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兄と妹は仲が悪い  作者: ナツメ
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第二十六話:妹と風邪

この熱の正体はきっと恋じゃない。

朦朧とする意識の中で、声がした。

「アホね」

淡泊な声と共に、俺の額に触れた手がとても冷たくて気持ちよかった。

ずっと触れていて欲しかったが、それを言うのは流石に嫌だったので、俺は後ろ髪引かれる思いで、その手を払い退けて言う。

「……うるせぇ」

「軽口言う暇あったらさっさと寝れば。ほら」

代わりに熱冷ましシートが額に貼られた。ひんやりと熱が引いていくような気分だ。

「……にしても、修学旅行終わって翌日に風邪をひくとか。ホントにアホね」

呆れた顔で俺を見下ろす妹は、半眼で溜め息すら漏らしていた。

反論をしたいが、その体力も元気もない。

それに正論ゆえに、生半可な詭弁じゃ太刀打ち出来ない。

このまま甘んじて妹の皮肉を受け止めよう。

「熱は? 計ったの?」

「ああ……。三十八度五分。まあ、平熱だな」

「兄ちゃんの平熱は三十六度二分くらいでしょ。立派な風邪だよ」

何故に俺の平熱を知ってやがるんだ、この妹は。

俺も知らない情報だぞ。

「せっかくの修学旅行終わりの貴重な振り替え休日なのに。風邪でダウンするとか、ほんとアホね」

三度目のアホ認定。そこまで言うだろうか。

「別にいいだろ……。疲れたんだよ、色々とあったからな」

「色々ねえ。ま、そうかもね」

一部事情を知っている妹は、察したような口ぶりで俺から視線を外す。

「……まあ、いいや。じゃ、朝ご飯作ってくるから。おかゆでいいよね?」

「……別にいいけど。っていうか、お前、学校は?」

妹の服装を見れば、普段着の短パンとパーカーを着ていた。寝巻きではないが、制服ではない。

時計を見れば、すでに妹は家を出る時間をとっくに過ぎていた。

妹は俺の部屋のドアノブを掴んだまま、顔だけをこちらに向ける。

「学校は休んだ。別に今日は行かなくても大丈夫な授業ばかりだし」

「義務教育に行かなくてもいい授業なんてねえだろ……」

「うっさいなあ。お母さん達も仕事でいないから、兄ちゃんの看病のためにわざわざ休んであげたんだよ。とにかく、私のことは気にせずにさっさと寝てろ」

「お前は俺の何なんだよ……」

「可愛い妹ですぅー」

「べぇーっ」と妹は赤い舌を出して、バタンとドアが閉じられる。

静かになった部屋で、俺はベッドの上で溜め息を吐いた。

「《可愛い》は余計だってーの」

にしても、風邪か……。十年ぶりくらいになった気がする。

熱は少し高めかもしれないが、体調はそこまで悪くはない。

咳も鼻水も出ていないし、これなら汗をかいてたっぷり寝れば一日で完治するだろう。

そう、熱々のおかゆでも食べて、汗をかけば――。

妹が作るおかゆを食べて――。

妹が作る料理を――。

「……あ」

忘れていた悪夢を思い出し、俺はベッドから起き上がる。

妹の料理。それはつまり、絶望の始まり。

悪魔の召喚。

アポカリプスの再来。

かつての妹は言った。

『テレビで見たけど、オリーブオイルを入れれば料理って何でも美味しくなるんだよね?』

小さな悪魔は言った。

『レシピ通りに作っても、つまんないよね。上手い人って言うのは、自己流の技を生み出すものなんだよ』

幼い絶望は笑った。

『兄ちゃんの作ったおかゆ、美味しいね。小麦粉ってどれくらい入れたの? え? 入れてないの? じゃあ、この白いのって何? 絵の具?』

汗が、どっと出てきた。

このままだと、きっと殺される。

逃げないと。この家から。

俺はベッドから出ようとするが、身体が思ったように動かない。

足が重い。上半身の節々が悲鳴を上げる。

だが、それでも。

歯を食いしばってでも。

逃げないと――っ!


