第四十三話:妹と胃袋を掴む
なんでもいいから、一緒にいたかった。
いつもと変わらない平日。
いつもと同じ時間に起きて、いつもと同じような朝食を食べて。
いつもと同じ制服に着替えずに、いつもと同じように学校へ行く準備をせず。
いつも通りに出勤する両親を見送り、いつも通りに登校する妹を見送らず。
空白の時間を埋めるように、リビングのソファに寝転がって、昨日購入したファンタジー小説を読む。
現実に勇者や魔王はいない。それでも違う世界にも現実と同じように幸福も不幸も存在する。
――結局のところ、世界ってやつは何も変わらない。
ふと二冊目の本を読み終えた頃に意識を現実に戻すと、カラスの鳴き声が聞こえた。
視線を窓の先に向ければ、すっかり空模様は茜色に染まっていた。
本をソファに置いて洗濯物を取り込み床に座って畳んでいると、ガチャりと玄関の鍵が開く音が聞こえた。
この時間に帰宅するのは、妹だろう。部活も引退した妹は、ほとんど寄り道せずに決まった時刻に帰宅する。
何故か慌ただしく廊下を駆ける音が聞こえ、リビングに飛び込んできた妹は俺を認めると、
「――兄ちゃん。私の世界を救って!」
「……」
さて俺は夢を見ているのだろうか。
それとも先ほどまで読んでいた本がファンタジーものだったせいで耳と意識がおかしくなったのか。
血相を変えた妹を無言で眺めながら、俺は畳んでいた妹の下着を離して頬をつねる。
……痛い。
「――で、なんで俺がお前に料理を教えることが、世界を救うことになるんだ?」
キッチンに立った俺の隣で、妹がエプロンを付けながら「んー?」と眉を顰める。
「さっき言ったじゃん。明日、家庭科の授業で調理実習があるって」
「それは聞いた。でもそれが世界を救うことにどう繋がるんだよ」
後ろでエプロンの紐を結ぶのに苦戦している妹を見かねて、俺が結んでやる。
妹は礼を言わずに「よし」とまるで全て自分でやり遂げたかのような顔で、俺を見上げる。
「最近分かったんだけど。私って料理が少し苦手みたいなんだよね」
「不可能の間違いじゃないのか?」
「ん?」
「なんでもない」
――客観性。
自分の思い浮かぶ姿と、他人から見た姿は大いに違う。
例えばスポーツ。自分のイメージした動きに身体が付いてこないなんてよくあることだ。
自分は歌が上手いと思って自信満々にカラオケの採点機能を使い現実を知れるほどには、この世界はシビアに出来ている。
それでも、人は勘違いを起こす。
他人のフリ見て我がフリ直せとは言うは易いが、現実はそう簡単ではない。
「なるほどな。つまり、調理実習でお前の料理を食べた人が死なないように、料理を下手並みに作れるようになりたいってことか」
「そこはせめて人並みにしてよ」
ごめん、兄ちゃん正直者だからさ。嘘だけど。
そんな雑談をしながら、俺は「いや、でもさ」と妹のまさに文字通りの黒歴史の料理を思い返して言う。
「前に俺の好きなオムライスは上手く作れたよな。だったら俺に頼ることもないんじゃないか?」
「あー……。オムライスね。あれは特別。あれだけは絶対に上手くなりたかったから」
妹が俺に背を向けて冷蔵庫から食材を選びながら答えた。
「なんで?」
「なんでも」
「ふうん」
そんな彼女の背中を見つめながら、それ以上は突っ込まなかった。
「それで、調理実習では何を作るんだよ?」
妹がキッチンに並べた食材を見下ろして尋ねる。
「んー? 肉じゃがだよ。兄ちゃん、料理得意なくせに食材を見て分からないの?」
「いや、だって……」
じゃがいも、人参、玉ねぎ、牛細切れの肉――ここまではいい。OKだ。問題ない。クイズはクイズとして成立する。
仮にミステリー小説として、この食材で出来る料理を推理しろと言われたら、俺はカレーか肉じゃがと答えるだろう。
犯人は大きく2人に絞られる。第一発見者とアリバイのない人物。
だが、続いて出てきた――ジャコ、にしん、ガーリック、甘栗の存在が推理を鈍らせる。
それはまるで、宇宙人、未来人、超能力者、異世界人がいる中で密室殺人が起きているようなものだ。
「明らかに不要な食材があるだろ、あり過ぎるだろ。半分以上は不要な食材だろ!」
「えー。そうかな。じゃあ、要らないものは戻すね」
そう言った妹は、じゃがいも、人参、玉ねぎ、牛肉を冷蔵庫に戻した。
「なんでだよ!」
つい怒鳴ってしまった。妹が訝し気に「なに、急に大きな声出して」と俺を睨みつける。
「なんで必要な方を戻すんだよ! ハードモードなのか? お前の作る肉じゃがは、初期装備オンリーの縛りプレイなのか?」
