第四十話:妹と文化祭ー中編ー
あなたと一緒なら、たとえ地獄も天国と変わらない。
泥水に一滴のワインを垂らしたところでそれは泥水だが、ワインに一滴の泥水を垂らせばそれは泥水になる。
これは何も泥水とワインに限った話ではない。
プールに一滴の毒を垂らせばそれは毒だし、料理に一滴のオリーブオイルを垂らせばそれはもこみちになる。
では、例えばの話。
女子中学生3人との遊びに、1人のアホが混じればどうなるだろうか。
「じゃあ、負けた人は罰ゲームな。そうだな……よし、負けた人は《異性をときめかせるセリフ》を言うこと!」
答えを、言うまでもなかった。
――30分前。
文化祭二日目の開催時刻から少し経ち、俺のクラスにもすでに数人の外部の来場者がボードゲームに興じ始めていた頃。
黄色い声と食べ掛けのクレープ片手に、約束というか予定通りに妹達がやってきた。
「ここが兄先輩のクラスの出し物のボードゲームカフェですか! なるほど、カフェって言うよりどちらかというとバーの印象がありますね! カーテンとか小物がバー感あります! バーレベル3って感じでしょうか! 私、バーとか行ったことないんですけどね!」
「空子、うるさい」
手慣れた様子で、久々野空子の暴走を止めた妹は、教室のドアの入り口にある受付に立つ俺を見上げる。
「来たよ」
「ああ。いらっしゃい。加賀美ちゃんも、久しぶり」
「ひさしぶりーっ」
ひょこっと妹の背後から顔を出す金髪の少女。
妹の同級生にして、久々野ちゃんの恋人である加賀美・カトリーヌ・カグヤ。
何度見ても中学三年生には見えない幼い体躯をしている。
これが来年には高校生になるとはいまだに信じられない。
特殊な趣味を持った男子にはモテそうだなと思いながら、俺は3人を窓際のテーブルに案内した。
そして彼女らが着席したのを認めてから、軽くこのクラスの出し物の説明をする。
「知ってると思うが、ここはボードゲームカフェだ。ちなみに時間制になっている。一時間500円で飲み放題、遊び放題だ。ドリンクは黒板の前に並んでいるから、好きなのを飲んでくれて構わない。遊ぶボードゲームは反対の壁際に並んでいる。食べ物は別途料金だ。帰る時に支払いを済ませる。以上、何か質問は?」
「はい」
「じゃ、久々野ちゃん」
小さく手を挙げた久々野ちゃんは、じーっと俺の顔から足元まで眺めてから首を傾げて言った。
「なんで兄先輩、スーツを着てるんですか?」
久々野ちゃんの指摘の通り、俺はスーツを着ていた。
黒の上下に白のシャツ。赤のネクタイを結んだ俺の姿を認めた久々野ちゃんに、俺は答える。
「普通のボードゲームカフェの内装だと面白くないからって、クラスの女子が言ってな。確かに普通のカフェをやっているクラスもあるから、差別化するためにさっき久々野ちゃんも言ったような、大人の雰囲気を出してバー寄りにしてみたんだ。で、バーと言えば服装はスーツだろってことになってな」
ボードゲームはクラスメイトの私物で、ほとんどが無料。
なのでクラスに割り振られた文化祭予算から、飲み物代や内装費用を引いてもだいぶ資金に余裕があったので、衣装代に回したのだ。
「とはいえ、俺もあまり着慣れてる感じはしないけどな」
「いえいえ! すっごく大人っぽくてカッコいいですよ! ねえ、このか先輩?」
「なんで私に聞くの?」
「このか。このかのお兄さん、カッコいいよ?」
「だからなんで私に聞くの?」
何故か俺から視線を逸らした妹は、席を立って「飲み物取ってくる」と言って黒板の方へ歩いてしまった。
「可愛いなあ、このか先輩。ね、キティ先輩?」
「うん。このか、可愛い!」
ニヤニヤと話す2人に、俺も少しだけ気になっていたことを聞く。
「服装と言えば、なんで久々野ちゃん達は制服なんだ?」
今日は日曜日にも関わらず、久々野ちゃん達は学校指定の黒のセーラー服を着ていた。
それに対し、「ああ、それはですね……」と久々野ちゃんが答える。
「実はこのか先輩たちの学校見学も兼ねているからですよ」
「うん。来年の受験先、ここにしようか考えているの」
加賀美ちゃんが身体を上下に揺らしながら頷く。
「ふうん。加賀美ちゃん、ウチの高校に来たいんだ?」
「うんっ。制服可愛いし、何よりクーちゃんも一緒に通えそうだから」
「へえ……」
確かにここの高校の偏差値はそこまで高くない。久々野ちゃんの成績は知らないけど、俺の知り合いのアホが死ぬほど勉強して入れたくらいなので、彼女なら無理というレベルではない。
