第二十九話:妹のハッピーバースディ
子供のままでいることは悪いことではないが、
大人になることは良いことでもない。
妹の誕生日である九月三十日は、平日の金曜日だった。
たまたま。
そう、偶然にも不可思議にも運命も背景も思慮も理由もなく。
本当にたまたまバイトがなかった俺は、学校から帰るなりすぐに夕飯の準備を終えて、リビングでスマホのゲームをやりながら本を読んでいた。
どちらにも集中することなく、どちらの情報にも興味がなく、それでも何かをしていたくて。
俺はただ暇を潰すために手を動かしていると、玄関の方からドアが開く音がした。
「ただいまー」
「おかえり」
妹が帰ってきた。両手には小さな紙袋がいくつか提げられていて、一目でそれがプレゼントだと分かった。
「遅かったな、中学生。もう夜の九時過ぎだぞ」
「ウチって門限なんかあったっけ?」
「ないけど」
「じゃあいいじゃん。それに、今日は私の誕生日パーティをしてくれてたの」
「ふうん。久々野ちゃんとか?」
「学校終わってから部室でテニス部の人たちと。それからファミレスでクラスメイトの女の子たちと」
なるほど、それなら確かに遅くなって仕方ないか。
俺は暇つぶしにしていたゲームと読書を止めて、背伸びをしてソファから立ち上がる。
「飯は?」
「いらない。ファミレスで食べてきたから」
「ふうん」
「……もしかして、何か準備していてくれてた?」
荷物をリビングに置きながら、俺の方を見て尋ねる妹に、頭を振る。
「まさか」
「だよねー」
妹は手を振って、着替えるために二階の自室に向かって行った。
……さてさて。
作った料理、全部ひとりで食べきれるだろうか……。
まあ、母さん達も遅くなるけど今日は帰ってくるみたいだし、後で二人に食べさせればいいか。
ケーキは二つとも、俺が食べてしまおう。
「あ、そうだ。兄ちゃん」
制服から部屋着へと着替えて来た妹がリビングに戻って来るなり、俺を呼んだ。
「今年は流石にプレゼントはないよね?」
「ん?」
「いや、毎年ほんっとーに、くだらないモノばかりプレゼントするからさ。マジで、今年はいらないから」
「そうか」
「うん、いらない。でも、まあもしも用意してあるなら、仕方なくもらってあげてもいいけど。モノに罪はないからね。うん、作ってくれた人に悪いから、もらうだけもらってあげてもいいけど。ほんとはいらないんだけどね」
「うん」
「……」
「……」
無言。沈黙。俺は何も言わない。妹も何も言わない。
やがて、しびれを切らした妹が「……え?」と訝しげに首を傾げる。
「……もしかして、ないの? プレゼント」
「ない」
「……ふーん。あ、ふーん。そうなんだ……。まあ、いいけどね。いらないし。いらなかったし。特に今、欲しいものないし」
不貞腐れたように視線を床に下げる妹を認め、俺は溜め息を吐いて言う。
「冗談だ」
「え、あるの!?」
視線が上がり、俺に期待の眼差しを向ける妹。感情がジェットコースターみたいだ。
だが、俺は感情を殺したように静かに言う。
「まあ、ないんだけどな」
「死ね」
どっちだよ。欲しいのか、欲しくないのか。
まあ、欲しくないんだろうけどさ。
俺は久々野ちゃんを始めとして、妹の趣味を知らない。
いや、正確には知っているけれど、欲しいものを気軽に渡すことはできない。
分かっているけど、分からない。
他人だからこそ知っているものと、他人だからこそ贈れるプレゼントがあるのだ。
それは、モノだったり、時には気持ちだったりする。
他人だからこそ送れるもの。
家族だからこそ送れないもの。
人に何かを送るのは、面倒くさいものだ。
俺はひとしきり妹の反応を楽しむと、元から用意していた言葉を思い出しながら言う。
あくまでさりげなく、自然に。
「――ま、プレゼントが欲しいなら、明日買いに行くか?」
「え、やだ」
……こいつ。
若干の苛立ちを覚えながら、俺はぐっと我慢しつつ続ける。
「プレゼント、欲しくないのか?」
「もらえるなら欲しいってだけ。わざわざ買いに行くくらいならいらない」
女子の感情は複雑だった。
俺は「あっそ」と言って、話を切る。
なら、ここから先は会話ではなく、ただの独りごとだ。
「じゃあ、明日暇になったし。俺は一人で買い物でも行くかな。バイトもないしな。隣町まで行こうかな」
すると、妹も俺の独りごとを聞いているのか、聞いていないのか。
「私も。明日買い物でもいこーっと。土曜日だし。暇だし。一人で。うん、一人で行こう。たまには」
俺は聞こえないフリをして。
妹も聞こえないフリをして。
何事もなく、その日の妹の誕生日は過ぎて行った……。
翌日の昼すぎ。
俺は出かける準備をして、自室から降りてリビングに行くと、そこには私服姿の妹がいた。