「なに言ってんの? 肉じゃがの材料じゃん。ほら」
にしん、甘栗、ジャコ、ガーリックの順番にまな板の上に並べた妹は、左のにしんを指さす。
「にしんの<に>、栗の<く>、ジャコの<じゃ>、ガーリックの<が>。これで《肉じゃが》でしょ?」
「……」
「……?」
さて、俺は一体どんな表情を浮かべているのだろうか。
妹が不思議そうに首を傾げる姿を見て、はてさて俺はなんて言ってやればいいのだろう。
というか、よくこんな思考でオムライスを作れたものだ。
俺は「すまん、ちょっと待ってくれ」と言ってコップに水道水を注いで一気に飲んだ。
……。………。よし。
「このか。ちょっとだけ目を瞑っていてくれ」
「え? なんで?」
「いいから。何もしないから」
「……分かった」
渋々目を瞑った妹が何故か顎を上げてきたが、俺はスルーしてまな板の上の食材を片して、代わりに妹が仕舞った食材を再び並べる。
「もう開けていいぞ」
「……。あれ? 何か食材違くない?」
「違くない。お前も知ってると思うが、肉じゃがっていうのは、お肉とじゃがいもが必要なんだよ」
「……っ! うん、知ってたし。当たり前じゃん。肉じゃがは、肉がジャガジャガするもんだもんね」
「そうだ、ジャガジャガするんだよ」
アホみたいな会話だった。
妹は決して不器用ではない。
むしろテニスという繊細な技術を要するスポーツを得意としているからか、手先は器用なほどだ。
「ねえ、兄ちゃん。玉ねぎはどれくらい炒めればいいの?」
「飴色だな。軽く火を通したら、牛肉を入れて一緒に炒めてくれ」
「出汁はどうするの?」
「麺つゆとすき焼きのタレのどっちがいい?」
「兄ちゃんはどっちがいい?」
「俺はすき焼きのタレの方が好きだな」
「じゃあ、そっちで」
「白滝入れるか?」
「いれるー。あ、ついでにトンガリコーン入れてもいい?」
「何のついでかは知らないけど、ダメ」
「兄ちゃん。ほらほら、鬼の手」
「子供か」
余計なことをしでかす妹を制止しながら、何とか後はただ煮込むのを待つだけまで進めた。
手持無沙汰にしていると、変なものを鍋に入れようとしそうだったので、妹に洗い物を頼んだ。
「……ねえ、兄ちゃん」
「なんだ。ちなみに、カールもキャラメルコーンも入れちゃだめだからな」
「それは入れないけどさ……」
逆にそれは入れないのか。何が違うのか俺にはさっぱり分からない。
グツグツと紙フタした鍋を眺めながら、隣で洗い物をする妹の呟きに耳を貸す。
「ごめんね」
「何がだよ」
妹が謝る理由が分からなかった。
「あのさ。明日、何か暇つぶしのゲームか本、買ってこよっか」
「……そうだな。じゃあ、何か面白いやつ」
「適当だなあ」
「適当でいいんだよ」
「うん、分かった」
そうして野菜が柔らかくなった頃合いを見て、お椀によそって少し早めの夕飯を取った。
いつもと変わらない妹との食事。
「これなら明日の調理実習は大丈夫そうだね」
「ちゃんと作れよ?」
「うん、分かってるって」
久しぶりに食事の味がした気がした。
――翌日。
このかと一緒に、加賀美・カトリーヌ・カグヤが帰宅してきた。
どうやら一緒に受験勉強をするらしい。
勉強の邪魔にならないようにか、それとも部活なのか。あの壊れたスピーカーである後輩少女はいなかった。
このかは自室を少し片づけると言って、加賀美ちゃんをリビングに待たせている間に、彼女と少しだけ会話をした。
「このかのお兄さん、元気そうだね」
「まあ、な」
「あと何日?」
「今週で終わりだよ」
「おおー、それは良かったね!」
「どうだろうな」
良いのか、悪いのか。俺には結局のところ、よく分からない。
話を変えるため、加賀美ちゃんに調理実習のことを尋ねる。
「そういや、加賀美ちゃんは料理が得意なの?」
「うん。カップラーメンを作れるくらいには!」
「……それは、すごいな。このかのやつ、今日はちゃんと肉じゃが作れたか?」
「え? 何の話?」
「いや、今日って調理実習あったんだろ?」
「ううん、ないよ?」
「……え?」
そこで二階のこのかの自室から、加賀美ちゃんを呼ぶ声が聞こえた。
加賀美ちゃんはスッと立ち上がって、リビングを出ようとして俺に一度だけ振り返った。
「あ、やっぱあったかも。調理実習」
「……そっか。じゃあ、後でこのかに伝えといてくれ」
俺は座っていたソファから立ち上がって、加賀美ちゃんに告げる。
「次はカレーの作り方を教えてやるって」
近親にして謹慎編。




