第四十二話:妹と文化祭―エピローグ―
人生の落とし穴がどこにあるかは分からない。
歩いているそこが、すでに穴の中だと言うことも。
君は、気付かない。
「――それでは。兄先輩、このか先輩! 16時にこの場所で待ち合わせということで!」
「ということでっ」
校庭と校舎を繋ぐ入り口である昇降口の前にて。
久々野空子が左手で誤った敬礼をし、それを指摘する間も与えずに加賀美・カトリーヌ・カグヤが両手を挙げて反芻するのを俺が認めるよりも早く。
「じゃあ、学園祭デートに行きましょう、キティ先輩っ!」
「うん!」
まるで仲の良い姉妹のようにぎゅっと小さな手を繋いだ2人は、はしゃぎながら校舎の中へ掛けだして行った。
ポツンとその場に取り残された俺と妹は無言で違いの顔を見合わせる。
「……俺達も手を繋ぐか?」
笑えない冗談を言ってみると、妹も笑わずに無表情で答えた。
「……兄ちゃんは繋ぎたいの?」
「全然」
「同じく」
ほんと、笑えない冗談だった。
腕時計の時刻を確認すると、時間は13時を少し過ぎていた。
2日目の学園祭の一般公開は、16時半までとなっている。
それまでは俺と妹、久々野ちゃんと加賀美ちゃんで別行動をしようということになった。
本当ならば、俺は妹達と4人で学園祭を回るつもりだったのだが、合流してすぐに
「兄先輩はデートの約束があるでしょ? もち、私もデートの約束があるのです。なので残念ではありますが別行動です。もしも校舎内で爆発や爆撃、阿鼻叫喚に異世界転生が起きれば、そこに久々野空子ありと思ってくれれば、きっと離れていても心はつながっていますからご心配なく!」
と何一つよく分からない理由を告げた久々野ちゃんと別行動するのは、また違った意味で不安ではあったものの、女子中学生3人と一緒に知人が多い校舎で歩き回るというのも、後々面倒くさそうなことになりそうだったので、渋々ながらも了承したのだった。
もちろん、妹との約束を忘れていたわけでもないのだけれど。
「……で、どうする? 行きたい所でもあるか?」
学園際のパンフレットを開きながら妹に尋ねる。
「じゃあ、テニスコートが見たい」
「分かった」
妹のリクエスト通りに、テニスコートに向かって移動を始めた。
テニスコート場は校舎を挟んで校庭の反対側にある体育館の裏手にある。
そこに向かう途中の中庭で、昼飯としてたこ焼きと焼きそばを買っていく。
「ほら。たこ焼き。お前、猫舌なんだから気をつけろよ」
「大丈夫」
たこ焼きの入った透明のフードパックを受け取った妹は、ふーふーせずに一口食べた。
「っ!? は、はふぃ!」
はふはふと口を半開きにして、涙目でピョンピョンと跳びはねる妹に呆れながら、合流する前に中庭で買った飲みかけのお茶を手渡した。
「だから言っただろ、ほらお茶」
「んぐ。……ふー。すごく熱かった。タコが舌の上でタップダンスしてるのかと思った」
タップダンスしていたのはお前だろう。
「言っただろ、気をつけろって」
「素人が作るたこ焼きだから、大丈夫だと思ったんだもん」
「素人だろうとプロだろうと、たこ焼きは熱いのは変わらないと思うぞ」
「え? でも、私が前にたこ焼き作ったら、すごく冷たい液体が出来たよ?」
「お前が作ったから、たこ焼きじゃなくなったんだろ」
当時妹が作ったたこ焼き――と言い張る謎の茶色い液体、しかも何故か冷たくてネバネバしたもの――を思い返して、少しだけ妹の持つたこ焼きが食べづらくなった。
「……兄ちゃん」
「ん?」
「あーん」
爪楊枝に差したたこ焼きを、俺の口元に差し出す妹。
「……食べろと?」
「うん。仕返し」
「いや、俺が熱いままお前に食べさせたわけじゃないだろ?」
「大丈夫、兄ちゃん。そんなに熱くなかったから」
「まだお前、涙出てるぞ」
「いいから。食べるの。っていうか、恥ずかしいから早く食べて」
恥ずかしいなら食べさせなければいいのにと思いながら、仕方なく口を開けて妹の差し出したたこ焼きを食べる。
すぐに噛まずに、少しだけ口の中で熱に慣れながらゆっくりと咀嚼する。
山芋が入っているのか、ふんわりとした生地がマイルドで予想以上に美味しい。
