54、扉の魔術師と紅き「邪の芽」。俺が最初の魔法を習うこと(後編)★
ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。
竜の国での空中緊急脱出。影の国での魔術師からの襲撃。あらゆる困難を乗り越え、ついに俺たちはサンラインへと辿り着く。
目的地に着いた俺は、「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けることとなる。
だが到着して一息ついたところで、色々あって俺は自警団員のナタリーと共に「サモワール」という店への潜入捜査する羽目になり、敵の魔術師・リケからの襲撃に遭った。
何とか窮地をしのいだ俺は、今度はリーザロットの館で身体検査を受ける。
そこで判明したのは、俺の故郷が消滅したという衝撃の事実と、俺の内に燻る邪悪な炎の正体だった…………。
フレイアと俺は、綺麗な庭池のほとりへ出た。百合に似た華やかな花と、スズランみたいな小さな白い花がたくさん咲いていて、サワサワと風が花を撫でる度に、優しい不思議な香りがふわりと立った。
池の周りを巡る小道沿いに、木造のベンチがちょこんと置かれていたので、フレイアと俺は並んでそこへ腰掛けた。何だかデートみたいだなとか妄想を逞しくしつつ、俺は彼女に話を促した。
フレイアは静々と語っていった。
「コウ様には、まずは私の「火蛇」のことからお話しします。コウ様はあの子達のことを、もうよくご存じのような気もするのですが、まだきちんとお伝えしたことはありませんでしたから。
…………「火蛇」は、魔力の特殊な形と言えます。普通、人の魔力は特定の形を持ちません。不定形であればこそ、様々な色や匂い、味、音、景色などに変化して、「術」と成り得るのです。
しかし時に、魔力はまるで生き物のような形を持って現れることがあります。私の魔力、「火蛇」が、まさにそれです。こうした魔力は、通常の魔力とは異なった動態を見せるため、当然、それによって使われる魔術も普通のものとは大きく異なってきます。
例えば、私は蒼姫様のような、空間を丸ごと支配してしまうような大規模な魔術は操れません。サモワールなどでよく使われている、暗号術の類も不可能です。これらの術は、己の魔力を他者の魔力に干渉させるために、魔力を変形させることが絶対不可欠ですので。
私にできますのは、火蛇の炎の力を利用した直接的な攻撃だけです。時空移動や、単純な身体強化といった、ある程度体系の確立された術はどうにか身に着けてきたのですが、それも「白い雨」の精鋭としては十分なレベルとは思えません。
あの…………申し訳ありません、コウ様。護衛役が、このような弱音を吐くなど…………」
俺は首を振り、フレイアを諭した。
「いや、十分だよ。きっと君はもう十分に強いんだ。だからこそ、リーザロットは君を俺の元に送ったんだと思うよ」
フレイアはそよ風みたいに笑って、銀色の髪をサラリと耳に掻き上げた。
「お言葉、痛み入ります。コウ様。あなたのご期待に添えられるよう、これからも精進いたします」
彼女はちょっと俯くと、「暗くなってきましたね」と呟いて、足元から火蛇を呼び出した。彼らの橙色の灯は、辺りを柔らかく照らし出してくれる。
相変わらず円らな目をした二匹の紅の蛇たちは、スルスルと彼女の首元まで登ってくると、チラッとだけ俺に顔を向けて、またフレイアに摺り寄った。俺は蛇を撫でるフレイアの優しい、どこか寂しそうな横顔を眺めつつ、彼女の話の続きに耳を傾けた。
「私のような魔力を持つ者は、国内では少し変わった目で見られています。主にお伽噺を元に…………魔海に見捨てられし愚者の魂の発現だとか、複数の魂をその身に宿す、人ならざる者の末裔だとか、囁かれています。
そして…………その中でも、とりわけ重要なものが「邪の芽」…………「裁きの主」に仇なす悪しき魔物の伝説です」
「ジャノメ」と、俺が繰り返すと、フレイアは俺を見た。彼女と俺の影が地面に落ちて、うっすらと交差している。
「「邪の芽」は、数百年前までは単なるお伽噺上の存在とされていました。ですが、ある異国の魔導師…………他ならぬ、琥珀様の来訪によって、その実在が明らかにされました。「邪の芽」は、生物の形をした魔力に寄生する、「まつろわぬ魔物」です。
