第二十一話:同僚とロリ
笑って過ごそうぜ。
楽しいんだからさ。
ある九月の何の変哲もない土曜日の昼中。
閑散とする不知火書店でバイト中の俺の隣で、同僚であり職場の先輩である菅谷姿さんが、突然沸騰したヤカンのように切れた。
「――清々しくない!」
レジカウンターで仕事中にも関わらず濫読していた本を放り投げる。
ちなみに彼女が投げた本は俺の私物である。本は大切に扱えよ。ハードカバーでぶん殴るぞ。嘘だけど。
「もういつのものことなんで、聞くのも面倒くさいんですが。何が《清々しく》ないんですか?」
「君だよ、少年」
ジト目で俺の鼻先に指を突き立てる姿さん。
「全く。先日の少年との沖縄旅行は散々だった。久しぶりに異性に誘われた旅行だったから、張り切って行ったのに。何もなかったじゃないか!」
「それはこっちのセリフですよ。シフトが入っているって言って、最初断ったくせに。当日になって『やっぱ行くわ』と言ったのはあんたでしょ」
「いやー。朝起きたら暑くて。シャワー浴びようと思ったら、ついでに海に入りたくなって」
相も変わらず、無茶苦茶な理由だった。
菅谷姿さんは、俺より一年長く不知火書店で働いている現在フリーターの女性だ。
年齢は二十二歳。黒髪ロングで前髪を切りそろえている。実年齢よりもずっと大人びたクールビューティという印象を与える風貌なのだが、性格は外見を裏切るような破天荒ぶり。
身長も高くすらっとした体躯は、まるでモデルのようだが、それを鼻にかける様子がないのは好印象だが、それを本人に言うと
「たまに女の子に告白されるから、カッコすぎるのも良くないんだけどね。ま、その時はありがたく美味しく頂くから別にいいんだけど」
らしい。頂くなよ、何でもありか。
そして口癖は、『清々しい』もしくは『清々しくない』。
自らの名前の略称である『すがすが』をモジったジョークネタだが、本人はかなり気に入っているらしい。変態だ。じゃない、変人だ。
そして、俺はフリーターであり、ほとんど書店で働いている姿さんとシフトが被る際は、彼女の機嫌をその口癖で判断する。
この時間帯の不知火書店は、閑古鳥が鳴くくらいに客がいないので、これといって仕事がなく、たまに清掃をするくらいの暇でアタリの時間ではあるのだが。
どうやら今日はハズレの日らしい。
――菅谷姿が、清々しくない。
「っていうか、姿さん。今更その話を蒸し返すんですか? 沖縄に行ったのなんて、もう二週間くらい前の話じゃないですか」
「……はあ。全く、これだから高校生は」
やれやれと肩をすくめる姿さん。
「そりゃ学生やってる君からすれば。毎日がドキがムネムネのスクールライフを送っている君からすれば。日ごとに女をとっかえひっかえ、時には男。男女男女の男男女に挟まれている君からすれば。あの旅行なんて、ただの日常の一片だったんだろうけどさ」
どんな酒池肉林の生活をイメージしているんだ、この人は。ラノベ主人公じゃないんだから。
「私からすれば! そう、すでに学生を卒業した菅谷姿さんからすれば! あの旅行は、刺激のない毎日に訪れたスパイスなわけさ!」
「いや、あんた、最初に俺が誘った時『えー、めんどくせ』って断ったでしょ」
「んなの忘れた! そうじゃないんだよ、少年。つまり、君からすればあれはただの三時のおやつだっただろうが、私からすれば高級料理、チャーシュー麺キャビアマシマシくらいのことだったわけだよ!」
そんなラーメン、たとえ高級食材が入っていたとしても食べたくない。
俺はまだお客がいないのを確認してから、溜め息を漏らす。
「はあ。つまり、姿さん的にあの沖縄旅行は不満だったと?」
「うむり。初めてだったしね、沖縄。少年が、私の初めてを奪ったんだ」
そう聞くと、すごい興奮するのでやめてください。
「でも、那覇空港から降りた途端、すぐに一人だけタクシーを捕まえて消えたのは、あんたでしょ」
「……。………なんだ、私が悪いのか?」
「誰が悪いと思います?」
「サーターアンダギー」
「美味しいですよね」
「うん、美味しかった。また連れてって」
「それは俺に言わないでください」
あの旅行の目的は、別に姿さんとの親交を深めるものじゃないしな。
でも、少しだけ。この人のことを知りたいと思ったのも事実なわけで。
ふと気づくと、姿さんは俺の方を見て、ニヤニヤと笑っていた。
「……なんですか?」
「んーや。ま、そうだね。言う相手が違ったね。今度、妹ちゃんに言っておいてよ」
「……」
やはり見破られていたか。本当にこの人、どんな人生を歩んできたらこんなになるんだろう。
……全く、これっぽっちも敵う気がしない。
「……そういや。旅行と言えば、少年の高校ってそろそろ修学旅行なんじゃない?」
姿さんが話題を変えてきた。どうでもいいけど、働かなくていいのだろうか。
「よく知ってますね。そうです、今月末に。もうシフトも提出してますから」
