番外編:妹とエイプリルフール
真っ赤な嘘も、重ねれば黒くなる。
――自分のために嘘を吐くのが子供で、他人のために嘘を吐くのが大人だ。
とは、さて誰の言葉だっただろうか。
何かの本の受け売りだったのか、はたまたドラマの登場人物のセリフだったのか。
もしくは俺の知る超然たるバイトの先輩の口癖だったか、それとも潜在意識の俺の独り言だったか。
まあ、どうでもいいか。
ふとそんなことを思い出したのは、きっと今日の日付をカレンダーで認めたことが原因だろう。
今日は4月1日。
つまりは、エイプリルフールである。
「……そっか。今日はエイプリルフールだったか」
姿さんからの朝迷惑の電話を切ってから、二度寝をしてからの起床。
中途半端な眠気を振り払うように、窓を開けて外の空気を吸う。
暖かい。春の陽気にまどろむように、三度寝もしかねない朗らかな天気だ。
「……せっかくだし、俺も誰かに嘘でも吐いてみるか」
何がせっかくなのかは分からないけれど、そう意気込んだ俺は、小さく欠伸を漏らして自室を出た。
春休み中で特に今日は外出する予定もバイトもない。
ならば嘘を吐ける相手は限られる。
……わざわざ電話をしてまで、嘘を吐くのは面倒だし。
清々しいほどの労力を掛けてまで無駄と無意味を好むバイト先の先輩や、アホに生きてアホに死ぬ親友ならやりかねないけど。
残念ながら、俺は彼女や彼ほどエイプリルフールというイベントに興味があるわけではない。
それでも、機会があればやる、行けたら行くくらいのスタンスが今の俺のモチベーションだった。
「とは言ったものの、嘘なんて他人に吐いてからこそ面白いもんだしなあ」
階段を降りて、リビングのドアを開ける。
すると……。
「……」
リビングにはすでに妹がテレビ前に座って据え置き機のゲームをしていた。
春休み中で部活が少ないせいか、家にいることが多い妹は、こうして朝からゲームをする光景は珍しくない。
「……」
テレビ画面を見ると、ゲーム内の主人公である勇者の青年が、魔物を剣で倒したり崖をよじ登ったりしていた。
「おはよう」
一応、声を掛けてみると、ポツリと呟くように「おはよ」と返って来た。
テレビ画面から壁の時計に視線を移すと、すでに時刻は10時を過ぎていた。
一説によると、エイプリルフールで嘘を吐いていいのは、午前中だけらしい。
午前中に吐いた嘘を、午後にネタ晴らしをするのがエイプリルフールの楽しみ方だ。
「……なあ」
俺は深く考えずに、妹を呼ぶ。
妹はこちらを振り返ることなく、「なに?」と返した。
「好きだ。俺と付き合ってくれ」
ゴンと妹の手からコントローラーが落ちた。
妹は何事もなかったかのように、コントローラーを拾い操作を再開する。
ゲーム画面の勇者が馬に乗り、草原を思い切り駆け巡る。
「……いいよ」
妹はこちらを振り返ることなく、まるで路傍の石に吐き捨てるように言った。
「付き合ってあげる。私も兄ちゃんのこと、大好きだし」
……。………ふむ、なるほど。そう来たか。
妹も今日がエイプリルフールだと知っていて、それでいてわざと乗って来たわけだ。
言うならば、これは《どっちが嘘の話にいつまで我慢できるか》の勝負というわけだ。
明らかな誰が聞いても嘘だと分かる内容を、素直にツッコミを入れるのは確かに恥ずかしいものな。
仕方ない、妹がそういう腹づもりならば。
このコントに少しだけ乗ってやろう。
「じゃあ、今日から俺達は兄妹でありながら、恋人というわけだな」
あえて認識を改めように言う。
うわ、やべえ。ちょっと鳥肌立った。
「……恋人」
妹はそのワードを呟くと、ゲームの電源を切って突然リビングから出て行った。
だがすぐに何かを持って戻ってきた。
「おまたせ」
妹は何やら一冊のノートを持っている。年季の入っているのか、少しだけボロボロだ。
「なんだそのノート?」
「もし兄ちゃんと恋人になったら、やりたいことをまとめたノート」
