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兄と妹は仲が悪い  作者: ナツメ
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第五十七話:妹と過去―前編―

そうかそうか。君はそういう奴だったな。

兄妹というものは、得てして仲が悪いものである。

仲が良いということが決して悪いことではないけれど、仲が悪いということも決して悪いことではない。

遺伝子の問題。性格の不一致。性別の違いによる見解。年齢差の不満。

突き詰めれば、小さな不満が溜まりに溜まって不仲になる。

ともあれば、幼い頃は取り立てて不仲になる要因は少ないのかもしれない。

一緒に風呂に入ったこともあれば、それこそ妹が雷に怯えて、俺に抱きついて夜を明かすことなんて両手で数え切れないほどある。

だが、それも子供ながらの可愛らしい思い出だ。

俺が中学に進学した当時、妹に対する感情がどこまで残っていたのかは知らない。

小学五年生の幼い妹が、兄である俺に対する感情がどこに向かっていたのかも知らない。

だからこそ、俺は彼女を受け入れた。

異端であるカノジョを――。


***


「――よし。今日の部活はここまで! 一年は後片付けよろしくな!」

陸上部の部長の一声に、俺はちょうど十本目の100メートルランを終える。

気付けばいつの間にか空は茜色に染まり、地面の影が地平線にまで伸びていた。

小さく息を整えながら、駆け足で片付けを始めていた同じ一年生に混じって、道具の片付けを行う。

グラウンド整備をしていると、クラスメイトの男子が話しかけてきた。

「なあ、またお前タイム短くなったんじゃないか?」

「そうかもな」

「良いよな、お前だけ地区予選突破できてよ」

「先輩達もリレーで予選通過してるだろ?」

「ばっか。短距離100メートルだと、先輩差し置いてお前だけだろ」

「……別に。タイムなんかどうでもいいんだけど」

「うわぁ。お前、それ先輩達に言うなよ? 悔しい反面、先輩達もお前には期待してんだからな!」

クラスメイトに思い切り背中を叩かれた俺は、渋い顔を作って彼から離れた。

期待、ねえ。昔から走るのは人より速かったというだけで、陸上部を選んだのだけれど。

思えば失敗だったかもしれない。

嫉みを買うのはもちろん嫌だが、身に余る期待を背負うのも面倒くさい。

とはいえ、他のスポーツでは団体競技がほとんどなので、これに責任感や連帯感が上乗せされるのだから、まだ個人競技である陸上は幾分マシなのかもしれない。

グラウンドのならしも終えて、さて帰宅しようかと思って部室に向かおうとすると、部室の前に一目を引く少女が立っていた。

「やあ、親友。今日もお疲れさんだ」

「……スミビ。何しに来たんだよ」

「何って、私達は恋人同士だろ? 思うに、カレシの君を待っていてもおかしくはないだろ? ん?」

「……」

「あ、今、『こいつめんどくせぇな。でもまあ、可愛いし許してあげよう。ああ、なんて僕は美少女のカノジョを持てて幸せなんだ、ビバハッピーライフ!』と思っただろ?」

「残念。冒頭だけは正解だ」

「可愛いってことかい、ありがとう」

「めんどうくせぇってことだよ」

須王すおうスミビ。

名前は帰化して日本名だけど、その実は北欧とアジア系のハーフだ。

銀色の長い髪に、色素の薄い肌をした少女。

身長は女子の平均より少し低いくらい。

クラスの身長順に並べば、前から三番目くらいだから、小さすぎるということはないが、横柄な態度のせいかあまり身長の低さを感じさせない。

健啖家にして、自信家の――俺のカノジョだ。

「ん? なんだい、私の顔をジロジロと見て」

「いや。ブサイクだなと」