「どう?」
「うん、美味い」
「そっか。――じゃなくて! 熱かったでしょ?」
「まあ、多少は。でも耐えられない熱さじゃないし」
猫舌なんてものは本来存在しない。ようは食べ方が下手なだけだ。
「むーっ。時間経って、ちょっと冷めちゃったかな」
唇と尖らせながらたこ焼きを口に放る妹。
「はふっ!? はふぃよ、にいひゃん!」
「なんでお前は同じ轍を踏むんだよ」
再び飛び跳ねる妹を眺めながら、俺は小さく笑った。
たこ焼きと焼きそばを食べ終えた俺達は、テニスコート場にやってきた。
そこには人工芝で出来たコートが5面広がっており、出し物としてテニス部がテニスボールを使ったストラックアウトを行っていた。
3×3のパネルに1から9までの数値が振られている。どうやらあれを5球で打ち抜いていくようだ。
「やっぱ高校でもテニス部に入るのか?」
妹は夏の中学生大会で個人で全国出場まで果たした実力者だ。
おそらく聞くまでもない質問なのだろうが、ここで大した会話のネタも思い浮かばなかったので当たり前過ぎる会話を振ってみた。
だからこそ、次の妹の返答は俺にとって意外なものであった。
「……どうかな。分かんない」
煮え切らないグレーな妹の言葉に、俺は訝しむ。
「なんでだよ。やればいいじゃん。テニス、好きだろ?」
「テニスは嫌いじゃないよ。やってて面白いし、楽しい。上手くなったら嬉しいもん。でも、好きってわけじゃないかな」
「じゃあ、お前は何が好きなんだよ?」
チラリと妹が俺を一瞥して、「……さあね」と顔を背けてしまった。
まだ妹にとって、あの夏の敗戦は過去のものじゃないってことなんだろうか。
俺はそれ以上突っ込んだことは聞かず、ただぼーっとストラックアウトに挑戦する人らを眺めていると、それに気付いたテニス部の女子生徒が話しかけてきた。
「もし興味があれば、やりますか? 1回300円になりますが」
「あー、いや。俺はちょっと……。お前、やってみるか?」
隣で俺と同じようにぼーっと眺めていた妹に話を振ってみる。
「ん……」
ちょっと迷っているようだった。
というか、もしかして最初からこれ目当てで来たんじゃなかったのか?
「あ、ちなみにビンゴになるほど景品が貰えるんですよ。10球チャレンジで9枚のパネル全てを倒せれば、遊園地のペアチケットをプレゼントしちゃいます!」
「へえ……」
テニスコートの近くに大きな看板が立てかけられており、そこにルールの他に確かに有名な富士山の見える遊園地のフリーパスチケットの景品が書かれていた。
ちなみに1ビンゴ達成ごとに学園際で使える食事券500円分、4ビンゴ達成でお好きなフィギュアやぬいぐるみが景品のようだ。
「……ん?」
2ビンゴの景品ケースに並べられた箱に入ったフィギュアを流れるように眺めていると、俺の目がピタリと止まった。
「……」
「あ、兄ちゃんの好きなモンスターのフィギュアじゃん。なんだっけ、ジンなんとかって雷のやつ」
妹も俺の視線の先に気付いたようで、「あれ、欲しいの?」と尋ねてきた。
「いや、別に? 人気のモンスターで発売と同時に完売して、今や中古市場で高値で取引されていて中々手に取りづらいなんて思ってないよ?」
「ふうん? 欲しいんだ?」
「いやいや。俺ももう高校生だぜ? 俺が欲しかったのはだいぶ昔の話だって。そうそう、あの緑色の原種も良いんだけど、もっとレアな黒の亜種バージョンもあってな。そっちもかなりレアものなんだよ」
「うん、欲しいんだ?」
「まあ、待て待て。勘違いするなよ。ここで偶然出会ったのは驚いたけど、きっとあいつも驚いているんだ。だってそうだろ? 俺がずっと探していて若干諦めかけていたところでの出会いだ。つまりはな、驚きこそあれど今欲しいと思っていることとはまた別の話であって――」
「兄ちゃん」
「はい」
「あのフィギュア、欲しいんでしょ?」
「……すごく、欲しい、です」
「よろしい」
満足げに頷いた妹は、ポケットから小銭入れを取り出して300円をテニス部員に手渡した。
