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兄と妹は仲が悪い  作者: ナツメ
19/87

第十七話:妹と海

青春は、夏と海と汗で構成されている


午前八時。

俺は支度を整えて、一階にあるリビングに降りてきて言った。

「妹よ、海に行くぞ」

食卓テーブルで食パンを囓っていた妹の手が止まる。

「……。………は?」

訝しげに目を細めた妹に、俺は「……ん?」と首を傾げる。

「……HEY! My sister。Let's go to the sea!」

「いや、日本語が分からなかったわけじゃないから」

「……血を分けし我が眷属よ。水天一碧なる母の抱擁を受けに、いざ参ろうではないか!」

「もっと意味が分からないから」

「……こーのかちゃーん。うーみにいっきましょー!」

「キモい」

「……はあ、もう面倒くせぇなお前」

「面倒くさいのはどっちよ!」

何を怒っているのか知らないが、妹は朝から元気だった。

どうやらすでに母さん達はもう仕事に行ったらしく、リビングには妹以外の人気はない。

俺は荷物が入ったボストンバッグを床に置いて、ソファに腰掛ける。

だが、妹は半眼で「いやいや」と俺を見つめる。

目元はまだほんのりと赤かった。

「藪から棒に何? っていうか、私昨日全国大会から帰ってきたばっかだって言うのに。すぐに出かけるわけないじゃん」

「疲れなんて、一晩寝れば吹っ飛ぶだろ。若いんだから」

「身体の疲労はなくても、精神的な疲労があるの!」

「だからこその海だ」

俺は両腕を広げる。

「海はいいぜ。見てるだけで落ち着く。優しい潮風がもやもやを吹き飛ばしてくれるんだ」

「海なら飛行機の中でも見たし」

「それは見ようと思って見たわけじゃないだろ。海舐めんな」

「舐めてないし。そもそもの話。私、今年まだ水着買ってないし」

食パンを再び囓り始める妹に、俺は不思議そうに言う。

「学校の水着でいいじゃん」

「やだよ」

「なんで」

「普通にハズいし」

「ハズい? 水着だろ? 全裸ならまだしも、水着を着ているんだ。なら、どこにも恥ずかしくなる要素はないだろ?」

「TPOの問題よ! 例えば兄ちゃんは、女の子とのデートで《服を着ていればなんでもいい》からと言って、学校のジャージで遊んでハズいとか思わないの!?」

「……デート内容がフルマラソンならハズくはないな」

「異性とのデートでフルマラソンを選ぶ奴がいるか! あー、もう! つまり可愛い水着がないから、海には行くたくないってこと!」

ドンとテーブルを叩く妹。

「はあ……。分かった分かった。じゃあ、海に入らなければ行ってもいいんだな?」

「……う。それは、その……」

妹は拒否する言い訳がなくなったのか、言いよどむ。 

やがて断るのも面倒くさくなってきたのか、妹は食パンを皿に置いて小さく溜め息を吐いた。

「……分かった。分かりました。行けばいいんでしょ、行けば」

「物わかりがいい子は、兄ちゃん好きだぞ」

「うざ」

「じゃあ準備しろ。三十秒で支度しな」

「せめて鳩への挨拶はさせてよ!」

お前、鳩なんか飼ってねえだろ。

朝食を食べ終え、そしてたっぷりと時間を掛けて準備する妹を待つこと二時間。

その間、俺はさんさんと輝く日差しの中で色々と点検をしていたために、すっかり汗でシャツが濡れてしまった。

「出発前にシャワーでも浴びようかな……」

と、首元に掛けたタオルで額の汗を拭って玄関から上がると、ピンク色のパーカーとショートのデニムパンツ姿の妹がリビングから顔を出した。

「準備出来たけど……その前にちょっといくつか質問いい?」

「なんだ?」

「場所は決まってるの?」

「ああ。ここから二時間くらいのところにある海に行こうかなと思ってる」

「そ。あと、日帰りだよね?」

「当たり前だろ」

「うん。じゃあ、最後の質問。なんで兄ちゃんはヘルメットを持ってるの?」

妹は俺の左手に握られたジェット型の赤色のヘルメットを指さす。

なんだ、そんなことか。

毅然として俺は彼女の質問に答える。

「もちろん。――バイクで行くからだ」



俺の親友、アホで始まるアホで終わることを宿命として背負った七神直斗なながみ なおとは、昔こんなことを言っていた。

『バイクの何がいいんだ?』

そんな彼に対して、俺はなんて言っただろう。

そして俺は何故バイクなんかに乗ろうと思ったのだろう。

便利だから? 近場ならチャリで行けばいいし、遠いなら電車を使えば良い。

無理してバイクに乗る必要性はない。利便性や安全性は遙かに車の方が高いのは認めざるを得ない事実なわけで。

しばし彼の顔を眺めて、俺が導き出した答えは、確かこんなセリフだったと思う。


――乗れば分かる。


「……つまり、バイクの良さなんて口では上手く伝えられない。だけど乗れば分かる。風とエンジンが教えてくれるからな」

「あっそ」

県道沿いを二人乗りのバイクが走って行く。

ヘルメットに取り付けた無線のインカムから、タンデムシートの後ろに座る妹の冷ややかな声が返ってきた。

「どうでもいいけど、高速使った方が早いんじゃないの?」

「高速での二人乗りには、二つ条件があってな。二十歳以上の年齢制限と、免許取得から三年以上が必要なんだよ」

「ふうん。じゃあ、普通の二人乗りならいいんだ」

「それも一応条件があってな。免許取得から一年以上が必要なんだよ」

