番外編:久々野空子と文化祭のその後
クレタ人が嘘つきなら、君はなに人なんだい?
私、久々野空子には尊敬する先輩がいます。
それは同じ中学、同じテニス部の一つ上の先輩、このか先輩です。
どの辺りを尊敬しているかは、それはそれは筆舌に尽くし難いのではあるのですが……。
端的に簡単に簡潔にストレートに、新聞紙を丸めて投げるくらいに小さくまとめて、それでもなお両手両足を縛られて脳天に拳銃を突き付けられてもなお、一言で表して欲しいと言うのならば。
――言いましょう。
――語りましょう。
それでは、一言で。
久々野空子の、漢検四級の語彙力で。
末筆ながら。舌足らずながら。
せーの。
まず一番の魅力的なポイントとしては外見からですね、もちろん人は外見ではなく中身こそが大事だと言うことは重々承知の上ではありますが、それでもやはり中身が外見に反映されるということもありますからまずはそこから語るべきでしょうね、女性の外見の特徴としては髪の毛ですね、髪の毛、ヘアーです、女の命ですからね、それはもうこのか先輩の烏の濡れ羽色の髪の毛に枝毛一本もない綺麗な髪は、何度見ても惚れ惚れするくらいに整っていて、私はもしかしたらこのか先輩の髪の毛はきっとダイヤモンド以上の価値があると思っています、ええもちろんのことダイヤモンドだとしたら価値を付けてしまいますから、絶対的に相対的に価値など付けることすらおこがましいのですが、いやいやそれでも価値は付けないと分からないし、もう見てること自体すらお金を払うべきだと思っていますし、それを鼻にかけない性格も素晴らしく、ああ性格の前に顔ですね、顔、つまりフェイスですね、こちらももちろん可愛らしい外見をしています、ええもちろん頬はマシュマロのように柔らかくそれでいて目はやや釣りあがっていて少しだけ怖い印象を抱いてしまいますが、それでも見慣れたらそれはそれで愛嬌ではありますし、本人もちょっと怖い外見を気にしている素振りを見せるのがギャップでそれはそれで可愛らしかったりもして、もうこのか先輩は自分の顔が可愛いことをまるで意識していないのか、部活の試合で少しくらいの泥や砂が付いたくらいは腕や服で拭ってしまいますし、そこは女の子なのだからタオルとかで拭きましょうといつも言っているのに、別にいいからと言い捨てる素振りもワイルドでああもう私は毎回の如く怒りながらも胸をキュンキュンしてしまい、そういうところも真面目な性格の割りにズボラなのだから――。
――以下、略。
そんな私の敬愛して止まないこのか先輩ですが、ある日を境にまるで空気の抜けた風船のように少しだけ元気がないようです。
ある日、というのは少し回り道した言い方でしたね。
……兄先輩の文化祭の二日目の一般開放日。
このか先輩のお兄さんは、暴行事件を起こして一週間の自宅謹慎となりました。
それからというもの、このか先輩の様子がおかしいらしいのです。
……らしい、です。はい、伝聞です。聞きかじりました。
学年も異なりますし、部活もこのか先輩は引退してしまい、同じ学校でも顔を合わす機会が少ない私は、直接見ることはありませんでしたが、このか先輩のクラスに私の恋人である彼女から聞いたのです。
彼女、です。ふふっ、羨ましいでしょう。あげませんよ?
「あのね。このかがちょっとおかしいの。助けて、くーちゃん」
助けましょう! もちのろんです!
元々敬愛する先輩です、愛すべき恋人が言わなくてもこちらから詰め寄るつもりでしたから!