ルールの簡易説明とテニスラケット、そしてテニスボールを受け取った妹はサービスラインに着いた。
ボールを地面に弾ませて、宙に飛んだボールをラケットの面で撫でるように受け止めた妹は、小さく息を吐く。
「ふっ」
全身を後ろに反らしてボールを高く頭上にトスした妹は、わずかにジャンプしてラケットを振った。
空気を切り裂く音が聞こえた。
ボールを打つ音ではなく、ましてやラケットがボールを叩く音でもない。
それはまるで動物の鳴き声のように雄々しく、楽器の音色のように美しい音だった。
ラケットによってボールは加速し、吸い込まれるように《1》と《2》のパネルの中央を打ち抜いた。弾かれるように両パネルが落下する。
「すげぇ……」
素直に感嘆の声が漏れた。
どうやら圧巻されていたのは俺だけではないようで、テニスコート場にいた全員が息を呑んで妹のサーブを見つめていた。
「……」
だが、妹はそんな俺達の視線に気付いていないようで、続けて先ほどと全く同じモーションでサーブを放つ。
そして、綺麗に《3》のパネルを打ち抜いた。
これで上段の行のパネルはビンゴになり、残りは3球。
テニスのストラックアウトは距離が対面のコート場に立っているため、距離があるため狙いづらい。
周囲の挑戦者を見ていても、当てること自体が至難の業である。
だが、妹は。まるで針の穴を通すかのような正確さでボールをパネルに当てていた。
「ふ……っ!」
続けざまにほぼミスをすることなく、パネルを打ち抜いていく。
そして……残り1球。残すパネルも中心の《5》だけになった。
すでに俺の欲しい景品である4ビンゴは達成されている。だが、ここまで行けばパーフェクトを目指して欲しい。
俺はごくりと喉を鳴らして、ボールを弾ませている妹の背中に声を上げた。
「このかっ! このままパーフェクト目指せ!」
ハッとして周囲を見渡す。誰もが固唾を呑んで妹のプレーを観戦しているため、誰も俺の声に意識を向ける人はいなかった。
いや、ただ1人だけ。
妹は首だけを回して俺の方を向く。
「……」
何も言わない。ただ俺を見つめ、すぐに視線を対面のコートの数字に戻す。
ボールを放り、妹が飛ぶ――。
速度を得たボールはわずかに回転して、中央のパネルから左に外れて空を切った。
「……あ」
思わず俺の口から声が漏れる。と同時に周囲からも「あーっ! 惜しい!」と嘆く声が沸いた。
「惜しかったねえ」「でもすごかったーっ」
緊張から解き放たれたように観衆の会話がクリアになる。
テニス部員たちもまさかパーフェクトに近い結果になるとは思ってもいなかったようで、驚きつつもしっかりと彼女のプレイを称えた。
「お疲れさまでしたーっ。すごい惜しかったですね! テニスの経験があるんですか?」
「……まあ、ちょっとだけ」
「そうなんですね! あ、もしかして中学生かな? なら是非とも入学したらウチのテニス部に入って欲しいかもかも~っ!」
「そうですね。その機会があれば」
「うん、よろしくーっ。あ、景品ね、4ビンゴ達成だからここから好きなフィギュアかぬいぐるみを1つ選んでね」
妹はテニス部員に連れられて、俺の目当てのフィギュアの箱を手に取ってこちらに戻って来た。
「はい、これ」
フィギュアの箱を渡されて、俺は「ああ、ありがとう」と上手く感謝を伝えられずに受け取る。
「……惜しかったな」
「何が? フィギュアは取れたんだから何も惜しいことはないじゃん」
確かに彼女の言う通りなのだが、あそこまで王手に手が伸びれば誰しも息を飲んで最高の結果を期待してしまう。
俺はパーフェクトの景品であるペアチケットをチラリと見てから、妹に視線を戻す。
「……なあ」
「なに?」
「いや、何でもない。次は景品なしの純粋のパーフェクトが見たいなと思っただけ」
「……」
妹は無言でくるりとテニスコートから立ち去ろうとする。それに俺も無言で続く。
俺はテニスに関しては素人だし、ただの勘だけど。
最後のサーブ――妹はわずかにパネルを外した。
外れたのではない、外した。わざと。あえて。意図して。
――外した。パーフェクトを避けた。
それは、後の歓声が面倒くさかったのか、注目の的になるのを避けたかったのか。
