第二十五話:妹と修学旅行ー後編ー
こう着物をぐるぐると、帯を回して脱がしてみたい。
確認をしよう。
「なあ」
「何?」
妹が抹茶パフェを口に運びながら応える。
「なんで俺は、修学旅行中に――京都にきてまで、わざわざ班行動から外れて、妹と茶店にいるんだろうな」
「兄ちゃんが、『へいへい、そこのプリティーガール! 暇で麻痺ってヒマラヤンを撫でたいと思っているキューティガール! 良ければお兄さんとカフェりませんか?』とナンパされたから」
「そんなダサいナンパはしてないし、そもそもそんなクソなナンパでお前はほいほい付いていくのかよ」
「うるさいなあ。抹茶が苦くなるでしょ」
「抹茶はそもそも苦い物だ」
売り言葉に買い言葉。
減らず口は京都に来ても相も変わらず。
だが、そんな小生意気な妹と一緒でも――。
小さな口で抹茶パフェに乗った小豆を食べ、「あまーい!」と嬉しそうに頬を緩める妹を見て、
……まあ、いいか。
と納得してしまう俺がいた。
遡ること、1時間ほど前。
岡崎神社で妹と偶然にも会い、そのまま妹に手を引かれるままに境内を歩き出した。
「何があったかは知らないし、別に聞くつもりもないけど。せっかくだし、兄ちゃん。ちょっと私の買い物に付き合ってよ」
「……なんでだよ。めんどくせぇ。つーか、中学生が班行動から離れるなよ」
「兄ちゃんだって独りで自由行動してるじゃん」
「俺はいいんだよ、高校生だから」
「何それ。意味わかんない。ルール破ってるのは同じでしょ」
「それはそうだけど……」
「カグヤ達とは後で合流するし。少しだけの間ならいいでしょ? ほら、行くよ」
そう言って妹は俺が止める声も聞かず、すたすたと歩いて行ってしまう。
流石に土地勘のない場所で、中学生の妹1人を見過ごすことなど出来ない。
それがたとえ、仲の悪い妹だとしても、だ。
「はあ……。待てよ、分かった。少しの間だけだぞ」
独白した俺は、小走りで妹を追いかけた。
妹と2人で神社を回っていると、「あっ」と売店を見つけた妹がそちらに駆け寄っていく。
「兄ちゃん。これ買って」
おみくじ売り場で、うさぎみくじの人形を2つ選んだ妹が、後からやってきた俺に振り返って言った。
「いや、俺はいらねえよ」
「何言ってんの? 私とお土産用に決まってるじゃん。兄ちゃんの分は含まれてないよ」
「さいで」
……そう言えば、久々野ちゃんがここのうさぎみくじが欲しいって言ってたっけか。
俺も1つ選んで、妹の分と合わせて3つ分の値段を支払う。
「結局兄ちゃんも買うんじゃん」
「俺も土産用だよ」
「大凶のおみくじがお土産かあ……かわいそ」
なんで大凶って決まってるんだよ。まあ、今の気分的にいい運勢が引けそうな気はしないけど。
そんなこんなで。
こんなそんながあり。
パンナコッタではなく。
拝殿で俺達は二礼二拍手一礼のお参りをして、ゆっくりと神社の出口に向かって歩き出した。
「兄ちゃん。何かお願いごとした?」
「秘密。願い事は口にすると叶わないって言うだろ?」
「私は逆だと思うけど。願いごとは口にすることで力になるんだよ」
ひらりとスカートを翻して、妹が俺の目の前で回る。
「そういう考えもあるかもな。でも俺は言わない」
「ふうん。ま、いいけど」
「ちなみにお前は何て願ったんだ?」
「兄ちゃんは言わないくせに、私には聞くんだ」
「言わなくてもいいけどな」
「言うよ。言いますよー、だ。『この後、甘い物が食べたいです』ってお願いした」
「ふうん」
「この後、甘い物が食べたいです」
「……俺におごれと?」
「さあ? でも、口に出して叶う願いもあるってことを教えてあげようと思ってね」
小首を傾げた妹は、ニヤリと笑い小さな舌を出した。
そして、岡崎神社からほど近いカフェをスマホで調べて今に至る。
ちょうど昼飯時だったため、店内は賑わってはいたもののすんなりと入ることは出来た。
このお店はカフェというよりバルに近いお店で、飲み物以外にも定食や一品物の料理からデザートまで品揃えは多く、メニューを開くと目移りしてしまいそうになる。
だが、そんな目も心も奪われそうになるメニューの中から、まるであらかじめ決めていたかのように、妹はパフェを選んだ。
「兄ちゃん、遅いよー。遅い男は嫌われるよ?」と中学生が言うにはマセタ言い回しで俺を非難し始めたので、俺は素早く注文を決めて、ロールケーキのセットを注文した。
やがて妹の抹茶パフェと俺のケーキセットがやってきた。
「いただきまーす」
「いただきます」
妹が抹茶パフェを嬉しそうに食べる姿を眺めながら、俺はコーヒーを啜る。
なんだか餌付けをしている気分だ。
