろ、奴に戦う理由を与えてはならないぞ。特に“ヘビヨラズ”の闇に関しては徹底的に蓋をしろ。わかったな――』
アルタイルは重ねて忠告すると、通信を切断した。
トートは一人、ほくそ笑む。
「わかってないなぁ……どんな屈強な戦士だって、平和には勝てないのさ」




