番外編:妹と嘘つき
人格の半分は、嘘で出来ている。
自分より年下の兄妹がいる人間なら、少なくとも一度くらいはこの類の嘘を吐いたことがあるだろう。
――実はお前はこの家の人間じゃない。橋の下で拾ってきた捨て子なんだ。
幼い子供の他愛のない意地悪。
虫の手足を千切っては遊ぶ無邪気な子供ならではの、悪意のない嘘。
そして類に漏れることなく、この俺も。
一度だけ、幼い妹にこの手の嘘を言ったことがある。
そう、それは。
4月1日のエイプリルフール……。
その日は嘘を吐いてもいい日だと知った時だった。
***
「ねえ、にぃに。いっしょにオセロやろ?」
「うん、いいよ」
幼稚園が休みの土日は、よく俺と妹は家で遊ぶことが多かった。
それは両親が仕事で家を空けることが多いということもあるけど、平日は学校の友達と日が暮れるまで遊んで、滅多に妹に構ってやる時間がなかったという贖罪の気持ちもあったのかもしれない。
妹は人見知りな性格で、幼稚園でもあまり友達が出来なかったから、ゆっくりと遊べる休みの日は、妹にとっても幸運な時間だったのだろう。
俺は妹が取り出してきたオセロ盤から、二人分の石を分けながら、ふとそう言えば今日はエイプリルフールだったなと思い出した。
――エイプリルフールは、嘘を吐いてもいい日。
普段から嘘を吐くのに慣れすぎていた俺は、そんな日もあるのかと驚いたけれど、それならばと意気込んで嘘を吐きたくもなる。
目の前で楽しそうにオセロの石をまとめている妹に、俺は何気なく呟くように言った。
「なあ、知ってる? 実は俺達、ホントの兄妹じゃないんだよ」
悪意のない戯言。子供のつまらない冗談。
月にはウサギが住んでいる、赤ちゃんはコウノトリが連れてくる……そんなくだらない嘘。
だから、俺は妹の反応を予想していた。
果たして驚くのだろうか、それとも怒るのだろうか、はたまた喚くように泣くのか。
だが、正面の幼い妹の反応は、想像したどれとも違った。
「……」
ぽかんと。まるで宇宙人がバイクに乗って海の上を走っているのを見たかのように。
小さな口を開けて、妹は呆けていた。
俺は慌てて、「嘘だよ、嘘!」と早々にネタばらしをした。
「……うそ?」
小さく小首を傾げる妹に、俺は念を押すように頷く、
「そうだよ。今日はエイプリルフールって言って、年に一度だけ嘘を吐いてもいい日なんだ」
「……うそ」
「うん」
「……っく」
「え?」
「ひっく、ずるっ、ふぇっ」
突然、目元を真っ赤にして大粒の涙を流し始める妹に、俺はまたしても裏切りを覚える。
「え、なんで?」
「うわぁあああああああん! にぃにのばかーっ!」
予想通りではあったけど、予定外のタイミングで泣き出す妹に、俺は困惑した。
因果応報と言えばその通りなのだけれど。
結局その日、両親が帰ってくるまで泣き止まなかった妹のおかげで、俺は両親にこっぴどく怒られるのだった。
***
「……なんてことがあったよな」
ふと何気なく思い出した古い記憶を呟いた俺に、このかはジト目でにらみ返してきた。
「よくそんなこと覚えてるね」
「俺、記憶力いいから」
「うそ」
いや、まあ。嘘だけど。
いまだに学校のクラスメイトの顔と名前も覚えていないし。
「っていうか、なんでそんなことを急に思い出したの?」
「さあ。なんだろうな。こんな時だから、かな」
北海道のバイク旅からの帰りのフェリー内にて。
個室の二段ベッドに寝転がりながら、俺とこのかは取り留めのない会話をしていた。
短い現実からの逃亡。
あるいは、現実を現実と改めて認めるための時間。
まだ家に着くまでは、終わらない。終えたくない。
そんな感情から思い返された記憶だったのかもしれない。
「……なあ、このか」
「なに?」
一段下のベッドに寝転がっているだろうこのかに、俺は枕に顔を埋めながら尋ねる。
「お前、あの時。なんで泣いたの?」
「……そんなの。嘘つかれたからに決まってるでしょ?」
「嘘、ね。……それって、どっちの嘘?」
俺と兄妹で良かったのか、それとも兄妹でない方が良かったのか。
「……さあ。よくわかんない」
「あっそ」
「……。私、多分。知ってたんだよね」
「何を?」
「……兄妹が、結婚できないってこと」
「……そりゃ。さすがの幼稚園生でも、知ってるだろ」
「うん。だからじゃない?」
「……うそ、だろ?」
「……当たり前じゃん」
他愛のない、嘘つきの会話。
何が本当で、何が嘘かも曖昧な会話。
だけど、それでいいと思った。
嘘だからこそ、できることもある。
嘘だからこそ、伝えられることもある。
「兄ちゃん。お休み」
「ああ、お休み」
エイプリルフールがあろうとなかろうと。
俺と妹は、ずっと昔から嘘つきだ。
令和。
 




