第二十二話:ロリと恋愛観
人を見た目で判断する奴は、自分も見た目で判断されている。
「すっかり遅くなったな……」
夜の帳が降りて月明かりに照らされた星空を見上げた俺は、小さく舌打ちをして自転車のペダルに足を乗せた。
バイト先である不知火書店を出たのは、23時を過ぎた頃だった。
労働基準法で18歳以下は22時を超えて働いてはいけない。
もちろん俺のタイムカードは22時ちょうどに切ったし、その時にはすでに店長に挨拶をして帰る準備まで出来ていた。
だが、その日は不運にも。
俺にとって疫病神的存在であり、またあるときは英雄的役割であり、そして同時に同じ職場で働く同僚でもある――菅谷姿さんとシフトの時間が被っていた。
これは、言うならば。
俺にとっては清々しくないことであり、菅谷姿にとってはもちろん言うまでもなく。
『清々しいね、少年』
そう言ってニヒルな笑みを浮かべて、いつの間に奪ったのか、俺の自転車と家の鍵が付いたキーチェーンを手のひらで弄びながら、俺は仕事終わりの姿さんの雑談に付き合わされたわけなのである。
雑談の内容はどうってことはない。つまらない会話だ。
記憶にも残らない、とりとめのない会話だ。
だが、あえて。思い出すのであれば、そう……確かこんな話だった。
『少年の学校にはマドンナ的存在の女学生はいるのかい?』『やはり生徒会というのは変人変態の集まりだったりするのかな?』
『風紀委員というのは二次元だけの存在というが、果たして少年の学校はどうなんだい?』『パンツはおやつに入るのかな?』
『一見平凡そうだけど、周囲に美少女をはべらかしている冴えない普通の男の子はいるか?』『毎回転ぶ度に女子生徒のパンツに頭を突っ込む生徒はいたりする?』
『毎回喧嘩ばかりする幼馴染の男女はクラスにいるかい?』『そろそろ、先日店に来たロリ中学生の連絡先を私に教えてもらえないだろうか?』
『最近面白いエロゲーやった? え、一度もやったことない? それはいけない! 今度姿さんベスト100作品を貸してあげよう。なあに遠慮するな、少年。私と君の仲じゃないか!』
正式には会話のキャッチボールではなく、ただ姿さんの疑問を受け止めるだけ会話のノックだったような気もするが。
とにもかくにも、そんな尋問にも似たものに付き合わされ、1時間を浪費してしまったわけだ。
「疲れた……。授業よりも仕事よりも……最後の会話が一番疲れた……」
せめてもの幸いは、明日が土曜日だということだ。
帰ってすぐ風呂入って寝よう。夕飯は……どうするかな。多分、妹が作っている可能性もなくはないが。
「……」
暗闇の空を見上げる。9月とはいえまだ残暑はあるものの、この時間帯になればだいぶ涼しい。
しばし考え、俺は途中にあるコンビニに寄って焼き芋とからあげを買った。
さて、どこかで座って食べるか……と辺りをきょろきょろと見渡していると、コンビニの裏から犬の鳴き声が聞こえた。
ちらりとコンビニの裏手を見やると、そこには街灯に照らされた公園があった。
「こんなところに公園なんてあったんだ……」
目を凝らしてみれば、犬の散歩やジョギングをしている人らがちらほらといた。
ここら辺は大通りに面しているが、交番も近くにあるため治安も良い。
そのため周囲には高層マンションが建ち並び、高級住宅街という印象を受ける。
「公園で食べてくか……」
俺はビニール袋を自転車のカゴに入れ、押して公園に入る。
街灯のせいか、それとも月明かりのせいか。公園は真夜中にも関わらずかなり明るい。
ダイヤ型の公園の中央は芝生で覆われている。遊具はシンプルに滑り台とブランコがあるだけで、他はベンチと小さな噴水があるだけだった。
俺は自転車をベンチの脇に止めて、腰を落ち着かせる。ビニール袋からアメリカンドッグを取り出そうとして、ふと飲み物を買うのを忘れていたのに気づく。
腰を上げて公園を見渡し、反対側に自販機の明りを見つけた俺は、財布だけ持って公園を突っ切る。
自販機に辿り着き、缶コーヒーを購入してさて戻ろうとベンチの方を振り返ると、そこには真っ白な獣が俺の荷物を漁っていた。
「な――」
小走りでベンチに戻ると、そこには大きくて白いふわふわ毛並みの犬がいた。
首輪は付けているが、リールはない。黒い瞳は大人しげに垂れているが、食べ物の匂いを感じ取ったのか、ビニール袋を噛みながらこちらを見上げている。
「……」
――わっふ。
「え、なに……? 腹減ってんの?」
あげてもいいけど、さつまいもとからあげって犬に食べさせてもいいものだっけ?
