第三十六話:文化祭と同僚
日常はつまらないくらいがちょうど良い。
非日常は起こらないくらいがちょうど良い。
きっとそれは避けようのない、災害だったのだろう。
もしくは不運な事故だったのかもしれない。
「なんだ少年。今週はずっとバイトを休むのか」
不知火書店のスタッフルームの壁に貼られたシフト表を眺めて、同僚である菅谷姿さんが不思議そうに言った。
「ああ……。今週末の金土の二日間にウチの高校の文化祭があるんで。その準備があるんですよ」
とは言っても、俺のクラスの《ボードゲームカフェ》はそこまで大掛かりな出し物ではないため、準備は大変というわけではない。
ただ単純に、俺が文化祭実行委員を務めているせいもあり、準備に万が一の問題点が起きた場合の責任者が必要なだけだ。
「ふうん……」と姿さんは細い眼差しで何かを考えるように、シフト表を見つめる。
「少年、私もその文化祭には行ってもいいんだろうか?」
「意外ですね。青臭い子供の祭のマネゴトに興味があるんですか?」
「そう皮肉ることはないだろう? 文化祭と言えば学生にとって清々しい青春の1ページだ。少年。私はね、清々しいことが大好きなんだ」
「姿さんの大好きな女子小学生の太ももよりも?」
「うーん。どちらかというと、姿さんは女子小学生の太ももよりも、つるつるした脇の方が好きだな」
どちらにせよ、1ミリたりとも清々しい要素はなかった。
俺は溜め息交じりで答える。
「はあ……。まあ、別に来てもいいですけど。2日目の土曜日なら大丈夫です」
「ん? 1日目はダメなのか?」
「1日目は外部者禁止の在校生限定なんですよ。いわゆるリハーサルみたいなものです」
「なるほど。いきなり外部の人間を相手するよりも、まずは学内の身内で練習をするためか」
「ま、そういうことです」
思えば、そこで俺は気付くべきだったのだろう。
菅谷姿が清々しいほどの笑みを浮かべた理由を。
破天荒を裏返しにして、マッチで火を付けて爆発させるような彼女の思考を。
少しでも察するべきだったのだろう。
「……言っておきますけど、姿さん。絶対に1日目はダメですからね?」
「分かってるよ。行くなら2日目だろ? 大丈夫。清々しいほどに了承した」
釘を深々と差した俺は、若干の不安を抱えながらもこの日の会話を終えた。
だが、釘は所詮バールで簡単に引き抜かれる。
そして、俺の知る菅谷姿という人間は。
釘なんかで止められるような、清々しい存在ではないのである。
――文化祭初日。
秋晴れの晴天に恵まれ、風に乗って舞い散る木の葉が教室の窓を通り抜けて、はらりとリノリウムの廊下の床に落ちた。
我がクラスの出し物である《ボードゲームカフェ》は、定番と化した学祭の出し物の中では目新しさもあってか、予想以上の好評ぶりを見せた。
俺は午前中のシフトを終えて、教室の隅に暗幕で区切られた荷物置き場でカフェの制服から学校の制服へと着替えていると、クラスメイトの男子から声を掛けられた。
「おい、先輩がお前を呼んでるぞ」
「……先輩? 誰?」
「さあ。俺は見たことないけど。すっげー美人だよ。あと、胸がちょー大きい」
そう嫉ましそうな表情を浮かべた彼に人物像を説明されるが、いまいちピンと来なかった。
――美人で胸が大きい先輩?
