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兄と妹は仲が悪い  作者: ナツメ
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第五十話side story:オジサンとラーメン

別に読まなくてもいいやつです。

――北海道と言えば何か。

その答えを探し続け、俺はもう今年で三十五になっちまった。

東京の華やかで暗い、まるで打ち上げ花火の後の静寂のような生活に嫌気が差し、逃げるように北海道にやってきて十年。

あの頃はまだ、俺にとって北海道とは人生の探し物を見つけるための場所だった。

そして俺は、見つけた。北海道とは何かという答えを。

「注文を。濃厚味噌ラーメンを一つ。あと、瓶ビールを」

会社最寄りの札幌駅から徒歩十数分のラーメン屋で、俺はいつもの注文をまるで無意識に唱える。

北海道にやってきて、初めて食べたラーメンがここの店だった。

衝撃だった。ラーメンとは、ここまで深い食べ物なのかと。

そして感激だった。俺にこのラーメンと出会わせてくれたことを。

それから俺は、度々このラーメン店に通うようになった。

雑誌に取り上げられて以降、人気店に成り上がったこの店を、未だに俺は古巣のように愛している。

だからなのか、俺の座るカウンター席の隣の若い男から、俺が長年自分に問いかけた質問と同じ言葉を聞いた瞬間。

「北海道と言えば味噌ラーメンだろ」

つい、笑ってしまった。昔の自分を見ているようで。

あまり隣の客をジロジロ見るのも大人げない。

それに、今時の若い子は容赦なく写真を撮ってはSNSにアップし、『キモいおっさんにジロジロ見られた最悪』とか心ない言葉で抉ってくる。

そんな呟きを見たら、俺はショックで数日はお酒が飲めなくなってしまう。

なのでサングラス越しに隣の男を眺める。

事実、このためにサングラスを掛けているようなものだしな。

見れば、隣の男は見るからに若かった。高校生くらいだろうか。革ジャンにデニムパンツとバイク乗りのような格好をしている。

だが、その雰囲気は今時のチャラい若者とは違い、どこかシニカルな大人っぽさを秘めていた。

不思議な青年の隣に座る少女は、どうやら彼の妹らしい。顔立ちはあまり似ていないが、とても可愛らしい風貌をしている。

かつて私が東京で応援していたアイドルのナナちゃんと肩を並べるくらいの可愛さだ。アイドルなのだろうか。お忍び旅行? 俺、サインもらおっかな。


「食べ物なら他にもあると思うけど。海鮮とか」

「確かにな。でも、新鮮な海鮮の味の違いなんて俺には分からないからな。東京で食べる北海道産のウニと、札幌で食べるウニの違いをお前は分かる自信があるか?」

「……そりゃ、ないけどさ」

「分かる人には分かるんだろうけど、ほとんどは《北海道産》のブランドを食べに来てるだけなんだよ。それが別に悪いことじゃないけれど、俺は味の違いが分からないから、せめて味の分別が付きやすい味噌ラーメンを食べたい。ただそれだけだ」

「ふうん……。まあ、私は別になんでもいいんだけどね」


ふむ。なるほど、確かに彼の言う通りだろう。

俺も北海道で暮らして十年。北海道とは、東京と違い、夢を追いかけるのではなく、癒やしを求めてやってくる。

そして北海道とは何かを考え、ありきたりな海鮮を「流石北海道」と味も分からずに食べまくる。

別にそれはいい。間違ってはいない。北海道は海鮮も一流だ。不正解ではない。

だが、最適解ではないのは事実だ。

北海道と言えば、海鮮。だが、それ以上に味わい深いものがある。

それは、味噌ラーメンだ。

極寒の地で心と体を温めるラーメンこそ、至極にして最善の選択。

味噌の芳醇な香りに包まれながら食べるラーメンこそ、俺は北海道とは何かの答えに最も近いと確信している。

だからこそ、俺は。

俺と同じ答えに辿り着いた彼の注文に。

苦い笑いをこぼせずにはいられなかった。


「うん。私、濃厚味噌ラーメンにする。兄ちゃんは?」

「俺? そうだな……。辛味噌ラーメンにするかな――」


辛味噌ラーメンだと? おいおい、青年。リアリー?