白のワンピースに大人しめのサーモンピンクのカーディガンを着た妹は、つまらなそうにスマホを弄っていた。
珍しく気合の入った服装だ。いつもなら動きやすいパンツ姿をしているのに、今日は一体何の気まぐれなのだろう。
俺がリビングに来たのを音で気付いた妹は、まるで俺という存在を初めて知ったかのような顔で言う。
「兄ちゃんも今日どっか出かけるの?」
「ああ、隣町まで買い物にな。お前もか」
「うん、偶然ね」
「そうか、奇遇だな」
「偶然ついでに、兄ちゃんに昨日買い忘れた私の誕生日プレゼントを買わせてあげてもいいよ」
「奇遇ついでに、お前の誕生日プレゼントを買ってもいいぞ」
「……」
「……」
沈黙。認識合わせ。状況作り。
つまりは、言い訳だ。
「……行くか」と俺は言って。
「うん……」と妹は頷いた。
――本当に、不器用な兄妹だ。
隣町までは電車で向かった。
徒歩でも行けなくはないし、自転車でも、何なら天気が良かったので俺のバイクでも良かったけど。
何を買わされるのか、何があるのか分からないため、電車を選んだ。
「……で、お前は何が欲しいんだよ?」
「兄ちゃん」
駅に向かう途中の雑談で、妹にリクエストを聞くと躊躇うことなくそう返ってきた。
「嘘だよ。そんなわけないじゃん」
すぐに訂正した妹は、改めて「うーん……」と考える素振りを見せる。
「服……は別に今欲しいアイテムないし。食べ物……も昨日、友達からもらったしな。何がいいんだろ?」
「愛とかはどうだ?」
さっきの仕返しとばかりに俺が冗談を言うと、妹は真顔で言う。
「じゃあそれで」
「嘘だ」
「知ってる」
ならそう易々と受けるんじゃねえよ。ちょっとビックリしただろ……。
それから何回か雑談をしていると、駅に着いた。電車に乗って隣町の駅に到着して、「さてと」と俺は妹を振り返る。
「どこに行きたい?」
「無計画な男は嫌われるよ」
「嫌われるために言ってるからな」
「あっそ」
どうでも良さそうに頷いた妹は、「うーん……」と顎をあげて考える。
「じゃ、まずは適当にお昼でも食べに行こっかな」
その後ファーストフード店で少し遅めの昼を食べ終えた俺達は、駅前の複合ショッピングモールに足を運んだ。
欲しいものは特にないと言っていた妹だったが、そこは流石の女の子。
目移りするアイテムがあれば物欲なんてどこからでも沸いてくるらしく、「あ、これ可愛い!」「ねえねえ、似合うと思う?」などと女子向けの服屋に飛び込むなり、妹は試着をし始めた。
試着を続ける妹に「何が欲しいんだよ?」と尋ねると、「やっぱ要らないや」と言って別の店に移動してしまう。
服屋、スポーツショップ、インテリアを巡り、色々と物色を続けていたが、どれも好感触を示すだけ示して、「ま、要らないけど」と言って妹は二の足を踏む。
自分勝手に身勝手に。
そんな妹に付き合っていると、もしかして本当に欲しいモノがないのではと思い始めた頃。
俺達は休憩とばかりにショッピングモール内のカフェで腰を落ち着かせていると、「あのさ、兄ちゃん」と妹が口を開いた。
「大人になるってどういうことだと思う?」
「さあな」
俺はコーヒーを啜りながら適当な相槌を打つ。
「……。私、昨日で十五歳になったじゃん? でもまだまだ私は子供だと思うんだよね」
意外な妹の言葉に、俺は「ほう」と感心する。
「てっきり大人の仲間入りだーと自惚れると思ったんだけど、違うのか」
「自惚れないよ。大人ってどういうものか分かってないし。……兄ちゃんは、大人だよね。アホだけど」
一言余計だけど、突っ込まなかった。
「それは年齢的な意味で?」
「うーん。それもあるけど、身体的? 思考的? なことで」
「……どうだろうな。俺も自分でまだ子供だと思ってるけど、周りから見たら大人に見えるのかもしれないな」
十七歳の高校生は果たして大人なのだろうか。
世間一般の認識では、未成年はすべからく子供だ。
それは権利や法律の話だからだけど、妹がしているのはそういう話ではないのだろう。
俺はふむと考えて、指を立てた。
「俺は大人になるってことは、何かしら複数の条件を満たしたことだと思ってる」
「複数の条件?」
妹が不思議そうな顔をする。
「そう。ゲームで例えようか。そうだな、大人になるミッションが全部で100個あるとしよう。その内、20個を達成すれば称号として《大人》が解放される。どのミッションを達成してもいい。とにかく20個達成すればいいわけだ」
それは年齢的なモノだったり、仕事だったり、肉体的なことだったり、もしくは性的な経験だったり。
「よく二十歳を超えた大人を指して『子供っぽい』って呼ばれることがあるだろ? そういう人達は、年齢のミッションを達成しただけで、20個を満たしていないわけだ。だから子供っぽいと呼ばれる。そう見られる」
