第十六話:妹の後輩とお願い
俺は望まない
あいつも望まない
それでもお前は、望むのか?
女の子と二人きりで会う。
これを果たして、デートと呼ぶべきなのだろうか。
俺の親友であり、知人の中でもアホの子一番、代表、トップバッターである七神直斗はきっと肯定するだろう。
そして俺はそんな彼に、きっとこう返すのだろう。
――だからお前はモテないんだと。
異性と会う。異性と食事をする。異性とどこかへ出かける。
異性であるかは、デートの定義を考える上で重要な要素ではないから。
まずデートと認識するかは、条件が必要になる。
《互いが互いを意識しているか》どうか。
片方が意識しているだけでは、成り立たず。
両方が意識しなければ、成り立たない。
そしてこの条件は、十分ではなく必要条件だ。
AならばB。BならばA。
さて、それでは改めて考えよう。
俺は、今から一人の少女と会う。一人と一人で会う。
そしてそれを俺はデートと呼ぶべきなのか。
答えは、もちろん。
――NOだ。
駅近くのファーストフード店に着いた俺は、自転車から降りて天高く上る日差しに眉字を歪めた。
「暑い……」
時刻は正午。気温のピークになる時間帯だ。
俺は日光から逃げるように店内に入り、レジをスルーして二階のフロアへ進んだ。
夏休みということもあり、平日にも関わらず学生らしき若い男女が席をこれでもかと埋め尽くしていた。
店内を見渡し、俺を呼び出した人物の顔を探す。と、喫煙席と扉一枚で分け隔てる席近くにその少女は座っていた。
「――あ、兄先輩じゃないですか! これまた奇遇ですね、こんなところで!」
「俺を呼び出しておいて、奇遇とは言うじゃねえか、久々野ちゃん」
二つに結んだ黒髪に、猫のマークが描かれたホワイトピンクのキャップを被り、ぶかぶかのオーバーサイズの黄色のTシャツを着た少女。
中学二年生、久々野空子。
俺から三つ歳の離れた彼女と俺の関係性を言えば、妹の後輩だ。
俺の後輩ではなく、妹の後輩。つまりは、赤の――ではないにしても、他人に間違いはない。黄色い服を着た他人。幼い顔立ちをした他人。可愛らしい少女の姿をした他人。
だが、今日に限って言えば。
俺と久々野ちゃんの関係を他人ではなく、こう呼ぶのが正しいのだろう。
――《加害者と被害者》の関係。
俺はテーブルを挟んでソファ側に座る彼女の対面の椅子に腰掛ける。
テーブルには食べかけのフライドポテトと、中身は知らないがカップに入ったドリンクが置いてあった。
「さて、約束通り来たんだ。例の写真は返してもらおうか、久々野ちゃん」
「はて。例の写真とは、一体なんのことでしょう?」
とぼけるように首を傾げる久々野ちゃんに、俺はやや強めの口調で返す。
「ふざけんな。昨日、俺を脅すために送った写真だよ」
「ああ、あれですか。いやいや、脅すとか人聞きの悪いことを言わないでくださいよ、兄先輩。最初から私のお願いを聞いてくれたなら、こんな写真送らなくて済んだんですよ」
そう言って、久々野ちゃんはスマホを操作して、昨日俺に送った写真を表示させた。
「こんな……ぷぷっ。か、可愛らし、い……写真を、ね……」
そこには、幼い俺が写っていた。おそらく小学校低学年の頃だろう。だが、その写真の中の俺は、あろうことかスカートを穿いて頭には大きなリボンまで付けていた。
古い記憶のため、明確には思い出せないが、確か母さんの知り合いの服飾デザイナーの人が新しい女児服を作ったから、試着して欲しいと頼まれて着た時の写真だ。
サイズが大きかったので妹は着れず、ならば俺ということで無理矢理着せられたのだけは覚えている。だが、頭のリボンだけは今見ても余計としか思えない。
