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兄と妹は仲が悪い  作者: ナツメ
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第五十八話:妹と過去―後編―

他人のためというのは、自分のための言い訳だよ。


朝。

特に変わった様子もなく、妹はいつもの時間に支度をして家を出る。

それを見送った俺は、携帯から部長にメールを一通送った。

『体調が優れないので、朝練はお休みします』

すぐに返信が来た。

『大丈夫か? 大会も近いんだし、無理するなよ』

一読して、部長の心配そうな顔を想像し、小さく笑う。

「……さて、と」

俺もそろそろ家を出よう。今日は面倒くさいことばかりの一日になりそうだ。

家から出ると、正面の電柱に背を預けた須王スミビが、気だるげに立っていた。

「やあ、おはよう」

「おはよう」

他愛ない朝の挨拶。だが、そこにはお互いの苛立ちが混ざっていた。

「なあ、親友。君は、これからどこに行こうっていうんだい?」

「どこって、学校に決まってるだろ? 変な奴だな」

「学校、学校か。そうだね、当たり前だ。学校に行くのは当然だ。……でも、君が今から行こうとしているのは、中学の方ではないだろう?」

「……」

俺は無言で彼女の表情から視線を外す。

「……まあ。いいよ。君が何をするつもりのか知らないけど、これだけは言っておこう」

一歩、電柱から背を話した須王スミビが俺の前に進む。

「絶対に君の妹を傷つけるなよ。彼女は私の数少ない友人であり、将来の義妹なんだからね」

「勝手に俺と結婚するなよ」

「いいや、するね。君と結婚して、海辺に白い家を建てて君と、私と、このちーの三人で愛欲と肉欲の日々に溺れるんだ」

「バッドエンドじゃねえか」

「いいや、トゥルーエンドだよ」

どちらにせよ、そこにハッピーはないのか。

小さく溜め息を吐いて、俺は須王スミビの正面から逃げるように歩き出す。

須王スミビは俺の後を付いてこようとはしなかった。


***


数ヶ月前まで通っていた母校を目の前にして、懐かしさは感じなかった。

当然と言えば当然なのだろうが、もうこの学校の生徒ではないという自覚があれば、多少なりとは感慨深い感情も浮かぶと思っていた自分の頬を殴ってやりたい。

感傷に浸るためにここに来たわけじゃないだろう。

俺は校庭の門を潜り、来客用昇降口に足を運ぶ。

受付窓で用務員らしき中年男性が訝しげに俺を認めて声を掛けた。

「お兄さん。どうしたの? 見たところ、中学生みたいだけど」

「こんにちは。妹が忘れ物をしたので、届けに来ました」

「ああ、そうなの。身分証明書はあるかな? それと、妹さんのクラスと名前をここに記入してね」

差し出してきた用紙に妹のクラスと名前、そして俺の名前を記入して身分証である中学の学生証を渡す。

「ふむ。じゃあ、ちょっと待ってね。担任の先生を呼んでくるから」

てっきり荷物だけ渡して帰らされると思っていたが、どうやら本人証明以外に手順が必要らしい。

まあ、何かあっても「OBだから」と言って妹の担任を呼び出すつもりだったから、手間が省けてちょうど良いか。

しばらく待っていると、耳慣れたチャイムが鳴った。確かこの時間帯に鳴るのは、朝のHRの終了の合図だったか。

ぼんやりとチャイムが鳴るのを聞いていると、パタパタとリノリウムの廊下を響かせて妹の担任が現れた。

「ごめんごめん、待たせて! 久しぶりね、このかちゃんのお兄ちゃん。元気だった?」

「どうも。先生もお変わりなく」

青色のジャージを身につけたショートカットの女性に、俺は小さくお辞儀をする。

歳は二十代後半とまだ若く、男勝りだけど明るい性格で、全校生徒から人気のある先生だったのを記憶している。

「いやいや! 先生も変わったんだよ、これでも。実は、新しい歯磨き粉にしてね。今まではイチゴ味だったのを卒業して、メロン味にしてみたの。どう、いい香りでしょ?」

「いや、そういう意味の変わったではなく……。まあ、ある意味相変わらずで安心しました」

少しだけ頭のネジが緩いところも、生徒からの人気の理由なのだろう。ちょっとバカっぽいけど。

「忘れ物だってね。このかちゃんを呼んできてもいいんだけど、先生が受け取って渡そうか? お兄ちゃんも学校があるでしょ?」

「いえ。出来れば応接室で渡します。他にお話もありますし」

「……? そう?」

怪訝そうに首を傾げた先生は、俺を招いて応接室に入る。

応接室のソファに腰を掛けると、先生は口を開く。

「それで? 話って何かな? あ、そうだ。お兄ちゃんが卒業した今年度から、給食のメニューがね――」


