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兄と妹は仲が悪い  作者: ナツメ
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第三十三話:妹とお泊まり会


夜の女子のテンションは通常時の3倍高い。

――《女3人寄ればかしましい》とは聞きなれた言葉だけれども。

その日ほど、この言葉の意味を、身に染みて感じる日はなかった。

「兄ちゃん。明日、私の友達が泊まりに来るから」

9月のシルバーウィークの連休を目前にしたある晩。

いつものように妹と2人でリビングで夕食を食べていると、不意に妹が白飯を口へ運ぶ箸を止めて言った。

俺にとっては1年前の今日の天気くらいにどうでも情報だったので、

「ふうん」

とだけ言って、興味なさげに返した。

……今思えば、激しい後悔である。

何故に俺はこの時、《妹の友達》というワードに、一切の興味を持たなかったのだろうと。

何故に俺はこの時、『自分には関係のない話』と割り切ってしまったのだろうと。

故に、きっとこれは罰なのだろう。

そう思うことにした。

――そう、思わざるを得なかった。


「お帰りなさい、兄先輩! ご飯にする? ケーキにする? それとも、わ・が・し?」


「悪い、間違えた」

バイト先から帰宅した俺を玄関で出迎えた久々野空子くくの くうこを見なかったことにして、踵を返す。

だが、一歩を踏み出した瞬間、久々野ちゃんの伸ばした手が俺の腰を掴み、俺の逃亡を阻む。

「いやいや間違えてませんよ、兄先輩! ここはあなたのお家で、私の尊敬するこのか先輩のお家であり、お二人の愛の巣でもありますよ!」

「愛の巣ではねえよ! つか、腰のベルトから手を離せ! 逃げられねえじゃねえか!」

「逃げてばかりじゃ何も始まりませんよ?」

「始まらせたくないから逃げたいんだよ!」

流石に大声を出しすぎたのか、奥のリビングからひょっこりと怪訝そうな顔が出てきた。

「何してるの、くーちゃん?」

「あ、キティ先輩! すみません、兄先輩がワガママを言い出してしまって……」

「誰がワガママだ。ちっ、分かった、分かった! 俺は逃げない! 押さない、走らない、喋らない! これでいいんだろ!?」

「何故か私のことを災害みたいに捉えていそうですけど、まあいいです」

パッと俺から離れた久々野ちゃんは、とてとてとリビングの方に向かう。

そしてくるりと一度振り返って、小首を傾げた。

「あ、ちなみに。逃げたら兄先輩の部屋がどうなるか、私、知りませんよ?」

にこりと笑う久々野ちゃん。

……どうやら今日の妹の友達のお泊まり会は、俺にとって前世の記憶以上にどうでもいい話、というわけではなさそうだ。

「――改めまして、お邪魔しますっ! 兄先輩、ようこそようこそ乙女の楽園へ!」

「失楽園の間違いじゃね?」

「は?」

「何でもありません」

リビングのテーブルに腰を落ち着かせた俺の目の前で、まるで軍隊の敬礼のようなポーズを取った久々野ちゃんがお辞儀する。

「そうか、友達ねえ。俺の認識している妹の友達のカテゴリーに、お前は含まれていなかったわ」

「ほほう。まあ、正確にはお友達ではないですからねえ。言うなれば、師弟関係とでも言いましょうか。私とこのか先輩の間にあるのは、友情ではなく絆ですからねえ」

実際、俺の中での久々野空子という少女は、妹の部活の後輩にして、喋るワンコ――つまりは《動物》のカテゴリーに含まれていたというのは、ここでは言わない方が良いだろう。

