第二十五話:妹と修学旅行ー中編ー
好きという感情を相手に伝えるのは簡単だ。
好きという感情を受け止めるのは難しい。
好きとはどんな感情なのか、自分には分からないのだから。
修学旅行に行く前に、バイト先である不知火書店の同僚の皆にお土産のリクエストをと聞いてみた。
店長は「交通安全のお守りが欲しい」と言った。
そこは商売繁盛じゃないのだろうかと思ったけど、何も言わなかった。
俺の一つ上の剣道少女の先輩は「木刀を買ってきて」と言った。
荷物になるので断った。
最近入った新人の女の子は俺の写真が欲しいと言った。
何のために欲しいのかは尋ねなかったし、あげるつもりもなかった。
そして、菅谷姿さん。
俺にとって両親以上に尊敬し、同時に畏怖する彼女は言った。
「土産話が欲しい。それもとびっきりの清々しい青春をした土産話」
一番難易度が高いオーダーだった。
修学旅行二日目は自由班行動の日だった。
事前に担任教師に班ごとの日程表を提出し、その通りのスケジュールで一日を過ごす。
班はくじ引きで決まった男女混合の六名で構成されており、俺のクラスは全部で五班まであった。
とはいえ、高校生にもなって男女混合、しかもくじ引きという運任せで決められた班だ。
もちろん、せっかくの修学旅行という一大イベントだ。普段仲の良いメンバーで巡りたいと思ってしまう。
それが悪いこととは思わない。
どの時代も大人の考えることを、子供がすべて理解してくれるはずがない。
子供には子供の思い出の作り方がある。
大人には大人の思い出の作らせ方がある。
大人のルールを破ることは、ある意味で子供にとってはそれが思い出になるというものだ。
……まあ。それが必ずしも。
良い思い出になるとは、限らないけどな。
「じゃ、班長。私達、ここで解散ね。ホテルに帰る時間になったら、また連絡して集合しよ。じゃーねー」
俺の所属する第三班の女子三人が、岡崎神社に着くなり手を振るや否や、颯爽とタクシーを拾い去って行た。
残された俺を含めた男子三名は、溜め息一つ零すことなく、まるで背負わされたバーベルが外されたかのような朗らかな顔を作る。
「ったく。ようやく面倒くせー奴らと離れられたな。あいつら、きっと彼氏と回るんだぜ? けっ、青春だよな」
苦々しく愚痴を吐き捨てたサッカー部員の男子。
班長を務める彼にとっては、班員の自由行動は本来咎めるべきなのだろうが、女子の我儘を寛大に受け止めるのも男の器と言って見逃してやったらしい。
男前な判断だと思った。
聞けば、彼はサッカー部のキャプテンも務めていたらしい。なるほど、カリスマ性というのは柔軟性もあってのことなのだろう。
厳格なだけでは下は付いてこない。
甘いだけでは上は納得しない。
寛容に、臨機応変に、物心をとらえる力量がリーダーシップには必要なのだという。
女子の我儘を無視して、無理に班行動を強制すれば、互いに楽しい思い出は作れない。
逆にもしこのことが教員にバレて怒られたとしても、全体責任になるわけなのだから、彼にとってはハイリスクハイリターンだ。
勝てば官軍、負ければ賊軍。
まあ、それもいい思い出という奴だろう。
「せっかくの修学旅行だ。俺らも楽しもうぜ?」
全く持って、彼の言う通りだった。
「さって。岡崎神社って何があるんだ? お前が行きたいって言ったんだよな?」
もう一人の班員である明るい茶髪のそばかすの男子が俺を見る。
正直、彼に関しては印象が全くない。おそらく会話をしたことはあるし、彼もこうして気軽に話しかけてくれる分には、仲がいい方なのだろう。
俺は茶髪の彼に頷く。
「ああ……。ここは《うさぎ神社》で有名なところだよ。あとは縁結びとか、安産祈願とかが有名だったかな……」
俺もあまりちゃんとは調べていないので、うろ覚えで説明する。
