番外編弐:久々野空子は見守った
見てるだけじゃつまらない。
眺めているだけじゃもどかしい。
それでも私は何もしない。
きっともっとつまらなくしてしまうから。
私、久々野空子には愛すべきパートナーがいます。
相方。相棒。恋人。
一年上の野球部の先輩。
……にゅふふ。
彼女のことを考えると、頭の中がふわふあするので、きっとこれは恋なのでしょう。
相手は私と同じ女の子ではありますが、そんなのは関係ありません。
その人を見て、ああ好きだなと思って、抱きしめたいな、手を繋ぎたいな、キスしたいな、ぺろぺろ匂いをくんかくんかしたいなー。
きっとそう思えば、それは恋なのでしょう。
……こんなことを言うと、どこかの尊敬する先輩のお兄さんが反論して来そうですが、今日ばかりはそれも気にする必要はありません。
今は夏休み。兄先輩に会うことは滅多にないのですから。
さてさて、明日は彼女とのデート。
もしかしたらひと夏の体験ということもありますし、今日は勝負デート服でも買いに街に繰り出しております。
いやいや、それにしても――。
「ふう。今日が部活休みで良かったよ……。こんな日に部活なんかしたら、干からびちゃう」
今日から八月が始まるということもあってか、本気の夏を見せてやるぜーと言わんばかりに最高気温は三十度を超えるらしい。
ノースリーブのシャツにミニスカートとキャップを被っているにも関わらず、目的地である駅近のショッピングモールに着く頃には汗はだくだく、喉はカラカラになってしまいました。
「お買い物……の前に、カフェで飲み物でも買っていこう……」
確か一階にスタバがあったなと思いつつ、オアシスを求めて砂漠で彷徨うかのようにフラフラとショッピングモールのフロントを歩いていると、不意に聞き覚えるのある声がした。
「……とにかくっ。これで私が少なくとも兄ちゃんよりセンスいいのは分かったでしょ?」
あれ? この声って……。
私は声のした方に視線を向けると、そこには学生らしき男女の一組がいた。
「――つべこべ言わずに私について来い。お前の世界を変えてやる」
くいっと少し顎をあげて言った女の子の横顔が見える――間違いない、見間違えることはない。
敬愛し、尊敬し、寵愛する私の部活の先輩――このか先輩だ!
ということは……もしかして、いや。もしかしなくても、このか先輩の一歩後ろにいるのは……。
「すげー男前なセリフだな。ついつい兄ちゃん、お前に惚れちまいそうだ」
おお、兄先輩だ! これまた珍しい光景じゃないですか!
あの二人を同時に見るのは本当に珍しい。
特に兄先輩。私はあの人とは片手で数える程度の会話をしたことがないけれど、このか先輩を嫌っているようでいて、どこか気にしているような態度を取っているから、ちょーっとだけ気になっていたり、いなかったり、カントリー。
「キモい」
そんな兄先輩のセリフを一蹴したこのか先輩は、スタスタとエレベーターの方に歩いて行ってしまう。
兄先輩もこのか先輩を追いかけて行ってしまい、残された私もつい二人を追いかけようとして、はたと止まる。
「……追いかけて、どうしよう?」
奇遇ですねー、何してるんですかー? と声を掛けてみようか?
……いや、何をしているもなにも。見れば分かる。男女で外出といえば、デートだろう。
いや、でも兄妹で外出してもそれはデートと言えるのだろうか……。
そもそもあれはデートなのだろうか……。
「……ちょっと気になるけど。うーん」
考える。
①声をかける
②見なかったことにして、スタバに行く
③声を掛けずに尾行する
私は迷わず③を選んだ。
「うーん、こんなもんかなー?」
二人の行き先は三階のユニクロだった。
どうやらこのか先輩が、兄先輩の服を見繕っているらしい。
「兄ちゃんはどう思う?」
「お前が決めるんなら、なんでもいい」
「なんでもよくはないでしょ。ほら、気になったものとかないの?」
「……じゃあ、あのシャツとか――」
「却下」
「俺の意見聞いておいて、ぶった切るなよ!」
「《切る》と《着る》で重ねてるの? 服だけに重ね着してるの?」
「いや、そういう発想がむしろ寒いわ」
っていうか、完全にやり取りは恋人のそれだった。
傍目から見ればただのイチャイチャだった。
……あれで、ごまかしてるつもりなんだろうか。
どっちのこと、とは言わないけどさ。
服の棚に隠れながら、遠目で眺めていると、不意に兄先輩が私の方に振り返ってきた。
「……ん?」
やばっ。
私は慌てて手元にあった服を取って、「似合うかなー? これ似合うかなー?」と服で兄先輩の視線を遮った。
「どうしたの、兄ちゃん?」
「……いや、あの女の子さ」
「……兄ちゃんさ。別にいいっちゃいいけど。普通、女子と一緒に買い物してる時に、別の女子を見るのはデリカシー違反だよ」
このか先輩の不機嫌そうな声。うわ、嫉妬? 可愛いなあ、もう!