「せっかく京都なんだから、コーヒーじゃなくて抹茶を頼めば良かったのに」
「別にいいだろ。抹茶なんて別に京都じゃなくても飲めるんだから」
「それこそコーヒーなんていつでも飲めるじゃん」
「いつでもは飲めねえよ。俺が飲みたい時だけ飲めるんだよ」
「何それ」
くだらない会話だった。
他愛のない会話だった。
修学旅行中だということも忘れて、俺と妹はつまらない会話を繰り返す。
互いのホテルの良かったところ、悪かったところ。
昨日見た場所、見なかった場所。
買ったお土産、これから買おうとしているお土産。
地元では放送していないアニメが、深夜にホテルで見られたこと。
男子がペイチャンネルのカードを買って、担任に見られて怒られていたこと。
そんなどうでもいいことを、俺達は話した。
「あ、兄ちゃん。せっかくだし、そのロールケーキ。一口ちょうだい」
何がせっかくなのかは分からないが、俺が半分ほど食べていたロールケーキを指さす。
「別にいいけど。ほら」
俺は一口サイズにフォークでカットして、何も意識せずに妹の口に近づけた。
妹はじっとフォークの先のケーキを見て、そしてちらりと俺を見やる。
「……? 何だよ、いらねえのか?」
「……っ。い、いるっ!」
なにやら赤面しながら首を伸ばしてフォークにかぶりついた。
そっと口を離して、妹は口を動かしながら俺を見る。
何かを期待しているような、そんな眼差し。
俺はそんな妹の心を読んで、
「……なんだ、一口じゃ物足りないってか? ったく、ほらよ」
俺はロールケーキの皿にフォークを添えて、対面に座る妹の方にすっと滑らせた。
だが、妹は小さな溜め息を漏らして、「ばか」と言って残ったロールケーキを一口で食べてしまった。
「あ?」
「何でもありませんよーだ。美味いなー、ロールケーキ。むしゃむしゃ」
不満そうなのか、それとも口の中いっぱいにロールケーキを詰め込んだせいか。
頬を膨らませた妹がぷいっと俺から視線を外してしまった。
ったく。
……ばかはお前だ。
あーんなんて、そう何度もやるかってーの。
パフェを食べ終えたこのかは、セットで付いてきた番茶を飲んで「ふぅー。満足満足」と、目を閉じて上半身を横に倒れさせた。
「すぐに横になると太るぞ」
「昨日と今日で歩いたからだいじょーぶ」
「あっそ」
さて、と。腕時計を見れば午後の1時。そろそろ俺も、こいつも班の所に戻るべきだろう。
俺はスマホで班長に今の場所を尋ねようとして、「ねえ、兄ちゃん」というこのかの声で画面をタップしていた指を止める。
「なんだよ? まだ食い足りねえのか?」
「岡崎神社に来る途中にね。兄ちゃんの高校の制服を着た女の子が、泣きながら走ってたのを見掛けたの」
「ふうん。一体どうしたんだろうな」
「ポニーテールで。顔はちょっと見えなかったけど、けっこう可愛いと思う」
「顔見てないのに、可愛いかどうかは分かるんだな」
「雰囲気でね。……兄ちゃん、その人。知ってる?」
「さあな」
俺は何も答えない。
このかもそれ以上聞いてこなかった。
ごろりとこのかが仰向けになる。
「……別に言いたくないなら、いいんだけどさ。多分、私が兄ちゃんの立場だとしてもきっとそうするだろうし」
「そうだな」
「でもね――」
起き上がったこのかが、俺を真っ直ぐと見据える。
「さっきも言ったけど。口に出さないと分からないことだってあるんだよ。私だって、兄ちゃんのこと全部知ってるわけじゃないから」
――妹でも。兄のことを知らないことだって。きっとたくさんあるから。
それを知りたいと思うか、知りたくないと思うか。
無関心でいられるか、関心を押し殺すことが出来るか。
これは、そんなシンプルな心の問題。
「……このかはさ。《普通》って良いことだと思うか?」
「……? 何、どういうこと?」
「どうでもいい戯れ言だ。いや、もしくはただのつまらない会話のネタでもいい。哲学でもいい。このかは、普通は良いことだと思うか?」
このかは、眉字を寄せてしばし考えて、
「……どうだろうね。私はまだ普通ってなんなのか、よく分からないや」
「そうか」
「……。兄ちゃんは、どう思うの?」
「俺にとって普通は……すごい怖いことなんだよ」
普通。ノーマル。平常。普遍。異常性なし。何も悪くない。何も良くない。
「世の中的には、きっと普通ってのは良いことなんだと思う。普通の生活。普通の人生。普通の価値観。普通の顔。普通の身長。普通。普通。悪くはない。突拍子でもないし、すごくはないけど良いことなんだと思う」
この世界には誰一人として同じ人間はいない。
だけれども、普通の人間は大勢いる。
ならば、それは同じ人間がたくさんいるってことではないんじゃないか?
