第二十四話:妹と女心
女子に感想を求められた時は、ひとまず《似合っている》と言えば大体は丸く収まる。
ある9月の日曜日の昼中。
俺は自室で黒のロールタイプのボストンバッグを前にして、一息吐いた。
「……ま、こんなもんかな」
衣類と数冊の本が入ったバッグのチャックを閉じて、試しに掴んで持ち上げてみた。
軽い。まあ、当たり前だけど。
明日に控えた三泊四日の修学旅行に備え、早めに荷物をまとめてみようとしたが、これと言って持って行く必要のある物が見当たらず、適当に必須と思えるものを詰め込んでみたものの。
「よくよく考えれば、泊まる場所もホテルでアメニティも揃ってるし、基本的に荷物って財布とケータイだけあれば十分だよな……」
着替えくらいは必要かもしれないが、それもないならないで買えばいいだけの話だ。
別に無人島や宇宙に旅行に行くわけでもない。
行き先は京都だ。コンビニもあれば舞妓さんもいるし、ツッコミも通じる。何一つ不自由はない。
備えあれば憂いなし、という言葉もあるが、逆に備える時点であれこれと荷物だけでなく不安も抱えて余計な荷重というものだろう。
所詮ある程度のものは代用が利くし、ほとんどは皮算用になる。
ならばいっそ手ぶらでもいいのだけれど、それは流石にクラスで悪目立ちするだろう。なので適当に荷物は持っていくことにしよう。
旅行らしい荷物を。高校生らしい準備を。期待と不安にドキをムネムネにしよう。
「……アホらしいな」
ボストンバッグを目に付いた場所に適当に放り投げ、俺は昼飯を食べるために自室を出て一階に降りる。
すると、ちょうど出かけ先から帰宅したらしい妹が玄関先にいて、目が合った。
「おかえり」
「ただいま」
淡泊な挨拶に、これまた淡泊に返す妹。
妹を見れば、右手になにやらアパレルショップらしき袋を提げていた。
そういえば、妹も明日から修学旅行だったはずだ。ならばあれは旅行の荷物だろうか。
「……何?」
俺の視線に気付いたのか、妹がやや不機嫌そうな声で言う。
俺は「別に」と言って、妹から視線を外してリビングに向かった。
リビングを抜けてキッチンに向かい、何か昼飯の食材はないかと冷蔵庫を漁っていると、
「……?」
ふと気付けば、妹が背後に立っていた。
「なんだ? 何か欲しいものでもあるのか?」
「……」
じーっと冷蔵庫ではなく、俺を見続ける妹。
なんだ? 何か俺の顔に付いているのだろうか?
ぺたぺたと確認するように顔を触ると、妹は「……はあ」となにやら意味ありげに溜め息を吐いて、俺から離れた。
なんなんだよ、一体……? 腹でも減っているのだろうか。
「お前、昼飯食った?」
「まだだけど」
「ん、じゃあ何か作ってやるよ。リクエストは?」
「……麺類」
「はいよ」
それなら茹でるだけで済むから大した手間じゃないな。
俺は冷蔵庫を離れ、戸棚を漁って普段麺類を保存している場所を眺める。
んーと、袋ラーメンにつけ麺……パスタに……お、蕎麦があるな。これにしよう。
付け合わせに何か天ぷらも欲しいな。確かさっき冷蔵庫の中にちくわがあったな。それを天ぷらにしよう。
昼飯のメニューを頭の中で組み立て、調理を始める中、背後からじーっと眺める妹の視線は続いた。
……一体なんなんだ?
「……ごちそうさま」
「おう、お粗末さま」
天ぷら蕎麦を食べ終えた俺達は、テーブルに着いたまま小さく息を吐いた。
……蕎麦を食べている間も、対面に座る妹から謎の視線は続いた。
ちらっと見ると、すぐに目線を外される。だが、隙を見ては何故か俺の顔を見ていたようだった。
「……。……なあ」
俺は思いきって尋ねてみる。
「何か俺に用事か?」
「は? 何が?」
訝しむように俺を見る妹。
「何がじゃねえよ。さっきからちらちらと俺の顔を見てるだろ?」
「……気のせいでしょ」
「気のせいじゃねえよ。何か俺の顔にでも付いてるか?」
「……。付いてるっていうか、どちらかと言うと憑いてるっていうか」
「言ってる意味が分からないぞ?」
「……実は、私。霊感があるんだよね」
衝撃の事実だった!
