6‐③ 偽りの再会
「な――な!?」
目の前から布一つ、装飾品一つ身に着けていない美しい女性が降りてくる。
ツミキは顔を赤くし、身体を硬直させる。身動きしないツミキの側を女性は平然と通り過ぎて行った。
「どうしたのかね?」
「い、今! 裸の女性が――」
「別に珍しくもない。女性だけでなく、男性も裸で歩いていたりするよ。彼女、彼らにとっての芸術品は己自身だからね」
「自分を?」
「そうだ。さっきの女性の体、文句のつけようが無かっただろう? 豊満な乳房に関わらず、張りがあり整っている。毛の一本さえこだわり、爪の長さはミリ単位で調整していた。筋肉のバランスも左右でばらつかせることなく調律を保ち、顔は化粧することなく美しく妖艶だった。生まれつき美貌を持つ人間が一日一秒すら惜しまず美に費やした結果の完成形だ。恥じるべき場所など無し。あれは正真正銘、芸術品さ。芸術品に服を着せる馬鹿がどこに居る?」
「……。」
ツミキは己の常識とこの街の常識が酷くズレていることに気づいた。
街それぞれに決まった風習やルール、性格があるが、この街のソレは他と比べて群を抜いて異常なのだ。
「美しい容姿と美しいドレスが惹きあって完成する作品もあるが、彼女の場合は裸が完成形だという事だ。――そんなことより見たまえ、ようやく我が屋敷についたぞ」
屋敷――という表現は間違っているとツミキは感じた。
エレウの家は小さな一軒家だ。二階もない、木造りの家。背中では風車が回っている。
家の側には大量の額縁と絵が散らばっており、どれも美しい絵ばかりだが、扱いはゴミ以下の様子だ。
「失礼します」
「適当な所に座ってくれ、すぐに茶を持ってこよう」
中は絵の具の臭いが充満しており、至る所に絵が飾ってある。小さな美術館のようだ。ツミキは部屋の隅にある椅子に腰を掛け、正面を見る。そこには部屋の壁を埋め尽くすほどの大きな絵があった。
「……この絵は」
腕が六本ある人の影――黒を基調とし、暗い緑や紅蓮の赤を使ったその絵は全体的に暗く、禍々しく、常人が見れば『怖い』と感じるものだった。
しかしツミキは目の前の絵に、ただただ瞳を輝かせていた。
「――どうかな? それが君に見て欲しかったものなんだ」
エレウはツミキに紅茶の入ったカップを渡す。
「ありがとうございます。この絵はエレウさんが?」
「そう、私の本職は画家でね、これは最新作なんだ。描いたはいいものの、私の両眼は君の左眼と同じように光を失っていてね、この絵が本当に私が思い描いた通りのものか不安なんだよ」
「なるほど。――え!? エレウさん、眼見えてないんですか?」
「恥ずかしい話さ。戦時中、ちょっと油断してスタングレネードを近距離で喰らってしまってね」
「そうだったんですか……その割には色々なことが見えている様子でしたが。僕の左眼が見えていないことだって……」
「君は『心能』というものを知っているかな?」
「は、はい」
「その中でも『発芽型』に分類される心能は極めると目を閉じていても周囲の光景が見えるようになるのさ。俗な言い方だと心の眼というやつだよ。私は失明した後に己の心能を鍛え、ついにこの領域まで達した。以前より多くのものが見えるようになった……だが、自分の絵だけは見えないままだ。より美しい絵を描くために、そのためだけにこの力を欲したというのに……」
エレウは紅茶を口に含み、飲み込み、場を和ませようと笑みを浮かべた。
「さて、では早速聞かせて貰おうか。君はこの絵を見てなにを感じた?」
ツミキは改めて正面の絵を見る。そして、少しの静寂のあとゆっくりと口を開いた。
「……美しいですね、綺麗な色使いで飽きない絵です」
「――!? 本当か?」
「はい。素晴らしい絵だと思います」
「そうか! それは良かった! 実は君の他にも美術館の連中に見て貰ったのだが、『暗すぎる』だの『億の価値は無い』だの散々な評価だったんだ。しかし、手ごたえとしては最高傑作と評して良いレベルでね。……だからこそ、批評を受けた時は絵を燃やす覚悟をしたが、君のように美しいと感じてくれる人間が居るなら、田舎の小さな美術館にでも寄越そうかね」
「いえ、でも僕は所詮素人なので……あまりあてにしない方が」
「はっはっは! 時に素人目は達人の見聞を凌駕するものだ。素人の目を惹かぬ作品は所詮二流どまりだからね、目が肥えた連中にのみ褒められても、そんなもの全体の客の精々一割程度だ。あてにはならん。――君に会えて良かったよ、ツミキ君。どうだい、君から私になにか頼みはあるかな? せめてもの礼だ」
「いや、はじめは僕が助けて貰って、そのお礼で感想を述べたので、そのまた礼というのはいただけません。それにここまでの道中で街のことも教えて貰いましたから」
「そうか。見たい絵とか、行きたい場所はないのかな? 道案内ぐらいなら礼と呼べるほどのことじゃない些事だ。それぐらいはさせてくれ」
ツミキは「それなら」と懐から写真を取り出す。
その写真は監獄“ヘビヨラズ”で受け取った……元団員らしき人物、“人形師”から送られたものだ。噴水がる美しい場所を映した写真。
「ここがどこだかわかりますか?」
ツミキはエレウに写真を手渡す。
エレウは写真をじっと見つめ、おもむろにペンと紙切れを取り出した。
「きっと南広場の噴水場だな……背景の美術館は“ローレンメスト”だろう。どれ、すぐに地図を描こう」
「ありがとうございます!」
エレウは一分と待たずに地図を書き出し、ツミキに手渡した。
ツミキは地図を確認し、玄関口でエレウと向き合う。
「すみませんエレウさん、本当に色々とお世話になって……」
「なーに気にするな。これも何かの導きだろう」
「では、これで失礼します」
「うむ、さらばだ」
ツミキは頭を下げ、扉から外に出る。
「……。」
エレウは扉の鍵をしめ、作業部屋に戻り、ポケットに両手を埋めて先ほどツミキに見せた絵を見上げる。
「まだ、この絵を美しいと感じる人間が居るとはな……」
―――――――――――――――――――――――
エレウより託された地図の通り、ツミキは示された場所へ来た。
「美術館に噴水、塔、歯車。ここだ、間違いない……」
ツミキは噴水の前で立ち尽くす。
(と言っても、この写真が送られたのってもう一か月も前の事だからなぁ。さすがに誰も――)
噴水が下り、水しぶきが沈んだ時、ツミキはふと後ろを振り返った。その時、反対側に……ツミキは見慣れた白髪の少女の背中を見た。
「は――」
鼓動が耳まで届く。鳥肌が全身に立ち昇る。
反射的に、なにかを考えるより速く、ツミキは噴水を回り、彼女の肩を後ろから掴んだ。
「アレン……?」
少女は振り返り、その顔を見せる。
「……。」