同じ意識。同じ感情。同じ価値観。同じ生活。同じ、同じ、同じ。
きっとそれは良いこと。正しいか、正しくないか、間違っているか、間違っていないか。
そんな理からも外れないのは、とても良いことだと思う。
だが、大多数の普通は。時として圧倒的な大意見として。大の感情として。大の正義として。
刃向かう。少数派を蹴散らす。
自分の意思も持たず、同調し、責任から逃れ、これが普通だと言い訳して。
「俺にとって普通はただ怖い物なんだよ。だから見たくない、覚えたくない、感じたくない。だから、できる限り認識しないようにしているんだ」
いつからだろう。こんな風に歪んだ世界観を持ってしまったのは。
いつからだろう。世界がこんなにも怖いものだと思ってしまったのは。
きっとあの日からだろう。
あの日。あの時。あの場所から。
俺にとって普通は、とても怖い存在へとなった。
「……。兄ちゃんの言いたいこと。何となく。私も分かる」
――きっと、全部は理解していないかもしれないけど。
「私もさ。全中の大会に出て、ちょっとばかり普通のテニス部員じゃなくなったからさ。きっとそれは良いことなんだと思う。でも、少しだけ周りが怖くなった。私を見る目が、変わってしまったのがちょっとだけ寂しくなった」
おそらくこのかの感じている普通の怖さとは、俺の感じているものとはベクトルの違いはある。
でも、今だけは。このかに共感をしてもらうことが、とても安心出来た。
「まあ。そんなわけで。回りくどいことを言ったけど。要するに、俺は岡崎神社で知り合いの同級生にそういう話をしたわけだ」
「……なるほど。つまりは、兄ちゃんはそういう回りくどいことを言って、女の子からの告白を遠回しに振ったわけだ」
うぐ。端的に言われると、中々俺がひどい奴みたいだった。
まあ、実際かなりひどい奴なんだろうけどさ。
女子の告白を聞く前に、振るなんてことは最低だろうから。
「ふう。ま、なんにしても。落ち込むのはその告白した子で、振ったはずの兄ちゃんが落ち込んでいるのはおかしいよね?」
「うっ。……まあ、それはそうなんだけど」
正鵠を射るとはまさにこのことだ。
ぐうの音も出ない。
「どっちも落ち込んでても仕方ないでしょ。なら、せめて兄ちゃんだけは。後悔はしちゃダメでしょ。可愛い子を振ってもったいないと思ってるんだろうけどさ」
「そうなんだよなあ。けっこう可愛い子だったんだけどなあ。もしも告白OKしてたら、今頃は境内で――」
はあと溜め息を吐いた瞬間、「あっ」と我に返り、対面のこのかを見やると。
「……」
ひどく冷たい、パフェのアイスよりも凍るような視線が俺を突き刺していた。
「……そろそろカグヤ達と合流するから。ほら、もうお店出よ」
「あ、ああ」
そう言ってこのかは一足先に出口へと向かい、俺は会計を済ませて外に出た。
店の外でこのかは電話をしていた。おそらく別れた班員の子達と連絡を取っているのだろう。
「あー。うん、分かった。じゃ、そこにいて。今から向かうから。うん、じゃあねー」
電話を切ったこのかは、「さて、と」と振り返る。
「じゃ、待ち合わせ場所まで付き添いよろしく」
「へいへい。デートだもんな」
「何言ってんの? 普通、兄妹で遊ぶのをデートなんて言うわけないじゃん。きも」
お前が言ったんだろうが。
俺は「へいへい」と言いながら、このかから待ち合わせ場所を聞いて、地図アプリを起動してルートの確認をする。
そんな俺の隣で、くいっと服の裾を掴んだこのかが、ぽつりと呟く。
「ま、《普通》が怖いなら、それでも別にいいんだけどね」
「……ばーか」
俺はこのかの頭に手を置いて優しく彼女の髪を撫でた。
これは、仲の悪い兄妹の至ってよくある話だ。
どこにでもあって、どこにでもない。
兄と妹の仲が悪い、そんなありふれた。
普通ではない、日常話だ。
とある高校生が合流した後の会話。
「え? お前、笹倉振ったんだって? え? 振ったんだって?」
「あ、いや、その……」
「お前、あんな可愛い子を振るなんて……もしかして、ホモか!? ホモなのか!?」
「んなわけねーだろ!」
「じゃなかったら……ロリコンか! ならば同士だ、ようこそ桃源郷へ!」
「くっつくな、触るな! つか、班長、ロリコンなのかよ!」
「おう。っていっても背が小さい子が好きってだけで、別に小学生とかが好きってわけじゃなくって――」
「うげっ、お前ロリコンなのかよ! よし、拡散しよ……『サッカー部元キャプテン、小学生にオウンゴール』っと」
「やめろぉおおおおおおお!」
 