それは一週間くらい前にクリアしている。

「だから後ろに乗せるのは、実はこのかが初めてなんだよな」

「……へえ。ふうん。そう」

ぎゅっと俺の腰に手を回すこのかの力が強くなる。

「どうした? スピード出しすぎたか?」

「別に」

小さくインカムから漏れた声に、俺は「そうか」と返して運転に集中した。

家を出てから一時間ほど走ったところで、ガソリンスタンドに立ち寄った。

このかはトイレに向かい、その間にガソリンの補給をお願いしていると、つなぎを着た店員のおじさんが「いやー」と話しかけてきた。

「兄ちゃん。若いのに渋いバイク乗ってるねー。これ、SR400だろ? 今時の若いのは、SSとかビッグスとかが流行ってんだろ?」

モスグリーンに塗装された車体をマジマジと眺めながら、おじさんが笑う。

「いや、これ実は父親のなんです。普段あんま乗らないだろうからって、お下がりで貰って」

「ほほう。いや、いい趣味してるよ。バイクってのは、速いだけが全てじゃない。見た目だけが全てじゃない。乗る人が全てなんだよ」

がははと愉快げにお金を受け取ったおじさんは「可愛い彼女と楽しいツーリング、気をつけてな!」と言って、次に入ってきた車の客の方へ走っていった。

……彼女、ねえ。

「何話してたの?」

いつの間にかトイレから戻ってきたこのかが、「んしょ」と車体に取り付けたサイドバッグに自分の荷物を入れる。

「何でもねえよ」

「ふうん? じゃ、いこっか。《可愛い彼女》とのツーリングを、ね?」

しっかり聞いてんじゃねえよ。

車体に跨がり、妹が背中にしがみつく重みを感じながら、俺はニュートラルから一速に入れる。

そしてゆっくりとクラッチを繋いでガソリンスタンドから出た。

「そういえばさ」

インカムから妹の声。

「なにげに久しぶりだよね、兄ちゃんと海に行くのって」

「……ああ。ここ数年は父さん達の仕事が忙しくなって、家族で外出もしなくなったしな」

とは言え、昔の記憶を辿っても家族で旅行らしい旅行も数少ないが。

「うん。だからさ。けっこう覚えてるんだよね、家族で遊びに行った日のこと。海は確か私が小学校に上がった時が最後だったと思う」

となると、俺が小学校三年生。九年前か。

「覚えてる? 兄ちゃん、私に泳ぎを教えてくれたよね?」

「そうだったか?」

「うん。で、いつまでも水面に顔を付けられない私に、兄ちゃんが言ったんだよ?」

「なんて?」

「……なんだったけ?」

おい。

「まあ、その言葉で私が必死になって練習して泳げるようになったのは覚えてる」

「そうか」

「うん。多分、私、もしかしたら。あの日から――」

その声を遮るように、俺は「そろそろだな」とチラりとハンドル近くに取り付けたスマホのナビを見て言う。

トンネルを抜けて、光と景色が開けた。

「このか。右側見て見ろ」

「うわぁ……」

太陽の光に当てられて星のように輝く海面が広がっていた。

穴場を選んだつもりではあったが、流石に砂浜にはちらほらと人の姿が見られた。

「来て良かっただろ?」

前を向いて後ろのこのかに同意を求めると、小さく頷く声が聞こえた。

「……うん」




「来ない方が良かったよ!」

前言を撤回するこのかのセリフが俺に降ってきた。

茜色に染まる空とゆったりと水平線に沈んでいく太陽に目もくれず、このかは憤慨したように頬を膨らませる。

「海を舐めるな? 舐めてるのはどっちだよ! バイクは走れば分かる? 分かった結果はこうだよ!」

このかは、うんともすんとも言わないバイクのエンジンを睨み付けた。

「バイクは壊れたら走らない!」

そりゃそうだ。

――昼頃に着いた俺達は、水着を持っていかなかったので、海水には入らずに海辺を散歩をしたり、近くの魚市場に寄って海鮮丼を食べたりして一日を過ごした。

そうして夕刻になった時にさて帰ろうかとバイクのエンジンを掛けようとキックペダルでエンジンを掛けようとした瞬間、

ボキリと。

それはそれは何とも小気味の良い音をして、キックペダルの先端が折れた。

このバイクにはセルスターターがないため、キックペダルが折れてしまえばエンジンを始動させることは出来ない。

まさに絶対絶命というやつだった。

「点検はしたけど、流石にペダルが折れるのは想定外だったなあ……。さて」

レッカー車に連絡はするとして、帰りはどうしよう。

地図を見れば、どうやら場所は遠いが駅はあるらしい。が、足はない。徒歩で移動できない距離ではないが、レッカー車の手配もあるしここからあまり離れるのも良くない。

「バスの最終便も過ぎてるし……。仕方ない、父さんか母さんに迎えに来てもら――」

「それはダメ!」

何故かこのかは俺の手を握り、阻んだ。顔を背け、「それは、ダメ……」と小さく反復する。

「……。ふう。じゃあ、どうすんだよ? この辺、民宿はないし。暗くなってきたから移動するなら今しかないぞ?」

すると、このかは「じゃ、じゃあ……」とたどたどしく声を紡ぐ。

「あ、あそこ。行ってみない?」

このかの指さす先に目を向ける。

そこには、わずかに古びた西洋風の城のような建物があった。

背景に溶けるように佇むその建物は、まるでこういう観光地には切っては切り離せない施設。


――ラブホテルだった。


夏休み編、もう少し続きます。

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