第十九話:妹とアホと後輩と
バカとアホの違い?
愛されるのがバカで、貶されるのがアホだ。
「おいおい、どうしたどうした? まるで自販機に千円札を入れたら、お釣りが全部十円玉で出てきた、みたいな顔してるぜ?」
「どんな顔だよ」
「つまり、面倒くさそうな顔をしてるってことだよ」
学校からの帰り道。
夏休み明けの二学期初日の登校日も、誰一人非行に走ることもなく、つつがなく平和に終了した。
まあ、一人二人くらいは、夏休みデビューや大人の体験をしたらしき雰囲気をまとわせていたものの、俺には関係のない話だ。
彼らが髪を染め、ピアスを開けようが。
煙草を吸い、酒を飲み始めようが。
童貞や処女を捨てようが。
結局のところ、誰にも迷惑を掛けていないのであれば、それは自己責任。わざわざ彼らの武勇伝を聞きに行くほど、俺は正直彼らのことを深く知りたいとも思わない。
クラスメイトであっても所詮は知人、友人。他人の延長戦でしかないのだから。
だが、アホの彼はどうやら違うらしい。
七神直斗。アホ時空に存在するアホ星人。職業はアホ。特技もアホ。
「俺のクラス、もう。すげーんよ! こう、なんつーか。すげーんよ! すげー奴らばっかなんよ!」
今日はサッカー部の活動がないらしい七神とばったり昇降口で会ってしまい、生憎バイトもなく逃げ道がなかった俺は、蛇に絡まれるが如く七神に捕まってしまった。
アホ星人らしいちっとも内容が伝わってこない彼の言葉に、「そうか。そりゃ良かったな」と適当な相づちを打ちながら、並んで自転車で帰路に就く俺の顔を認めた七神は、やっと日本語を口にした。
「面倒くさそうな顔、ねえ……。原因は大きく二つあるんだけど……」
「なんだよ?」
一つは間違いなくお前だと言いたいが。やぶ蛇を好んで突く必要もないだろう。
頭を振って俺は答える。
「七神のクラスでも話あったろ? 修学旅行の話」
「ああ、あったな。行き先は京都だっけ? はあん、なるほどね」
理解したようにニヤリと笑う七神。
「京都は中学の修学旅行でも行ったから、また同じ行き先は嫌って話だろ?」
「違う」
「ほーら、せいか――え、違うの!?」
目を見開いた七神を無視して、俺は溜め息と一緒に答える。
「場所なんかどこでもいいんだよ。面倒くさいのは、行動班だよ」
「別に好きな奴と一緒に組めばいいんじゃね? なに、お前、クラスに友達いないの?」
中々心を抉る一言を放ってくるな、こいつ。
「いないわけじゃないし、もう班は夏休み前に決まってる。男子はお前と同じサッカー部の奴らとだよ」
「ふうん。じゃあ、別にいいじゃん。あいつらは、別にホモじゃねえし」
そういうことを気にしているんじゃない。……ちょっと待て。あいつら《は》? もしかしてサッカー部って……。
……いや、アホの言うことだ。深く考えないようにしよう。
「俺が面倒くさいのは、自由行動の日の行き先決めだよ。俺は正直どこでもいいんだけど、中学の時にも京都に行ったってつい言ったら……」
「ああ、なるほどね。おすすめの場所を聞かれたか」
「そ。で、俺が行動班の行き先決めを全部決めてくれって頼まれてな」
おそらくどこでもいいんだろう。高校生にもなれば、修学旅行なんて面倒くさいものでしかない。
しかも大して仲の良くもない男女との旅行だ。楽しめと言われる方が無理な話だろう。
「二学期初日から憂鬱だよ……ったく」
「まあまあ。――そうだ、久々に一緒に帰ってるんだし、どっか寄り道していかね? 自由行動日の行き先の相談、俺も考えてやるよ」
「ああ? 久々も何も、夏休みの時、けっこう会ってたじゃねえか」
「それはそれ。これはこれだろ? ほら、行こうぜ」
自転車の前のカゴに入れていたバッグを奪われ、急に方向転換をする七神。
「あ、おい!」と俺もブレーキを踏んで、方向を切り替えて通学路とは別の道を進む七神を追いかけた。
ファミリーレストラン。
放課後の学生のたまり場であり、暇を潰す格好の憩いの場。
学生の財布にも優しいリーズナブルの値段設定。そしてドリンクバーの存在は、学生でなくてもつい立ち寄ってしまう心地よさすら感じる。
