跳ぼう!一緒に!
あらすじ
秋野良美は、競馬場の乗馬スポーツ少年団に所属する公立中学2年の女の子。勉強は嫌い、運動も嫌いでも乗馬は好き。
馬に会うためなら、早起きも、暑さ、寒さもがまんする。
そんな良美の生活は、ふとしたきっかけで、葦毛の元競走馬ユキノエキスプレスと出合ったことから、大きく変わっていく。
「あと2つ。」
良美は思った。
「負けるのは絶対にイヤ。」
そう心の中で叫びながら、良美は、ユキが前に出やすいように、わずかにこぶしを緩めた。
障害馬術競技は、テレビで放映される機会も少なく、世間では、ありまりなじみのないスポーツである。
そんなスポーツにはまってしまった良美は、今年、公立中学の2年生になった。
ユキは、ユキノエキプレスの愛称である。
今年10才になるサラブレットで、その名のとおり雪のよう白い葦毛の馬であるが、G1レース3勝の輝かしい経歴を持つ元競走馬で、今でも競馬ファンには人気がある。
良美が乗馬ははじめたのは、小学校4年の時だった。
最初は父に無理やりつれていかれた乗馬クラブで、馬に乗せられたのだが、乗ったとたんに気持ちが変った。
素直に楽しかった。あれから5年、ずっと学校が休みの日は、馬に乗りつづけている。
馬は友達。いや良美にとっては、それ以上だった。
小学校5年の夏休み、良美は、地元の競馬場で練習している乗馬スポーツ少年団に入団した。
これまた父親が入団をかなり強引に薦めたせいもあったが、良美は、純粋に馬に乗ることが楽しかった。
自然に笑顔になってしまう自分に驚きながら、絶対に乗馬をやりたいと思った。たとえ両親がやめろといっても。
正直、こんな気持ちになったのは、短い良美の人生では、はじめてだった。
ユキには多摩競馬場で開催されるレースの誘導馬としての仕事もある。
誘導馬というのは、レースに出場する競走馬を誘導する馬である。
大半が引退した競走馬の中から、見栄えのよい馬などが選ばれている。
この多摩競馬場でも、所属する誘導馬のほとんどが葦毛。つまり白馬である。
しかし、もともとは競走馬として育てられた繊細なサラブレットである。
気性が荒くて愛想がない馬や、極端に臆病で馬房でもいつもピリピリしている馬も結構多い。
そんな中でユキは、すこぶる愛想がよい馬で、少年団のメンバーにも、たまに行われる一般客向けの体験乗馬会でも人気があった。
幼い子供に、いきなり触られても驚きもせずに愛想を振り撒き、写真写りもいいユキは、アイドル的存在である。
ユキと良美が最初に出会ったのは、良美が少年団入団のために研修生になったときであった。
多摩競馬場に限らずJRAが支援している乗馬スポーツ少年団の団員は、男女の別がないうえに、小学校5年から高校3年までと年齢も幅広い。
小学5年生にとって高校生は、大先輩であり、指導する競馬場の職員も乗馬の指導以外は、高校生にまかせているから、最も怖く、神様のような存在である。
新しい団員は、毎年、春と夏に募集するが、小学5年生が入団できるのは、夏だけであり、この暑い時期に研修生として、馬の世話や練習に耐えなければ、団員となる資格が得られない。
今まで、きつい作業や先輩の指導を経験したことのない小学生の子供達にとっては、かなりの試練である。
それにも増して、集合時間が朝早い。馬は暑さに弱い。そのため練習は、比較的涼しい朝の時間帯にせざる得ない。
6時30分の集合に間に合うためには、かなり早く起床して、食事や身支度をすませる必要がある。
その点、良美は、家が競馬場から近いので、かなり恵まれているのであるが、都心や横浜、川崎といったところから通ってくる子は、始発に乗らないと間に合わない。
親もたまったものではない。いくらなんでも小学5年生の子供に、ひとりで起きて、ご飯を食べて行ってきなさいというには、さすが勇気がいる。
勢い親達は、馬を休ませる馬休日以外は毎日、早起きすることになる。
少年団の団員の親達、特に貧乏くじを引くことの多い母親達が集まると早起きについての愚痴が出るの常である。
毎年3月に少年団を卒業していく高校3年生達が、思い出として必ず口にするのは、よい仲間と出会えたことと、この早起きが辛かったことについてである。
良美もこの早起きと先輩で、研修生にはなってみたものの、初日からもうやめたくなった。
さらに、強烈だったのは、馬が寝起きしている部屋である馬房の掃除である。
多摩競馬場は、馬房の床にわらを敷いている。
馬房にわらを敷くことは、昔から行われていることでもあり、馬の蹄への影響なども考えると、メリットがあるのだが、多くの乗馬クラブでは、経費面や清掃に手間がかかるためにおがくずを敷いていることが多い。
このわらが曲者である。
馬が一晩暮らしているわけであるから、当然、朝、掃除に行けば、わらは、ボロ。馬に関わるものは、馬糞のことをこう呼ぶ。と尿にまみれており、さらに夏場は暑さで発酵し、強烈な臭いを発している。
大人でさえも、ためらうようなこの作業を研修生もやらなければならない。
研修生は、ボロや尿にまみれのわらを、もう一度使えるものと使えないものによりわけ、使えるものは、馬房の前のスペースに広げて干すのである。
こんな辛い状況の良美にとって、唯一の救いがアキであった。
ユキは、まだ馬に慣れていない研修生にもやさしかった。