2‐㉜ 望むか
『よいかツミキ。“英雄の黒影”は二度と使うな』
『“英雄の黒影”? ってなんですか?』
廃棄指定地区を出た後、ツミキはトラックの荷台の上でサンタと対シーザー戦の時の話をしていた。
『お主がシーザーとの戦いで見せた、あの黒影のことじゃ。アレは“英雄の黒影”と言って、アンドロマリウスの真の姿を模すことで銀腕の力を最大限引き出すことのできる奥の手じゃ。しかし、当然のことリスクもある』
『感覚の、共有ですか?』
『いいや、あんなものはオマケじゃ。本当に怖いのは精神の汚染。ツミキよ、アンドロマリウスとはな、魂を壊す兵器なのじゃ。それはパイロットも例外ではない……むしろ、アンドロマリウスが最も壊しにかかるのはパイロット自身。“影”はその特性を顕著に引き出す。使い続ければお主の精神は崩壊し、闇に落ちる。すると、どうなると思う?』
サンタの暗く落ちた目を見て、ツミキはゴクリと唾を飲む。
『“影”は相手と己の力の差が激しいほど、その強さを増す。代わりに、強大な試練をパイロットに送る。もしもその試練に負けたのなら、お主は大切な何かを失うだろう。肝に命じておけ』
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海の上に建てられた闘技場“ブルー・シャーベット”
前日は賑わっていたその場所も今はもぬけの殻。今回の騒動で係員もろとも避難し、そして避難した先で津波に攫われて死んだのだろう
ブルー・シャーベットに二機のチェイスが来場する。片方はバイクに乗った漆黒のチェイス、もう一機はコックピットと右腕しかないガラクタのチェイスだ。
「あと数分で義竜軍の船が二隻ここに到着します。その内の一隻に乗って、君は王都へ向かうのですよ。――ツミキ君」
コモンは銀腕から手を放してアズゥを地面に落とす。
「どうして、僕を殺さないんですか……」
ツミキは絞り出すように声を出した。その体は血まみれで、瞳は虚ろだ。コックピットがでたらめに凹んでいる。コモンはツミキを殺さない範囲で痛めつけたのだ。
「仕方ありません。ペガ様の命令はアーレイ・カプラの住民の抹殺、アンドロマリウスの右腕の回収、そしてツミキ君の確保ですから」
「どうして僕を……」
「ペガ様は君をかなり気に入っていまして、それで生け捕りにしてこいって言われました。まだ君を仲間にすることを諦めていないようだ」
「でもアナタは初め、確かに僕を殺しに来ていた……」
「アレは試しただけです。君の心能は“人の殺意を読む”力でしょう?」
「――!? なぜそれを……!」
「さて、なぜでしょうね。企業秘密です。まぁ、君の心能は素晴らしいモノですが、知っていれば怖くない。殺意に反応するのなら、殺意を抱かなければいいだけですからね。目的が生け捕りなら殺意が出ることはないでしょう? それでも不殺を強いられるのは苦難でしたが」
ツミキの“危険信号”は相手の行動の目的が殺害でなければ反応しない。
例えばその場で殺そうと考えずとも“ツミキを捕えて、拷問してから殺す”と考えていれば捕えようとする段階で反応する。しかし、今回のコモンのように“ツミキを捕えてペガに引き渡す”程度にしか考えてなければ危険信号は反応しない。例え、ペガがツミキを殺すつもりでもコモンにその意思が無ければ反応しないのだ。
ツミキは消え入りそうになる意識の中、静かに呟いた。
「終わった……」
なにが終わったのかツミキにすらわからない。だがツミキは呟いた、心の底から自然と出た言葉だった。
(なんだか頭がボーっとして、面倒くさくなってきた。サンタさんやプールさんには申し訳ないけど、右腕は再び義竜軍に渡る。それでも、救いたい人は救えた……)
それで妥協するしかない。
そうやって瞳を閉じようとした時、ふとツミキの脳裏に不安が過る。
――『あと数分で義竜軍の船が二隻ここに到着します。その内の一隻に乗って、君は王都へ向かうんですよ』
先ほどコモンが言っていた言葉だ。
(なんだ? 何かが引っかかる……)
ツミキはコモンの言葉に違和感を感じていた。
(船が二隻……その内の一隻に乗って――)
“君は王都へ向かう”。
(“君”は……?)