そんな、苦くも埃かぶった思い出の写真を、何故久々野ちゃんが持っているのか。
俺にはそれが疑問だった。
「いやー。にしても、兄先輩可愛いですね。まさにこのか先輩に勝るとも劣らない可愛らしさですよ。うっかり、部活のライングループに投下しそうになっちゃいましたもん」
「それをやらない代わりに、今日わざわざお前に呼び出されてやったんだろ? ほら、早く消せよ」
「むー。そうですね、分かりましたよ消しますよ」
久々野ちゃんはその場で写真を削除した。バックアップは取っている可能性はあるが、所詮これは口約束だ。
信頼……いや。信用するしかない。
「っていうか、そんな写真、誰から入手したんだよ? 俺ですらデータなんか持ってないっていうのに」
「それは秘密です。っていうか、兄先輩には分かってるんじゃないですか?」
……。
「ちっ。まあ、もういいよ。その写真のことは。で? 俺をわざわざ呼び出した用件は、一体なんだ? 夏休みの宿題でも代わりにやって欲しいとか、そういうくだらない内容か?」
「それもいいですけど……。ま、用件は後で話します。ひとまず、喉が渇きました。バニラシェイク、買って来てください」
にこりと久々野ちゃんが笑う。
俺は軽く溜め息を吐いて、椅子から立ち上がる。
まあ、いい。俺も昼飯まだだったし、ついでに何か買ってこよう。
一階に戻り、レジに向かう。
さてと、何を食べようかな……。お、期間限定商品出てる。これにしよう。
「すいません、この……期間限定のデミグラスビッグバーガーのセットを一つ。あと、バニラシェイク単品で」
「かしこまりまし――あ」
店員さんの声が途切れ、俺はレジ台に乗ったメニュー表から顔を上げる。
ポニーテールの可愛らしい女の子の店員さんが、何故か目を丸くして俺を見ていた。
「……? あの、どうしました?」
「あ、えっと……。ひ、久しぶり。夏祭り以来、だよね?」
ん? 誰だ、この人。まるで俺を知っているかのような口ぶりだ。
年齢は同い年っぽいし、学校の生徒か? 夏祭り? 夏祭り……んー?
「あ、その。部活! 部活の皆には内緒ね! 短期でバイトしてるだけだから! だから夏休み限定! リミットワーキング! インザバーガーショップ!」
何故に英語。しかも変な文法だ。
どうやらあっちは俺の顔を知っているようだけど、俺は残念ながら思い出せない。
しかし、ここで「ごめん、誰?」と尋ねるほど野暮で失礼なことはないので、俺は「あ、うん。分かった」と答えておくことにした。
「……えへ。ありがと」
「うん……」
「……」
「……」
ポニテの女の子は、にこにこと俺を見つめる。
「あの、俺が注文したのはスマイルじゃなくて、期間限定のセットとバニラシェイクなんだけど」
「あ、ご、ごめん! えっと、580円になります!」
俺はポケットから小銭を取り出し、手のひらで数えて渡した。
そうしてしばらくして、注文した商品がトレイの上に乗って差し出された。
「ご、ごゆっくりどうぞ~」
受け取り、お辞儀する女の子を横目で見つつ、俺はレジから離れた。最後まで彼女の名前を思い出せなかった。
「あ、制服の名札を見れば良かったのか」
気付いてすぐに「まあいいか」と諦めて、久々野ちゃんの所に戻る。
俺はセットで付いてきたアイスコーヒーを、久々野ちゃんはバニラシェイクに口を付けながら会話を再開させた。
「兄先輩。話というのはですね、単刀直入、シンプルイズベスト、伊豆イズ五十鈴でクイズなわけでですね」
いや、最後のはよく分からない。早口言葉か?
