第十一話:妹とお買い物
ユニクロは正義。
安さは正義。
妹は正義。
ある夏休みの日のこと。
その日はこれといって予定はなかったので、朝食を食べ終えるとすぐに俺はリビングのソファに寝ころんで、昨日友達から貰った分厚い文庫本を読んでいた。
すると、不意に本に重なるように影が落ちてきた。
「ダサい」
本から少し視線を外し、声の主の姿を認める。
唐突すぎる妹の登場。そして罵倒。
俺は妹の存在を無視して、活字を読み続ける。
「ダサい」
続けての妹のセリフ。無視する。
「ダサい」
だが、妹は。
「ダサい」
念を押すかのように。
「ダサい」
俺の心を穿つように。
「ダサい」
冷徹な声で。
「ダサい」
言い続けた。
「ダサい。ダサい。ダサい。ダサい。ダサい。太宰治。ダサい。ダサい。ダサい」
「分かった! 分かったから! もうやめてくれ!」
耳がゲシュタルト崩壊しそうだ。
俺は文庫本を閉じて、上半身を起こした。
「で、何なんだよ」
「その服。ダサい」
妹は目を細めて俺の私服を凝視する。
確認するように、俺も身に着けている自分の服を見回す。
上は白のTシャツ。下は中学時代の部活で使用していた黒のハーフパンツだ。
ダサいと言われるほど、おかしなところは見つからなかった。
カッコよさもなければ、面白さもない。至って普通な部屋着だ。
「これのどこがダサいんだ? 部屋着なんてこんなもんだろ」
「そのTシャツのプリント」
まるで親の敵のように俺の胸元を指さす。
そこには大きくTシャツにプリントされたブロッコリーのイラストがあり、その下にはこれまた大きく《かりふらわー》と書かれていた。
イラストと名称の矛盾。まるで人生はつくづく矛盾だらけだと教えているようなTシャツのデザインだ。
「なるほど」と頷いた俺は、文庫本をソファーの横に置いて座り直した。
「よし、話をしようじゃないか。妹よ」
「やだ」
「人間にはセンスというものがある。それは嗜好であると同時にプライバシーのようなものでもあるんだ。つまり、センスとは真似ればいいってもんじゃない。己が信じるセンスに身を任せてこそ、自分の価値というものを表せ――」
「兄ちゃんはプライドを守って女子にモテなくなるのと、プライドを捨てて女子にモテるの、どっちがいい?」
……。………。
「いいか、人にはセンスというものがある。そこは決して踏み入れてはいけない絶対不可侵領域――」
「モテたくないんだ」
「モテたいです!」
即答してしまった。いや、だってモテたいじゃん! 年上のお姉さまとかにキャーキャー言われたいじゃん!
「じゃ、買い物行こう」
「おう。……おう?」
オットセイのような声が出た。
隣駅と隣接している大型ショッピングモールを見上げて、次に隣の妹に視線を移した。
「何が目的だ?」
「服を買いに来た」
「いや、それは分かってるんだけど……」
妹とこうして二人で買い物……というか、外出なんて滅多にしない。
それがなぜ、今日に限って俺を連れ出したのだろう。
「じゃ、三階にショップがあるから。そこで私が見繕ってあげる」
言うが早く、妹は店内に足を踏み入れる。俺も彼女を追うようにして一歩後ろを歩きながら尋ねる。
「見繕うって……。お前、メンズのセンスが分かるのか? というか、そもそも――」
お前自身は、センスが良い方なのか?