「思うに、それだけはないな。私は、私の顔が可愛いことを知っている。そして、君が私の顔を好きだと言うことも、ね」

「……その性格は、嫌いだけどな」

「ふふっ、それも嘘だな。君は、私の顔よりも何よりも、私のこの性格を気に入っているはずだよ」

偉そうに少しだけ膨らんだ胸の前で腕を組むスミビに、俺は小さく舌打ちをする。

「言ってろ」

「ん? なんだよ、痴話喧嘩か? お前、こんな可愛いカノジョがいるんだから、もっと大切にしろよ」

着替えを終えたらしい部長が、部室から出て来て言う。

「ああ、部長さん。大丈夫。昨夜は、ベッドの上でとても大切にしてもらったからね」

「……。お前ら、俺がまだだっていうのに。中一でそういうことしてんの?」

「してません。このアホは、虚言癖があるので、放っておいてください」

「虚言癖とは、また嫌な言い方をする。せめて中二病と言って欲しいな」

そっちの方が嫌な言い方のような気がするけど。

部長は面倒くさそうな顔をして、坊主頭をさする。

「あー。まあ、別に良いんだけどな。お前には、俺も期待してんだ。弱小陸上部だった俺達でも初めての全国出場を果たせる希望がお前なんだから」

「……でも、俺は」

「確かに短距離は個人種目だ。でもな、それを応援する俺らがいて、団体競技なんだよ。仲間が良い結果を出したら、素直に喜ぶ。そういうもんだろ?」

「……はい」

「……。じゃあな。お疲れさん」

部長が立ち去る後ろ姿を眺めながら、隣に立つスミビが呟く。

「良い部長さんだね」

「……ああ」

「ところで、その汗が染みこんだジャージ、私に一晩貸してくれないかな?」

「断る」


***


須王スミビと恋人になったのは、ただの気まぐれだった。

彼女は両親の仕事の都合で、入学時期から一ヶ月遅れて俺のクラスに編入してきた。

帰国子女だった彼女は、日本人離れした外見と傲岸不遜な性格も相まって、初日からクラスで浮いていた。

クラスでは仲良しグループが確立し始め、そこに投入された異端児。

浮くのは当然だ。そして本人はそのことを気にも留めていない。

だが、彼女がいるせいで、異物感を抱いた教室の空気は、不安定で落ち着きがなかった。

それはまるで、黄色の黒板で授業を受けているような。

あるいは、国語の先生が数学の教科書を片手に音楽の授業をしているような。

そんな違和感。

その空気を、須王スミビ本人は気付いていた。

中学に進学して給食の量が増え、毎日アホほど食べて腹を壊し、毎日の昼休みにトイレに駆け込むアホの親友、七神直人なながみなおとですら察していた。

気付かなかったのは、察しなかったのは、そのクラスでは俺だけだった。

だが、ある日。俺の落とした消しゴムが須王スミビの席の近くまで転がって、拾う時に視界に入った彼女の髪の毛を見て、


『綺麗な銀髪だな』


と俺は言った。

そして、それを受け取った彼女が放ったセリフがこれだ。


『それなら、私と付き合う? 恋人になれば、好きなだけ私の髪を触って良いよ』


ただの独り言のつもりだったし、彼女もただの独り言だと認識していたはずだ。

だけれど、彼女はそう言った。そう、告白した。いや、どちらかといえば、提案だったのかもしれない。

それに対して、俺は少しだけ考えて言った。


『いいよ』


「――そんな情熱的な告白から早くも二ヶ月。いつになったら、私と親友は一線を越えられるんだろうね?」

帰り道。

すっかり暗くなり、夜の帳が降りた通学路を、俺とスミビ、そして同じ時間帯に部活が終わった七神直人と並んで歩く。

「まだ俺達には早いだろ。手もまだ握ってないっていうのに」

「案外ピュアなんだね。思うに、思春期まっただ中の中学生男子なら、すぐに性的行為に移りたいと思うのが普通なんじゃないかな」

「普通か? そもそも俺達の関係は」

