GW特別番外編1:妹と耳かき
誰だって子供のままでいたかった。
「兄ちゃん、耳かきやって」
そんな妹の声と一緒に、ピンと弾かれた百円玉が宙に飛んだ。
綺麗な弧を描くように飛来した硬貨は、リビングのソファに座って読書をする俺の本の上に落下した。
それを栞代わりにして、パタンと本を閉じた俺は、リビングの入り口に立つ妹に視線を送る。
「……お前ももう中学生なんだから、耳かきくらい独りで出来るようになれよ」
「うるさいなあ。別にいいでしょ。それで誰かが困るわけでもないし」
いや、十分に俺が困っているし、妹も耳が痒い時に他人を頼らざるを得ないのは、十二分に不便だろう。
だが、そんなことを意にも介した様子を見せない妹は、俺の返答も回答も承諾も聞かぬままに、スタスタと俺の隣に腰を下ろした。
――《耳かき一回百円》。
これが俺達兄妹の間にある謎ルールの一つ。
何がきっかけで、いつからこんな取り決めが出来たのかは、すでに俺の記憶の中にはない。
正直言って、耳かきなんて自分でやろうと思えば出来るわけだし、そもそもあまり他人にやってもらうものでもない。
なのに、未だに俺達兄妹にはこのルールは存在する。
そのルールに、本来の――目的はあるのだろうか。
「よいしょっと」
妹はいつものように脇に挟んだ枕を俺の膝の上に載せる。
「はい、これ」と言って、妹愛用の耳かきを渡された。
「マイ耳かき持ってるなら、自分でやれよ」
「やだ。面倒くさい」
……《面倒くさい》ねえ。
俺は溜め息混じりに、枕をポンと叩いて妹をソファに横たわらせる。
「……はあ。じゃあ、右耳からな」
「うん」
頭を枕に埋めた妹は、右耳を上にする。必然的に、妹の顔が俺の方を向く形になる。
耳にかかった妹の髪を分けて、耳かきをゆっくりと入れた。
「……んっ」
妹の口から、甘い声が漏れる。
「悪い、痛かったか?」
「大丈夫」
自分の耳よりも、妹の耳をじっくり眺めることが多いというのも、不思議なものだ。
耳かきなんて、自分でやろうが他人がやろうが、穴の奥が見えないのは同じ。
むしろ自分でした方が勝手が分かるというものだ。
「……なんていうかさ。兄ちゃんの耳かきって、安心するんだよね」
不意に妹が目を瞑ったまま、俺に言った。
「安心、ねえ……。自分ではよく分からないけどな」
「じゃあ、今度は私が兄ちゃんの耳掃除してあげようか?」
「自分で耳かきが出来ない奴の耳かきなんて、怖くて頼めるか」
「ぶー」
唇を尖らせる妹。
……安心、か。
俺からすれば、自分でやった方が《安全》だから、それを引きかえにしてでも得たいメリットではないな。
俺は右耳の掃除を終えて、「反対側」と言って妹の頭を反対向きにさせる。
「兄ちゃん、耳かきするの上手いよね」
「そうか?」
自分では分からない。
「うん。私の気持ちいいところ、手に取るように分かっているみたい」
「……ふうん?」
いまいち俺には分からないけど。
「でも、普通は自分でやった方がいいだろ」
「普通じゃないから、兄ちゃんに頼んでるんだよ」
……なんだかなあ。
ふと悪戯心で、このかの左耳に向かって「ふっ」と息を吐いた。
「~~っ!?」
びくんと身体を震わせて、上半身を反射させるように起き上がらせる。
左耳を押さえたこのかが、若干赤面した顔で俺を睨み付ける。
「なにすんの!?」
「気持ちよかったか?」
「死ね」
このかは半眼で俺を睨むと、ぼすんと再び頭を枕に埋めた。
どうやらこれでも続行らしい。てっきり怒り心頭に任せて耳かきを中断するのかと思ったのだが。
俺は耳掃除を続けながら話しかける。
「なあ、このか」
「もう一回やったら殺すから」
「もうやらねえよ……。っていうか、お前さ」
「なに?」
「……いや。何でもない。ほら、終わったぞ」
俺は耳垢一つない綺麗な耳から耳かきを引き抜き、ポンとこのかの頭を撫でた。
「ん、ありがと」
「このか。お前、俺にお金渡すくらいなら、今度は俺にちゃんと耳掃除させろよ?」
「やだ」
そう言ったこのかは、俺から《綺麗なままの》耳かきを奪って、枕を抱えてリビングから出て行ってしまった。
「……ったく。耳掃除する前に、《自分で》耳掃除してたら俺がやる意味がないだろ」
……ルールとは、目的があるからこそ成立する。
何故わざわざ自分で出来るものを、他人に任せるのか。
そこにあるのは、安全か安心か。
はたまた。
――甘え、か。
俺は小さく笑って、妹のいないリビングで独白する。
「甘えているのは、どっちなんだろうな」
GW中はせっかくなので、適当に更新してみようと思います。
(何がせっかくなんだ)




