番外編:久々野空子のバレンタイン
戦闘力を数値化できるのが、スカウタ―であり。
モテ度を数値化されるのが、バレンタインである。
思い返せば、この日だったのだと思う。
私――久々野空子が、このか先輩に対して。
本当の意味で信頼に足る人物になり、憧れや尊敬が共感へと移り変わったのは。
おそらく、これがきっかけだったのだろう。
明日は2月14日――つまりはバレンタインの前日。
その日、私は部活終わりにこのか先輩に話しかけられた。
「ねえ、空子。この後買い物に付き合ってくれる?」
「もちのろんです! このか先輩が行けと言うならば! この久々野空子、喩え火の中水の中スカートの中、あるいは最中片手に田舎にカナカナひぐらし探してどこまでも!」
「うん、後半よく意味が分からないけど、ありがとっ」
やった、このか先輩に誘ってもらっちゃった。
まだ一年生にも関わらず、初めての夏の大会で好成績を残した私は、未だに一部の上級生の先輩達から好感度が低い。
にも関わらず、このか先輩は私にすごく優しくしてくれる。
それだけが理由ではないけど、私はこのか先輩を尊敬している。
その先輩に放課後のお誘いがあるなんて、今日はなんてい良い日なんだろう!
「それでこのか先輩。どこに買い物に行きましょうか? スポーツショップですか?」
「あ、ううん。えっと、駅前のスーパーに寄りたいの。いい?」
「スーパー、ですか……? ええ、もちろんいいですよ!」
てっきり部活に必要なモノだと思っていたが、アテが外れてしまったようだ。
それにしても、スーパーなんてこのか先輩は何を買いたいのだろう?
それから私とこのか先輩は徒歩で駅前のスーパーまでやってきた。
店内に入るやいなや、入り口に並べられた華やかなラッピングで包まれたお菓子の棚が目に入った。
「あ、そういえば明日はバレンタインデーでしたね。そっか、買い物ってこれのことですね」
「うん、まあね」
このか先輩はチラリとだけ特選コーナーのチョコの棚を一瞥して、スタスタと通り過ぎてしまう。
私はてっきりこの中から選ぶのだと思ったけど、どうやら違うようだった。
このか先輩に付いていくと、そこはお菓子作りのコーナーだった。
「ほほう。手作りですかー。そうですねー、せっかくなので私も手作っちゃいましょうかねー。中学生のお小遣いには厳しいですが!」
あまり凝ったものでなければ、チョコ自体は500円くらいで作れるし、ラッピングは100均で買えばかなりお財布に優しい。
それならば既製品を買うのも悪くはないけれど、そこはほら、女の子ですし?
手作りに大事なのは、愛情の調味料を入れられることですよね。
「……ねえ、空子」
と、そこで真面目な顔をしたこのか先輩が私を見て言った。
「空子は、お菓子作りとか得意?」
「得意かどうかは知りませんけど。レシピと材料があれば、大体のものは作れますよ? 私、基本的に苦手なモノは男性以外ありませんから」
「そっか。空子は男の子、苦手なんだっけ?」
「全員が全員ではありませんけどね」
「ふうん……なら、さ。空子、ちょっと私にお菓子作り、教えてくれない?」
まるで親にお菓子をねだる子供のような目で、このか先輩は私に頼んできた。
「いいですけど……。このか先輩、料理苦手なんですか?」
「う、うん……みたい。私自身はわかんないんだけど」
まあ、料理なんて味の好みによって得意不得意分かれるし。
そんなことよりも、このか先輩に頼ってもらうのがとてつもなく嬉しかった。
「いいですよ! じゃあ私の家、ここから近いのでそこで作りましょう!」
「ありがと、空子……」
自信なさげに微笑んだこのか先輩の表情に、少しだけ違和感を覚えた。
どうしたんだろ、このか先輩。自信家のこのか先輩が珍しい。
材料を買って私の家にやってきたこのか先輩は、早速キッチンで調理を始めた。
制服の上からエプロンを付けながら、「空子のご両親は?」とこのか先輩が尋ねてきた。
「んー、パパは単身赴任でママはまだ仕事なんだと思います。多分、あと一時間くらいで帰って来ると思いますけど」
