番外編:妹とホワイトデー
言わなくてもいいよ。知ってるから。
ここで一つ残念なお知らせがある。
学生にとって、ホワイトデーというのは意外と忘れがちなものなのだ。
それは何もホワイトデーを軽視しているわけでも、思春期の男子が女子にお返しを送るのが恥ずかしいからというわけではない。
ただ、シンプルな答えとして……。
ホワイトデーである3月14日は、ほとんどの学生には。
――春休み中だからである。
「ねえ、兄ちゃん。今日は何の日?」
その日は友達と街で遊ぶ約束をしていたので、靴を履いて出かけようとしていた俺の背中に妹の声が投げられた。
靴ひもを結ぶ手を止めずに、俺は答える。
「さあ……。何かの記念日だったか?」
「……。何でもない。行ってらっしゃい」
淡々としたセリフを呟いたのが気にかかり背後を振り返るが、すでに妹の姿はなかった。
……何なんだ、あいつ?
「……行ってきまーす」
玄関を開けると、首元をかすめるような冷たい風が通り過ぎた。
「そういえば、今日ってホワイトデーだよな」
昼飯を食べて映画を見て、さて次に何をしようかと街を歩きながら考えていた俺の隣で、七神直人が唐突に話題を切り出した。
「ホワイトデー……」
小さく呟いて、妹のセリフを思い出す。
――『今日は何の日?』
なるほど、そういうことだったのか。
忘れていたというわけではない、覚えていなかったわけでもない。
ただ、春休みの怠惰に胡坐をかいて、気付かなかっただけである。
まあ、それを世間一般では《忘れている》というのだろうけど。
「言うて、春休み中だからな。覚えているる奴、もしくは実際にしている奴はカレカノがいる奴だけだろうな」
「まあ、所詮リア充のイベントだしな」
「そうだな。ほんっと、リア充なイベントだぜ」
そこで七神の言い方に少しだけ違和感を覚える。
なんだろう、こいつの今のセリフ。会話の流れに間違いはないのだけれど、どこか不自然だ。
自然すぎるゆえの不自然。
それはまるで公園の砂場にサボテンが埴生しているのを見つけたかのような違和感。
当たり前ではないことが、当たり前のように起きている認識のズレが生じる。
……。………。
俺は少しだけ考えて、隣の七神を見やる。
「全く、リア充だよな。バレンタインデーもホワイトデーも。やれやれだぜ」
「……」
上機嫌だ。この上なく。これ以上もないって程に。有頂天だ。
「……もしかして、七神。お前、ホワイトデーに送る相手がいるのか?」
半分冗談のように言った言葉に、七神の目が煌いた。七神の口元が針で吊られたように引きあがる。
「お? お? なんだなんだ、バレちまったか? あっはっは! 実はそうなんだよ、そうなんでありんすよ!」
俺の背中をバンバンと叩いてくる七神を尻目に、軽く舌打ちをする。
しまった。藪蛇を突き過ぎた。
「まあ、義理なんだけどな? ほら、俺ってサッカー部に入ってるだろ? 中学の時はマネージャーなんて上等なものはいなかったけど、なんと高校には女子マネージャーがいるのよ! それもすんごい可愛い子!」
「なるほど、その子から全部員がもらったと」
紛れもない、赤くも黒くもない、真っ白な健全な義理。
「そうなんだよ。でも、一応手作りだったんだぜ? 噂では本命がいるらしいんだけどな。まあ、そんなのどうでもいいよ。俺はチョコをもらった! その事実があれば俺はこの日を生きていける!」
「幸せな奴だな、七神は」
「おう、俺は幸せなんだよ!」
アホがアホっぽく無邪気に笑う。まあ、本人が喜んでいるしいいか。
その女子マネージャーの子も、義理でこれだけ喜んでくれれば本望だろう。
「そういうお前は貰わなかったのかよ? チョコ」
「そうだな……。机の中に宛名のないチョコが一つだけ入ってたかな」
見つけた瞬間、嫉妬に狂った隣の席の男子に奪われてその場で彼の胃の中に消えたけど。
「あっそ……それはヨカッタデスね―」
俺をジト目で睨みながら片言で言う七神。
「でも宛名がないってことは、返す相手も知らないってことだろ? どうすんの?」
「どうもしない。どうもできないしな」
「そりゃそうだけど……。ん、じゃあさ。俺、明日の部活にマネージャーにホワイトデーのお返しを渡したいから、今から何か買いに行きたいんだけど、付き合ってくれね?」