「修学旅行ねえ。いや、実に清々しいね。私は小学校の時に行っただけだから、羨ましいよ」
寂しそうに笑う姿さんに、俺は尋ねる。
「中学とか、高校の時は行かなかったんですか?」
「うん。そもそも、私、中学すら行ってないからね。最終学歴、小学校だし」
「……」
ああ、そういえば。そうだった。失言だった。
「すみません、姿さん……」
「ん? 別に少年が謝ることはないよ。事実だしね。それに気に病むことはない。私は私で納得しているし、これもまた私の選択した人生だ。後悔なんて一度だってしてないよ」
そう言い切る姿さんの横顔を見て。
素直に、正直に。
カッコいいと思ってしまった。
「……さて、仕事に戻ろう。どうやらお客さんのようだしね」
その姿さんの言葉に、俺は顔を入り口の方へ向ける。
白いワンピースを着た小さな女の子が、入ってきた。
小学五年生くらいだろうか、外国の血が入っているのか髪色が金色に近くとても目立つ子だった。
キョロキョロと店内を見渡し、雑誌コーナーに向かった女の子を眺めていると、急に姿さんに背中を叩かれた。
「いたっ。なんですか……」
「あの幼女を見て仕事思い出した」
「どういう記憶プロセスしてるんですか……」
「店長が《秋の読書キャンペーン》をやるとかで、ポップアップを作っておけって頼まれたんだった。というわけで、私は裏でポップ作るってるから、レジ頼む」
「あ、はい……」
言うが早く、姿さんは裏のスタッフルームに入って行ってしまった。
一人残された俺は、手持無沙汰になってきたので、レジ裏にあるブックカバーや栞の整理をしていると、先ほどの小学生がやってきた。
「あ、あのすみません」
「あ、はい。お会計ですか?」
「あ、いえ。そうじゃなくて……。えっと、本を取って欲しくて」
不知火書店は、店内が広いとは言い辛く、それでも店長の趣味からか色々と本を大量に置きたがるので、本棚はどれも天井に付くくらいに高い。
俺は腕を伸ばせば一番上の本も届くが、この子くらいの身長なら踏台を使っても届かない本はある。
「わかりました。どの本ですか?」
腰を屈ませ、少女と目線を合わせて聞くと、彼女は顔をパァと輝かせて、
「こっちー!」
とパタパタと駆け足で奥の方へ走っていく。
そんな彼女の後ろを付いていきながら、はてと首を傾げる。
奥にある本棚にあるのは、大体が専門書や学術書の類だ。
てっきり漫画コーナーか児童向けの小説コーナーに行くのかと思った俺の予想は裏切られた。
「ここーっ。あの上の本が欲しいの」
そして、彼女が指さした本を認めて、俺は再び裏切られる。
「……」
俺は腕を伸ばし、少女の目当ての本を棚から取り出して渡した。
「……ほんとにこの本が欲しいの?」
「うんっ!」
あどけない笑顔を俺に向ける小学生の少女。
俺は表紙のタイトルを見る。
《鬼も泣く! 超スパルタコース高校受験問題集! ~数学編序章~》
色々と突っ込みどころのあるタイトルだったが、それよりもまず確認したいことがある。
「えっと。この本は、お使いとかかな?」
「え? ううん。私が使うんだよ。私、今年受験生だから!」
……受験生。じゅけんせい。ジュケンセイ。
ああ、なるほど。俺はポンと手を打つ。
「それなら、こっちの方がいいよ。はい」
俺は同じ本棚にあった、《楽しくお勉強! これで中学受験を乗り切ろう!》と書かれた小学生向けの問題集を手渡す。
「そっちの本は、中学生向けの本だからね。君にはこっちの本だと思う――」
と、別の本を薦めると、少女は小さく頬を膨らませた。
「むぅーっ! 違うよ! こっちでいいのっ!」
「あ、いや。だって、それは――」
「いいの! だってカグヤは中学三年生なんだもん!」
「……は?」
中学三年生だって? この子が? いやいや、どこからどう見ても小学生だろ。
身長なんて俺の腰くらいだし、何より俺の知っている女子中学生という生き物は。
気性が荒々しく、わがままで、素直でなく、ぶっきらぼうで、可愛げのない――。
「――ねえ、カグヤ。参考書、見つかった?」
そうそう、こういう俺の妹のような生き物のはず……。
「……このか、なんでお前、ここにいる?」
「お客様に向かって、そういう態度はないんじゃない? 店員さん?」
にらみ合う兄妹。
「身内なんだから、別にいいだろ」
「仕事に公私混同はダメでしょ。誰が相手でも、お客様は神様、でしょ?」
「じゃあ、迷惑をかける前に帰れよ神様」
「誰に迷惑をかけたの? 私、別に何もしてないけど?」
イラっとする。
バイト先にこのかがやってきたのはこれが初めてではない。
とはいえ、普段は他人のフリをするくらいに会話を全くしないはずなのに、どういうわけか今日は変に絡んできていた。
「あ、あの……っ!」
と、小学生の女の子が小さな声を上げた。
「この人、このかのお兄さんなの?」
このか、だって?