ふと、ずっと前に久々野ちゃんから相談された内容が頭を過った。
『好きな人がいるからって理由で、進路を変えてもいいんでしょうか』
その時、確か久々野ちゃんは付き合っている人には夢があると言った。
だがその人は自分の夢よりも、恋人である久々野ちゃんを優先して進路を選ぶことに、久々野ちゃんは悩んだ。
そして俺は言った。それは俺には解決できない。解決できるのは、2人だけだと。
――久々野ちゃんは、加賀美ちゃんと付き合っている。
つまりは、そういうことなのだろう。
俺は久々野ちゃんを見る。目が合った。
「えへっ」
後悔のない笑顔だった。
「ねえ、兄先輩。せっかくなので一緒にゲームしましょうよ」
他のテーブルの後片付けをしていると、不意に久々野ちゃんに呼ばれた。
彼女らのテーブルには、チップと数字の書かれたカードが散らばっていた。確かあれは《ゲシュンク》というゲームだったか。
「いや、まだ働いている途中だし」
「んー? でもでも、あそこの黒板に『店員とゲームも可能!』って書いてあるよ?」
加賀美ちゃんが指さした先には、確かにそう書かれているが、本来は独りで遊びに来てくれた来場者向けのものだ。
「でもなぁ……」と渋っていると、突然ドンと肩を組まれた。
何事かと訝し気に首を回せば、そこにはアホがいた。
「だーめ。こいつは俺と遊ぶんだからな!」
七神直人。職種学生。種別アホ。特性アホ。
飛んで火にいる夏のアホとは彼のことだ。
「あ、アホだ」
まるでハエを見るように目を細めた久々野ちゃん。そう言えば、この2人仲が悪いんだよな。何故かは知らないけど。
「おいおい、ツインテ中学生。俺は一応、先輩だぞ。敬意を持てよ」
「失礼しました、アホ先輩」
「よし」
満足げに頷く七神。いいのか、それで。結局アホと呼ばれていることに変わりはないぞ。
「というわけで、俺はこいつとゲームするから。遊ぶなら別の店員を呼ぶんだな」
「なんでですか、アホ先輩こそ他の人と遊べばいいじゃないですか」
「それはダメだ」
「なんでですか」
「もう全員から断られた」
久々野ちゃんの言葉が詰まる。ご自慢のマシンガンも、弾をなくせばただの棒きれだ。
「ここに誘ったサッカー部の友達も、『お前とゲームするのはつまらない』と言われたしな。きっと俺がゲームに強すぎるって思ってるんだろうな。全く、天は俺にサッカーとゲームの才能の荷物を与えてしまったようだな」
いや、それを言うなら《二物》……と突っ込みをいれようとして、あながち言い得て妙かもしれないと思い口をつぐんだ。
「残念な人ですね。アホ先輩は、そこで独りババ抜きでもしていればいいじゃないですか」
「独りでババ抜きしても、結局ジョーカーは俺の手札に来るじゃねえか! するならせめてジジ抜きだろ!」
結果はババでもジジでも変わらないぞ。
「んー。よく分からないけど、アホ先輩もカグヤ達と一緒に遊べばいいんじゃないかな?」
ついに加賀美ちゃんからもアホ呼ばわりされたぞ。
「えー。キティ先輩、こんなアホを混ぜるんですか? 言っておきますけど、この人、かなりのアホですよ?」
「アホでも人だよね? じゃあ、いいんじゃないかな」
ナチュラルに毒づくな、この子。
「よーし、いいぜ。そこまで言うなら、俺もやろうじゃねえか。でも、ボードゲームはルール分からんから、なしな!」
七神。お前、何しにここへ来たんだよ。
「……もう帰ればいいのに」
ポツリとこのかが呟く。うん、俺もそう思う。
「仕方ないなあ……」と頭を掻きながら、このか達のテーブルの近くにあった椅子を寄せて座る。
そしてジャケットの内ポケットから、注文用紙の代わりにしているメモ帳とペンを取りだして言う。
「――それなら、《ワードウルフ》でもやるか」
《ワードウルフ》。
シンプルに言えば、言葉を使った人狼ゲームだ。
ゲーム前にゲームマスターは1つのワードを決めて、プレイヤー全員に伝える。
ただし1人のプレイヤーには、全員に伝えたワードとは別のワードが伝えられる。
そして時間制限を設けて、プレイヤー達は1人だけ違うワードを伝えられた《人狼》を会話をして探すというもの。
《人狼》を当てられれば、他のプレイヤーの勝利。当てられなければ《人狼》の勝利。
ただし、万が一《人狼》が当てられた場合でも、逆転のチャンスはある。
それは自分以外の全員に伝えられたワードを当てることが出来れば、それでも《人狼》の勝利となる。
