番外編:一年間
本当に本当に。
ありがとうございました。
菅谷姿という人間は唐突を好む。
前触れもないことを愛す。
情緒がないことを褒める。
躊躇がないことを楽しむ。
藪から棒なことを笑う。
だからこそ、そういう女性だということを知っているからこそ。
その言葉に特に身構えることはなかった。
「そういえば、明日でちょうど少年と出会って一年が経つな」
不意にバイト先である不知火書店の壁に掛けられたカレンダーを見やって、姿さんが呟いた。
仕事が忙しかろうが手が空いていようが、雑談を怠らない姿さんとの会話を無視する方が後々に面倒くさいことになることを知っていた俺は、新刊の漫画のラッピングを止めずに答える。
「そういえば。今日がバイトを始めた日でしたっけ」
「違う。私と出会った清々しい日だ。間違えるな」
何一つ間違えていない。
俺のバイト初日に仕事を教えてくれたのが姿さんだった。
だが、蓋を開けてみれば「見ればわかる」「分からないことは自分で考えろ」「仕事は能動的にやるものだ」「働くんじゃない、感じるんだ」と流石に適当すぎる教え方だったので、結局は呆れた店長に手ほどきしてもらった。
それでも、この人を嫌いになれないのは何故だろう。
ドMだから、ではないと思いたい。
「この一年で私も随分少年のことを熟知したと言っても過言ではないな。せっかくだし、お互いのことをどれだけ知っているかゲームしないか?」
「せっかくでもないですし、仕事しましょうよ。後で店長が泣いても知らないですよ」
「大丈夫。このバイト先が潰れたとしても、私には百人くらいを死ぬまで面倒を見るくらいのお金があるから。店長の首吊りくらい、笑って背中を押してやるさ」
「救ってあげましょうよ。なに首にロープを結んだ店長を愉快に見てるんですか」
「あーした、天気になーれ」
「最低だこの人」
「冗談だ。私も店長には恩義があるからね。もしもバイト先が潰れたら清々しく孝行するさ」
「……」
それは本音なのだろう。
何故に姿さんがここでバイトをしているのかは一年経った今でも俺は知ることはないけれど。
お金に困っているというわけではないのは確かだろう。
道楽で生きて、道楽で過ごす。
生きることは働くことではなく、つまらないから働くという人間だ。
お金を稼ぐことに集中すれば、おそらくこの人はすでに小さな国を築き上げていることだろう。
「さて、先輩命令だ。ゲームをしよう」
「分かりましたよ、そこまで言うなら万が一仕事をサボってクビになったら、俺のことも養ってくださいよ」
「任せろ」
惚れそうだった。
「で、ゲームって何をするんですか?」
そう俺が尋ねると、姿さんは小さく笑ってレジカウンターに置いてある客が不要なレシートを入れる箱から、一枚のレシートを取り出す。
「簡単な答え当てゲームだよ。君が好きなモノを一つ、このレシートの白紙に書く。それに対して私が君に質問をする。少年はその質問に対し、《イエス》か《ノー》で答えるんだ」
「なるほど。《20の質問》ってやつですか」
出題者が書いた単語を回答者が質問で当てるというゲーム。
だが回答者は最大で20回までしか質問できず、もし当てられれば回答者の勝利。当てられなければ出題者の勝利になる。
「まあ、そうだね。もしも少年が私に勝てたら良いものをあげよう」
「俺が負けたら?」
「一年間メイド服を着てバイトをしてもらう」
「最悪じゃねえか!」
その時は今日でバイトを辞めよう。
俺は姿さんに見えないように、レシートの裏に白紙にペンを走らせる。
俺の好きなモノ。
絶対に姿さんに分からない単語……。
姿さんが知っていて、俺の知らないこと。
……それなら。
「書けました」
そう言った俺は、レシートを折ってレジに置いてある新刊の下に挟んだ。
満足げに頷いた姿さんは、「ふむ」と手を唇に当てる。
「では、宣言だ。私は三回の質問でそれを当てよう」
そのセリフに流石に俺は驚く。
「まさか。それは姿さんでも無理でしょう」
「おいおい少年。無理って言葉は、言った時点で負けだぞ。無理と無駄は、弱者のセリフだ。この菅谷姿に不可能はない」
「……おおー」
「たぶん」
台無しだった。
あっはっはとからかうように笑った姿さんは、「さてと」と言って指を一本立てて言った。
「それでは一つ目の質問だ。《少年は妹ちゃんが好きか?》」
「それは、この場には関係ない質問でしょう?」
「さあ、どうだろうね。いいから答えてくれよ、ほらほら」
……この人、やっぱり俺をからかうつもりで始めたのか。
俺は「《ノー》」と答える。
「それは、嘘偽りないかい?」
「それは二つ目の質問ですか?」
「いいや。ただの確認だよ。君はツンデレだからね」