つまりコモンは王都へ向かわないということだ。
他に任務があるのだろうか、それともコモンの部隊や自宅は王都とは別なのか。色々な可能性がある。本来ならば気にすることのない事だ。
しかし、コモンはこうも言っていた。
――『仕方ありません。ペガ様の命令はアーレイ・カプラの住民の抹殺、アンドロマリウスの右腕の回収、そしてツミキ君の確保ですから』
アーレイ・カプラの住民の抹殺。 アーレイ・カプラの住民とは……一体どこまでを含むのだろうか。
「コモンさん」
「はい。どうしました? ツミキ君」
「アナタは、船に乗ってどこに向かう気ですか?」
コモンはツミキの質問に答えず黙り込む。
ツミキはその反応を見て、彼女のやろうとしていることに確信を持とうとしていた。
「答えてください…………答えろっ!!」
ツミキの怒号をコモンは笑顔で流し、
「小さな島ですよ。ここから南にある島です。そこで狩りをするつもりなんですよ、外来種の猿をね……」
遠回しに、言葉の調子を一切変えずに、“アーレイ・カプラから逃げ出した住人を殺す”。そう言い放つコモンにツミキは怒りと共に嫌悪感を抱いた。
ツミキはかろうじて動く銀腕を操作し、バイクのペダルを掴み、コモンに問う。
「ここから逃げ出した……アーレイ・カプラの住民を――第三層の人達を、殺しにいくんですか!!?」
「ご名答。アーレイ・カプラの住民の抹殺が命令ですからね。例え外に出ようと関係ない、命令が出された時、この街に住んでいた全ての人間が対象です」
ツミキは悲痛な顔をして、「どうして……!」と叫ぶ。
「どうしてですか!? アナタ方の欲しい物は手に入ったはずだ! 彼らの命を奪う必要なんてないでしょう!!?」
「え? えっと……私にそんなこと言われても困りますね。命令ですし。問い合わせは上にお願いします」
「行うのはアナタだ! 命令だとかは関係ないっ! アナタは本心から彼らを、第三層の人達を殺したいって、本当にそう思っているんですか!?」
「はぁ……別に彼らがどうなろうとどうでもいいです。私は命令をこなすだけです。仕事ですから」
ツミキは唇を噛みしめ、涙を瞳に浮かべながら問いかける。
「戸惑いは無いんですか!?」
「仕事ですから」
「彼らの境遇に、思う所は無いんですか!?」
「仕事ですから」
「アナタは本当にそれでいいんですか!?」
「仕事ですから」
「……っ!!」
ツミキは同じ返答を繰り返すコモンに対し、壁に話しているような気分になり、言葉に詰まった。
コモンは溜息を付き、腕時計を確認しながらツミキに語り掛ける。
「どうして私が異常者扱いされるのでしょう。私はただこの国の主流の職業である軍人になって、ただ普通に上司の命令を受けているだけなのに。いいですかツミキ君、異常なのは君達なんですよ? 長いものに巻かれず、このご時世に革命を起こそうとする。時代の流れに対応できず逆らうことを選び、自分達の不幸や不始末の全ての責任を国や顔も知らない役人に押し付ける。迷惑この上ない……君のような異常者を処理する私たちの気持ちにもなってほしいものです」
「そんなこと――!」
「アナタのような人にはこれまでにも会ったことありますし、話が通じないこともわかってます。お互い無駄にエネルギーを使うのは辞めましょう。互いに意見を曲げる気のない論争なんて無意味ですから」
いくらでも反論の言葉はあったのに、ツミキは何一つ口にすることができなかった。
(駄目だ……この人は、ロボットだ。この人の言葉の中には一ミリだって、感情が入ってない……)
ツミキは生まれて初めて出会ったのだ。同じ人でありながら、同じ言語を喋りながら、全く話にならない相手を。
コモンという人間は常に当たり前であることを求める。当たり前の職業について、当たり前に仕事をこなして、当たり前に出世する。
今のミソロジアにおいて主流な職業は軍人だ。だから彼女は軍人になった。そこに深い感情は無いし、市民を守りたいだとか国を正したいとかそんな信条は一切ない。もし、“普通”な職業が医者なら医者になる、商人なら商人になる。風俗嬢ならば喜んで風俗嬢になるだろう。そういう人間だ。そういう異常者だ。だから彼女としては過度な出世はむしろ望まぬことなのだが、三秦星であるペガにその内に眠る異常性を見抜かれ、今の地位についてしまった。