つまり、同じワードを伝えられた仲間を探すのも大事だが、自分達のワードを《人狼》に探られないようにする必要もある。
シンプルながら奥深い心理ゲームとなっている。
「おおー、それって中学の時に流行ってたやつだよな? それなら大丈夫だぜ!」
七神も近くのテーブルから椅子を取って座る。すでにゲームに参加する気満々だ。
「……むむ。ルールはシンプルですが、奥深いですね……。このか先輩は遊んだことがありますか?」
「うん。昔兄ちゃんとやったことあるから大丈夫」
「そうですか……」
「んー? なんだよ、俺をアホ呼ばわりするくせに、自信ないのか? なら、別の遊びにしてもいいんだぜ?」
七神の煽りに、久々野ちゃんがカチンと頭に来たようで、睨み返す。
「良いですよ! アホが理解できる遊びなら、私も出来ます! 勝負です!」
「ほほう。言うじゃないか。じゃあ、負けた人は罰ゲームな。そうだな……よし、負けた人は《異性をときめかせるセリフ》を言うこと!」
「良いですよ! 望むところです!」
さりげなく、罰ゲームが追加された。
まあ、俺は別にいいけど、何故だかアホのくせに用意していたような罰ゲーム内容だな。
「……なあ、七神。もしかして、お前。最初からこの罰ゲームをやらせるつもりだったのか?」
俺は小声で七神に告げると、あからさまに俺から逃げるように顔を背ける。
「別に? 朝、ああは言ったけど。改めて思うとやっぱりお前に彼女が出来たことが、少しだけ悔しいと思ったりなんて思ってねえよ?」
「……」
心が狭い親友だった。
「じゃあ、誰かにゲームマスターになってもらうか。クラスの誰かに――」
「あ、私がやるよ。兄君」
「お、ありがと、笹倉さ――」
振り向いた先にいた笹倉桜が俺からメモ帳とペンを受け取る。
一瞬、頭が真っ白になる。いや、なんで、ここに?
「ごめんね。遊びに来ちゃった。やっぱり昨日の今日だから、すっごく顔が見たくて。えへへ……」
照れたような顔で笑う笹倉さん。うん、可愛い。――じゃなくて。
「誰ですか? 兄先輩のお友達ですか?」
小首を傾げる久々野ちゃんに、俺はどう説明しようかと迷っていると、代わりに笹倉さんが答えた。
「うん、まあ、そんなところだね」
隠した。何故かは分からない。その意図は知らない。
でも誤魔化した。
七神には伝えた関係を、彼女らには秘匿した。
「……」
チラリと笹倉さんは俺を見た。ニコリと笑う。俺は笑わない。
「……いてっ」
テーブルの下で、足を蹴られた。方向的に俺の対面に座る人物の顔を認める。
「……なに? 兄ちゃん」
「……いや、別に」
俺は何も言わない。このかも何も言わなかった。
その様子をクスリと笑った笹倉さんは、「じゃあちょっと待ってね。すぐにお題決めちゃうから」と言って、テーブルから少し離れる。
「可愛い人だね」とこのかが呟く。
「兄ちゃんの友達なんだ。名前は?」
「笹倉桜さん」
「ふうん……。名前、憶えてるんだ」
「普通、友達の名前くらい覚えるだろ」
「……普通なら、ね」
歯切れの悪い会話だった。
やがて「お待たせ―」と5枚のメモ用紙をテーブルに広げる笹倉さん。
「じゃあ、1人1枚選んで書かれているワードを覚えてね」
俺達はメモを選んでそこに書かれたワードを覚える。
そのワードを目にして、少しだけ嫌な予感がした。
「覚えた? じゃあ、会話時間は5分ね。それじゃあ、ゲームスタート!」
笹倉さんは、スマホのタイマーを押す。
俺は《妹》と書かれたメモ用紙をくしゃりと潰した。
七神直斗の思考のルーティン。
親友に彼女が出来たことを知る。
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翌日に親友を問い詰めてお祝いする。
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それでもやっぱりリア充は羨ましい。
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親友をからかいたくなる。
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親友のクラスにからかいに行こうとする。
↓
女子中学生とイチャイチャしているのを見つけて、イライラする。
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身体は闘争を求める。
↓
アーマードコアの新作が出る。




