第七話:妹と髪留め
仕方ねえだろ
初めてなんだから
妹の部屋で部屋の主が痛みを堪えるような声を上げた。
「――っ!」
「……ごめん、痛かったか?」
「……もうちょっと、優しくして」
「……分かった」
俺は妹のベッドの上で、妹の敏感な場所に手を伸ばす。
触るのは初めてだ。だからこそ慎重になる。
ゆっくりと指を這わせて撫でると、妹が「……んっ」と肩をビクンと震わせた。
「くすぐったい」
「我慢しろ」
怒っているような、それでいて少し照れているような妹。
どれだけ長いこと触れていただろう。
妹の《それ》は素直に綺麗だと思った。
「……ねえ、兄ちゃん。そろそろ……」
「ん、分かった」
俺は枕元のゴムに手を伸ばす。
「痛くしたら殺す」
このかが呟く。
「いや、俺こういうの初めてなんだけど」
「知らない」
まあ、そりゃそうだろうが。
確かに妹からすれば兄が経験してるかしていないかなんて関係ないだろう。
でも俺からすれば、妹とはいえ初めての経験だ。
出来る限り、痛くせずに済ませたい。
「じゃあ、やるぞ」
「うん。ここだからね、間違えないでよ?」」
俺は頷いて、このかが手で指した場所にゴムを入れる。
瞬間、苦痛な声をこのかが漏らした。
「いたっ! ちょ、このへたくそ! 優しくしてって言ったでしょ! 女の子のそこはデリケートな場所なんだから、
もっと慎重にやってよ!」
そんな妹のクレームに、俺の我慢メーターが振り切れた。
「――うっせぇな! そこまで言うなら、《髪留め》くらい自分でやれよ!」
俺は手に持っていたゴム――ピンクのヘアゴムを放り出した。
「仕方ないじゃん! 利き手が使えないんだから!」
そう言って背を向けていたこのかが振り返り、包帯の巻かれた右手をわざわざと見せられ、
俺は「……うっ」と返す言葉を失くした。
部活の練習試合中に利き手首を捻挫したこのかは、保険医から数日の安静を診断された。
不幸中の幸いというべきか、手首を捻挫したのは金曜日で、しかも月曜日の祝日も合わせて三連休だ。
この連休である程度回復すれば、週明けの授業で筆記具を持てずに不便することもないだろう。
とはいえ、利き手が満足に使えないのは不便なはず。
お世辞にも俺と妹は仲が良いとはいえない。
だが、それでも。
手負いの妹を嘲笑うような捻くれた関係でもないので、俺は自ら彼女に提案したのだった。
「何か困ったことがあったら何でも言えよ」
「じゃあ、髪括って」
そう言われて、何故か彼女の部屋に呼び出されて今に至る。
回想終了。
引き続き、本編をお楽しみください。
「そもそも、兄ちゃんが言ったんでしょ? 『俺に出来ることがあったら、なんでも俺に言え。
今日ばかりは俺はお前の奴隷だ。舐めろと言われれば足だって舐めてやる』って」
「そこまでは言ってねえ!」
ひどい曲解だった。
紆余も曲折もあったもんじゃない。
「そうだっけ? とにかく! 男が自分で言った言葉を撤回しないの! 《男に日本はない》でしょ?」
「それを言うなら二言だ。なんだ、《日本はない》って。いつから日本は女子の国になったんだ。卑弥呼再臨か?」
「つべこべ言わずに、さっさと髪括ってよ」
こいつ……。
怪我を理由に言いたい放題だな。
俺は渋々再チャレンジする。妹のリクエストはシンプルなポニーテール。
これがもし、三つ編みとか言われたら俺は即効で断るつもりだった。
櫛で妹の枝毛一つない、綺麗な黒髪を梳きながら尋ねる。
「なあ、このか。一つ聞いていいか?」
「口じゃなくて手を動かして」
「口を動かしながらでも出来る」
「……なに?」
「お前さ、普段ポニテなんかしないだろ? なんで今日に限って髪を括るんだ?」
妹の髪の長さはまちまちだ。
一番長くて腰の辺りまで伸ばしていた時期もあったが、中学で部活を始めてからは、
髪が長すぎるとテニスの邪魔と言って、長くても肩に届く程度に切りそろえていた。
そしていつだったか、このかは髪型で意識を切り替えていると言っていた。
部活や学校ではポニーテール、家では髪を括らない。
そうして髪型を変えることで、学校とプライベートのスイッチの入れ替えをしているのだという。
ま、俺はこのかがポニーテールをしているところを見たことがないから、それを実施しているのかは分からないが。
「別にこのかのポリシーなんか興味ないけど、ふと気になってな」
「……別に。髪型なんて何となくだし。それに今日は暑いから、髪括った方が首元涼しいし」
「ふうん」
確かに今日は天気予報で猛暑日と言っていた。
だが、クーラーの冷房が効いている家にいれば、暑さなんて関係ないだろう。
……まあ、特にだからといって。
髪を括る理由なんてどうでもいいけどな。
「……よし、出来たぞ」
「ん」
このかは左手でポニーテールを確認し、「まあまあかな」と言った。
「じゃ、また何かあったら言えよ」
俺は腰を上げて、妹の部屋から出ようとして、「あ、待って」と呼び止められた。
振り返り、ベッドで女の子座りをする妹を見下ろして、
「あん? まだ何か用か?」
「……。………なんでも、ない」
口を開けて何かを言おうとしたようだが、このかは感情のない言葉を紡いだ。
「あっそ」
俺は扉を開けて部屋を出る。
廊下に出て一階のリビングに向かうため、階段を降りながらふと気付いた。
「そういや、俺。あいつのポニテ姿見るの、初めてだな」
まあ、それも。
どうでもいいことなんだろうけど。