第三十一話:妹とパーティゲーム
勝つ時は適当にやっても勝つものだが、
負ける時はどうやっても負けるものだ。
《ドッグ&チョコレート》は、いわゆる発想型カードゲームだ。
カードの種類は大きく2種類存在する。
1つは《アイテムカード》。
これには、《携帯電話》や《小説》などのモノ、あるいは《ネコ》のような動物のイラストが描かれている。
そしてもう1つは《イベントカード》。
こちらには、例えば『寝癖がひどい』などのハプニング内容が書かれている。
プレイヤーは、ゲーム開始時に《アイテム》カードを3枚所持し、自分の手番の《イベントカード》に沿ったお題に対して、手持ちの《アイテム》を使って解決案を提示し、他のプレイヤーがそれをジャッジする。
そして見事、他のプレイヤーが『乗り切れた!』と判断すれば、その《イベントカード》をポイントとして手持ちに加えることが出来る。
最終的に《イベントカード》をたくさん持っていたプレイヤーの勝利となる。
だが、一見シンプルに見えるこのゲーム。
実は《イベントカード》にはその手番で使用すべき《アイテム》カードの枚数も指定される。
それは1枚だったり、2枚だったり、もしくは3枚全部を使用しなければならない場合もある。
勝負の鍵は、お題とアイテムを引く運命力。そして脳細胞が焼け付くほどの発想力。
「これは、新時代の最先端を行く、超アドリブスーパーカードゲームなのだ!」
「……菅谷さん? 先ほどからなにをブツブツと独り言を言ってるんでござろうか?」
不知火書店のレジカウンターで突然立ち上がった私に、同僚である袴姿の剣道少女が不思議そうに尋ねる。
まだ働き始めて数ヶ月程度の新人の子猫ちゃんに、私は清々しく答える。
「いや、何でもないよサムライちゃん。姿さんは、時々興奮して独り言を言いながらスクワットをする癖があるというだけだよ」
「それはそれでかなり大変な……いや、変態でござると思いますが」
「ふむ。といいつつ、これは趣味なので今更変えられることは出来ないので、清々しく諦めてくれ。だがしかし――」
私は言葉を切って、商品の陳列整理をしているサムライ少女を眇める。
「……華の女子高生でありながら。小柄で凜々しくありながら。大和撫子のような外見をしながら。……袴の上にエプロンを身につけて働いている君にだけは、言われたくないセリフだな」
「袴は拙者にとって正装なのです……でござる。なので、これをコスプレと見られるのは遺憾でござるよ」
「その心持ちは清々しいんだけどね……。全く、今日ばかりは少年のツッコミが寂しいところだよ」
「そんなことより、菅谷さん。仕事してくださいよ……でござる」
「仕事より、ゲームをしようよサムライちゃん。ここに《ドッグ&チョコレート》っていう発想を鍛えるゲームがあってね」
「ゲームより仕事をするでござる」
ノリの悪い、真面目なサムライコスプレJKだ。仕事より大切なものがあるというのに。
首を振って、私は溜め息を吐く。
……さてさて。
今頃、少年は何をしているんだろうか。
私は小さく欠伸を漏らして、入り口の自動ドア越しに秋晴れの茜色の空を眺めた。
――そんな会話があったことを露知らず。
俺と妹は互いに3枚の《アイテム》カードを持って見つめ合っていた。
思い返せば、思い辿れば、思い馳せれば。
久しく妹とこういう顔を付き合わせてゲームをする機会というのはなかったのかもしれない。