…………「邪の芽」はまさに、邪なるもの。魔海を厭い、裁きの主に抗う、この世界で唯一の存在と聞いています。宿主である私自身、遭遇したことはありません。琥珀様が仰るには、先のお伽噺は全て、「邪の芽」に飲まれた者の末路を表したものだそうです。「邪の芽」に完全に魔力を食されてしまった者は魔海を嫌い、常闇の果てへと失せていく。そしてやがて、おぞましき魔物へと姿を変え、魂を無差別に漁るようになると…………」
フレイアは淡々と語っている。俺には、彼女が「邪の芽」を身に宿していることで、これまでどんな悲しい思いをしてきたのか想像もつかなかった。
俺は今は、彼女の話を聞くことしかできない。
フレイアは俯き加減になって、言葉を紡いだ。
「「邪の芽」が私の内にあると知った時、初めは全く実感が湧きませんでした。蛇たちは変わらず元気で優しい子でしたし、私の方の身体にも、特に変化があったようには思えませんでした。…………瞳が暗くなってきたと、そうお母様に言われたことはありましたが…………。それにしても、自分がいずれそうした邪悪な思いを抱くようになるとは、とても信じられませんでした。
ですが、周囲の目が…………特に家の者からの目が、その時から明らかに変わってきて、ようやく私にも事の重さが理解できるようになりました。裁きの主に抗うこと、それは、世界を滅ぼす魔物と化すこと。たとえ私自身にその気がなくとも、可能性を秘めているというだけで、周りの方々から見れば恐ろしいことには変わりありません。私は生来…………呪われた存在、なのです」
蛇がチロチロと舌を出す。まるでフレイアを慰めるか、彼女の気を紛らわそうとでもしているかのようだった。俺は無力な自分に耐え切れず、口を挟んだ。
「で、でもさ! 俺はサンラインの人間じゃないし、そんなに関係無いんじゃないか? 君が気に病むことは…………」
言ってから、俺は自分の失言に気付いた。「気にするな」なんて、どう考えてもこの文脈では出すべきじゃなかった。案の定、フレイアは俺を睨みつけ(いや、あくまでも真顔ではあったが、そう感じた)、一層低い調子で続けた。
「恐らく、喰魂魚の中でコウ様と共力場を編んだのが原因でした。私の安易な決断によって、コウ様の中に汚らわしいものが…………。私は、自分への憎しみで、いても、立ってもいられません」
フレイアの怒気に当てられてか、蛇の炎が一際明るく盛る。彼女は膝の上に置いた拳を強く握り締め、言った。
「コウ様。私の呪いは、必ず私で始末をつけます。それまで、どうかフレイアを傍に置いてください。あなたの足を引くようなことは、絶対にしません。私は」
深紅の瞳が炎を浴びて、危うく輝いた。
「弱く、愚かです! けれどあなたのことを、きっと、誰よりも一途に思っております。ですから、どうか――――…………信じて、ください」
最後の言葉は、哀願のようだった。
俺は彼女の眼差しを受けて、頷いた。
「もちろん。さっきも言った通り、俺はずっと君の味方だ。ずっと、一緒にいるよ」
フレイアの頬が橙色に染まって、さらに紅潮する。俺は何も言えないでいる彼女に、笑顔で言葉を掛けた。
「フレイア。話しづらいことをたくさん話してくれてありがとう。
俺、君のことが知れて本当に良かったって思ってる。頼りないかもだけど、君の力になれるかもしれない可能性が、0.0001%でも上がっていうか、0.00001ミリぐらい、明るい未来に近づけたっていうか…………。ああ、また俺、よくわからないことを話してる。
その、ホラ! 今、同じ問題に悩んでいる人が二人、いるわけじゃん? 一人じゃ難しくても、二人ならできることって、たくさんあるよ! これから二人で解決していけるんだから、その分気持ちは軽くなる。それって、良いことじゃない? 悪いことばかりじゃない!」
我ながらパッとしない話だ。しかしフレイアには、どうにか俺の気持ちは伝わったようだった。
彼女はそこで初めて、年頃にふさわしい、弾けた笑顔を見せた。
「コウ様は、本当に前向きな方ですね。そのように言われますと、本当に気持ちが楽になった気がしてきます。…………ああ、何だか自分の小ささが身に沁みます。コウ様、ありがとうございます」
ふいに火蛇の一匹が、ゆっくりと頭をもたげて俺に近寄ってきた。フレイアはハッと気付いて彼を止めようとしたが、その時にはもう蛇は、滑らかに俺の首に巻き付いていた。