「それで、兄ちゃんを見ていたっていうか、兄ちゃんの後ろを見ていたんだよね」
妹は俺の背後を指さす。
「兄ちゃんの肩に、幽霊がいるの」
「な……っ!? ま、マジかよ……。悪霊とかってやつか?」
「え? あ、うん。そう、悪霊」
「そうか……。なにやら最近肌荒れがひどいなと思っていたけど、まさかそれも悪霊の仕業だったりするのか?」
「え? それはただの乾燥じゃ――あ、いや、そうだね。うん、悪霊の仕業だよ」
「やっぱりか。ちなみに、悪霊はどんな見た目をしてるんだ?」
「えーっと。うーん……。洗濯するときに片っぽだけなくなる靴下の……悪霊?」
随分、家庭的な悪霊だった。
「そうか……確かに時々靴下、片っぽなくすもんな。それで俺は恨みを買ったというわけか」
「う、うん……そうだね。二百足くらい、兄ちゃんの肩に憑いてるよ」
想像したらかなりシュールだった。二百足の靴下、しかも片っぽだけに囲まれる俺。
「――っていうか、嘘だろ! なんだよ、靴下の悪霊って! 嘘を吐くならまともな嘘を吐けよ!」
まともな嘘が何かは知らないけど。
そもそも、妹は幽霊などのホラー系は苦手なはずだ。
妹は俺の指摘に、「うっ」と苦虫をかみつぶしたような顔を作る。
「バカな兄なら誤魔化せると思ったのに」
「いや、バカはお前だろ……。で、本当は俺の何を見てたんだよ?」
「……しらないっ」
ぷいっと顔を逸らした妹は、空になった食器をキッチンに片付け、ソファに突っ伏して横になってしまった。
何なんだろうか、一体。なにやらイライラしているようだったが。
……あの日か? それでイライラしているのか?
ならば俺の方からあれこれと言うのも野暮だろう。
俺も食器を片付け、ソファを妹に占領されてしまったのでテーブルに戻り、テレビのチャンネルを点けるが何も面白い番組はやっていなかった。
ゲームでもしようか、それとも自室に戻って本でも読もうかとぼーっと思考していると、またしても視線を感じた。
見れば、ソファのクッションに顔を埋めながらも片目で俺をじっと捉えていた。
……先ほどは冗談で済ませたけれど、ここまで執拗に視線を送っていると、本当に俺の背後に彼女にしか見えない不可視の存在がいるのかと疑ってしまう。
俺は背中の辺りを手で扇いでみるが、特に何もなかった。当たり前だろうけど。
全く、一体なんだってんだろう。朝、妹と会った時は特にこんな謎の視線は送っていなかったと思ったのだが。
「……はあ」
恋する乙女のように、深い溜め息を吐いた妹。
溜め息を吐きたいのは俺の方だってーの。
結局のところ。半日の間、顔を合わせる度にこのかに見られることは続いた。
その度に、さりげなくその原因と意図を探ってみたのだが、どれもはぐされてしまい、真相は分からないままだった。
そして晩になり、風呂から上がった妹がリビングで髪を乾かしているのを眺めながら、俺も風呂に入ろうと思い、見ていたテレビ番組を止めて。
そういえばと何気なく、このかに聞いてみた。
「このか、明日の修学旅行の荷物はまとめたのか?」
「もうやったよ。今日、シャンプーとかも買って来たし」
シャンプーなんてわざわざ持って行かなくてもいいだろうと思ったが、女子はそういう細かい所を気にする生き物なので黙っておいた。
枕が変わったら眠れなくなるのと同じで、出来るだけ旅行先でも普段使っているものを使いたいのだろう。
そういう年頃、そういう性質、そういう生き物だろう。
「ふうん」と俺には理解出来ない相槌を打って、ついでにこれもまた、どうでもいいことを言ってみた。
「そういえば、お前。髪の毛切ったのな」
「――っ!?」
ドライヤーの電源を切って、がばっとこちらを振り返ったこのかは、まるで背後にキュウリを見つけた猫のような顔をした。
「……気付いて、たの?」
「あん? 何が?」
「だ、だから……。私が、髪の毛、切ったの……」
こそばゆそうに少しだけ短くなった髪の切っ先を弄りながら、このかが呟く。
俺は「ああ」と頷く。
「昼に帰って来た時に、すぐに気付いたけど。どうせ明日旅行だから、気合い入れるために切ったんだろ? ……それがなんだ?」
不思議そうに首を傾げた俺に、このかは何故か肩を震わせる。
なんだ?
「し、知ってたなら――」
「ん?」
小さく呟いたこのかは、顔を上げて傍にあったソファのクッションを俺に投げつけてきた。
「――バカッ!」
顔面でクッションを受け止めた俺を無視して、このかは憤慨したようにリビングを出て行ってしまった。
俺は顔から落ちたクッションを拾い、ぱふぱふと弄びながらちらっと俺の横を通り抜けたこのかの横顔を思い返す。
……わずかだが、口元が緩んでいた。
「……なんだあいつ」
突然怒って、突然笑って。
全く。
年頃の女子というのはよく分からない。
1ミリに気付いて欲しい。少しの変化に気付いて欲しい。
たったそれだけで、十分だから。