それとも、『自分の欲望を優先するのが嫌だったのか』……。
俺はフィギュアを脇に抱えて、前を歩く妹の頭にポンと手を乗せて優しく撫でた。
「なに?」
「いや、別に。デートってこんな感じなのかなって」
「いや、意味わかんないんだけど」
ほんと、別に。
何なんだろうな、この感情は。
流石にフィギュアを持ち歩きながら学園祭巡りを再開するのは悪目立ちがするので、俺は一旦フィギュアを置くために自分のクラスに向かった。
校舎内を歩きながら、このかが不意に尋ねて来た。
「そう言えば、兄ちゃん。言い忘れてたけど、おめでと」
首を傾げる。はて、俺は何かこのかに祝福されるようなことをしただろうか。
「カノジョ、出来たんだね」
……。………。
「……やっぱ、気付かれたか」
「うん。まあ、ね。笹倉さんだっけ? ポニテの可愛い人だよね」
「ああ。……教えてなくて、ごめん」
「なんで謝るの? っていうか、兄妹に彼女彼氏ができたとしても、普通は言わないものでしょ」
「普通はな」
「……」
このかもそこで黙る。俺の言いたいことを察したのか、それとも考えないようにしたのか、よく分からない溜め息を零す。
「はあ……。兄ちゃんにカノジョか」
「なんだよ、恋人が欲しいならお前もカレシ作ればいいじゃん。俺の友達に七神って奴がいるけど、どうだ?」
「兄ちゃん。アホと人間は恋愛できないんだよ?」
どうやらアホはこのかにとって人類のカテゴリーに入っていないようだった。
七神直人はアホ・サピエンスである。
「私のことはどうでもよくて。で、どんな感じなの? カノジョさんとは?」
「どんな感じって?」
「付き合って何した? もう最後までした?」
「女子中学生怖いな。俺達はサルか」
「なんだ、まだやってないんだ」
その言い草に、少しだけイラっとした俺は「馬鹿にするなよ」と言い返す。
「中学生のお前には刺激が強いと思って言わなかっただけだよ。もうそりゃ、やりまくりだよ」
嘘だけど。
「ふうん? じゃあ、付き合ってどれくらいでやったの?」
「え。いや、付き合ったの昨日からだから……」
「じゃあ、やってないんじゃん」
このかの白い目が強くなる。いやいやと俺は首を振って否定する。
「付き合ってすぐにやったよ。そりゃもう、手をつなぐより身体をつなぐ方が早かったと言っても過言じゃないな。うん、カレカノの関係になってすぐにやり始めたと言っても間違いではないな」
過言であるし、間違いである。
「……それ、立派なただのサルじゃん。っていうか、それってセフレじゃないの?」
「お前、そういうことを学校で言うなよ……」
「じゃあ家で聞けばいいの? お父さんとお母さんの目の前で、一家団欒の食卓を囲みながら聞けばいいの?」
最悪の環境じゃねえか。流石にもう嘘だとバレバレなので、仕方なく訂正する。
「分かったわかった。やってない。っていうか、そういう目的で付き合ってるわけじゃないからな」
「そういう目的も何も、普通は付き合ったらしたいものじゃないの?」
特に男の人は、と付け足したこのかのセリフに、俺は首を振る。
「そんなわけないだろ。好き同士が付き合うわけでも、身体が目的だから付き合うもんでもないだろ」
「まあ、そうだね。お互い同じ気持ちでも付き合えないのもあるからね」
「何のことだ?」
「何のことだろうね?」
はぐらかす。
俺とこのかは、互いに顔を背ける。
「でも、良かったと思うよ、兄ちゃん」
と、このかがこちらを見ずに続ける。
「《恋愛は自分を知ること》って兄ちゃんが言ってたじゃん。だから、兄ちゃんは自分のことを少しだけ知ることができたってことでしょ。それは、きっととても良いことだと思うの」
夏祭りの日に俺が言ったことを口にするこのか。
少しだけその口調は自嘲しているように聞こえた。
「私はまだ、よくわかんないから。好きになること、自分のこと。全然、知らないから」
「……」
きっと、俺もまだ知らない。
笹倉さんと付き合って知らない自分を知れたのは事実だ。
だけど――それは本当に。
俺の知りたかった自分なんだろうか?
