第九話:妹とその後輩
嘘から出た真なんてさせないから。
明後日から夏休みという以外、なんてことはないいつもの平日。
バイトもなければ、寄り道をする予定もない。
住宅街の遠くで蝉しぐれが鳴る中、真っ直ぐ帰宅した俺は、玄関のドアを開けて、「……?」と二つの違和感を覚えた。
まず、玄関の靴。
見慣れた妹のローファーが一足。そこはいい。
その隣に見覚えのない女性モノの白いハイカットスニーカーが並んでいた。
……確か妹は今日から夏休みだと言っていた。
小生意気に、まだ登校日が残っている俺に向かって自慢するように、それでいて煽るように言っていたので間違いない。
であるならば、買い物にでも行って買ってきたのだとすれば納得もする。
だが。
「……」
玄関からすぐの廊下の中央で。
片足を上げて、両腕を水平に伸ばす――かかしのようなポーズを取る少女の等身大フィギュアまで買ったわけではないだろう。
「……うう」
苦しそうに声を漏らすフィギュア(と仮定する)を改めて見やる。
妹より少し長いくらいの首辺りで二つに結んだ黒髪と、幼さが残る顔立ち。
大きく丸い瞳が特徴的な女の子だった。
年齢は妹より同じか、もしくは一つ下くらいか。
――正直、可愛らしい子だった。俺のタイプであるかは別として。
そしてふと妹と比べてしまう理由であり、原因でもある――このかと同じ中学の制服。
「……そろそろ、ツッコんでくれますかっ!」
気付けば、目の前の彼女は目を開けてこちらを睨んできていた。
やっぱり人だったか。
「ツッコむってのは、見知らぬ人間が家にいたことに対してなのか、それとも君の奇怪なポージングについてなのか。
はたまた、ツッコむという行為が《言動》なのか、それともタックルしていい、《カモンベイビー》ということなのか。
上から1番から4番、さて選んでくれ」
「あー、もう! めんどくさい!」
かかしのポーズを辞めた彼女は、「ふう……」と小さな溜息を吐いて、こほんと咳払いをした。
「改めまして。お邪魔してます。このか先輩と同中の一つ後輩、久々野空子と言います」
礼儀正しくお辞儀をして自己紹介をするが、残念ながらすでにかかしフォームを見ているので俺の疑心は相殺できなかった。
「あ、名前の漢字、分かりませんよね? 失礼しました、こう書きます」
空中に指で文字を書く。なるほど、自分の名前を説明する丁寧さと親切心はあるが、残念ながらすでにかかしフォーム――以下略。
「あ、おかまいなく。ただ、夏の合宿の相談をしに来ただけなので。そろそろ帰りますので」
それは俺のセリフなのだが、まあいい。
短いスカートの裾を引っ張り、これまた気品あるご令嬢のように振舞うが、残念ながら――以下略。
「……それはそうとして。このか先輩の……お兄さん? でいいんですよね?」
「ん、ああ。そうだけど?」
っていうか、このかの奴は変人――じゃない、客人を放って何をしているんだ?
俺はそろそろ自室に戻りたいんだが、中学生の好奇心の眼差しに当てられ、玄関から身動きが取れなかった。
「へー。ふーん。はーん」
じろじろと足元から俺の頭のてっぺんまで凝視した久々野は、二つ瞬きをして小さく小首を傾げた。
「んー……。このか先輩がいつも話していた割には……全然、カッコいいと思うけどなー。身長も高いし、顔も……うん」
値踏みされるような視線を振り切るように、俺は眉を顰めて言う。
「……どうでもいいけど、そこどいてくれるか? 洗面所で手を洗いたい」
「ああ、はいはい。しゃーないですね」
なぜに自分の家で手を洗うのに、お前に肩をすくめられないといけないんだ。
とにもかくにも。
久々野ちゃんを招いたのはこのかだ。俺が持てなす必要はないはずだ。
というより、思春期中の思春期の女子中学生との会話を長く続けられる自信がない俺にとって、今すぐにでもこの場から逃げ出したかった。
さて、久々野ちゃんの立っている廊下のすぐ右手に洗面所があるのだが、何故だかその場から動こうとしない。
「いや、久々野ちゃん。そこどいて欲しいんだけど」
「まあ、待ってください。ここにスマホがあります」
そう言って、久々野ちゃんはスカートのポケットから、可愛らしいウサギのカバーの付いたスマホを取り出す。
そして俺に断りも入れず、「パシャり」とシャッターを押した。
「え、なんで写真撮った?」
「まあ、気にしないでください。それよりも、このか先輩のお兄さん。私と写真撮りましょ!」
俺の腕を掴んだ久々野ちゃんは、まるで恋人がするようにそのまま自分の身体を押しつけるように腕に抱きついてきた。
「おい、何して……」
「まあまあ。写真一枚だけ撮ったら離れますから。はいチーズ」
またしても俺の意思を無視して、自撮りするように写真を撮った。
おそらく、俺の表情は引きつったものとなっていただろう。
「ほら、気が済んだろ。さっさと離れろ」
「はーい。……んー。このか先輩のお兄さん、お名前は何て言うんです?」
「肖像権を無視する奴に教える名前はない」
「あははっ。何か難しいこと言ってる―っ。ま、《兄先輩》でいっか。投稿っと」
からからと笑いながら久々野ちゃんは、スマホをぺちぺちと触りながら不穏なワードを呟いた。
……《投稿》だって?