うげっ。
思わず表情に出そうになった引きつった筋肉をどうにか押さえる。
こいつ、こんな小道具まで用意してきやがった。
用意周到というのか、もしかしたら俺が嘘を仕掛けなくても、いずれはこいつからしてきたのかもしれない。
となると、何も準備をしていない俺が不利なわけだが……。
――負けるわけには、いかないっ。
「へ、へえ……? そうか。そんなノートがあったのか」
「うん。引いた?」
「引くわけないだろ。むしろよく作ってくれていたと感謝するくらいだ。そうだな。せっかくだし、何かそのノートに書かれていることでもやるか?」
「うん。じゃあ、まずは……私と手をつないで」
「……」
これは、まあ。まだ大丈夫か。
俺は妹の手を掴む。
「……兄ちゃんの手、おっきいね」
ぎゅっと妹が俺の手を握ってくる。
……背筋が少しだけ凍った。
「兄ちゃん、手汗凄いよ?」
「今日は暑いからな」
「ちょうどいいと思うけど」
「北海道育ちの俺にとっては暑いんだよ」
「いや、私達北海道で暮らしたことなんかないけど」
「実は俺の身体の半分は氷で出来てるんだよ」
「心の方が、でしょ?」
ナイス皮肉。って、そうじゃない。
このかの奴、俺からギブアップを引き出すために、かなり積極的に仕掛けてくるな。
ならばこちらも、攻めるしかない!
――肉を切らせて骨を断つ。
「このか、愛してるぞ」
俺は手を繋いだまま、このかを抱き寄せて空いた手のひらで彼女の頭を撫でる。
枝毛の一本もない綺麗な髪だ。撫でていて飽きない。
「……んっ」
まるで猫のように目を閉じて身体をこちらに寄せてくるこのか。
必死に耐えているようだ。そして俺も中々にメンタルがきつい。
これは猫だ、これは猫だ、これは猫だと脳内にすり込みをしながら、このかの頭を撫でる。
「……にぃに」
懐かしい呼び名を口にしたこのかが俺を見上げる。
少しだけ紅潮した頬にゆっくりと俺の手を近づけさせて、ぺろっと指を舐めた。
――危うくこのかに頭突きをしそうになった。
「……ん」
指を舐めた手を下げて、このかは静かに目を閉じた。
背筋に冷や汗が流れる。
何を俺に期待している? 何を俺に望んでいる? 何を俺にさせようとしている?
腕の中の少女の淡い桜色の唇は、まるで震えるように何かを待っている。
「……」
チラリと視線を少女から壁時計に移すと、すでに時刻は昼の12時を過ぎていた。
「あっ!」
俺が大きな声を出したせいか、このかは「?」と目を開けて俺の視線の先を追う。
「どうしたの?」
「午後になっちまった。勝負は引き分けだな」
抱きしめていたこのかから離れ、俺は頭を振る。
「……勝負?」
「ああ。ほら、エイプリルフールって午前中までだろ?」
壁のカレンダーを指さす。するとこのかは瞬きを2回して、「そうだったね」と視線を逸らして呟いた。
「残念。せっかく兄ちゃんの嘘に乗っかってあげたのに」
「お前も中々だったぞ。そんな小道具まで用意していたとはな」
「ああ……これね」
このかは慌てたようにノートを隠すように背中に回す。
「何でもないから。中身はただの古いノートだし」
「そりゃそうだろ」
……まあ、それなりに楽しめたか。
「さて、昼飯でも作るか。何食べたい?」
俺はキッチンに向かい、冷蔵庫を開きながら背後のこのかに尋ねる。
「何でもいいよ」
「分かった」
食材のピースをメニューの枠に当てはめながら、俺は「ところでこのかさんや」と背後を振り返らないまま口にする。
「――いつから、俺の嘘に気付いた?」
「……何言ってんの? 最初からに決まってるじゃん」
「そうか」
テレビの画面からゲームの起動音がする。中断していたゲームの続きをするらしい。
俺は冷蔵庫から取り出した野菜を水洗いしながら、小さく呟いた。
――嘘つき。
連続して番外編で申し訳ございません。
次回から本編再開でございます。