ここを行先に選んだ理由は、久々野空子のお土産のリクエストがこの神社で売られているおみくじだったからだ。
――《うさぎみくじ》。
うさぎの人形の中におみくじが入ったもので、見て楽しめる、飾って楽しめるという一石二鳥のおみくじ。
正直、妹の後輩であり、俺とは何の関係性もない彼女にお土産を買っていく義理は何一つとしてないのだけれど。
買っていかなかったら、それはそれで面倒なことになりそうなので、仕方なくというやつだ。
「ふうん。確かに、狛犬がうさぎだな。へえ……」
うさぎが好きなのだろうか。茶髪君の目が少しだけ輝く。
「じゃあ、せっかくだしお参りして……。そのあとは清水寺にでも行くか――んお?」
拝殿に向かって境内を歩き出した班長の足が止まる。
何事かと彼の視線の先を追うと、果たしてそこには売店に群がる制服姿の女子高生が3人いた。
そのうちのポニーテールをした女子に、「おーい!」と親しげに声を掛ける班長。
「笹倉じゃん。お前たちの班もここに来てたんだ」
「あ、キャプテン……」
振り返った笹倉さんは、まず班長を認め、次にその隣にいる俺を見やって何故か気まずそうに顔を逸らした。
そういや、彼女と班長は同じサッカー部だったか。
「お前らも自由行動か。不良だなあ」
「私達だけじゃなくて、他の組の班でもやってることだと思うけど」
「ま、確かに。ん? どうした笹倉? そんな後ろの方に隠れて……。ああ、なるほどね。へえ……」
班長は俺を見て、玩具を見つけた子供のようにニタリと笑う。
そして笹倉さんと同伴していた二人の女子――こっちは全く見覚えない――が笹倉さんを前に押し出す。
「ほら、桜。頑張りなって」
「チャンスでしょ、ほらほら」
あちらの彼女達も、班長と同じ種類の笑みを浮かべていた。流行っているのだろうか、その笑い方。
「――よし。じゃ、お邪魔みたいだから俺たちは別のところ行くわ」
「は?」
俺の肩をポンと叩いた班長は、きょとんとする俺を残し、「え? あ、何すんだよ! おい――」と困惑する茶髪君を連れて境内から去っていった。
そして同時に、笹倉さんと一緒にいた女子達も「頑張ってねー桜!」と言って、続くように出口に向かって走って行く。
ぽつんと。境内に残された俺と笹倉さんは、互いに顔を見合わせる。
「笹倉さん。班の人、先、行っちゃったけど、いいの?」
「あ、うん……。あ、兄君こそ、いいの?」
「さあ。まあ、いいんじゃないかな」
元々男子と女子で分かれて行動していたんだ。今更、個人行動になってもあまり変わらないだろう。
それよりも。
「……で? 俺と一緒に神社を回りたいんだっけ?」
「あ、うん。それなんだけど……。回るっていうのは、ちょっとした建前で。ホントは兄君とお話がしたくて」
「話、ね」
一瞬だけ彼女から視線を外し、地面を見る。
流石にここまでお膳立てをされて。
笹倉さんの気持ちに鈍感な俺じゃない。
だからこそ、俺は口を開く。
彼女から、《その言葉》を言われるより前に話したくて。
「……笹倉桜、さん」
「すーはー。え、な、何かな? っていうか、あはは……私のフルネーム覚えてくれてたんだ」
驚いたように笑う彼女は、気を紛らわせるように前髪を弄る。
可愛いと思った。
普通で、可愛らしくて、照れた顔もあどけなくて。
なるほど、七神が気にかかるのも納得だ。
そんな彼女に、俺は笑う。
不器用に、まるで自分を卑下して揶揄するように。
「――笹倉さん。《普通》ってなんだと思う?」
どれだけの時間が経っただろうか。
灯籠に背を預けながら、ぼんやりとたまに訪れる参拝客を眺めていると、不意に見覚えのある制服を着た女子中学生が通り過ぎて行った。
だが、すぐに戻ってきて何故か俺の方へ近づいてきた。