「はあ? なんだそれ。いや、あの子が持ってる服、メンズのパーカーだから気になってな」
うげっ。ホントだ! まあ、ここら辺メンズコーナーだし、仕方ないっちゃ仕方ないけど!
「彼氏の服を選んでるんじゃないの? ほら、私みたいにさ」
このか先輩、しれっと彼氏とか言っちゃってますよ!? ラブがカミングしてますよ!?
「いや、俺、お前の彼氏じゃなくて兄貴なんだけど」
気付けよ、兄先輩! そこは、男として! いや、気付いたらやばそうだけど!
「知ってるよっ。みたいって言っただけじゃん」
「あ、どこ行くんだよ、おい。……何怒ってんだ、あいつ?」
そりゃ怒りますよ、兄先輩……。
にしても、ちょっと危なかったなあ。店内は広いとは言え、色々と歩き回っていたらバレちゃう可能性あるし。
私は手に持ったパーカーをじっと見つめ、「そうだ」とその服に腕を通した。
「店内で尾行する間は、このパーカー着て変装しよう。フードも被っちゃえば、顔もわかんないしね」
ナイス、空子ちゃん。
ささ、二人を追いかけよう。
そうこうしていると、兄先輩はまるで着せ替え人形のように、このか先輩の持ってくる服を着せられていた。
「んー。違うなあ。あんまかっこよくないなあ。顔がダメなのかな?」
「おい、元も子もねえこと言うなよ、このか。むしろ顔は良い方だろ」
「あはは。兄ちゃん、後ろに鏡があるよ?」
いちゃいちゃしてるなあ。
「……んー。ダメだな、インスピレーションが沸かない。ねえ、兄ちゃん」
「あん?」
「ちょっと休憩。一階にスタバがあるから、飲み物でも買いにいこ」
「はあ? そんなの服選んでからでいいじゃねえか」
「無理。服選びは長期戦なの。インターバル挟まないと、いい服は逃げちゃうの」
「いや、服は逃げねえだろ」
「センスは逃げるのっ。ほら、行くよ」
そう言って、このか先輩は兄先輩を引っ張って、店の外に出て行ってしまった。
もしかして、私に気付いた?
いや、それはないだろうけど……。
とにかく、私も二人を追いかけないと――。
と、店外に出ようとした瞬間――。
ビービーッ!
けたたましい警音が私の服から鳴り響いた!
え、何? 何?
「あのー、お客様。失礼ですが、精算の済んでいない商品をお持ちではありませんか?」
女性の店員さんが後ろから早足でやってきて、私を見下ろして言った。
あ、そういえばこのパーカー、脱ぐのを忘れてた!
「す、すいません! あ、あの!」
慌ててパーカーを脱ごうとしていると、店外からこのか先輩達の声が聞こえてきた。
「何この音?」
「ユニクロからだな」
まずいっ! このままパーカーを脱いだら、二人にバレちゃう!
「す、すみません! この服は脱げません!」
「え? あ、でしたら代金を――」
代金? つまりお金? あ、でも今日は勝負服のお金しか持ってきてないから、このパーカーを買ったらお金が……!?
「すみません、お金もないです!」
「……。失礼ではありますが、裏の方に一緒に付いて来てくれませんか?」
眉を寄せた店員さんが、ぐっと私の肩に手を置いてきた。
「ひっ!? あ、あの、私にはミッションがありまして……その、二人の行く末を見守るという――」
「言っている意味が分かりません。すみませんが、少し裏の事務所の方でお話をしましょう」
「え……」
そんなこんなで。
私はしっぽりと1時間、万引きの疑いを晴らすために店員さんに説明をする羽目になるのだった。