「そうなんだ。じゃあ、お邪魔しないようにすぐに作っちゃわないとね」
そう言ったこのか先輩は、ビニール袋から買って来た板チョコを取り出して包み紙を外した。
そしてきっとまずは溶かすのだろうと思い、鍋に水を入れようとしたそこに、何故かチョコをそのまま放り込んだ。
「え、あの、このか先輩!?」
「うん? なに?」
「あの、まずはお湯を沸かすので、チョコは後でで……」
「え、うん。チョコを溶かすでしょ? だから水と一緒にチョコを入れたんだけど……」
「はい?」
「ん?」
首を傾げる二人。認識の齟齬が合わない。
「えーっと」と私はひとまず水の中に沈んだチョコを取り出して確認する。
「このか先輩。手作りチョコを作るんですよね?」
「うん。だからまずは溶かそうかなと」
「はい、チョコを溶かします。そのための手法を述べよ」
「なんで国語の問題みたいに聞くの? えーっと、だから沸騰したお湯にチョコを入れて――」
「ザッツプロブレ―ム!」
果たしてその英語で正しいのか分からないけど、とにかく私はストップを掛けた。
「違いますよ!? お湯にチョコを入れたら確かに溶けますけど、それだと単なるチョコ水になっちゃいますよ! チョコウォーターですよ、チョコアクアですよ!」
「なんで水の類語をたくさん言うの……? え、じゃあどうやって溶かすの? 魔術? 私、魔法使えないんだけど」
「チョコを溶かすだけの魔法なんて、クソくだらないモノがあると思いますか! MPの無駄ですよ! 需要がないですよ! それで魔王が倒せますか!」
「え、じゃあ体温で……? 脇とかに入れて溶かすとか?」
「それはそれで一部の人に需要があると思いますけど、違います!」
「あ、分かった」
「分かりましたか。久々野空子、安心です」
「一回、口の中に入れて溶かしてから出すとか?」
「それはむしろご褒美! ――じゃ、ありませんよ!? なんですか、そのサイコな発想!? 市販品のチョコが全部そんな工程で作られていたらぞっとしますよ!」
はあはあとツッコミ疲れて、私は膝から崩れそうになる。
一見冗談を言っているように見えるけど、このか先輩は基本的にはボケない。
天然というわけでもなく、おそらく本気で言っているのだろう。《本気》と書いて《マジ》なんだろう。
――料理が得意でない。
おそらく、その意味の片鱗が理解できた気がする。
先輩は、おそらく《料理》が得意なのではない。《料理》を知らないのだ。
最近の子供は、スーパーで売っている魚の切り身が、そのまま海で泳いでいると勘違いする子も少なくないらしい。
一般常識の欠如ではなく、認識の間違い。理解の屈折が起きているのだろう。
私はこの危険なモンスターをどう扱えばいいのだろう。
「ねえ、空子。フォンダンショコラっていうのを作りたいんだけど、チョコと小麦粉を混ぜてフライパンで焼けばいいのかな?」
無知は、罪でない。
「あ、空子空子。生チョコっていうのも気になるの。あれってチョコを火で炙って溶けたところをおにぎりみたいに丸めればいいのよね?」
無邪気は、罰ではない。
「うーん、せっかくだし美味しいの……あ、カタラーナって前に食べたんだけど、すごく美味しくてね! あれのチョコ味作りたいかも! 多分、チョコは要らなくて、パンの耳を固めて茹でれば作れると思うし!」
夢を語るのは、素晴らしいことだ。
それでも、私は。
このか先輩ではなく、きっとそれをあげる人のことを思い、優しく手を伸ばした。
「このか先輩。まずは基本的なチョコを作りましょう。溶かして形を作って固めましょう。それでオッケーです」
「え、でもカタラーナは……」
「カタラーナを作るには、資格と申請と魔術と修行と腕が七つ必要なので、今は無理なんです」
「そっか……なら、仕方ないね」
――私は、きっと将来。ペットを飼わないだろう。
それから、どうにかこのか先輩に普通のチョコの作り方を教え、形を作るところまで出来た。
「あとは冷蔵庫で固めるだけです。一時間ではきっと固まらないと思いますので、明日このか先輩のチョコを学校に持っていきます。そこでラッピングしましょう」
「うん、ありがとう。空子」