先にスマホで調べるか、それとも取り上げてから調べるか。
悩んでいると、背後から幼い少女の声が聞こえてきた。
「――ご、ごめんなさーい! その子、私の犬なのーっ!」
慌てた様子でこちらに走ってきた少女の右手には青いリールが握られていた。どうやらこの子が飼い主らしい。
街灯に照らされて輝く金色のツインテールにゴシック調のワンピースを着た少女は、まるで西洋のお人形みたいだった。
というか、犬の散歩をするような格好ではない気がするが、まあ犬の散歩に適した格好なんてないだろうから何でも良いのだろう。
「ほら、ダメでしょメケ! このお兄さんに迷惑掛けちゃ! ……ってあれ?」
少女が犬の頭をぺちっと叩いて、ようやく俺の方へ顔を向ける。そして互いに顔を認め、「ん?」と首を傾げた。
「本屋のお兄さん。こんな所で何してるの? 本をここで売ってるの? それとも油を売ってるの?」
外見にそぐわず、中々どうして皮肉の利いたセリフに、俺は思わず彼女の頭を撫でようとして止めた。
代わりに、俺は彼女に対して答えではなく、挨拶という形で応えた。
「よお。秋の夜長にこんばんは。加賀美ちゃん」
「うん、こんばんは。このかのお兄さん」
加賀美・カトリーヌ・カグヤはふにゃっとした笑顔を向けた。
「私ね、公園と隣接したあそこのマンションに住んでるの。だから、よくここには散歩に来るんだー」
加賀美ちゃんが指さした先には、確かにすぐ近くに高層マンションが建っていた。
「いつもね、この時間帯にメケの散歩に行くんだよ。あ、メケっていうのはこの子の名前ね。正式名称は《メケメケメー大臣》なんだけどね。長いからメケって呼んでるの」
ベンチで隣に嬉しそうに話す加賀美ちゃんが続ける。
「あ、この子の犬種はグレート・ピレニーズって言って、フランスのワンちゃんなんだよー。とっても賢いのです! ね、メケ!」
ベンチの下で伏せをして欠伸を漏らすメケ。先ほど俺が分けてあげた焼き芋を食べて満腹になり、眠くなったのだろうか。
ちなみにサツマイモは犬に食べさせても大丈夫らしい。加賀美ちゃんが言っていた。
「ところで、お兄さん」と加賀美ちゃんが缶コーヒーを啜る俺に尋ねてくる。
「――お兄さんは、いつからこのかと付き合ってるの?」
コーヒーを吹き出した。
「げほっ! ごほっ。ごほっ。……あんだって?」
「ふへ? だから、お兄さんはいつから兄妹で付き合ってるのかなーって」
「……ちょっと整理しようか、加賀美ちゃん」
俺は缶コーヒーを一気に飲み干し、息を整える。深呼吸をしてから隣の小さな少女を見下ろす。
「……なんでそんな質問をするんだ?」
「うーん? このかはカグヤのお友達だし。お友達の恋人さんのことに興味あるの、そんなにおかしいかな?」
「大前提で……まず、俺はこのかと付き合ってなんかいない……」
「……え?」
今度は加賀美ちゃんが目を丸くするターンだった。
「え? そうなの!? あ、でも、あー。うー。そっか。うん、そうかも。うん、そうだった!」
なにやら勝手に頷いて、勝手に納得したようだった。
「理解したか?」
「うん、秘密の関係ってやつなんだね!」
全く、これっぽっちも誤解は解けていなかった。
俺はこめかみを押えながら、「あー……なるほど、アホの子か」と小さく呟き、頭を振る。