「なるほどね、ゲーム脳だね」
うるせと俺は言った。「でもわかりやすいね」と妹が微笑する。
「なるほど。それなら私はいつまでも子供のままでいたいかな」
「ふうん? 意外だな、女子って早く大人になりたいって思うもんじゃないのか?」
「大人になっても、きっとつまらないだろうから」
そう言った妹の表情はどこか諦観に満ちていて、それでいて脆く触れたら壊れそうなほど儚くて。
すごく――綺麗だった。
「……兄ちゃん、兄ちゃんはどこに行きたい?」
「あん?」
俺はハッとして、妹の目を見る。
「ずっと私の行きたいとこを回っていたじゃん? せっかくだし、兄ちゃんの行きたい場所も行こうよ」
「そうだな……。じゃあ、新しいグローブが欲しいし、バイク用品店に行きたいかな」
「えー……」
あからさまな表情の落差、ありがとう。
「ま、いいか。特に行きたい場所もないし」
妹が立ち上がり、俺を見下ろす。
「じゃ、行こっか、兄ちゃん」
バイク用品店は駅前のショッピングモールから少し離れた場所にある。
普段は一人かもしくは七神を誘って行く場所なので、隣に妹がいるという感覚に違和感を覚えた。
やがて目的地に着くと、俺はすぐにバイクグローブ売り場に向かう。妹もどこに行っていいのか分からないのか、素直に俺の後を付いて来た。
目的の秋冬用のバイクグローブを物色していると、妹がつまらなそうに尋ねる。
「なんで兄ちゃんって、バイクに乗り始めたんだっけ?」
そんな妹の質問に、俺は少しだけ考えて答えた。
「時速60キロの風圧は、おっぱいと同じ感触があるらしい」
手を風に当てるようなジェスチャーを妹の目の前でする。
「そこで俺は思った。それならバイクに乗って全身で風を浴びれば、それはおっぱいに包まれるのと同じなんじゃないかってな」
「……」
妹の白い目が突き刺さる。
「冗談だ。そんな目で見るなよ」
「変態」
「うるせ。バイクに乗る奴は全員変態なんだよ」
偏見だけど、きっと間違っていないと思う。
何が嬉しくて、あんな事故ったら即死しそうな乗り物に乗るのか。
安全も何もない、高速の鉄馬に憧れるのは。
どこからしら、何かしら壊れていないと乗ろうと思わないだろう。
それなら、俺は何故バイクに乗ろうと思ったのだろう。
ジッとバイクグローブを見つめて、小さく呟いた。
「――逃げたかったのかもな」
「何か言った、兄ちゃん?」
妹が聞き返すが、俺は何でもないと言ってグローブをカゴの中に放り込んだ。
「さて、俺の用事は済んだけど。これからどうする?」
「うーん……。せっかくだし、私ちょっと見たいモノある」
そう言った妹は、二階にあるヘルメット売り場に足を向けた。
そこには多種多様のヘルメットが並んでいる。
「結構可愛いデザインのもあるんだね」
意外そうに妹がピンクのジェットヘルメットを眺めて言う。
「最近は女性ライダーも増えてきたし、カップルで二人乗りする人もいるしな」
「ふうん……。あ、これ可愛い!」
目を輝かせて妹が手に取ったのは、シールド付きの白のジェットヘルメットだった。横に桜模様がペイントされている。
妹はまるで宝物のようにヘルメットを眺めると、「えい」と頭に被った。どうやらサイズもぴったりらしい。
「ね、兄ちゃん」
「ん?」
「似合う?」
「そうだな。ゴリラが被るよりかは似合うな」
「何それ」
「冗談だ。似合う似合う。カワイイデスヨー」
「何その片言……。うーん」
ヘルメットを外した妹は、少しだけ考えて「これ買って」と言った。
「私の誕生日プレゼント。これでいいよ」
「は? なんでこのかがメットなんて欲しがるんだよ」
「いいじゃん。もしかしたら、私も来年バイクの免許取るかもしれないし」
「……まあ、いいけどさ」
値段を見てもそんなに高くはない。
俺はカゴの中にこのかの選んだヘルメットを入れて、レジに向かい会計を済ませた。
そうして店を出て駅に向かう。
「お前、バイクになんか興味なかったくせに」
「十五歳になって気分が変わったんですー」
一日で何が変わるんだよ、と思ったけど言わなかった。
「あっそ」と言うと、このかは俺が持っていたヘルメットの入った袋を奪う。
「じゃ、これはもう私のだからね!」
「ん、ああ。そうだな」
「……これでもう。私もバイクに乗れるから」
そう言った妹は、少しだけ俺から離れる。
日が落ちて暗くなり始めた夕日を背に、妹が俺に言う。
「――だから。逃げる時は、置いてかないでね」
俺は目を見開いて、まるで世界に一人ぼっちになったかのようなこのかに。
小さく、聞こえないように呟く。
――さあ、どうだろうな。
兄「ちなみに免許を取ってもウチにもうバイクはないぞ」
妹「そこはほら。来年の誕生日に、ね」