「おい、久々野ちゃん。まさか今の写真、どこかにアップした?」
「はい、Twitterにあっぷっぷしちゃいました-。見ます?」
久々野ちゃんは悪気のない顔で俺にTwitterの画面を見せてくる。
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クー子@テニス部
彼氏のお家で初デート( ,,・ิω・ิ,, )
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「おい! ただのねつ造じゃねえか!」
「あははっ。怒らないでくださいよ、兄先輩。大丈夫です。これ、今私たちの間で流行ってる、《嘘ツイート》なんですから」
「……《嘘ツイート》?」
「ですです。エイプリルフールみたいなツイートって感じ? ホントか嘘か分からない感じが面白いんですよー」
そう言いながら、久々野ちゃんは過去のツイートも見せてくる。
確かにそれらの呟きを見ると、《パパに勉強会じゃー!》という内容と一緒に、明らかに担任の教師らしき成人男性と教室で写ってる写真なんかもあった。
俺は頭を掻きながら、小さく溜め息を吐く。
「はあ。もういいや。それより、写真撮ったならそこをどいてくれ」
「いいですけど。私がうっかりこのか先輩の服にジュースを零しちゃって、今はそこでこのか先輩がシャワー浴びてますよ?」
「は?」
俺が洗面所のドアを開けた瞬間、バスタオルを巻いたこのかが不機嫌そうな顔で出てきた。
「……」
「あ、いや。俺は別に――」
「……空子」
このかは俺を一瞥するが、すぐに視線を隣の後輩に移す。
「はい? 何でしょう、このか先ぱ――いたたっ!?」
微笑んだ久々野ちゃんの顔に手を伸ばしたこのかは、容赦なく握り締める。
「いたい!? 痛いです、このか先輩!? アイアンクローは痛いのであります!」
「空子。今の呟き、消しなさい」
「は、はい!? つ、呟きというと、このか先輩のお兄さんとの《嘘ツイート》のことですか!? や、やだなー。あんなのただの嘘で――」
「い・い・か・ら。消せ」
「わ、分かりました!」
このかに解放された久々野ちゃんは、涙目でスマホを操作する。
それを無表情で眺めていたこのかは、再び視線を俺に向ける。
「……で。女子中学生に鼻の下を伸ばしていた兄ちゃんは、いつまで妹の裸の前にいるの?」
「あ」
指摘された俺は、このかと入れ替わるように洗面所に入りドアを閉める。
その後はドア越しの音声でしか把握できなかったが、どうやら彼女らは二階に向かったようだった。
「ったく。何だったんだよ、あいつら」
ようやく手を洗えた俺は、嘆息する。と、そこで洗濯機の上に置かれた、このかの着替えらしき服と下着が視界に入る。
「……このかの奴、着替え持ってきたの忘れてんじゃん」
ただシンプルに忘れていたのか、それとも着替える時間すら惜しかったのか。
……。
………。
「《嘘ツイート》ねえ」
俺はスマホをポケットから取り出して、カメラを機動しかけて指を止めた。
「……なんてな」
たとえ嘘だったとしても。
呟けないことも世の中にはあるものだ。
そう、例えば―――。
このか先輩は、時々すごく怒ります。
……ま、理由と原因は分かってますけどね!
そこが可愛いんです、にへら!
――久々野空子