いっそ名称を《スチューデントレストラン》に改名した方がいいと思うくらいに、俺と七神が立ち寄ったファミレスの客層は学生で埋め尽くされていた。
「申し訳ございません。ただいま席が満席となっておりまして」
額に汗を滲ませた店員のお兄さんが頭を下げる。ちらりと来店の順番待ちのシートを見ると、上から三組の名前が書いてあった。
「どうする? 場所変えるか?」
七神がくるりと俺を振り返って言う。俺の鞄を人質にする彼をこの場でボディブローかまして昏倒させて、鞄をひったくって一人さっさと帰る……という選択肢もあるのだが。
さて、どうしようか……。
「……のかせんぱーい! 私がドリンク持って行きますってーっ!」
「空子に任せたら、また変なの混ぜるからだーめ」
「ええ-っ!? 信頼ないなあ……おや?」
レジ奥にあるドリンクバーにやってきた二人組みの見知った女子中学生と目が合う。
一人は俺を見て飼い主を見つけた犬のように「あ」と顔を輝かせる。
対してもう一人は、キツネの嫁入りに遭ったように「うげ」と顔を苦々しく歪ませる。
久々野空子と俺の妹。
どちらがどちらの表情を浮かばせたのかなんて、言うまでもないだろう。
「奇遇ですね、兄先輩! 夏休み以来ですね。学校帰りですか? まあ、そりゃそうですよね。制服を着て、しかも夕刻とくれば、学校帰りの暇潰し以外なんでもないですもんね。いえいえ名推理って言うほどのことではありませんよ、褒めるな褒めるな。いや、褒めてもいいですよ?」
出会い頭の久々野ちゃんによるマシンガントークがぶっ放される。
よくもまあ舌が回るものだと思っていると、「ちょっと空子、うるさい」と妹が久々野ちゃんの腋に指を突き立てた。
「あうっ。もう、何するんですかこのか先輩」
「いいから。ほら、もう席に戻ろ。用事終わってないんだし」
「それはそうですけど。あ、兄先輩。もし席がないようでしたら、私たちと相席しますか?」
「はっ!? ちょ、空子――」
よそ見をしたこのかが、ドリンクバーの機械でグラスに注ぐメロンソーダを溢れさせる。
「別にいいじゃないですか、このか先輩。まだ席は空いてますし。兄先輩のお友達もお一人だけですし――」
と、そこで俺の隣にいる七神に視線を向ける久々野ちゃん。
だが、その視線が止まると、彼女は「うえ!?」と気味の悪い虫を見つけたような声を上げた。
同時に七神も「あっ!?」と穴に落とされたような声を出す。
「あ、あなた……。夏祭りの時のアホ!」
「うげ、トッピングバカ……」
久々野ちゃんと七神が顔を見合わせて、互いに苦虫をかみつぶしたような顔をする。
「え? な、何?」と固まる二人を見て首を傾げる妹は、ちらりと俺に視線を投げる。
――何これ?
俺も視線で返す。
――さあ?
なにやら一触即発の雰囲気を感じ、なし崩し的な流れで俺と七神は、このか達と同席をした。
席順は俺と七神の男子高校生側と、このかと久々野ちゃんの女子中学生側で別れた。
どうやら何かを相談していたのか、ノートとペンがテーブルに広がっていたが、それを素早く片付けたこのかが、「で?」と場を仕切った。
「なに? 二人は知り合いなの?」
それに久々野ちゃんは首を振った。
「いえ、違いますこのか先輩。知り合いではありません。こんな変態でアホな人、知るわけないじゃないですか」
「はあ!? 誰がアホだ! バカに言われたくないね、メロンとイチゴの味の違いも分からないようなバカには!」
「ああん? 大体、なんですかそのサムライみたいな頭。キモすぎなんですけど。ここは平成ですよ? 時代間違えてません? 飛鳥時代に帰ってくださいよ」
「はははっ。流石中学生だな! サムライは飛鳥時代にはいませーん。サムライは奈良時代でぇーすぅ」
「うぐぐ……知ってますよ! あなたを試したんです!」
「嘘つけ! こんな初歩的な間違いする奴いるかよ!」
火花を散らせる七神と久々野ちゃん。
俺はこそっと対面のこのかに尋ねる。
「……なあ、サムライって飛鳥時代でも奈良時代にもまだいないって言わないのか?」
「アホとバカにそれを言っても仕方ないでしょ」