……足音が、聞こえた。


ドアが開き、悪魔が顔を出した。

「……お待たせ。って、兄ちゃん。なにその、《機織り中に見つかった鶴の恩返しver2018》みたいなポーズは?」

「よく分からねえ喩えをありがとう。つーか、作るの早かったな」

「おかゆなんて、そんなに時間かからないでしょ。ほら、ベッドに戻るの」

ベッドに寝かされた俺は、冷や汗が止まらない中、妹がトレイの上に載せた土鍋を見つめる。

フタの被った小さな土鍋の中身を見るのが怖い。

それよりも、この短時間でおかゆを作ったことの方が、俺は恐れるべきなのかもしれない。

「……? 兄ちゃん、すごい汗だよ。後で着替えた方がいいよ」

「あ、ああ。そうだな。じゃあ、今から着替えるから、ちょっと部屋から出て行ってくれ」

「おかゆ食べた後でもいいでしょ。ほら、冷めちゃうから」

土鍋を俺に持たせようとしてくる妹が、まるで死神からのラブレターに見えた。

せめて体調が万全な時ならば、かろうじて死線は越えられたのかもしれない。

だが、今は体力が落ちて十分な回復量を持っていない。

「……どうしたの? ほら、おかゆ受け取ってよ」

怪訝な表情の妹が、俺を見つめる。

まるで自分に罪はないとでも言いそうな顔だ。

目隠しをしながら散弾銃をぶっ放して、当たった方が悪いと思っているような素振りだ。

邪心や悪意がないだけ、タチが悪い。

さて、どうする……?

どうすれば、いいんだ?

「なんで受け取らないの? ……あ」

何かに気付いたらしい妹が、俺に渡そうとしていた土鍋を自分の膝の上に載せる。

「もう、しょうがないなあ、兄ちゃんは」

「……あ?」

「仕方ないから。そう、これは仕方ないの。別に兄ちゃんってわけじゃなくて、そう、これはあくまで病人に対してなんだから」

「……ああ?」

なにやらよく分からないことを言い出した妹は、土鍋のフタを開ける。

そうしてレンゲを土鍋の中に入れて、おかゆ――らしきもの――を掬い、俺の口元に近づけた。


「あ、あーん……」


「……」

顔をうっすらと赤らめて俺にレンゲを近づける妹。

俺の表情筋が強張るのを感じる。

……何これ?

「……何してんの? ほら、口開けてよ。私だけ恥ずかしいじゃん」

「あ、ああ……」

言われるがままに口を開けて、妹の手からレンゲを口に運んでもらう。

――食べちまった。

「……どう?」

「……熱のせいか、味がよく分からないけど。ちょっと水っぽいけど、悪くはないかな」

「そ、良かった……」

安堵したようにほっと胸を撫で下ろした妹が微笑する。

そうだ、俺は何を思っていたんだ。

人間は成長する。

妹の料理もかつてはひどいものだったが、今では人間が最低限食べられるものを作れるようになっていてもおかしくはない。

妹は……パンドラの箱の中の希望を、見いだしたんだ……。

「……ほら、次食べるでしょ? 口開けてよ」

「ああ……。ああ……っ!」

「……なんでちょっと泣いてんの?」

俺はそこから妹のおかゆを完食した。

味は最後まで分からなかったけど、ちゃんと米の形はしていたので大丈夫だろう。

「ふう。ごちそうさま」

「うん、おそまつさま。じゃ、後は薬だね」

俺は市販の風邪薬を妹から受け取る。どうやらさっきの慌てぶりのせいで、熱が少しだけ高くなったようで、ちょっとだけ頭が痛くなってきていた。

「……兄ちゃん、大丈夫? さっきより顔赤いけど」

「ああ、大丈夫だろ。意識もはっきりしてるし、お前も二人に見えるからな」

「そっか。……二人?」

そう、妹が二人。三人。四人……あれ?

いつから俺の妹は四人になっていたんだっけ?

「兄ちゃん、大丈夫? なんだか目がとろんとしてるけど」

「だい、じょうぶ……だと思うけど。そう言えば、なんか身体がすげー、暑い」

まるでおしくらまんじゅうをしているみたいだ。

「ああ、身体が暑いのは多分、さっきのおかゆのせいかな」

「そうか」

「うん。レトルトのおかゆの中に、隠し味でホワイトウォッカってのを入れてみたから」

「そうか……。やっぱりレトルトのおかゆだったのか」

道理で調理時間が短かったわけだ。

……ホワイトウォッカ?

「ほら、風邪にはたまご酒とかホットワインが良いってドラマで見たから。お酒飲むと温まるってお父さんも言ってたし。だから、お父さんの秘蔵のお酒を色々と入れてみたの」

「……このか。おかゆに入れた酒、ウォッカ以外に覚えてるか?」

「ん? えーっと。ホワイトウォッカ、テキーラ、白ワイン……あとは何か色々と日本酒を適当に。全部は流石に覚えてないかな」

「……そうか」

「うん……って、兄ちゃん? おーい、兄ちゃん? 大丈夫? ねえ――」

このかの声が、遠のいていく。

視界に靄がかかったように真っ白に溶け込んでいく。


――次に目を覚ましたら、料理を教えてやろう。まずは、正しいレトルト料理の作り方から。


薄らいでいく意識の中で、俺はそう決心するのだった。


妹のカップ焼きそばのお湯捨ての成功率:25%(兄目線)

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