2‐⑮ “英雄になりたい”
“英雄になりたい”
今より二十年前、九歳の時にシンラは大好きな女の子の前でそう宣言した。少女の名は“アベン”、シンラと共に廃棄指定地区で生きる外国人だ。少しすさんだスカーレッドの髪と青空のような瞳の色を持つ可憐な少女である。
シンラの言葉に対してアベンは少し微笑んで答える。
『シンラならなれるよ。私も手伝う』
その約束を胸に二人は成長し、あらゆる陣営を飛びまわり齢二十を超えた頃にある軍に入団する。
鳳凰の加護を受けし兵団、“凰燭軍”。
数こそ少ないがメンバー全員が精鋭と言って差し支えない。そんな精鋭たちに囲まれていてもシンラはその実力を周囲に見せつけ、入団してすぐに名を上げた。
誰かが言った。『凰燭軍は人材の宝庫』だと。
特にシンラを加えてエースを謳っていた三人は格が違った。
シン・クライム。
シンラ・バード。
クラック・カーネーション。
一人加われば戦況が変わり、二人そろえば攻守盤石、三人そろえば敵は無し。それほど圧倒的な技量を持っていた。三人だけでなく、次々とパイロット以外の天才たちも揃ってきていた。“ダキ”という稀代の軍師や“ラッキー・ボーイ”と自称する医療のスペシャリスト、副団長には元・義竜軍幹部“グエン・センフル”に圧倒的カリスマ性を持っていた団長“カフカ”。
人材だけで言えばその時代でトップだったのは間違いない。はずだったが……
『シンとクラック、それにダキが裏切っただと!?』
王都を攻めようとした時、シンラはその知らせを聞いた。
全てが上手く運んでいた、あと数手で勝てる所まで来ていた。なのに、要の三人が抜けた。抜けて敵となった。
数で劣る分、質で戦ってきた凰燭軍にとってこれはかなりの痛手だった。だがそれでも、彼らは闘志を失わなかった。
『まだだ! まだ終わっていない!』
『俺達は負けてない! なんせ俺らにはまだシンラがいる、英雄がいる!』
『みんなで力を合わせれば凰燭は滅びやしない!!』
『俺達には鳳凰の加護がある! 不滅の加護がある!!』
シンラの挫けかけた心を仲間の声が再起させた。
『シンラ。なに怯えてるの?』
『アベン……』
『なるんでしょ? 英雄に』
アベンの言葉を受けてシンラは再び瞳に火を灯した。諦めるにはまだ早い、希望を胸に彼らは立ち上がった。
『任せておけ! 俺が必ず、この世界を変えてみせる!』
しかし、僅かな希望も破滅の使者によって容易く踏みつぶされた。
――三年前、一月一日。“アンドロマリウス”誕生。
そしてその三日後、彼の兵器が凰燭軍を襲った。
『なんだ、これは』
仲間は紅蓮の闇に消え去った。
たった一つの暴力が無残にもシンラが積み重ねた、凰燭軍が積み重ねた全てを破壊した。
シンラは必死に抵抗した。だがどんな策も、力も、技術も、“アンドロマリウス”の足元にも及ばなかった。
絶望が形を成したらきっとこんな感じなのだろう。
自分を慕ってくれていた部下は踏みつぶされた。
生涯の友は焼き払われた。
尊敬する師はどうやって死んだのかもわからない。
仲間が朽ちていく中、最終的にシンラがとった行動は……逃走だった。
(無理だ! こんな奴相手に、勝てるわけがない!!)
初めてだった。圧倒的な存在に出会ったのは。シンラ自身が卓越したセンスを持っており、他の追随を許さない天才、ゆえに初めて目にする敵う気がしない相手にただひたすらに恐怖した。
戦場が焼き尽くされ、鎮火された後、シンラは再びその地に戻った。仲間の屍しかないことを知りながら、“アンドロマリウス”に怯えながらもシンラは戻ってきた。
『アベン、どこだ? アベンッ!!』
シンラは走り回る。焼け果てたテント地を。ほんの少しの願いを胸に。
そして走り回ること三十分、彼は愛する女性だったはずの“塊”を見つけた。
『違うんだ。俺は、お前を……』
シンラはアベンのミンチとなった死体を前に膝をつき、力なく涙を流した。
(もし、時間を巻き戻せたなら……もし、アンドロマリウスが来た時に戻れるなら)
――“変わらない。あなたはどうせ逃げる”
よく知る女性の声が聞こえる。
幻聴かどうかはわからない。だが確実にシンラの心に彼女の言葉は突き刺さった。
“あなたはなにも守れない。あなたはなにも救えない。あなたにできるのは破壊だけ”
『違うんだアベン、俺は――』
“壊して殺して見捨てて見殺しにして、そうやってあなたはきっと”
『俺は……!』
――“英雄になる”
この日を境にシンラ・バードはチェイスに乗れない体になった。起動式を叫ぼうとすると心臓が締め付けられるようになってしまった。
己の正義の脆さに彼は気づいてしまったのだ。少しでも勇気があれば、“アンドロマリウス”を倒せずとも自分以外の誰かを助けられたかもしれないのに。愛する誰かを助けられたはずなのに。
『俺は』
――なにを守りたかった?
いつかの約束は後悔と絶望の闇に沈み消え去った。
その一か月後に“アンドロマリウス”は世界を統一させ、“英雄”と呼ばれるようになった……
* * *
アルベルト兄妹は凰燭軍の最終防衛ラインに到達していた。
サンタの策により船を奪取するまでは上手くいったものの、その後から来たアルベルト兄妹を止める術がなかった。
シンラは刻一刻と悪くなる戦況を見て顔色をみるみる悪くさせる。耳に響く雨音、悲鳴、鼻に付く焦げた匂い。“あの日”を思い出して――
「突破される。このままじゃ、全員……」
冷や汗を掻くシンラの足元に一人の少女が寄ってきた。彼女はツミキにお守りをあげた黄色肌の子供、ポーチである。ポーチは心配そうにシンラの顔を見上げる。
「大丈夫?」
「……!?」
シンラは無垢なポーチの視線に耐えられず、すぐに目線を外した。
「大丈夫だ。早く、安全なとこに隠れて――」
シンラは口にして気づく。もう近くに安全な所など無いと。
(どうする? 船を出すか? いや、ポセイドンが生きている限り逃げられはしない。一体どうすれば……どこに行っても逃げられない。無謀だったんだ、俺はもっとタイミングを考えろと言った! だから悪くない。第一、勝てる見込み何て無かったんだ! なのにアイツらが……もう、この人数を抱えて逃げるのは無理だ!)
情けない言い訳を並べる。
つまらない言葉を浮かべる度、シンラは己の無力さに落胆した。
「くだらねぇ。くだらねぇぞシンラ・バード! ここにいる人間ぐらいは救って見せろ!!」
微かに残っていた勇気をもってシンラは覚悟を決めた。
シンラは怯える民衆の方を振り向き、精悍な顔つきで提案する。
「作戦がある。聞いてくれ」
シンラが第三層の住民たちに思いついた作戦を伝えると、彼らは申し訳なさそうな顔でシンラを見つめだした。
「いいのか? それだとシンラ、お前は……」
「お前らが助かるにはこれしかない。大丈夫、安い命だ」
シンラの顔を見て住民たちと凰燭軍の歩兵たちは決意し、シンラの策の実行に向けて動き出す。