三日間ほど会話をしなければ、クラスメイトの名前すら忘却してしまうほどに記憶力に圧倒的な自信がない俺でも、流石に美人かつ胸が大きい女性ともなれば、記憶の片隅に残っているはずだ。
だが、俺の記憶の中でフィルターを掛けてみたものの、ヒットする先輩の顔と名前は出てこない。
そもそもの話、学校内の人付き合いが悪い俺が、そんな美人の先輩と邂逅する機会なんてほぼ皆無だ。
ならばきっと人違いなのだろう。
そう思いながら、着替えを終えて暗幕から出て、その先輩が待っているとされる教室のドアへと足を運ぶ。
そこには、果たして俺の知っている人物がいた。
「やあ、少年。商売は好調のようだな?」
なるほど、確かに彼の言う通り、美人で胸の大きい女性だった。
聡明そうな顔立ちに大きな胸を支えるように腕を組む姿は、まるでどこぞのお嬢様のような気品さと気高さを感じさせる。
長い黒髪を後ろでまとめた先輩は、学校指定の制服を着ていた。
もちろん在校生ならば当たり前の格好ではあるが、その人物が着用するのは当たり前ではない。
――菅谷姿。不知火書店で働く、現在フリーターの女性。
年齢は、22歳。
11+11+歳。
6本の腕を持つ悪魔超人やグレートなティーチャーの金髪と同い年。
「……なんでここにいるんですか、姿さん」
「――《鶴の恩返し》に《浦島太郎》。ダメと言われると来たくなる。……やれやれ全く。好奇心というモノは厄介なものだな、少年」
「厄介なのはあなたですよ」
女子高生の制服を身にまとった姿さんは、不敵に笑う。
「さあ、少年。文化祭だ。私と一緒にデートをしよう」
違和感がないほどに制服が似合ってしまっているのが、逆に怖かった。
人気のない階段の踊り場まで連れ出された俺に、姿さんは開口一番に言った。
「少年の言いたいことは分かる。聞きたいことも分かる。だが、聞かない。聞きたくない」
子供だった。というか、ただのワガママだった。
「いや、もう、姿さんという特徴というか、特性を知っているので。もう別に部外者禁止の1日目に来たのは、特に追求しないです。お咎めも俺がするのは間違いですし」
「ほう。君にしては、清々しいほどに簡単に引いたな」
「ですが……」と俺は視線を姿さんの服装を下から上に移動させる。
「その制服、どこから入手したんですか?」
「ふむ。朝登校してくる女子生徒を一人捕まえて、身ぐるみを剥がして奪った」
「サイテーだこの人! っていうか、犯罪じゃないですか!」
通行人の生徒にバレないように、小声でツッコミを入れる。
すると姿さんは、ぐっと親指を立てて言った。
「大丈夫。お金は渡したから」
「何が大丈夫なの!? 何一つ大丈夫な要素が感じられないけども!?」
「落ち着けよ少年。冗談だ。姿さんジョークに決まっているだろう」
「ですよね。いや、まあ知ってますけど」
「お金じゃなくて、カードを渡した」
「冗談ってそっち!? って、クレジットカードでもダメでしょ!」
「いや、クレカじゃない。遊●王のブラマジガール、シークレットレアverだ」
「オモチャじゃないですか!」
「おいおい、バカにするなよ。シークレットレアだぞ。高いんだぞ、あれ」
「バカにしてるのは、カードの価値じゃなくて姿さんの頭の方です!」
「悪かった少年。全部嘘だ」
「でしょうけども!」
「この姿さんが女子高生の制服ごときに、ブラマジガールをあげるわけないだろ?」
「嘘ってそっち!?」
中々ホントのことを言わない姿さんは、「仕方ないなあ……」と言って、俺の手を取り、自分の胸に押しつけた。
「なっ!?」
「生地の材質が違うだろ? この制服は正規品ではなく、学校のパンフレットを見て、私が昨晩手製で作ったコピーだ」
パッと姿さんが俺の手を離す。柔らかかった。って、そうじゃなくて。
「ホント、才能の無駄使いですね。手芸も得意なんですか」
「うむ。まあ、昨日初めて裁縫針を持ったんだけどな」
「……」
ホントに、なんでこんな人が天才なんだろう。
いや、もしかしたら天才だからこんな性格なんだろうか。
卵が先か、ニワトリが先か。
「そんなことより少年。文化祭を回ろう」
髪をなびかせた姿さんが、踵を返して廊下を歩き出す。
「清々しいほどに満足したら帰ってやるから」
「……満足しなかったら?」
「明日も来る」
地獄だった。
今回は短い更新ですみません。
花粉症が辛すぎて……。