火にガソリンをぶちまけそうな話になりそうだし。

それはそうと、俺は久々野ちゃんの隣にいる見知った少女の方に視線を移す。

艶やかな黄金色の髪の毛、白く透き通った肌、小学生とも見間違えそうな幼い体躯。

加賀美・カトリーヌ・カグヤ。

妹の同級生……なるほど、確かにこちらは友達というカテゴリーには含まれていた。

「……?」

とはいえ、この組み合わせは意外だ。

いや、意外ではないのか。

妹の後輩と妹の同級生。同じ学校で共通の知人がいるのであれば、彼女らが見知っていても何も不思議ではない。

この二人が一緒にいるのを見たのが俺が初めてというだけで、彼女らにとっては通常運転、二人三脚の当たり前の光景なのかもしれない。

そんなことをぼんやりと考えていると、どたどたと二階の階段を降りる音が聞こえたと思えば、リビングのドアから妹が現れた。

「ごめんね、カグヤ、空子。中々人数分のエプロンがなくて……って、兄ちゃん、帰ってたんだ」

片腕にエプロンを提げた妹が、俺を認めるなり目を眇める。

「帰ってちゃ悪かったか。そうか、なら俺は出て行くよ」

俺は椅子から腰を上げて、リビングから出て行こうとすると、またしても久々野ちゃんに腰をホールドされる。

「いえ、ダメです! ここは兄先輩のお家で、このか先輩との愛の巣、つまりお二人が過ごす愛の生活――ラブライブなんですから!」

――ピシリと何か氷の膜にヒビが入るような音がした。

それはきっと、気のせいだったのだろう。

だが、確かに聞こえた。俺の耳には、妹の耳にはしっかりと。

聞こえていないのは、この喋るスピーカーだけだ。


「……もうこいつを追い出せばいいんじゃね?」

「うん、そうだね兄ちゃん。私もちょうどそう思った」


「へ? 何ですか、何ですか!? 何でそんなヘビに睨まれたカエルに踏まれたミミズみたいに、私を扱うんですか!?」

いや、意味わかんねえよ。

珍しく兄妹の意見が合致し、久々野ちゃんを鋭い目で追い詰めていると、加賀美ちゃんが俺の胸をぼすっと押してきた。

「くーちゃん虐めちゃダメ!」

「加賀美ちゃん?」

むーっとフグのように頬を膨らませた加賀美ちゃんは、自分の後ろに久々野ちゃんを庇う。

だが、年齢的には加賀美ちゃんの方が上ではあるものの、小柄な加賀美ちゃんが久々野ちゃんの割り入ったとしても、まるで二人羽織のようなものでちっとも迫力が出ない。

それでも必死に後輩を護ろうとする姿に、俺も肩をすくめて頭を冷やそうとした瞬間、すっと加賀美ちゃんが息を吸って、言った。


「くーちゃん虐めていいのは、カグヤだけなんだから!」


最早、言うまでもなく。

二度目のピシリである。

「キティ先輩! そうです、私を虐めていいのは、キティ先輩だけですぅうう!」

「くーちゃん! 虐めてあげるよ! カグヤがたっぷりとカグヤがいないとダメな身体にしてあげるぅ!」

「キティせんぱーい!」

「くーちゃーん!」

まるで十年ぶりの再開を果たしたかのように、親密に、密接に、密着に抱きしめ合った二人の世界が構築されていた。

どうしていいのか分からない俺は、背後を振り返り、妹の表情を窺う。

「……また始まった」

溜め息を漏らした妹は、呆れた様子でスタスタとキッチンに向かう。

どうやらこれはソフトクリームの形をした雲を見つけるくらいに、珍しくも何ともない光景らしい。

だが、ある意味で千載一遇だろう。

俺は二人の世界を邪魔しないように、そーっとリビングから抜け出して自室に足を向けた。




あれから何事もなく、二時間が過ぎた。

いや、正確には一階のキッチンらしき場所から、猛獣の鳴き声にも似た轟音と、女子中学生三人組みの楽しそうな悲鳴と、お互いを激励するような歓声が、自室の床越しに届いてきたので、きっと何事なかったわけではないのだろう。