テレビゲームならば、何度か最近遊んだことはあったけれども、視線の先はテレビモニターに釘付けになり、一緒にプレイをしていても少しだけ距離が感じられていた。
距離とはすなわち関係性。
他人の距離。親しい人の距離。家族の距離。兄妹の距離。そして――気になる距離。
子供の頃にやったババ抜きのドキドキ感と、今目の前の妹の顔を見て遊ぶこの気持ちは、果たして同じ感情なのだろうか。
分からない。分かりたくもないし、分からない方がいいのかもしれない。
そんな感情を押し殺し、俺はゲームの説明をする妹の声に耳を傾けた。
「――本来ならね。このゲームは3人以上を推奨するゲームなの。だって回答を判断するのは複数人いないと意味がないじゃない?」
確かに、この手のゲームはパーティゲームであって対戦ゲームではない。
ババ抜きも2人でやったとしても、結局は2枚の手札のどちらかがジョーカーかを当てる推理ゲームになってしまう。
「だからね。変則的に《イベント》カードを捲って、それにいち早く答えた人が1ポイント取得できるルールにしない? あ、もちろんおかしな回答をした場合はダメね」
「あくまでも、一般的な判断に準じてってことだろ? 任せろ、普通に普遍に一般的な健全にして、何の取り柄もない通常の男子高校生たる俺ならきっと大丈夫だ」
「そういう言い回しをする時点で、十二分にアブノーマルだけど。ま、いいか。兄ちゃんが変なのは普通だし」
変なのが普通。おかしいことは普通。常識ほど矛盾しているものはない。
そう考えれば、妹も二十分にも変なのだろう。
「じゃ、始めるよ。――《デュエル》!」
「いや、そういう掛け声で合ってるのか?」
中々ノリの良い妹だった。
【ターン1】
イベント:【苦手な相手から遊びに誘われた】
使用手札:2枚
「むっ」
最初から手札2枚を使わなければならないのか。
俺は手元のカードを改めて見る。
《メガネ》《携帯電話》《消化器》
……どれも使いづらいカードだった。
「兄ちゃんは初心者だから先手を譲ってあげるよ」
カードで口元を隠し、経験者特有の余裕っぷりを見せる妹。
クソ、舐めやがって……。
俺は少しだけ考えて、《メガネ》と《携帯電話》をテーブルに出した。
「――回答。苦手な相手から《携帯電話》のメールで誘われたけど、《メガネ》が壊れて何も見えないからと言って断った!」
さて、判断は……?
「……うん、いいと思う。中々だね」
妹は静かに拍手をして賞賛を送る。だが、余裕の表情は崩さない。
「流石兄ちゃん。もうゲームのルールの把握は大丈夫そうね」
「……」
もしかすると、こいつ。いや、まさかな……?
俺はお題となった《イベント》カードを手元に移し、消費した《アイテム》カードを2枚、山札から補充する。
これは常に《アイテム》カードは3枚持っていなくてはならない。
「じゃ、ここまでがチュートリアル。次は私も本気で行くよ」
「ああ、かかってこい」
【ターン2】
イベント:【バスジャック犯にバスが乗っ取られた】
使用手札:1枚
……これは簡単だな。
俺の手札には、先ほど使わなかった《消化器》に加えて新しく補充した《ガムテープ》と《望遠鏡》がある。
おそらく、このゲームは後々を考えながら、あえて使いづらいカードを捨てたりしてゲームを進行させるのが戦略だったりするのだろう。
だが、今のこの好機は逃したくない!