「普通、だと思うよ。肩書きと関係性だけを見れば」

なんだかなあ。

スミビのことは嫌いじゃないし、むしろ好きな部類に入るのだけれど。

どうしてもこいつと、そういう行為をしてみたいと思わない。

まあ、全く興味がないと言えば、嘘になるんだけど。

「……っていうかさー。須王はなんでこいつのことを、《親友》なんて呼んでるんだ? 普通に名前で呼ばねーの? その時点で普通じゃねえと思うぞ?」

七神は何気なく、会話に混じってくる。

「……それを七神君が言うのかい? 七神君だって、彼のことを滅多に名前で呼ばないじゃないか」

「だって。こいつ、あんまり自分の名前、好きじゃなさそうだし」

「自分の名前が好きな人なんて、あんまりいないんじゃないかな」

「そうだろうけど。こいつの場合は、毛嫌いとか恥ずかしいんじゃなくて、聞きたくなさそうだし」

「……」

「ふうん。なるほど。七神君」

「あん?」

「バカではなくアホと呼ばれている理由が、分かった気がするよ」

「おう! ありがとな! ……ん? それって褒められたのか?」

「褒めてるよ」

「おう。それならいいんだ」

良くない。ちっとも。

「ところで、親友。今日も君の家にお邪魔してもいいかな?」

くいっとワイシャツの裾を掴むスミビに、俺は溜め息混じりに答える。

「別にいいけど。お前、今日も帰らないつもりか?」

「家に一人でいてもつまんないしね。君やこのちーと遊ぶ方が好きなんだよ」

「まだ須王の親御さん、帰ってこないのか?」

「今週末には一度帰国するって。パパとママは輸入商だから忙しいんだよ。あ、そうだ」

「やだ」

俺は間髪入れずに断る。

不満げなスミビが舌を出す。

「まだ何も言ってないんだけど」

「どうせ、お前の両親に会わないかって言うつもりなんだろ? やだ」

「ビンゴ。すごいね。やっぱり私と親友は付き合うべくして、付き合っただけあるね」

「んー、じゃあ、俺がこいつの代わりに会ってやろうか?」

「……なんで無関係の七神君が私のパパとママに会うんだい?」

「え? 外国で働いてるってことは、有名人だろ? サイン欲しいじゃん!」

俺とスミビは、無言で顔を合わせる。

アホだ、こいつ。

アホだね、こいつ。

「……?」


***


「やっほー。このちー」

「あ、スーちゃんだ!」

まるで我が家のように真っすぐリビングに向かった須王スミビは、ソファでごろごろしていた妹に声を掛けた。

飛び跳ねるようにソファから降りた妹は、須王スミビに抱き着く。

「おかえりー! ねえねえ、今日は何して遊ぶ? 何か面白いゲーム、持ってきてくれた?」

「もちろん。私おススメのカードゲームを持ってきたよ。《ハゲタカの餌食》って知ってるかい?」

「知らない!」

「よし、じゃあ遊んでみよう」

スミビの趣味はボードゲーム集めだ。日本に来る前の二年間はドイツにいたらしく、そこでボードゲームにハマったようだ。

ボードゲーム好きな彼女と、ゲーム自体が好きな妹。

いつから俺の家に付いてくるようになったかは覚えていないけど、いつの間にか歳の離れた友人のような関係になっていた。

「親友もやるかい?」

「俺は良いよ」

「あ、兄ちゃん。いたんだ」

カードゲームの説明書を眺めていた妹が、気が付いたように俺を向く。やっとかよ。

「兄ちゃんもどうしてもやりたいって言うなら入れてあげてもいいよ。どうしてもっていうならね」

「だからいいって」

「いいんだよ、私は。どうしても入れたい、兄ちゃんが入れたいって言うなら入れさせてあげる」

「いや、だからいいって――おい、そこの銀髪。なんでボイスレコーダーを取り出している」

リビングのテーブルの上に、ボイスレコーダーを出していたスミビに指摘する。

「ん? いや、何。このちーの今のセリフ、なんだかいかがわしいことに使えそうだったから。つい」

