第四話:妹と進路希望
進路希望、それは思春期の少年少女にとっては一度は通る悩みの種。
中学三年生となれば、悩みの一つや二つくらい出来るものだ。
恋の悩み、友情の悩み、部活の悩み、勉強の悩み。
思春期の学生というものは、それこそ悩みが尽きないものだ。
その中でも、中学三年生になってまず誰もが頭を抱えるものがある。
――進路である。
ある7月の土曜日。
その日は昼頃に起きて、遅めの朝食を取ってから今日が欲しい小説の発売日であることを
思い出して、いそいそと寝巻きであるジャージを着替えて本屋に向かった。
目当ての小説を見つけ、早く読みたい気持ちを抑えながら帰宅すると、
リビングのソファーに座り、なにやら一枚のプリントを睨み付けている妹を見つけた。
宿題でもしているのかと思い、まあそんなことはどうでもよく、
見て見ぬフリをしてリビングを抜けて読書のお供にと、コーヒーとスナック菓子を取りるために
キッチンに向かおうとして
「ねえ、兄ちゃん。ちょっといい?」と妹に呼び止められてしまった。
「あ? 何?」
「兄ちゃんって、将来の夢とかある?」
やぶから棒な質問に、俺はドンと胸を叩いて答える。
「夢? そりゃあるよ。あるに決まってんだろ? 男って生き物は夢に生きて、夢を抱いて死んでいくもんだからな」
天井を見上げて俺は答える。
「ふうん。で、兄ちゃんの夢は?」
「夢とはすなわち、ドリーム! 果てなき夢への探究心! 人間は一生夢を追いかけて生きていくんだ!」
両腕で身体を抱きしめるように答える。
「うん。で、兄ちゃんの追いかけてる夢は?」
「《人》の《夢》と書いて《儚い》と書くが、そんなのは関係ない! 夢は眩しく、素晴らしいものだと俺は思うんだ!」
顔を手のひらで隠して俺は答える。
「はあ……」と呆れたこのかの溜め息が聞こえる。
「お前、夢ないだろ」
「……ごめんなさい。ないです、夢」
がっくしと肩を落として謝る。
「……で? 急に俺の夢とか何の話だ? ……って、ああ。進路希望調査書いてるのか」
冷蔵庫からボトル缶のコーヒーを取り出し、妹の睨み付けていた紙の正体を認める。
「そ。休み明けに提出だってさ」
「へえ……。なんだ、柄にもなく悩んでるのか?」
からかうように言うと、このかはむっと唇を尖らせる。
「別に。私はあんたと違って、勉強も部活も何でも出来るし? むしろできすぎるから、選択肢多すぎて悩みまくりんぐなわけだし。
兄ちゃんは無能だから夢はないんだろうけど、私には夢ありまくりだし。ありすぎて吐いて捨てるほどだし!」
確かに。このかの詳しい学力は知らないが、母さんからもテストの点数はかなり良いと聞いたことがある。
それに部活のテニスの成績もかなり良いらしい。これも母さんからの情報だけどな。
「そういう割には、進路希望の欄は白紙だけどな」
「うっ。こ、これから書こうと思ってたんだもん」
さいですか。
まあ、妹の将来の夢なんかどうでもいい。
どうせ女家族は家から出るのがほとんどだしな。
「……あの、さ」と妹が顔を上げて、視線を逸らしながら言う。
「これは別に参考とか、そういうんじゃなくて。ただの質問、うん、ただの雑談のテーマなわけで。
大したことじゃないんだけど、兄ちゃんは中三の時の進路希望はなんて書いたの?」
「俺か? んー、そうだな……。明確には覚えてないけど」
「うんうん」
「第一希望は《進学》って書いたな。中学出てやりたいこともなかったし」
「ふむふむ。《進学》ね……」
このかが第一希望に《進学》と書く。
「……。第二希望は……そうだな。中学の時は陸上部だったからな。陸上選手って書いたな」
「ふむふむ。部活関係か……」
このかが第二希望に《プロテニスプレイヤー》と書く。
「………。第三希望は……何だっけかな」
「ほら、早く思い出してよ」
「……そうだ、思い出した。お兄ちゃんのお嫁さんだ。俺、お兄ちゃん大好きだったからな」
「ふむふむ。お兄ちゃんのお嫁さんね」
このかが第三希望に《お兄ちゃんのお嫁さん》と書――こうとして、ぴたりとシャーペンが止まった。
「――って、何を書かそうとしてるのよ、バカ兄貴が!」
テーブルをドンと手で叩くこのか。
「そもそも《お兄ちゃんのお嫁さん》って何! あんたの上に兄なんていないでしょ!」
「そこに突っ込むのか。っていうか、お前が俺の言った通りに進路希望を書くのが悪いんだぞ。
人に相談するのはいいが、まずは自分で考えてから書くのが大事であって――」
「うるさーい! もうどっか行けよ! バカ兄貴!」
ソファーの上のクッションを投げられ、俺は逃げるようにリビングから出て行った。
「からかい過ぎたか……。まあ、いっか。それより小説読もう。前回の続きからずっと待ってたんだよな……」
自室に向かった俺は、ベッドに寝転がりながら、買って来た小説を読みながらコーヒーを飲む。
しばらく本の世界に意識を埋没していると、ふと一つ忘れ物をしたことに気付いた。
「……あ。スナック菓子忘れた」
妹に話しかけられ、コーヒーの相棒を忘れていた。
映画にはコーラとポップコーン、読書にはコーヒーとスナック菓子が鉄板の俺としたことが。
小説に栞を挟み、自室を出てキッチンに向かう。
あれだけ怒鳴られた後だ、もし妹がリビングにいたままだと気まずいなと思いつつ、おそるおそる顔を覗かせるが、
妹の姿はなくテーブルに裏返しになった進路希望調査の紙が置いてあるだけだった。
「……トイレにでも行ったのかな」
俺はリビングをスルーしてキッチンに向かおうとして、だがテーブルの上の紙が気になって足が動かなかった。
「そうだ……」
悪戯心が芽生えた俺は、第一希望に《お兄ちゃんのお嫁さん》とでも書いてやろうと、
くくっと笑いながら進路希望調査の紙に手を伸ばした。
裏返しになっていた紙をめくり、希望調査の欄に書かれた内容に目を通す。
「……」
俺は無言で第一希望の欄に書かれていた《内容》を消しゴムで消して、代わりに《進学》と書いておいた。
その後は何事もなかったように希望調査の紙を裏返してテーブルに戻して、俺はスナック菓子を取ってリビングを出て、
ぽつりと呟いた。
「《人》の《夢》は《儚い》ってな」