己の大義のために動くツミキと、大義など無く、ただ言われたことをこなすコモンは水と油だ。決して交わることはない。
「もうすぐ定時を過ぎるなぁ……ペガ様に残業代を請求しなくては」
話が通じない。そんなことはわかっている。
それでも。とツミキは、対等ではなく下から、惨めったらしく声を上げる。
「コモンさん。僕は、アナタ方の仲間になります」
「そうですか。ペガ様はさぞ喜ぶことでしょう」
「ですが、条件があります」
「条件?」
ツミキには約束した人間が居る。必ず助けると、誓った少女がいる。
彼女のためなら、喜んで自分を裏切る。
「ポーチという名の女の子にだけは、手を出さないでほしい……!」
「君一人の命を預けるから、代わりに一人助けてほしいと?」
「はい!」
「ご立派ですがツミキ君、それはできません」
「なっ――」
自分を殺して尚、ツミキの言葉はコモンには届かない。
「私は仕事をする上でいくつか自分にルールを設けています。その内の一つが“殺す相手を差別しないこと”。例え相手が女だろうが子供だろうが老人だろうが、同僚だろうが親だろうが仇敵だろうが、老若男女森羅万象平等に殺す。そこに一切の差別は生まない。命令一つでこんな信条簡単に曲げますけど、君は私の上司じゃない。だから私は君の命令は受けない。そして何より、小さな女の子を避けて他を殺すというのは難しく、面倒だ」
すでに彼女にとってツミキは眼中にないのだ。内に秘めた思いは一つ。
“早く帰りたい”。
彼女は仕事を手早く終わらせて帰りたいだけだ。信条などそれを肯定するための道具でしかない。
(この人に言葉は通じない。もう、覚悟を決めるしかないのか?)
まだツミキの眼の光は失われていなかった。
「奥の手はある。だけど――」
ツミキの奥の手、それは対シーザー戦で見せたあの影。
――“英雄の黒影”。
(あの時の力が使えればまだ何とかなるかもしれない。でも――)
ツミキの胸の内には言いえぬ不安があった。
“灯せ。Andromalius”。そう言い放てば何かが起きる。
何かが――
(嫌な予感がする……使いすぎると何かが内側から壊れるような、とてつもなく嫌な予感だ)
時間はない。
コモンが船に乗ればもうどうしようもなくなる。ここで決断するしかない。
(また、失うのか……)
ツミキの頭の中である日の光景が浮かぶ。親友を失った、あの赤い戦場の光景が。
「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっ!!!!」
ツミキが視線を上げようとした時、今度はサンタの言葉が過った。
—―『使い続ければお主の精神は崩壊し、闇に落ちる』
(でも、サンタさん! なら一体どうすればいいんですか!? —―わかっているんです。もし、英雄を目指すのなら、ここは自分の生存のみを考えるべきだと。でも、ここで全部見捨てて、自分だけのうのうと生きて! 僕は本当に英雄になれるんですか!!?)
ころん。とツミキのポケットから貝殻が落ちた。
—―『わたしね、大丈夫なの。お父さんがいなくなった時も、お母さんがいなくなった時も泣かないで我慢できた。だから大丈夫、少しさびしいけど、大丈夫……』
「ポーチちゃん……」
ツミキは貝殻を見つめ、その貝殻をくれた少女の顔を思い出した。
泣きそうな心を必死に押し殺して、悲しい台詞を笑顔で言った少女の顔を。
「壊れてもいい……僕の心ひとつで、何かを守れるならそれでいい!」
助けると誓った。ツミキは力を願う。世界を変えるような強大な力ではなく、小さなたった一人の女の子を救うための力を。
「約束したんだ……もう何も、誰にも! 奪わせはしないっ!!」
自分は壊れてもいい。目の前の強敵を壊す覚悟もできている。ここにいる全てを壊してでも、少女との約束を守る。
ツミキが天に向かって右手を伸ばし、
「灯せっ!!!」
英雄の名を叫ぼうとした時、
(あ————)
口元が硬直し、時間が止まった。
瞬間、灰色の霧がアズゥの欠損した部位の接続部分から噴き出した。
灰色の霧がコックピット内に充満し、ツミキの体を包み込んだ時、ある日の声が聞こえた。
【望むか? 少年】