「つい、じゃねーよ。何に使う気だよ」

「何に使うか、ね。……ねえ」

「……なんだよ」

「あげないよ」

「……いらない」

なんで俺、今迷ったんだよ。

「どうでもいいけど、兄ちゃん結局やるの? やらないの?」

「分かったよ、やるよ」

「……」

「録音は消しとけ。今のやつもな」

「……ちっ」

これが当時の俺と妹の日常だった。

俺の恋人である須王スミビが学校帰りに俺の家にやってきて、妹とボードゲームに興じる。

たまにその輪に、俺が入る。時たまに七神もいれば混じる。

俺がまだ、妹のことを知らない時代。

妹がまだ、俺のことを知らない時代。

思えば、まだこの時は。

俺と妹は、本当の意味で。

兄妹だったのかもしれない。

「あれ? このちー、その足の絆創膏どうしたんだい?」

ボードゲームの最中、ふとスミビが妹のふくらはぎを見て首を傾げた。

見れば、小さな筋のような傷の上に、小さな絆創膏が貼られている。

「あっ」と気まずそうに顔を逸らして、妹はハーフパンツの裾を引っ張って足を隠す。

「体育の授業で転んじゃっただけだよ」

「そっか。何の授業だったの?」

「え?」

「マラソンとか?」

「う、うん。そうだよ。マラソン。私、兄ちゃんと違って足が遅いから」

「そう言えば、親友の県予選はいつなんだい? そろそろのはずだろう?」

言われて、俺は頭の中にカレンダーを思い浮かべる。

あまり大会のことを気にしたことがなかったので、すっかり忘れていた。

いつも通り走って、いつも通りの結果を出す。そこに他人の結果が重なるだけだ。俺に変化は必要ない。

「んー。来週末の土日」

「ほうほう。それは是非とも応援に行かないとね。それはそうと、このちー。この時期のかすり傷は侮れない。適度に絆創膏を替えた方がいいよ」

「うん。ありがと、スーちゃん。あ、ごめん、私トイレ」

テーブルから外れた妹は、リビングから出て行く。

それを見送ったスミビは、「マラソン、ね」と小さく呟いた。

「マラソンがどうした?」

「……親友。走って転ぶ時、人は前のめりにして倒れるだろう? そこで怪我をするのは、大抵は肘や膝だ。ふくらはぎなんて、滅多なことじゃ怪我をしない」

「そりゃ、普通に転べばそうだろうけど。転び片次第ではそこも怪我するだろ?」

「もちろん、その通りだ。だけど、このちーの身体を見た限り、他に怪我をしているような場所は見当たらなかった」

「……何が言いたいんだよ?」

スミビは神妙な顔をして、


「あの傷は、カッターで切られたものだ」


「……は?」

カッター? カッターナイフのことか?

「転んだだけで、あんな綺麗な一筋の傷ができるもんか。あれは、カッターのような鋭い刃物で切りつけられた傷だよ」

「何言って……」

「もしくは包丁かな。いや、でも包丁で切れば、もっと深い傷になるはずだから、多分カッターで間違いないと思う」

「……スミビ、お前――」

言葉を紡ごうとした瞬間、妹が「ごめんね、ゲームの続きしよー」と戻ってきた。

先ほどのモヤモヤとした空気を振り払うように、「いいよ。このちーが買ったら、私の秘蔵のキャンディをあげよう」とポケットから棒付きキャンディを取り出して笑う。

「あー! それ、限定のロイヤルメロン蜂蜜モヤシ味だよね? 食べてみたかったんだー」

「ふふふ。次のゲームに勝てたらあげるよ」

「やったー!」

配られる手札をまともに見ずに、俺はスミビに視線で疑問をぶつける。

だが、いつもの表情に戻っていたスミビからは、答えは返ってこなかった。

長くなったので、後編に続きます。

平成最後の更新です。

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