俺は《消化器》のカードを引いて、『犯人にたまたま持っていた《消化器》を噴射して威嚇し、取り押さえた』と答えようとして……。
その前に妹がすでに《ドライヤー》のアイテムカードを取り出して、「兄ちゃん遅いよ!」と叫ぶ。
「――回答! 私はこの《ドライヤー》を使って犯人を異次元空間に吹っ飛ばした!」
「どんなドライヤーだよ!」
斜め上過ぎる異次元回答が飛び出してきた。
「はい、私の勝ち-。1ポイントゲットー」
「待て待て。今のはダメだろ」
《イベント》カードを手元に移動させようとした妹の手を制止する。
「俺の知っているドライヤーに、異次元空間へ転送させる機能はない」
「それは兄ちゃんの知っている常識でしょ。私の知っているドライヤーには、異次元空間転送機能が付いているの」
「ウチのドライヤーにもか?」
「ウチのドライヤーにも」
「ほう。じゃあやってみせろ。今すぐ」
「残念、異次元空間転送機能は、ドライヤーにつき1回しか使えないの。で、昨日、洗面所の排水溝に溜まっていたゴミを捨てるために使っちゃった」
「クソくだらねえことに使ってんじゃねえよ! っていうか、冷静的に一般的に考えてダメ。アウト」
「……ちっ」
苦々しく手に取っていた《イベント》カードを離す。
どうやら妹も今の回答は無理があったことを承知だったのだろう。
当たり前だけど。
俺は代わりに、先ほど考えていた回答をして、無事に連続ポイントを取得する。
「……お前さ」
「なに?」
「……いや、なんでもない」
……違和感は無視して続けよう。
【ターン3】
イベント:【声を掛けられたが、誰だか思い出せない】
使用手札:3枚
今回は3枚か。厄介だな。
手札には、補充して新たに《卒業アルバム》が追加されている。
だが、手札の相性が悪すぎて回答が導き出せない。
……卒業アルバムで見た記憶のある人物。望遠鏡……天文部で知り合った。ガムテープ……ガムテープ? これどうやって使えば良いんだ?
手元のカードを睨み付けながら考えていると、正面の妹が「兄ちゃん、汚名を返上するよ!」と言って、3枚のカードを場に出した。
出したカードは……《ヴァイオリン》《石けん》《薬》だ。
「――回答! まず《薬》を飲ませて意識を奪いそこから逃亡! その後は《ヴァイオリン》の演奏をCDで聞きながら、優雅にお風呂に入って《石けん》で身体を洗いながら現実逃避をする! どう!?」
「最低だなお前!」
というか、逃げてばかりだった。
「兄ちゃん兄ちゃん。ツッコミをするのがこのゲームの趣旨じゃないよ」
「いや、分かってるんだけど。想像したら最低な奴だなと思ってな」
「これは解決できたかどうかの問題だよ。反論があるなら、兄ちゃんが答えればいいじゃない。私より納得できる回答したら、兄ちゃんの勝ちでいいよ」
「……分かった」
俺は悩みながらもカードを出して回答をした。
「回答。まず話しかけた人を《ガムテープ》で拘束し、そいつの家に監禁する。その後、《望遠鏡》で離れた所から監視しながら、そいつの家で入手した《卒業アルバム》を捲りながら記憶を辿る」
「兄ちゃんの方が最低でしょ!」
「……あれ?」
どっちも最低な回答だった。
「これはもう、私の勝ちだね。うん、勝ち。私の勝ちー」
そう言って妹は《イベント》カードを手元に移動させる。
……いや、薄々分かっていたことだけど。
「なあ、このか」
「なに、兄ちゃん? まだ文句あるの?」
「いや、そういうわけじゃないけど。お前、このゲーム……すげー、苦手だろ」
ぴしゃりと。
まるで効果音が聞こえてきそうなほどに。
妹の表情が固まる。
そして、視線を俺から少し外して口笛を吹く。
「……そんなわけ。ないじゃん。ひゅーひゅー」
「……そうか。じゃあ、次、やるか」
「ひゅーひゅー」
……ここから先は、正直言って泥試合だった。
【ターン4】
イベント:【デートの前なのに餃子を食べてしまった】
使用手札:2枚
妹の使用カード:《ラーメン》《ワイン》
「――回答! 餃子の後に《ラーメン》を食べて、さらに《ワイン》を飲んで全てを忘れた!」
「忘れるなよ、匂いがよりきつくなっただけじゃねえか」