「……妹がいじめられているみたいなんです」


淡々とした俺の告白に、先生は明るい表情を消す。

「……。それは、本当の話なの?」

「はい」

「……。そう。いじめ、ね……。んー、それは困ったなあ。私のクラスは、《仲良しこよし、固い友情と厚い胸板》がテーマなのに」

小さく溜め息を吐いた先生は、少し考えるようにして言った。

「それはこのかちゃんが言ったの?」

「はい。――佐藤君からいじめられていると。昨日、相談されました」

嘘だ。妹は、誰からいじめられているかなんて言っていない。

佐藤という名前は、妹のクラス名簿から適当に見つけただけのでまかせだ。

「……佐藤君が? おかしいなあ。佐藤君って、サッカーにしか興味がない膝小僧だったと思ったんだけど」

むむっと険しい表情で悩み始めた先生は、ポンと手を打って顔を上げる。

「……分かったわ。このかちゃんを呼んで、事実確認をしましょう。ちょっと待ってね」

先生は内線でどこかに連絡をすると、すぐに校内放送で妹の名前が呼び出された。

思えば、校内放送で名前を呼ばれることに、あまりいいことはない。

数分して、応接室のドアがノックされる。

「……失礼します。……え? 兄ちゃん?」

想像外の人物だったのだろう、俺を見るや目を開いて足を一歩後退させる妹。

「あのね。このかちゃん。お兄ちゃんが……その。あなたがいじめられてると言いに来てね。それが本当なのか、確認したいの」

「……えっ。あ……、それ、は……」

動揺と混乱で何を言えばいいのか分からない妹に代わって、俺は先生に言う。

「先生。妹は告げ口が嫌だそうです。大事にするのも避けたいので、いじめの加害者である佐藤君をここに呼んできてくれませんか?」

「……え?」

今までとは別の驚きに満ちた瞳で俺を見上げる妹を無視する。

「んー。そう、ね。先生、まだ半信半疑なんだけど……」

「あ、あのっ! なんで、佐藤君を呼ぶんですか?」

「え? だって、あなたをいじめたのって佐藤君じゃないの? お兄ちゃんからはそう聞いたけど……」

「……っ!?」

妹が見開いた目で俺を見つめる。そんな彼女の瞳に対し、俺は小声で呟いた。

「……間違っているなら、本当のことを言えばいい。言わなければ、佐藤って奴がいじめた奴として虚偽のレッテルを貼られるだけだ」

「……っ」

「俺は誰でもいいんだ。少なくとも見せしめにはなるしな」

「兄ちゃん……さいてー」

キッと睨み付けられた俺は、意に介することなく、先生に向き直る。

「じゃあ、先生。佐藤君を呼んできてもらっていいですか? 俺が妹の代わりに事実かどうかを聞いてみます」

「ん、わかっ――」

「先生っ」

切り裂くような、張り詰めた声が妹から吐き出された。

歯を食いしばり、苦渋に耐えるような表情で、俺の顔を一瞥すると「違います」と首を振った。

「佐藤君じゃ……ないです。わ、私を。いじめ、たのは――」


***


やがて、一人の男子生徒が応接室にやってきた。

背は俺より低いが、小学五年生にしてはやや高く、短髪で理髪そうな顔立ちをしていた。

「えっと……」

何故自分が呼ばれたのか、不思議そうな顔をして、まず妹を見て。

次に先生、そして最後に部外者である俺を流し見する。

そこで何か得心したのか、特に動揺を見せることなく、

「何か用事ですか?」と聞いた。

先生は対面のソファに彼を促し、笑顔を作って尋ねた。

「あのね。佐久島さくしま君。このかちゃんのことについて、何か先生に言わないといけないこととかあるかな?」

遠回りの尋問。なるほど、先生はやはり先生だ。

大人の対応だ。正しい対応だ。なるべく冷静に、事を進めようと一歩ずつ歩み寄ろうとしている。

だけど――。

「はあ。特にないです。何も」

抑揚のない返事だった。まるで、教室からこの応接室まで歩きながら百回は練習したかのようなセリフだった。

「そう。でも、何かあるでしょう? 先生、分かってるんだから」

「分かってるなら教えてくださいよ。僕、何のことか分からないです」

あくまで生徒からの自白を望む先生と、白を切る少年。

こいつ、分かってるな。自分さえ何も言わなければ、明るみに出ないことを。

妹からこいつの名前を出したところまでは良かったが、妹に対する陰湿な行動を見る限り、かなり慎重な性格だ。

おそらく、ボロは出さない。

先生も長引きそうだと判断したのか、頭を振ってソファから立ち上がる。

「ちょっとクラスに自習の連絡をしてくるわ。先生が戻ってくるまで待っててね」

そう言って先生は応接室から出て行った。

静寂が漂う応接室で、小さな舌打ちが響いた。