「つーか、なんでそういうことを思ったんだ? 俺とこのかは、兄妹だぞ。普通、っていうか常識で物を語れば、付き合うわけないだろ」
第一、俺と妹は仲が悪い。片方が片方に好意を持っている、シスコン、ブラコンならともかく、俺達は互いを嫌っている。
誤解なんて生まれるはずもない。
「えー……。そうなんだ……。てっきり、カグヤは付き合ってものだと……。じゃあ、このかのあの話は……嘘なのかな?」
「このかの話ってなんだ?」
「あ、ううん。なんでもなーい! 付き合っちゃえば良いのにー。このこのー」
ぐいぐいっと肘で俺の脇腹を突いてくる加賀美ちゃんを躱す。
「何をどう勘違いしたのかは知らないけど、兄妹で恋愛なんて――あり得ないだろ」
なんてことはない、当たり前過ぎるセリフに。
唐突に、前触れもなく、突発的に。
ぐいっとその外見からは想像できないほど、強い力で加賀美ちゃんに胸ぐらを掴まれた。
「――恋愛、バカにしないでっ!!」
その鋭い声に、ベンチの下で寝ていたメケがのそっと起き上がる。そしてつぶらな瞳で俺達を見つめ、小さくわふっと鳴く。
「……ごめんなさい」
手を離した加賀美ちゃんは、メケの視線に気付いて、ふにゃっと笑うと飼い犬を小さな身体で抱きしめた。
「……。別に。バカになんかしてねえよ。ただの一般論だろ? 兄妹で恋愛がダメなことくらい」
「……。うん、そうだね。でもね、私はね。恋愛ってステキなことだと思うの」
加賀美ちゃんがメケのふわふわのわたあめのような毛に顔を埋めながら続ける。
「ステキで、綺麗で、自由で、ふわふわしてて。甘酸っぱくて、苦くて、辛くて、楽しくて。それで、とっても嬉しいものだと思うの――だから」
だから。
「せめて、お兄さんには。《あり得ない》なんて、普通なことは言われたくないかな」
加賀美ちゃんが何を思って。何を考えて怒ったのかは知らない。
友達であるこのかを想ってなのか。それとも目の前の俺のことを想ってなのか。
はたまた、俺の知らない誰かに対してなのか。
……いや、もしかしたら《自分》のことなのかもしれない。
不意に、ブルッとスマホが振動した。ポケットから取り出すと、このかからのメールだった。
《いつ帰ってくるの? もうお父さん達帰って来たから、先にご飯食べちゃうからね》
何てことはない、普通のメールに。さて何て返そうかと思考していると。
「……えへへ。お兄さん。何か良いことあった?」
加賀美ちゃんが頬をメケにくっつけながら、俺を見ていた。
「なんも。このかから《いつ帰って来るんだー》ってメールが来ただけだ」
「ふーん。良かったね」
何が良かったのかは知らないが、ひとまず返信しようと文字を入力しようとしていると。ポンと続けてメッセージが飛んできた。
《ついでに帰りにアイス買って来て》
「……」
俺は小さく溜め息を吐いて、ベンチから立ち上がる。
「帰るわ。加賀美ちゃんも家が近いって言っても、もう遅いし。早く帰れよ?」
「うん。あ、お兄さん」
俺は自転車に跨がりながら後ろの加賀美ちゃんを振り返る。
「なんだ?」
「少しくらいね。素直になってもいいと、カグヤは思うのです」
「……それは、どっちに言ってるんだ?」
「ふにゃあ。どっちかなー? ねー、メケ―?」
飼い主に尋ねられ、メケは垂れ目をわずかに下げて。
わふっ! と鳴いた。
犬より猫より何よりも。
アルパカが好きだ。