「実を言うと、まあ。明後日、このか先輩が出場する中学テニス、全国大会があるわけなんですよ。もちろん、知ってますよね?」
「そうなのか」
「あっはっは。またまた~、知ってたくせに~」
「いや、知らなかった。そうか、明後日なのか。全く、気付かなかったよ」
「……」
不機嫌そうに顔をしかめる久々野ちゃん。
「マジですか? だって家族が出場するんですよ? 兄先輩の妹が参加するんですよ?」
「それは知ってる」
むしろそれだけしか知らない。
「全国大会ですよ、全国大会! わずか全国でたった64人しか出場出来ないシングルスに、出るんですよ!? 凄いでしょう!」
「64人も出るんじゃないか」
「……。兄先輩、このか先輩のこと、嫌いなんですか?」
「好きだよ。可愛いし、妹だし」
「……どれくらい?」
俺はハンバーガーの包みを剥がして、噛みついた。咀嚼して飲み込んでから答える。
「ハンバーガーくらい」
「はあ……」
どこか諦めたように溜め息をこぼした久々野ちゃんは、ポテトをひと囓りして続ける。
「まあ、いいです。今日はそれが本題ではないですからね。明日のこのか先輩の応援に来てください。これがお願いであり、本日の本題です」
「やだ」
本題終了。
「な、なんでですか……っ!」
珍しく、本気で怒ったように目つきが鋭くなる久々野ちゃんに、俺はハンバーガーの残りを食べながら答える。
「明後日はバイトがあるんだよ」
「休めばいいじゃないですか」
「そんなほいほい休めるか。仕事なんだよ」
「仕事より大切なものがあるんじゃないですか?」
「あるね。でも、明日のそれは違う」
「違わない」
「違うよ」
「違わない」
「違うって」
「違わない!」
ドンとテーブルに手を叩く音。
店内にいる人間の視線が、興味が、好奇心がこちらに向いているのが分かる。
でも、向いただけですぐに戻っていく。ひとの好奇心なんて、刹那的なものだ。
「……落ち着けって、久々野ちゃん。今のお前の顔、可愛くないぞ」
「そういう兄先輩は、かっこよくないです」
さいですか。
「大体な……」と俺は別の言い訳を探すように紡ぎ出す。「場所を考えろよ。ここから何時間かかると思ってんだ。飛行機使わないといけないんだぞ?」
「……あれ?」
久々野ちゃんは俺の言葉に訝しげな表情を浮かべる。
「兄先輩、日時は知らないのに。全中の会場は知ってるんですね」
……あ。
「へーえ? Whenは知らないのに、Whereは知ってるんですね? おっかしいなあ。ふうん?」
ニヤニヤと。ニタニタと。ニマニマと。
まるで人間に化けた狸のしっぽを掴んだように笑う。
「ま、安心してくださいよ。飛行機のチケットなら、ここにあります」
そう言って、久々野ちゃんはテーブルの上に飛行機のチケットを出した。
「本当は私の分なんです。けど、兄先輩にあげます。私より、兄先輩に応援してもらった方が、きっとこのか先輩も力を発揮できると思いますので」
「……いや、いらねえよ」
俺はチケットを突き返す。
「これは久々野ちゃんのチケットだろ。俺はいらない。必要ない」
「あっそ。じゃあ、これはゴミですね。私も要りません」
久々野ちゃんがレシートのようにチケットをくしゃっと丸めて、テーブルに転がした。
「……久々野ちゃん、本当は行きたいんじゃないのかよ?」
「行きたいですよ。尊敬するこのか先輩の応援をしたいです。だってずっと見てきたんですから。ずっと、ずっと。でもたまには……」
バニラシェイクに口を付けて、久々野ちゃんは目を閉じる。
「見たくても見られなかった誰かさんに、私の尊敬する先輩を見て貰いたいと思ってしまったんですよ」
「……」
「……じゃ、これで本日の用件は終わりました。さて、兄先輩? この後、どうしますか? 私とどこか遊びにでも行きますか? ホテルでも行きますか? 女子中学生と淫らなこと、しに行きますか?」
「いかねえよ……」
「それは残念。ま、私も恋人、いますしね。今日は素直に帰りますか」
「……いや、せっかくだから。遊びには行こうか」
「……そうですね。手、繋いでくれますか?」
「いいよ」
俺は久々野ちゃんの小さな手を握って、店を出た。
その後、適当に駅近くの店を周り、色々とウィンドウショッピングを楽しんだ後、解散した。
「じゃあ、また会いましょう。兄先輩」
もう会いたくないとは言わなかった。
俺はズボンのポケットの中に小銭と一緒に入れた、くしゃくしゃになった飛行機のチケットを取り出す。
「……はあ」
持て余したチケットに、俺は少し悩んで電話を掛けることにした。
「……あ、もしもし? 店長はいますか? ええ、はい。あ、じゃあ。店長に伝えてもらえますか?」
俺はバイト先の電話に出た、同僚の女性に伝言を頼む。
「明後日のお休みに追加して、明日のバイトも休みたいんですが。ああ、はい。すみません。急な話で。あっそうだ、スガタさん」
チケットに視線を落として言う。
「明日、俺と一緒に旅行とかどうですか? あいにく、飛行機のチケットが一枚、余ってるんですよ」
全中テニスの会場って、沖縄にあるって知ってました?
 