「だから、これはおめでとうなんだよ」
「……俺は」
くるりと俺の前に立って言うこのかに、言いかけた言葉を飲み込む。
最低の一言を。最悪の一言を。脆いながらも必死に組み立てて、ボロボロになりながらも積み重ねてきたものが壊れないように。
その一言を必死に喉の奥で消化する。
――このかとのデートの方が楽しかったなんて。
絶対に誰にも言えない言葉を、俺は吐き出しそうになりながらもバラバラにした。
自分の教室に辿り着き、俺は「じゃあ、ちょっと待っててくれ」とこのかを廊下に待たせて、室内に足を踏み入れた。
ボードゲームカフェは変わらず中々の賑わいを見せており、何人かのクラスメイトも参加者の輪の中に入って楽しそうにゲームをしていた。
俺はクラスメイトに二言三言の雑談をしながら、裏のカーテンで隠された着替えスペースの隣にある荷物置き場にフィギュアの箱を置く。
「さて、と。次はどこに行こうかな」
パンフレットを広げながら、思考する。
お化け屋敷は苦手そうだし……あ、料理教室なんてあるのか。
せっかくだし、このかには一から料理というものを覚えてもらうのもいいかもしれない。
そうすれば、今後俺が事故死するリスクをグッと減らすこともできるだろう。
よし、決まった。
このかと合流するために教室を出た瞬間、このかの周りに体格の良い3人組の男性がいた。
「中学生? いいねえ、可愛いね」
「暇なら一緒に遊ぼうよ」
「そうそう、俺達ここのOBだからさ。何なら、学校案内とかもしちゃうよ?」
大学生だろうか、派手な茶髪をした少しだけヤンチャそうな3人に口説かれているこのかを認め、首の後ろを掻く。
「何ナンパされてんだよ」と面倒くさそうに助けに入ろうとすると、1人の一番身長の高い男がぐいっとこのかの腕を強引に引っ張った。
「いたっ」
――小さなこのかの悲鳴をスイッチに、俺の視界がぐらつく。
フラッシュバック。記憶退行。トラウマ。
悲鳴。悲鳴。悲鳴。
小さなこのか。今より少しだけ小さい俺。
何かが映る。何かが痛くなる。
刺さっていた。俺の身体に、足に、何か鋭いものが。
構わない。構うことない。俺のことなんか。
歪んだ景色に、思考が奪われる。
何も考えられない。何も考えたくない。
腕が空を切った。
何かを叫んだ。
誰かが泣いた。
気付けば、終わっていた。
真っ暗な世界が、白い世界に塗り替えられる。
そこに立っていたのは、俺で。
俺の下の廊下に倒れていたのは、3人組の男達で。
何事かと集まってきていたのは、一般の人達やクラスメイトで。
その中に、七神直人がいて。
「……あ、兄君」
その隣に、信じられないものを見た笹倉桜がいて。
そして、気付く。
俺の後ろに抱き着いて、必死に何かを止めようとしていた妹に。
結局のところ、何も変わらない。
俺は、何一つ。
時間が経とうが、妹と距離を取ろうが、違う人を好きになろうが。
――何も、変わらない。
すでに文字数では薄い小説2冊分を超えて、1分で読める軽い小説になってはいないけれど。
それでも1分で読める気軽なものを目指します。
そして、ようやくシリアスさんはここで死にました。