「? どうしたんだ?」
蛇が俺の頬に顔を近付ける。小さな舌が伸びて、頬にちょっとだけ触れた。
「何だ、懐いてくれるのか?」
俺は蛇の頭を撫でようとしたが、あえなくフイと避けられた。ううん、やっぱりフレイアのようにはいかない。動物ってのは、気まぐれで難しい。
フレイアはやけに慌てた様子で蛇を自分の腕に絡ませると、急いで俺から蛇を引き剥がした。
「もっ、申し訳ありません、コウ様!! この子が、勝手に…………」
「いや、謝ることないよ」
フレイアは真っ赤な顔して俯くと、蛇を小声で叱った。何も叱らなくてもと思ったが、言葉を挟む隙は無かった。フレイアは念入りに蛇を背中の方へ追いやると、改めて俺を見やった。
「あの、コウ様…………。他に何か、お尋ねしたいことはございませんか? フレイアにお答えできることでしたら、拙い返答になってしまうかもしれませんが、答えさせていただきます」
「あー…………そしたらねぇ…………」
俺は少し考えた後、思い浮かんだことを尋ねた。
「そうだな。「邪の芽」がどんな感じで俺の中にいるのか、それが聞きたいな。別に俺は火蛇のような、動物の魔力を持っていないのに、どうして宿主になっちゃったんだろう?」
フレイアは悩ましげに白い指を口元に当て、ためらいがちに答えた。
「それは…………あまり私も自信が無いのですが、喰魂魚の性質に関係があるかと思います。喰魂魚は魔海の深みに強く根付いた生き物です。同じく魔海の深淵に潜むものとして、「邪の芽」とは何か繋がりがあるのかもしれません。そこへコウ様の霊体が、たとえ一部とはいえ、溶け込むことによって、何か反応が起こったものかと」
「ふぅむ」
よくわからんと思いつつ、一応は納得した。例によって、詳しい理屈にはそんなに興味が無かった。説明されたところで、理解できないに決まっている。
フレイアは粗方話し終えて安堵したのか、少し黙り込んだ後、ややトーンを落として話した。
「…………コウ様」
「ん、何?」
「僭越ながら、最後に、フレイアからお願いがございます」
紅玉色の瞳に、小さな俺がしっかりと映されている。俺は彼女の真摯な表情に、出来うる限りの誠実さで応じた。
「何だい?」
「一つ、魔法をかけさせて頂きたいのです。私の、とっておきの術です」
言いながら彼女は利き手の、細っこい小指を立てた。大真面目な顔である。俺は戸惑い、首を傾げた。
「えっと…………それはいいんだけど、どうすればいい?」
「私と同じようにしてください。このように、小指を、こちらへ」
俺は恐る恐る、同じく右手の小指を立てて彼女の方へ向けた。一体何が始まるのか。
フレイアは至極真剣な顔で――――それこそ、時空の扉を開く時のような厳粛さで、俺の指に自分の指を近付けると、馬鹿に丁寧に言った。
「これから、術を行います。とても静かで、発動の分かりにくい術ですので、くれぐれもお気を付けください」
「…………何の術なの?」
「約束の成就を願うものです。裁きの主に自ら誓約を申し出ることによって、「邪の芽」に屈しないという約束を達成するよすがとするのです。異国の術式ですが、私の最も信頼する方の一人から、直々に教わりました。手順こそ簡易ではありますが、非常に強力な術です」
「はぁ」
俺はまさかと思いつつ、事の成り行きを見守った。
「では――――参ります」
フレイアはおもむろに自らの小指を俺の小指に絡ませると、ぐっと力を込めた。美しい紅い目が、真っ直ぐに俺を射抜いていた。
「…………ユビキリゲンマン、ウソツイタラ、ハリセンボン、ノマス」
俺は唖然として、奇妙な言葉を冷静に唱えるフレイアを見つめ返していた。何言ってんだ? と思うと同時に、何だか無性に可笑しみがこみ上げてきた。
「指切りげーんまん、噓吐いたら、針千本飲ーます」
俺が指を振って歌を繰り返すと、フレイアは例によって、キョトンと目を丸くした。
「あれ…………? コウ様、ご存じだったのですか?」
俺は彼女の華奢な指をもう一度握り返し、肩の力を抜いて返した。
「ああ…………良く知っている。
…………世界で一番強い魔法だよ」
俺は蛇と同じ、円らな目をしているフレイアに、思いっきり笑って見せた。
だって、初めて覚えた魔法が「指切り」だなんて、もう笑うしかない。
こんなの、俺が叶える以外に、どうしようもないじゃないか。