確かに。このかの言うとおりだろう。
にしても、だ。
まさか七神と久々野ちゃんが顔見知りだったとは思わなかった。
類は友を呼ぶと言うが、アホとバカは類人なんだろうか。
「ふう、もういいです! アホは放っておきましょう! このか先輩、早く修学旅行の行き先決めちゃいましょ」
「え? この二人がいる前で決めるの?」
「……それもそうですね。じゃ、アホは帰ってください」
「お、そうか。じゃ、これにて失礼を――」
「どこに行くんですか、兄先輩。兄先輩はここにいてください」
腰を上げようとすると、テーブル下から久々野ちゃんの足でロックされてしまう。
ちっ。自然な流れで帰れると思ったのに。
「ん? このかちゃんの持ってるパンフレットって、もしかして京都旅行のやつ?」
七神が指さした先には、旅行のパンフレットらしきものがノートの下敷きになっていた。
「あ、ああ、これですか……」とノートをどかして、パンフレットを見せるこのか。
「兄ちゃん達も母校だから知ってると思うけど。うちらの修学旅行の行き先が京都なので、その自由行動の日にどこへ行くのか決めてるんですよ」
「そうなんですよー。でで、ぜひともこのか先輩にお土産を買ってきて欲しい場所をリクエストしてる次第であります!」
てへぺろりと舌を出す久々野ちゃん。
なるほど、図々しい久々野ちゃんらしい。
「ワガママな女だな。先輩をこき使うなんて」
七神が溜め息交じりに久々野ちゃんを揶揄すると、「へーんだっ」と彼女が唇を尖らせて言う。
「別にいいじゃないですかーっ。このか先輩から申し出たんですから。何か欲しいお土産ある? って。ねえ?」
「ん、うん……まあ」
歯切の悪いこのか。おそらくここまで細かく指定されるとは思ってなかったのだろう。哀れ妹。
「ん、そう言えば。兄ちゃん達も修学旅行の行き先、京都だったよね?」
このかが思い出したように言う。
「ああ……」
「え? そうなんですか? っていうか、兄先輩、高校二年生ですよね? 修学旅行、もう行くんですか?」
久々野ちゃんの質問に、「高校の修学旅行は大体二年生にあるんだよ。三年になったら受験で忙しくなるしな」と答えつつ、来年のことを少しだけ頭をよぎらせる。
……来年、か。俺はさて、受験をするのだろうか……。
「へえ。そうなんですね。いいですねえ……。ちなみに旅行の日っていつですか?」
「今月末だな。月曜から三泊四日」
「はれ? それって……私たちと日付、被りますね」
私たちって、久々野ちゃんは修学旅行に行かねえだろ……。
「へえ? じゃあ、もしかしたらこのかちゃんと当日会うかもしれねえな。な?」
「ねえよ」「ないね」
俺とこのかの声が重なる。
ハッとして顔を上げると、このかも驚いたように目を丸くしていた。
そして隣を見ると、ニヤニヤと笑う七神。
「……なんだよ」
「べっつにー?」
「空子も、なにその顔?」
「べっつにー? です」
虫の居所が悪くなったのか、このかはグラスのメロンソーダを一気飲みする。「うぷっ」と口元を押さえながら、席を立ち上がった。
「私、もう帰るから。兄ちゃん達、この席、使ってていいよ」
「あ、このか先輩! え、ちょっと待ってくださいよー」
荷物を持って慌ててこのかを追いかける久々野ちゃんは、テーブルを離れる前に振り返って。
「あ、兄先輩」
「ん?」
手をまるでウサギの耳のように頭に付けた久々野ちゃんが言う。
「ウサギみくじ。お土産で買って来てください」
「は?」
「それではっ。あ、アホの人からのお土産はいりませんよ」
「誰がお前になんかやるか!」
「いーっだ」
最後まで睨み合っていた七神と久々野ちゃんは、威嚇して去って行った。
後で何があったのか聞こう。
「ウサギみくじって何だっけ? そんなの京都にあったか?」
「……さあ?」
俺と七神は顔を見合わせる。
まあ、そんなことよりも。
いま一番解決すべき内容は。
「さて、七神。この席の会計、誰が払う?」
このか達の飲食代が書かれた伝票をピンと弾く。
俺と七神はしばしの沈黙を作り、そして同時に拳を挙げた。
「じゃーんけーん」
俺はチョキを出した。




