第五十話:妹と味噌ラーメン
Boys, throw the ambition.
「妹さんや。北海道と言えばなんだと思う?」
「……クラーク像」
「渋いな、お前」
北海道で過ごす最後の夜。俺と妹は札幌にいた。
明日の夕方便のフェリーで俺達は北海道を発つ。
……結局の所。俺は何をしたかったんだろう。
――『お前に反省ってやつをさせるために来た』
北海道に向かう前の菅谷姿の言葉を頭の中で反芻する。
俺は反省を出来たのだろうか。頭を冷やすことが出来たのだろうか。
あの人にあそこまで言われて、俺は何も感じなかったのだろうか。
分からない。変わったような、変わらなかったような。
隣を歩く妹を横目で見る。
……俺はもう少し、こいつの隣にいてもいいのだろうか。
「なに、兄ちゃん? 札幌の時計台を眺めながらジンギスカンキャラメルを食べたような顔をしてるけど」
「どんな顔だよ。っていうか、せっかくの北海道だぞ? もっと他に連想するものがあるだろ」
「他に……?」
妹が眉根を寄せて札幌駅から出てしばらく歩いた先の市街地を眺める。
景色を埋め尽くすような飲食店の看板の波。
やがて彼女はハッとしたような顔をして、俺を見上げた。
「風俗?」
女子中学生の考え得る最悪の回答だった。
俺は辟易しながら首を振る。
「ちげぇよ……」
「違うの? でも、札幌と言えば有名じゃない?」
「有名だけど、中学生が発想するには最低だ」
「ふうん……。てっきり、兄ちゃんが行きたいものだと思ったけど」
「行かねえよ。未成年だし、そんな金もない」
「お金はいくらかかるかは知ってるんだ。へえ……?」
口元を嫌らしく歪め、俺をニタニタと睨め回す。
いや、まあ。そこは俺も男の子だし一応調べて……って、それはどうでもいい。
一つ、咳払いする。
「そもそもお前がいるから、別に行く必要がないだろ」
「……え?」
キョトンとした顔をする妹が、目を大きく見開く。
そしてすぐに見るからに顔を赤くする。なんだ? どうした?
「そ、それって」と妹が口を開く。
「私と……ってこと?」
「あ?」
「だからっ! 行く必要がないってことは……。私と、その……したいって意味なのかなって」
「……? 何言ってんだ? 普通に妹と一緒に風俗店なんか行けるわけないだろ?」
「……あー」
視線を明後日の方へ方向転換させた妹は、小さな声で「うん、そうだよね。普通に考えたら、そっちの意味だ。うわっ、ハズっ」と何やらブツブツと呟いていたが、気にしないことにした。
ったく。
――そんな気軽に手が出せたら苦労しないっての。
***
――北海道と言えばなんだ?
何度目かの質問に、煮え切らない回答を繰り返す妹に痺れを切らした俺は、もう答えを言ってしまうことにした。
「北海道と言えば味噌ラーメンだろ」
札幌駅から十数分歩いた先にある味噌ラーメンで有名な店に、俺と妹は並んでカウンターに座った。
香ばしい味噌の匂いが店内に充満している。
どうして日本人ってやつは、味噌とか醤油の匂いでこうも心が落ち着くんだろうか。
「食べ物なら他にもあると思うけど。海鮮とか」
「確かにな。でも、新鮮な海鮮の味の違いなんて俺には分からないからな。東京で食べる北海道産のウニと、札幌で食べるウニの違いをお前は分かる自信があるか?」
「……そりゃ、ないけどさ」
「分かる人には分かるんだろうけど、ほとんどは《北海道産》のブランドを食べに来てるだけなんだよ。それが別に悪いことじゃないけれど、俺は味の違いが分からないから、せめて味の分別が付きやすい味噌ラーメンを食べたい。ただそれだけだ」
「ふうん……。まあ、私は別になんでもいいんだけどね」
そう言った妹は、俺の持論を話半分で聞き捨て、メニュー表を取る。
「うん。私、濃厚味噌ラーメンにする。兄ちゃんは?」
「俺? そうだな……。辛味噌ラーメンにするかな――」
メニュー表に並ぶラーメンの種類を眺めてると、俺の隣――妹とは反対側――の席に座る三十半ばくらいのオジサンがくすりと笑った。
「……若いな」
渋く重い声だった。
ダークスーツに身を包んだオジサンは、黒のボルサリーノハットを深く被り、薄いグレーのサングラスを付けている。
サングラスで表情は読めないが、チラリとこちらを流し見して、静かにカウンター席に置かれた瓶ビールに手を伸ばす。
「……どうしたの、兄ちゃん? 注文決まったなら、店員さん呼ぶよ?」
「あ、うん。いいよ」
店員さんに俺は辛味噌ラーメンを、妹は濃厚味噌ラーメンを頼んだ――。
「……ふう。美味しかったねえ」
「ああ」
「どうでもいいけど、なんかラーメン食べてる最中で、兄ちゃんの隣のオジサン、なんか泣いてなかった?」
「泣いてたな」
「何があったんだろうね」
「さあな」
どうでもいいことだろう。俺達にとっては。
「……やっぱり。ちょっと10月の北海道は寒いね」
白いパーカーを着たこのかは、フードを深く被って身を震わせる。
俺はバイク用のネックウォーマーを鞄から取り出し、このかに手渡した。
「ほら。これでも使えよ」
「……。ありがと」
フードから首を出したこのかは、ネックウォーマーを被る。
ネックウォーマーで口元を隠したこのかは、「ふへっ」と変な笑い方をした。
「兄ちゃんの匂いがする」
「返せ」
「やーだ」
俺から数歩前に出たこのかは、ふざけた笑いを消して、俺を正面から見据える。
札幌の街灯を背景に、このかが唇をぎゅっと結ぶ。
「……ねえ、兄ちゃん。明日、連れてって欲しい場所があるの」
個人的には、味噌ラーメンより豚骨の方が好きです。