姿さんはニヤリと笑う。
やはりこの人、ゲームに勝つ気がない。
これはゲームという手段を通して、俺で遊ぼうという魂胆なのだろう。
だからこそ、質問は三つでいい。真面目に俺の書いた単語を当てるつもりなどないから。
俺は溜め息を零して、次の姿さんの質問を待った。
「ふむ。それでは二つ目。《少年には妹ちゃんに対して負い目がある》」
「……《ノー》」
俺は適当に答える。
少しだけ胸の奥が痛くなるが、無視する。
「じゃあ、最後の質問だ。《少年は貧乳が好きだ》」
「……は?」
「いいから。ほら、答えてくれよ」
「……《ノー》」
なんだ、この質問。
完全にセクハラ案件だろう。
だが、これで俺の勝ち――。
「――よし、分かった」
「え?」
俺は目を丸くして姿さんと見つめる。
そんな俺を見下ろして、姿さんは首を傾げる。
「どうした少年。そんなに驚きか? 私が清々しく回答に導いたことに」
「いやいや、分かるわけないでしょう。あんな質問で」
「いや、分かるさ。これは、私が一年で少年のことを知ったゲームだからね」
そう言って姿さんは、「ズバリ」と言って指をパチンと鳴らした。
「答えは――《妹》、だろう?」
姿さんは新刊をどけて、下敷きになっていたレシートをめくる。
そこには、《このか》と俺の字で書かれていた。
「……よく分かりましたね」
俺はつまらんそうに表情を歪めながら、くしゃりとレシートを丸めてポケットに突っ込む。
「言っただろ? これは一年でどれだけ少年のことを知ったかを確かめるゲームだと。だからだよ」
「……」
「あえて君はそう書くと思った。私が知らない単語を書いて私に勝ったところで意味なんかない。君はひねくれているからね。皮肉屋でツンデレな君が、まさか《嫌いな妹ちゃんのことを書くわけない》と私に思わせることこそが、君の敗因だよ」
心の中で舌打ちをする。
俺をからかって、それでいて勝つ。
やはりこの人には、絶対に敵わないと思った。
溜め息を吐いていると、レジカウンターの上に二枚のチケットが置かれた。
見れば、それは遊園地のペアチケットだった。
「楽しませてくれたお礼だよ。君にあげよう」
「……どうしたんですか、これ」
「この間入ったバイトの子がいるだろう? ほら、語尾に《ござる》つける変な子。彼女から貰った」
「なぜ?」
「デートのお誘いだよ。でも行く気がないから君にあげる」
「いやいや。それは可哀そうでしょう」
「大丈夫。今度一緒に比叡山に行くから。比叡山デートだね」
それはデートなのか?
よく分からないけど、要らないというのなら貰っておいて損はないだろう。
俺は遊園地のチケットに視線を落としながら、「じゃあ、俺と一緒に行きますか?」と姿さんを誘ってみる。
すると、デコピンを食らった。
「誘う相手が違うだろ?」
「違ってませんよ」
「違ってるよ。もうちょっと素直になれよ少年」
「……」
俺は黙って遊園地のペアチケットを睨みつける。
何となく、全てこの人の手のひらの上で踊らされている気分だった。
なので、ちょっとだけ反撃してみる。
「姿さん。エキシビジョンといきましょう。姿さんの好きなモノを書いてください。それを俺が当てます。もし当てられたら、一年間メイド服で働くって話はなしで」
「ふむ。別にそれは清々しいけど、いいのかい? 二十個どころか一万個の質問チャンスをあげようか?」
「いいえ。俺は二回で十分です」
ほう、と感嘆の息を吐きだした姿さんは、不要なレシートの白紙にペンを走らせる。
そしてそれを裏返して姿さんは手のひらをその上に乗せた。
「さあ、当ててみろ」
俺は笑って、姿さんの手のひらに指を差す。
「一つ目の質問。《姿さんは、次の質問にイエスと答えますか?》」
「……《イエス》」
「二つ目の質問。《この手のひらを退けてレシートの裏を見てもいいですか?》」
「……《イエス》」
姿さんは舌打ちをして、手のひらを退かした。
そして俺はレシートの裏を見る。
「……。姿さん」
「うむ、少年の勝ちだ。おめでとう」
ニヤニヤと笑う姿さんに、俺は溜め息を吐く。
全く。やはりこの人には勝てないと思った。
「少年。私はこの一年で、少年という人物をよく知ったつもりだ。だからこそ、言おう。おめでとう。そして――」
俺はレシートの裏に書かれた単語をそのまま読み上げる。
「《一年間ありがとう。これからもよろしく》」
気が付けば一年。
道楽と趣味と実業のおまけの延長線で始めて、続けられたのは読者の存在だと思っています。
好きなものと実験的なものをただ淡々と書いていく小説ではありますが、引き続き物語の完結までお楽しみ頂ければ幸いです。