にこりと笑ったこのか先輩に、私は満足げに微笑む。
どうにか先輩に恩返しが出来たようだ。
「空子の方も作ったんだよね。なんだか気合いの入ったチョコを作ってたみたいだけど」
「はい、私は生チョコを作りました」
「火で炙って……?」
「炙ってません」
何故炙ろうとするんだろう。この人は。
後片付けの洗い物を一緒にやっていると、このか先輩が聞いてきた。
「空子は誰にあげるの?」
「そうですね……。一つはこのか先輩にあげます」
「あ、ありがと……」
「もう一つは……最近気になっている先輩にあげます」
「先輩……。それって女子テニス部の?」
「……いえ」
そこで私の手が止まる。言ってもいいのだろうか。それとも言わない方がいいのだろうか。
怖い。すごく怖い。
でも、言いたかった。聞いて欲しかった。
もしかしたら、このか先輩だけは……《認めてくれるかもしれない》から。
「……じょ、女子野球部の……先輩に、あげます」
「そっか」
「……本命だったり」
「うん。頑張ってね」
このか先輩は、まるで何事もないように、洗い終えた調理器具を拭いていく。
「……え?」と私は、隣の先輩を驚いたように見た。
「否定、しないんですか?」
「ん? 何を?」
「いや、だから! その……女の子に。同性に本命チョコを渡すことに」
「好きなんでしょ?」
「好きです。大好きです」
「別に否定しないよ。だって、人を好きになることって普通なことだし。喩え《誰》が《誰》を好きになっても――」
そこでこのか先輩の手は止まる。
ゆっくりと私の方を見て、少しだけ悲しそうに笑って、
「――良いことなんだと思うよ。それが普通より少し違う恋でも」
「……っ」
その時だったと思う。
私がこの人を、部活の先輩だからとかではなく、親しいからとかでもなく、尊敬していたからでもない。
このか先輩のことを、もっとよく知りたいと思うようになったのは。
「……ありがとう、ございます。このか先輩」
「それはこっちのセリフだよ。ありがと、チョコ作り手伝ってくれて」
「いえいえ。……このか先輩は、誰にあげるんですか? 手作りってことは、本命なんですよね?」
「うっ……。かも、しんないけど」
「えー、誰なんですか!? クラスの人ですか!? 私の知ってる人ですか!?」
「か、家族! 家族にあげるの!」
「えー、家族ですか? ホントに?」
「ほんと、だよ」
そのこのか先輩の口調で、私は何となく察した。
きっと、この人も。私と同じなんだろうと。
直接的には違うんだろうけど、きっと同じなんだろうと思った。
「……今年こそは、美味しいって言わせたくて。毎年毎年、クソ不味いって言ってたから。いつか美味しいって言わせたくてね。ホント、自分は料理が出来るからって……」
「大丈夫ですよ、きっと」
「え?」
珍しいほどに自信がなくて、滅多に見せない弱気なこのか先輩に向かって言った。
「だって私は、このか先輩の愛を知ってますから!」
……ところで。
私は一つだけ気になったことをこのか先輩に聞いてみた。
「私も生チョコ作りながらだったので、このか先輩が溶かしたチョコを型に入れている所だけは見ていなかったんですけど」
「うん?」
「何も入れてませんよね?」
「うん? いや、流石に市販のチョコを固めるのだけだと普通だったから、味は変えたよ?」
「そうですか。……じゃあ、これは質問ではなく雑談です。スーパーでチョコの他に、お味噌や昆布、しらたき、柚胡椒なんかも買ってましたけど。これはお夕飯の材料ってことで良いんですよね?」
「ん? いや、チョコの材料だよ」
「へえ……。入れちゃいました?」
「うん」
「そうですか。……来年は、このか先輩の愛が伝わると良いですね」
「うん。……うん?」
「兄ちゃん。はい、チョコ」
「……今年も手作りか?」
「うん。でも、今年は美味いから。後輩と作ったの」
「……へえ。今年は明太子とか入れてねえよな?」
「うるさいなあ。いいから食べてよ、ほら」
「……じゃあ。もぐ」
「どう? あれ、兄ちゃん? 兄ちゃん? おーい……。……。……。あれ?」