「うん。そうだよ、カグヤ。残念ながらね」
誰が残念なお兄さんだ。
「あ、そうなんだー。へー。初めまして。私、加賀美・カトリーヌ・カグヤって言います。以後、よろしくね!」
握手を求められ、俺は「あ、ああ……」とそれに応える。握って分かる。小さい。すごく小さい。
「カグヤ、参考書見つかったなら、買って帰ろ」
「うん。店員さん、はい。お願い」
「あ、はい……」
レジに戻り、会計を済ませる。
加賀美ちゃんは、例の本を。
このかは京都の観光スポットの本を購入した。修学旅行の行先の参考にするのだろうか。
「えへへ。これでこのかと一緒に勉強できるね! 鬼勉だぁー!」
「そうだね。がんばろっか」
並んで帰ろうとするこのかに、俺は「ちょっとまて」と呼び止める。
「なに?」
「あの子。加賀美ちゃんだっけか。お前の友達か?」
「そうだけど。……紹介しないから」
「いや、そういうのはいらんけど。なんつーか、信じられなくて」
「……ああ」
このかも俺の言わんとしていることを察したのか、神妙な顔つきになる。
「言っておくけど。兄ちゃん。中三でも一応、ロリコン扱いになるからね」
「誰がロリコンだ」
不名誉な誤解だった。
「ふんっ」
何故か不機嫌になったこのかは、先に店の外に出ていた加賀美ちゃんを追って行った。
何だったんだろう、あいつ。
「――清々しいな」
背後から声を掛けられ、俺は思わず距離を取る。
「そんな身構えるなよ。私だよ、菅谷姿。少年の初恋の相手じゃないか」
「いえ、違いますけど」
「そうだな。私の初恋の相手だったな」
食えない会話だった。
俺は溜め息交じりに「なんなんですか、今度は」と尋ねる。
「ポップ作りは終わったんですか?」
「うん。全部終わった。真面目にやろうとすると、五時間くらいかかりそうだったから、本気だして十分くらいで終わらせてきた」
スペックの無駄使いだった。ほんと、なんでこの人、こんな辺境の町で、しかも人のいない個人書店でバイトなんかしてるんだろう。
「それで、暇つぶしに君たちの会話を見てたけど、まさか今の小学生少女がまさか中学生少女だったとはね。流石の私も騙されたよ。合法ロリじゃないか」
「いや、同性でも未成年に手を出したらあんた、捕まりますって」
「あっはっは。大丈夫。本物のロリコンは、ロリに手を出さないから。だって手を出したら、それはロリじゃなくなっちゃうからね」
よく分からない論理だった。いや、ロリ理論だった。
「まあ、シスコンの君にとってはどうでもいいんだろうけどね」
「いや、俺別にシスコンじゃないですけど」
即答した。
「ふふ。全くもって君たち兄妹は素直じゃないな」
まるで見透かしたように言う姿さんから視線を外して。
俺は言った。
「まあ。俺たち兄妹は、仲がとっても悪いですからね」
「ところで。ロリと結婚したら、ロリ婚になるのかな?」
「どうでもいいですから、働いてください」
菅谷姿は清々しい。