――というわけで、私は部活をサボってこのか先輩を中学から近いファミレスへ呼び出しました。
「……ねえ、空子。キョウダイってなにかな?」
なるほど。おかしいですね。
メロンソーダの入ったグラスの中の氷を、ストローでかき回しながら呟くこのか先輩。
いつもの毅然としたクールな雰囲気は、まるで泥水を被ったみたいに霧散していました。
「キョウダイですか? えーっと、京都にある大学のこと?」
「はあ……」
どうやらこのか先輩の期待する答えではなかったようで、このか先輩は溜め息を吐いて目を伏せてしまった。
私は慌てて言い直します。
「ち、違いました! 《兄妹》ですよね、えっと同じ両親から生まれた子供達のことで……」
「はあ……」
二度目の溜め息。真面目に答えても同じ反応って、私は何をすればいいんですか。
「このか先輩、少し様子がおかしいですよ? そりゃ兄先輩が自宅謹慎をしているのは大変だと思いますが、何もこのか先輩が気にすることなんて……」
「空子はさ。もしもを考えたことはある?」
「もしも、ですか?」
こくりと小さく頷いたこのか先輩。
「もしも。私が文化祭でナンパをスルーしていたら。もしも私が文化祭に行かなければ。兄ちゃんは、同じことを繰り返さなかったんだと思う」
――同じこと。
私は、何も知らない。このか先輩と、兄先輩の過去を詳しくは知りません。
ですが、その口振りからすると、これは一度目ではないのでしょう。
このか先輩がナンパで困っていたのを、過剰暴力とは言え助け出した兄先輩。
妹のピンチを救う兄という美談。
傍目から。第三者からすれば。やりすぎを無視すれば、何もおかしいことはない。
だけど、この兄妹からすれば、それはきっと普通ではないことなんでしょう。
それが、このか先輩の言う《同じこと》なのでしょうか。
「もしも、私が文化祭に興味を持たなければ。もしも私が兄ちゃんともっと仲が悪ければ。もしも。もしも……」
まるで呪文のように呟き続けるこのか先輩。
そして、挙句。その言葉は、吐き出された。
「もしも、私が兄ちゃんの妹で生まれなければ――」
「それは違います」
私はこのか先輩の肩を掴んで言う。
それだけは違う。私にはこのか先輩の気持ちも、兄先輩の気持ちも。
全部は分からないけれど、知りたいけれどその資格もないからこそ。
それだけは否定しないといけない。
「このか先輩は、兄先輩の妹だからこそ。きっと兄先輩は助けたんだと思います。それは普通なんです。兄が妹を助けるなんて、普通なんです。だから、何もおかしくないんです」
「……理由は?」
「え?」
顔を俯かせたこのか先輩が呟く。
「兄が妹を助けるのは、普通。じゃあ、その理由は?」
「……? 家族、だからでしょ?」
だからこそ。たとえ仲が悪くても、大嫌いな兄妹でも。
きっと助ける。助け合う。
それが、普通。普通、であるべき。
「……そうだね。もしもそれが理由なら、誰が見てもおかしくない。誰も不思議がらない。でも本当は違うのかもしれない」
「……もしもそうだったとしても」
普通の感情ではない感情。普通の理由ではない理由。
兄先輩が、このか先輩を助けた理由が、たとえ普通ではない感情から来たものだったとしても。
「私は、普通だと思います。その感情を抱くことは普通ではなくても、その感情から助けることは普通だと思います」
大事な人を守りたい。
きっと、その気持ちだけは。
――《普通》じゃないで、否定しちゃダメだ。
「……普通でいいんだと思います。普通に接してあげてください。兄先輩も、きっと同じことを考えていると思いますよ」
「どうかな。兄ちゃんと私は仲が悪いから」
「仲が悪いからこそ、同じことを考えるんでしょう?」
「……かもね」
小さく笑ったこのか先輩。うん、少しだけ元気になったみたい。
「私も今度お邪魔しますよ。自宅謹慎で正々堂々と学校をサボっていられる兄先輩をからかいに」
「別にサボってるわけじゃないけど、ずっと本とかゲームはしてるかな」
「めっちゃ普通じゃないですか!」
何も反省はしない。何も後悔はしない。
きっと兄先輩はそういう人だ。兄先輩は割り切っている。
知らないフリをするのは得意な人だから。
気付かない演技をするのは平気な人だから。
大丈夫、何も変わらない。
きっと一週間後、兄先輩の自宅謹慎が終われば、いつも通りの日常が戻ってくる。
当たり前のように、私はそう思っていた。
そして、一週間後。
その日から、このか先輩と連絡が取れなくなった。