「あーあ。今日の一時間目、体育だったのに。こんなことでダメになっちゃうなんてなー」

「――っ」

仮面を外した素の彼の声に、妹は肩を一瞬震わせる。

チラリと隣のソファに座る俺をようやく見た彼は、眉を寄せる。

「てかさ。あんた、こいつの兄貴なんだよね。うわ、シスコンだ。キメェ」

「……お前、名前なんだっけ?」

一度聞いた気がするが、覚えられなかった。なんだっけか。佐久島……って言ったっけ。

「はっ、言わねーよ。ばーか。ってか、いじめとか告げ口すんのやめてくんない? こんなの、飽きたらすぐにやめるからよ」

「……ね、名前は?」

「しつこ。なー、お前の兄ちゃん、きもくね? 暗いし、オタクっぽい。あ、ちがう、オタクだ! うわー、ロリコンとかってやつ? お前こそ逮捕されろ、てか死ねよ」

「小学生かよ」

「小学生だけど?」

「ん。そうだった。ごめん」

大人がいないせいか、態度にフェイクがない。

見るがままに、子供らしい無邪気な邪気だ。

「お前さ。なんでこいつをいじめたの?」

俺は隣に座る妹の頭を叩く。

「俺が言うのもなんだけど。別にこいつ、他人に迷惑かけるような奴じゃないし。出しゃばりでもない。かと言って、根暗でもない。ふつーのやつなんだけど。なんで?」

「はあ? 別に。ただ何となくだし。ってか、別にいじめてねーし。証拠でもあんのかよ。しょーこ。証拠なくて人を疑ったら、名誉毀損ってやつじゃないの?」

「お、よくそんな難しい言葉知ってるな」

ちょっと驚いた。

依然として冷静な俺の態度に苛立ったのか、ソファから立ち上がった彼は、げしっと俺の足を蹴飛ばした。

「なんだよあんた。むかつくな。つか、大人げねえんだよ。俺達のことに関わってくんなよ、きめえな」

「……。まあ、その通りなんだけどな」

頭を掻いて俺はソファから立ち上がる。

頭一つ分低い彼を見下ろして、溜め息を漏らす。

「……別に。俺は最初からなんでも良かったんだよ。こいつがいじめられていようがなかろうが」

そう。どうでもいい。

「いじめをやったのが、佐藤だろうがお前だろうが、ましてや先生や俺の知らない他人だったとしても、なんでもよかった」

結果は変わらない。俺のやろうとしていることに、変わりはない。


――ただ、何となく。妹が俺に何かを隠そうとしているのが気にくわなかった。


その感情に名前があるのかは知らない。

だから、これはただのワガママだ。

「小学生の男子が好きな女子にちょっかいをやり過ぎて、いじめに発展するなんてことはよくある話だ。だから俺は最初から関与するつもりはなかった」

「はあっ!? なわけねえだろ、こんなブス! ってか、お前ら兄妹そろってきめえな! マジ死ねよ」

虚勢ではない、心底気味悪そうな顔をした彼は、俺ではなく妹を睨み付けて言った。

「こいつを好きだからいじめた? ちげーよ、マジで気持ち悪いから邪魔だったんだよ。なあ、知ってるか? こいつ、女子の友達の間で兄貴のことばかり話してるんだぜ?」

「――っ!?」

妹が何かを言おうとしたが、声に出せずに頭を振る。

「だから聞いたんだよ。『お前、兄貴のこと、好きなの?』って。そしたら、こいつなんて答えたと思う?」

――言うな。

その一歩だけは。その一言だけは。

聞いちゃ、ダメだ――。


「真面目な顔して、『す――」


そこで、彼の言葉は途切れた。


***


その後、応接室に戻ってきた先生の表情を見て、俺は何が起きたのか、俺が何をしたのかを理解した。

何度も殴られて気を失った妹のクラスメイトが床に倒れる姿と、泣き叫びながら俺の腰にしがみつく妹を無機質に眺めて。

小さく誰に対してか分からない謝罪を呟いた。


「――ごめん」


それからは、まるで時間が飛んだかのように瞬く間に時が過ぎた。

俺が暴行したらしい彼は、病院に運ばれて全治二週間の怪我。

学校側と保護者間で何かの話し合いが行われたのか、俺は暴行罪にはならなかったが、中学では問題視されて三ヶ月の停学処分となった。

もちろん、部活の大会には出場できず、団体リレーは俺の欠員のため満足なメンバーではなかったためか、敗退したと七神から聞いた。

部長からは、メールが一言。『見損なった』と短い文章が送られてきて、それっきりだった。

そして――。


「ごめんね」


謹慎中、呪文のように毎日俺の部屋の前で謝罪する妹から逃げ出した俺は。


「――別れよう。私が思うに。君の愛は、屈折しすぎている」


停学から明けて久しぶりに会った恋人である須王スミビに振られて。


――壊れかけの俺の人生は、一つの終わりを迎えた。

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