「……七神。お前、元々それが目的で俺を誘ったろ?」
「さあて、どうだったかなー? ひゅー」
吹けない口笛を吹くくらいなら、上手な嘘を吐け。
俺達はその足で駅前のデパートに向かった。
一階の食品コーナーでは、もちろんのことホワイデーフェアが開催されていた。
今日がホワイトデーの当日ということもあり、千秋楽を飾るフェアは華やかな雰囲気に包まれていた。
「さて、何を買うかな。チョコの値段の3倍のプレゼントがセオリーだよな」
ショーケース内のお菓子を眺めながら、七神が唸る。
「手作りで貰ったのなら、七神も手作りすれば?」
「……男の手作りお菓子なんか欲しいか? 義理チョコのお返しで?」
「すまん、要らねえな。重すぎるわ」
「だろ? なら、てっとり早く既製品が安定してんだよ。こういうのはな」
何気に詳しい七神の口調に、俺はふうんと頷く。
なるほど、こいつなりに色々と調べてきたのだろう。
アホでもインターネットが使えれば、人並みの知識を得られるしな。
全く便利な世の中になったものだ。
「お、これとかよくね? マカロン。女子に人気のやつなんだよな」
七神が足を止めて、展示品のマカロンを見つめる。
食べたことはないが、確かモナカみたいなやつだったと思う。
そう言えば、妹もたまに家で食べてたな。
七神が興味津々で見つめていたせいか、商売意欲の高い店員のお姉さんが話しかけてきた。
「お客様。お目が高いですね! こちら大人気の商品なんですよ! きっと彼女さんも喜ぶと思いますよ!」
「え、あ。いや、彼女ってわけじゃないんですけど……あははっ!」
挙動不審にテンパる七神。
何してんだかと呆れていると、ショーケースに張られたポスターの内容が視界に入る。
《あなたは知ってますか? ホワイトデーに送るプレゼントに込められた意味!》
「……なあ、七神。これこれ」
「あ、あははっ! ん? なんだよ……。……あー。マカロンってそういう意味なの? へえ……」
少しだけ落ち込んだ七神が、「すみません、おすすめのクッキーとかあります?」と店員さんに聞いた。
店員さんは笑顔を変えずに、「クッキーでしたら……」と別の商品の説明に入る。
七神は頷いて「じゃあ、それを1つ」と言って、チョコチップのクッキーを購入した。
さて、用事は終わったし、帰るかと踵を返そうとすると、店員のお姉さんが尋ねて来た。
「隣のお客様は何かお探しですか?」
ニコニコと小首を傾げて接客をしてくる店員さんから視線をショーケースの方へと逃れながら、
「あー、俺は大丈夫……」
と言いかけて、ある商品で目が止まった。
「……あの、すいません。これ1つ貰えますか?」
七神と夕方頃に別れて帰宅をすると、このかがリビングのソファにうつ伏せになってスマホを弄っていた。
俺に気付いているのか、それとも無視しているのか。
リビングに俺が入って来たことに無反応なこのかの頭にラッピングされた小さな袋を置いた。
「何?」
「プレゼント」
「はあ?」
頭を振って袋を落としたこのかが、不思議そうにそれを拾い上げる。
「今日ホワイトデーだろ」
「……知ってたの」
「当たり前だろ」
嘘だけどな。
「ふうん。開けてもいい?」
「好きにすれば」
俺はキッチンに飲み物を取りに向かう。
このかが包みを開けて中身を見たのか、「兄ちゃん」と俺を呼んだ。
「これはわざと?」
可愛らしいハート模様でデコレーションされた小瓶を掲げるこのか。
中にはマシュマロが数個入っていた。
「何のことだ?」
「……。ま、そんなことだろうと思ったけど」
唇を尖らせたこのかは、不満そうに蓋を開けてマシュマロを1つ口に入れる。
「あま……ん? 中に何か……」
口の中をもごもごするこのかが、ガリっと何かをかみ砕いた。
「……マシュマロの中にアメ?」
「面白いだろ、それ」
「……」
このかは無言でかみ砕いたアメを飲み込み、もう1つマシュマロを口に放り込む。
「……兄ちゃん、これもわざと?」
そう尋ねてきたこのかに、俺は「さあ」と口元を綻ばせて言う。
「どっちだろうな?」
更新時期がずれてますが、ホワイトデーです。