と、言葉を紡ごうとして、妹はピタリとフロアの中心で立ち止まり、こちらを振り返る。
「私のセンスがいいかどうかは、今の私の服装を見れば分かるでしょ?」
腰に手を当てて、少し首を傾げて言う妹の恰好を俺は改めて眺める。
ワンサイズ大きめの白と黒のボーダーシャツに、清楚感の漂う膝丈のふわふわのスカート。
――後ほど聞くと、フレアスカートというらしい。
そして足元はヒールの付いたサンダルと、頭には麦わら帽子という、良いか悪いかはともかく、夏らしい服装だった。
「……なんかイマドキの中学生、高校生の服装って感じだな」
「なにそれ、褒めてるの?」
「さてな。……そういや、このかがスカートを穿いてるのって珍しいな。お前、基本的にショートパンツだろ」
ちなみに動きやすいからだという。何ともスポーツ少女らしい理由だ。
それを指摘すると、このかは俺から視線を逸らして、
「スカートは特別な日にだけ穿くの」
「ふうん。……ふうん?」
「……とにかくっ。これで私が少なくとも兄ちゃんよりセンスいいのは分かったでしょ? つべこべ言わずに私について来い。お前の世界を変えてやる」
「すげー男前なセリフだな。ついつい兄ちゃん、お前に惚れちまいそうだ」
「キモい」
そう言い捨てて、妹はエスカレーターで三階に向かう。俺も彼女の後ろに続き、「あ」と思い出したように言う。
「俺、今日五千円しか持ってきてねえけど、大丈夫か?」
「は? バイトしてるくせに、なんでそんなにお金ないの?」
「貯金してるんだよ」
「あっそ。ま、大丈夫でしょ。今日買いに行くお店は、ユニクロだし」
「いや、ユニクロでも一式買ったら余裕で五千円オーバーすると思うんだけど」
「その時はその時」
そう言って、妹と俺は三階に着いて、ユニクロに入っていった。
そうして店内で服を見繕うこと、一時間。
まあ、ひと悶着はあった。
――どころか、ふた悶着くらいあった。
とにもかくにも、「……ま、こんなもんか」と試着室で俺の恰好を認めたこのかが頷く。
白のVネックTシャツに、黒のテーラードジャケット。下はクロップドパンツという、シンプルなコーディネイトだ。
「なんつーか。悪くはないけど、地味じゃね?」
「それでいいの。無理に季節色入れるよりかは、白と黒でまとめた方がカッコいいんだから。シンプルイズベストだよ」
「そんなもんか。というか、このクソ暑い日に長袖はなくないか?」
「それなら、五分袖くらいに捲ればいいじゃん。ほら、このジャケットは裏生地もあるからよりオシャレに見えるし」
そう言って、このかが俺の袖を掴んで腕を捲らせる。
「うん、良い感じ。じゃ、それ着たまま帰るから」
「は?」
言うが早く、このかは店員を呼んで値札を外してもらい、それをレジに持って行かせてしまった。
「おい、別に着て帰る必要はねえだろ」
「やだ。だってこれ以上、ダサい人の隣を歩きたくないんだもん」
自分が連れ出しておいて、隣を歩きたくないとはとんだワガママだ。
仕方ない、もう値札を取られてしまったのであればここはさっさと会計を済ませて帰宅しよう。
俺はレジに向かい、デジタル数字で表示された洋服の合計の値段を見て、大きく目を剥いた。
「……おい、このか。金額が一万を超えているんだが」
「ジャケットも買ったからね」
「俺の予算、五千円って言ったよな?」
「うん」
「全然足りねえんだけど」
「……はあ」
何故に溜め息を吐く。悪いのは俺ではなく、このかのはずだ。
店員さんは困ったように首を傾げているし、仕方ない、ここは恥を忍んで服を返品して――。
「分かった。ここは私が払うよ」
このかは俺とレジの間に割り込んで、自分の財布から二万円を出して会計を済ませてしまった。
妹はそのまま釣り銭とレシートを、俺は着ていた服を入れて貰った紙袋をそれぞれ受け取り、店を出た。
ショッピングモールを出て、徒歩で帰路に就きながら俺は一歩前を歩く妹に話しかける。
「よく二万なんて大金、持ってたな」
「貯金してたのよ」
どこかで聞いたセリフだった。
「……金、家に帰ったら返すわ」
「いいよ、別に」
「そういうわけにはいかねえだろ。いくらだっけか? 確か――」
「だからいいって」
と、このかは立ち止まって振り返る。
「ハピバ」
抑揚のない声でそう言うと、すたすたと歩き始めてしまう。
俺は彼女の言葉を頭の中で反芻させ、「そうか」と小さく呟いた。
――今日は八月一日。
俺の十七歳の誕生日だ。