この店は、濃厚味噌ラーメン一択だ。他のメニューは飾りで、ただのトラップに過ぎない。

俺は食べたことがないけど、この店に通い続けた俺は、濃厚味噌ラーメンしか食べていない。

決して辛いのが苦手だとか、そういうわけじゃないぞ、ホントだぞ。

「へい、濃厚味噌ラーメンお待ち」

店員が俺の注文したラーメンを持ってくる。

黄金の味噌スープに、中太麺。白長ネギと煮卵、メンマ、大きなチャーシューのトッピング四天王がラーメンの彩りを飾る。

仕方ない、本物の濃厚味噌の香りを嗅いで、自分の選択が誤ったことを悔いるがいい。

「いただきます」

割り箸を綺麗に割るコツは、まず割り箸を横に持ち、口元の細い方を持って割ること。

パキッ。

ほら、綺麗に割れた。ふふっ、この道に辿り着くまで三年もかかったんだ。俺に綺麗に割れない割り箸はない。

「すぅ。はあ」

まず香り。味噌の深くとも優しい香りは、何度嗅いでも飽きない。

こいつを袋に詰めて売っていたら、間違いなく完売だろう。

よし、準備完了だ。後は食すのみ。

まずは麺とネギを一緒に啜る。くぁあ、美味い。ネギのしゃきしゃき感ともちもちとした麺が合わさって、まるで口の中でお祭りが始まったかのようだ。

次はチャーシュー。こいつは危険だ。ほろほろに漬け込んであるから、口に含んだだけで溶けてしまう。

もはやこいつだけでご飯は三杯はいける。俺、小食だから一杯で無理だろうけど、他の人ならいける。

最後に煮卵を少し崩して、味噌スープと一緒にレンゲで啜る。甘いとろける。癖になる。

味わい深い濃厚味噌ラーメン。これを頼まないとは、青年。君は罪作りだ。

俺と少しでも同じ頂きに立ったものとして、失望せざるを得ない。残念だよ、青年。


「はい。濃厚味噌ラーメンのお客様。辛味噌ラーメンのお客様」

「あ、きたきた。はい、兄ちゃん」

「ん」


おやおや。ようやくバッドメニューの登場かい?

ふふん、すぐに後悔することになるだろうさ。

「いただきまーす。……ずるっ。――ん、美味しい!」

妹ちゃんが目を開いて賛美を上げる。

だろう? そいつを食べられる幸せを噛みしめな、お嬢ちゃん。

そいつはお嬢ちゃんの可愛さに、女神が微笑んだご褒美なんだからな。

「……むぐ。あー、辛いな。やっぱ。美味いけど」

ふふっ。やはりか。辛味噌だけに、匂いは良いが味は本格的な味噌ラーメンには合わない。

本来、辛味噌とはスパイシーさがあるだけに、汁物とは相性が悪い。

喉を焼け付けるような辛さは、気管支に入れば地獄。水を流し込めば、悪化。口の中はバーニングだ。

辛さとは味覚ではなく、痛覚。ゆえに、辛いモノが好きというのは、真に美味しいモノとはかけ離れたジャンルと言える。多分。俺、辛いモノ苦手だから分からないけど、多分そう。

「あー、水。ふう」

さて、このまま辛い中食べ続けるのか?

せっかくの北海道に来てまで、辛い思いをして帰って行くのか?

ふっ、それもいい経験だろう。

若さとは無謀である。

かのクラーク博士も言っていた。

『少年よ、大志を抱け』

だが、残念ながら。大志を抱くだけではダメなのだよ。

夢を追いかけるのは子供までだ。それから先は、夢を見続ける必要がある。

――私は、見続けられなかった。

そう、私にとって見続けられなかった夢は、きっとこの辛味噌ラーメンなのだろう。

辛いからこそ食べられない。きっと美味しいだろうけど、美味しく食べられないからこそ逃げる。

私は濃厚味噌ラーメンだけを愛し続ける。それだけが、私の生き方なのだから。


「……兄ちゃん。そんなに辛いなら、私のと半分こする?」


……なに?

青年の隣に座る妹ちゃんが、どんぶりをあろうことか青年の方にずらしてきた。

「いいのか?」

「うん。いいよ。私も兄ちゃんの食べたいし」

「……お前、辛いの苦手じゃなかったっけ?」

そうなのかい、お嬢ちゃん。

それなのに君まで無謀な道を歩くのか? それとも君に微笑んだ女神はどこかに行ってしまったのかい?

「そうだけど。半分こできるのは、二人だからこその特権じゃない?」

――っ。

俺は、言葉を失った。

そうか、俺は一人だったから。

だから、俺はずっと変わらない同じ味を食べ続けてきた。

もしももう一人いたら。「少しお前の食べさせてくれない?」と味見が出来たんだ。

涙が、サングラスから零れた雫が、ラーメンのスープに落ちる。

「……店員さん。新しいおしぼりください」

俺はなんでも一人で解決しようとした。

東京の仕事だって、生き方だって。逃げるように北海道にやってきた。

だけど、もしも相談できる人がいたら。

俺は、腐らずに夢を見続けられたのかもしれない。

「……オジサン。良かったらこれ」

俺は隣の青年におしぼりを渡される。

顔を上げると、青年は何かを悟ったような顔をして、頭を振った。

「何があったかは知らないけど。そのまま涙を流し続けてたら、せっかくのラーメンのスープの味が変わっちゃいますよ」

なるほど。これが優しさか。

俺は「ありがとう」と礼を言う。

確かに、このままだと味噌ラーメンじゃなくて、塩ラーメンになっちまうな。

まさかこんな若造に人生を教えられる日が来るとは。

人生ってのは分からない物だな。


「……夢か」


もう一度見てみるのもいいかもしれない。

ただ筆が乗ってしまったので書いたやつです。

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