「あれれ? このかのお兄さん、何してんのー?」
ふにゃっとしたタヌキみたいな笑顔をした少女が俺を見上げて言う。
一見、小学生かと見間違えるくらい小柄な体躯に、目を引く金色の髪を認めて、
「……加賀美ちゃん?」
「うん、そうぴょん。加賀美・カトリーヌ・カグヤちゃんだぴょん。ぴょんぴょん!」
ウサギ神社だからか、両手を頭の上に乗せてウサギの真似をしてくる。
可愛らしいけど、ちょっとだけ仕草がうざかった。
「それでそれで? お兄さんは、今何してるぴょん? ちなみにカグヤちゃんは修学旅行中なのだぴょん!」
「俺も同じ修学旅行中だよ」
「それはそれは! なんとも奇遇ぴょんね! それにしても、なんだかお兄さん、テンション低いっぴょん?」
「そうか?」
「そうぴょん。まるでガラスの靴を探し回る中で、別の女性に見とれてしまってその人と結婚してしまった王子様をただ眺めるシンデレラみたいな顔をしているぴょん」
「どんな顔だよ」
キャラ付けのつもりか、それとも修学旅行でハイテンションになっているのか。
まるで遊園地ではしゃぐ子供と会話をしているような気分だった。
「……加賀美ちゃん。悪いけど、俺のことは放っておい――」
「ちょっと、カグヤ! トイレに行ってる隙に先に行かないでよ! もう……。――あ」
加賀美ちゃんの背後から、同じ制服姿の女子中学生が怒った口調でこっちにやってきた。
そして俺は彼女を認める。彼女も俺を認める。
俺は苦虫をかみつぶしたような顔で。
彼女は赤点を母親に見つかったような顔で。
互いに居心地の悪そうに、口を開いた。
「……何してんの、兄ちゃん」
「……お前に会いに来た。なんつって」
「きも」
妹から冷たい目で見られて、俺は小さく笑う。
全く。本当に。
俺は一体、何をしているんだろうな。
このかは、じっと俺の顔を見つめる。
二日ぶりの妹の顔だった。何だろう、不思議と長いこと会っていなかったような感覚に陥る。
「……はあ。カグヤ、ごめん」
突然、このかが加賀美ちゃんを向いて謝った。
「ちょっとだけ班行動から離れていい? すぐに合流するから」
「ぴょん。それはいいけど……。ん、分かったぴょん。じゃあ、後で連絡してぴょん!」
「うん、ありがと」
頷いた加賀美ちゃんは、「カグヤちゃんの嫁にお土産買っていくぴょーん!」と言って、まるでウサギが跳ねるように走って去って行った。
いまいち、掴みどころのない少女だ。
そうして俺の前に残ったこのかは、「……で?」と腰に手を当てて言う。
「何かあったの? 迷子?」
「実はそうなんだよ。キレイな舞妓さんのお尻を追いかけてたら、ついつい班から離れちゃってな」
「あっそ。じゃあ、そのまま死ねば」
「何言ってんだ? 嘘に決まってるだろ? 本当に騙されたのか? 兄ちゃんは、尻より胸の方が好きだって」
「……」
「ごめんなさい」
沈黙が一番怖いツッコミだった。
と言いつつ、俺も妹相手に何を話していいのか、分からねえし。
「……ひとまず。兄ちゃん。せっかくの京都なんだし。いつまでもここで黄昏ってるのも意味ないと思うの」
「そうだな」
「だから。――デートしよう」
だからの意味が分からなかった。
ある女子中学生の班員の会話。
「あれ? カグヤ。このこのは?」
「えーっとね。このかは、彼氏と一緒に行動するって言ってどっかに行っちゃったぴょん!」
「えー。何それ何それ!? マジで!? うわー、ヤバイ! マジでヤバイ!」
「じゃあカグヤは……このかの彼氏見たの!?」
「うん。っていうか、もとから知ってたぴょん」
「そうなんだーっ! ねね、今度教えてよー! ウチのクラスの男子?」
「ぴょん……。さあ、どうかなーぴょん!」
「……っていうか、カグヤ。その口調、ちょっとうざいよ」
「ぴょん!?」