【ターン5】
イベント:【宇宙人があらわれた】
使用手札:1枚
妹の使用カード:《お母さん》
「――回答! 宇宙人が現れたので、《お母さん》を呼んで倒してもらった!」
「お母さん強え! 何もんだよ、お母さん!」
【ターン6】
イベント:【会社が倒産しそうだ】
使用手札:3枚
妹の使用カード:《サッカーボール》《剣玉》《タカ》
「――回答! オモチャメーカーの会社が倒産しそうなので、新しく異次元転送が出来る《サッカーボール》と《剣玉》を発売して大ヒットさせた!」
「お前、なんでもかんでも異次元転送できると思うなよ! っていうか、《タカ》を忘れてるぞ」
「あ。……実は、異次元転送の成分は《タカ》から取れるのでした!」
「そんな成分、《タカ》にねえよ!」
……後半は、全てに異次元転送の機能が付いて乗り切ろうとするこのかの発言に、ツッコミを入れるゲームとなっていた。
「いや、お前。もう認めろよ」
「……認めないもん」
現在、俺が8ポイント。対して妹は――1ポイント。
どうあがいてもこのかの勝利は絶望だし、希望はことごとく薄い。
よっぽど悔しいのか、このかは顔を俯かせて前髪で表情を隠してしまった。
「……負けず嫌いは変わらねえな」
思えば、このかは昔からゲームは苦手だった。
テレビゲームだけでなく、ババ抜きのようなシンプルな遊びでも。
強いて言うならば、運動神経は良かったので鬼ごっこは得意だったかもしれない。
それでも、俺と妹の年齢と性別の差で、俺が負けた記憶は一度もなかった。
「……昔さ。兄ちゃんが言ったんだよ」
不意にこのかが呟く。
その声は、まるで泣いているように聞こえた。
「――『このかと遊んでも、ゲームが下手でつまらない』って」
「……そんなこと、言ったか?」
「言ったよ。私、覚えてるもん」
「そうか」
何気ない子供のセリフだろう。幼い子供は邪気がない分、容赦がない。
だが、向けられた言葉に強い印象と記憶を残すのも、また子供だからこそだ。
きっと俺は言ったのだろう。まだ幼いこのかに、心ない一言を。
「……それがね。すごく怖かった。弱いから、下手だから。もう遊んでくれないんじゃないかって」
「……でも、今でも遊んでるだろ。テレビゲームとか」
「うん。でも。ボードゲームみたいな、顔を付き合わせて遊ぶゲームは、それっきりなんだよ」
――思えば、最後に妹と一緒に遊んだパーティゲームはいつだったか。
俺は覚えていない。このかは忘れていない。
「……はあ」
溜め息を吐いて、手元のカードをテーブルに置いた。
「疲れた。久しぶりに頭を使ったしな。もう、お前の勝ちでいいよ」
たまには、勝たせてやろう。
たまには、負けてやろう。
そういうのも、そういうことも、兄貴の役目だったりするのだろう。
俺はカードを片付け始める。
元々、文化祭の出し物でボードゲームカフェはどうだろうって話だったはずだ。
2人で十分に白熱出来た。それが分かっただけで大収穫だ。
明日、クラスの奴らに提案してみよう。
黄色い箱にカードを収めていると、正面のこのかが小さくニヤリと笑って言った。
「え、いいの? じゃあ、兄ちゃん。負けたんだからお願い事1つ聞いてね」
あっけらかんとしたその喜色満面の表情に、俺は「は?」とうっかりカードを床に落としてしまう。
「だって最初に言ったじゃん。負けた人は勝った人のお願いを聞くって」
「いや、それは……。あ、つか、お前、泣いて――」
「泣くわけないじゃん。ただのゲームなんだから。べぇー」
小さな舌を出して、小悪魔のように笑う。
こいつ……。
だが、仕方ない。負けを認めてしまったのは俺の方だ。
「分かったよ。何のお願いを聞けばいいんだ? 金か? 服か? この世界の半分か?」
「んー。それもいいんだけど……。ねえ、兄ちゃん。兄ちゃんの高校の文化祭って来月だっけ?」
「ああ、そうだけど……」
「じゃ、その時でいいから。デートして」
「ん。……ん?」
その瞬間だけ、意識が異次元に転送されたのかと思った。
※作中の《ドッグ&チョコレート》改め、《キャット&チョコレート》は実在するゲームです。
面白いので、是非とも遊んでみてください。