後でキッチンを見るのが怖い。

女子三人の料理。本来ならファンシーで綺麗なものを想像してしまうが、何故だろう。あの三人からは阿鼻叫喚の光景しかイメージが出来ない。

「……まあ、俺には関係ない、か」

味見して! と呼び出されないだけマシだろう。

と、そこで腹が小さく鳴った。

「……そういや、まだ俺も夕飯はまだだったな」

コンビニでも行くかとベッドで横になって読んでいた本を枕元に置いて、財布を持ち自室を出た。

すると、階段を上ってくる三人組みと鉢合わせる。

「あ、兄ちゃん。どっか行くの?」

先頭を歩いていた妹が、俺に気付き声を掛ける。

「ああ、コンビニにな」

「ふうん。じゃ、ついでに三人分アイス買って来て」

「俺とお前と、加賀美ちゃんの分か?」

「うん、それでお願い」

「よくないですよ!? 久々野空子のアイスがないですよ!? また私を虐めるんですか!?」

「空子はカグヤのと半分こすればいいじゃない」

「なるほどっ! それは盲点でした! キティ先輩、アイスだけに愛の施しを私にください!」

「うん、いいよー。くーちゃん、一緒にアイス食べよーね?」

「はいっ!」

それでいいのかよ。まあ、良いならいいけどさ。

話も終わり、俺はすれ違って階段を降り始める。すると、頭上から「あ、ねえ兄ちゃん」と声が落ちてきた。

「私の部屋に入らないでよね」

「入らねえよ」

「うん。あと、キッチンごめんね」

ん?

「兄先輩、すみません!」

「このかのお兄さん、ごめんねー」

続けざまに二人の謝罪が降りてきて、俺は何のことだと振り返ったが、そこにはもう三人の姿はなかった。

……。………。

「母さん、ごめん」

俺は、見なかったことにします。




コンビニから帰宅し、キッチンの地獄をなるべく視界に入れないようにしながら、買って来たアイスを冷凍庫に入れる。

ちなみに数は一応四人分買ってきた。

「さて、弁当食うか……と、その前に。トイレ行こ」

流石に九月になり、もうすでに秋の夜だけあって肌寒い外に、薄着で出かけたせいか身体が少し冷えてしまったようだ。

リビングを出て、向かい側のトイレに入る。

我が家のトイレは普通の洋式便器が一つ、小さな個室に収まっているシンプルなタイプである。

最近になってウチの父親の手腕により、フタが自動で開閉し、さらには水も自動で流してくれる機能が追加された。

その機能を入れた理由を聞けば、『面倒くさい』からだというのだから、大人はズルイ生き物だ。

とはいえ、俺はいまだに自動で開閉するフタに慣れないので、一泊を置いてからズボンを下ろして腰を落ち着かせる。

一息吐きながら、ドアに付いた回すタイプの鍵を摘まんでゆっくりと回すと――。

ポロリと、小さなネジが落ちてきた。

「ん? このネジって……あっ」

ドアノブの上を見ると、鍵を止めるネジが外れていた。

「おい、マジか?」

蜘蛛の糸にすがる思いで、つまみを回すとくるりと面白いほどに一周した。

……鍵が、壊れた。

「いや、待て待て。ただネジが取れただけだろ。後でちゃんと接合すればいいだけの話だ」

ひとまずの最優先タスクは、便意を静めること。

だが、不思議と何も出ない。予想外の出来事が起きたせいか、身体が逆反応をしているようだ。

「……」

息を殺すように集中していると、ドア越しに足音が聞こえた。

そして、その足音は……あろうことか、目の前で止まった。

ガチャリと、ノブが回される――あ、待ってちょ、ま――。


「――あ」

「――あ」


声が、重なる。

ドアノブに手を伸ばす俺を、静かに見下ろした久々野空子は、ゆっくりと二回瞬きをした。

三度目のピシリという音がした。

だが、この音は氷の膜が割れた音でも、静寂を諦めたような音でもなく――。


俺の人生が終わった音だった。

「ねえ、このか先輩。兄先輩の部屋に入っても良いですか?」

「ダメ」

「あ、このか。カグヤも男の子の部屋、一度入ってみたーい!」

「ダメ」

「えー。いいじゃないですか、今コンビニに行ってる隙に! 大丈夫、何もしません! 先っちょだけだから!」

「ダメ」

「じゃ、このかも一緒にはいろー?」

「……。………ダメ」

「今、悩みましたね」

「悩んだね」

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