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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
【第4章】扉の魔術師と紅き「邪の芽」
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52、そして始まる新たな世界。俺が新たな旅に出ること。

 ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。

 竜の国での空中緊急脱出。影の国での魔術師からの襲撃。あらゆる困難を乗り越え、ついに俺たちはサンラインへと辿り着く。

 目的地に着いた俺は、「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けることとなる。

 だが到着して一息ついたところで、色々あって俺は自警団員のナタリーと共に「サモワール」という店への潜入捜査する羽目になり、敵の魔術師・リケからの襲撃に遭った。

 何とか窮地をしのいだ俺は、今度はリーザロットの館で身体検査を受ける。

 そこで判明したのは、俺の故郷が消滅したという衝撃の事実だった…………。

 リルバラ鼠がけたたましく鳴く。

 「腹が減ったぞ!!」それだけのことを訴えている。それだけに彼らの叫びは、混乱しきった俺の心に、唯一まともに届いた。

 ああ…………、俺もすごくお腹が空いたよ。

 でも、今は何も喉を通りそうにないよ。


「検査用の力場に、オースタンの気と貴様の魔力を馴染ませた後、特製の魔法陣によって抽出された魔力波を鼠に反映させた。

 本来であれば検査はこれだけで終了なのだが、今回はこの上でさらに、霊体の構造を変化させた鼠とコウ、さらには「無色の魂」を応用してタカシの意識を重ね、獣性共力場を編み、魔海に残された深層記憶を探った。うまく意味の汲めぬ部分も多かったが、多少の痕跡線は取れたゆえ…………」


 ツーちゃんが何やら延々と俺に語り掛けていたが、いつにも増して言葉が頭に入って来なかった。

 頭の中がわちゃわちゃとして、自分が何を感じていいのかすら、よくわからなかった。驚き、悲しみ、動揺、当惑、落胆、不信。色んな感情が濁流となって渦巻き、どれ一つとして定まらない。

 フレイアが焦った声で、ツーちゃんを止めようとしてくれていた。


「琥珀様! どうか、もう少し簡単な言葉でご説明願います。これではコウ様があまりに不憫です。タカシ様も、ずっと首を捻っていらっしゃいますし…………」

「フレイア。あまりコウ共を甘やかすでない。サンラインのために、私は此奴らを鍛えねばならぬのだ。いつまでもこの世界の言葉や思考に慣れず、世話を焼かれているばかりでは、此奴らはタダ飯喰らいのグゥブのままだぞ!」

「あんまりです!! こちらから頼んで来て頂いたのに、そんな言い方…………。それに、コウ様たちはすでに、十分に尽力してくださっています! オースタンのことだって、何も病み上がりのコウ様に告げなくてもよろしいのではないですか!? いきなり故郷が無くなっただなんてお聞きになったら、動揺されて当然でしょう!」

「フレイア。お前が思う以上に事態は深刻なのだ。気遣ってやっている暇など無い」

「ですが、いくらなんでも厳しすぎます! 琥珀様は、蒼姫様のことも…………」

「話を逸らすな!」


 俺についての口論だが、肝心の俺はと言えば、彼女たちの言い合いにも、ちっとも現実感が持てずにいた。

 何だか世界がやけに遠く、ぼやけて見える。何もかもが、まるで魔法にかかったみたいに虚ろに歪んでいる。何が現実で何が夢なのか。マジでわかんなくなってきた。信じられない、信じたくない。でも、俺はどうしたらいい?


 …………壊れた? オースタン…………地球が?


 俺はもう本当に、元の世界に帰れないってことか?

 母さんと父さんは?

 あーちゃんは?


 もう二度と、会えないのか――――…………?


 鏡の向こうのような遠い場所で、ツーちゃんがフレイアを叱りつけていた。


「良いか、フレイア! コウも、リズも、深い業を背負っておるのだ。そしていずれ、更なる業を紡ぐ定めにある。因果が此奴らを離さぬのだ!

 魔海を穿つためには、相応の覚悟が要る。いくら運命を嘆いたとて、悲運を慰められたとて、戦うのはコウ自身なのだ! 私の術も、お前の剣も届かぬ闇の内でこそ、此奴は真に力を求められる。もし生半(なまなか)な心持ちで戦いに臨めば、他ならぬコウ本人が魔海に溺れることになるのだぞ!? それがわからぬお前ではなかろう!?

 …………何より、この運命を選んだのはコウなのだ。決断した以上、責任を持たねばならん!」


 俺の、責任…………。

 項垂れる俺を、タカシが不安げにツーちゃんと見比べていた。何も言えない、何もわからない。ただただ情けない。そんな頼りない顔をしている。俺は全く同じ顔でタカシを見返し、それからフレイアに目をやった。


 フレイアは頬を真っ赤にして、燃え盛る眼差しで唇を噛み締めていた。彼女の視線は一直線にツーちゃんに向かっており、その面差しには尋常でない気迫が込められていた。

 そんなに怒らないで、なんて話しかけたら、こっちが怒鳴られかねなかった。


「…………琥珀様は、残酷です」


 フレイアは一言だけこぼすと、静かに目を閉じて俯いた。ツーちゃんは何も言わずに彼女を見つめていたが、ややしてから、俺に目を向けた。


「貴様、少しは落ち着いたか?」

「あ、ああ」


 俺は戸惑いつつ、頷いた。落ち着いたというよりも、フレイアに圧倒されて、混乱がそれ以上広がらなくなったという方が正確であった。


 幸か不幸か、この世界はやはり、夢では無いらしい。

 未だに実感は湧かなかったけれど、地球崩壊のお知らせは、どうも受け入れざるを得ない事実であるらしかった。


「うん…………何か、まだ混乱はしているけれど、話を聞く気にはなってきたよ。…………ショックだけど」

「そうか。では、改めて話そう。どちらから聞きたい? 「邪の芽」の話と、オースタンの話」

「じゃあ、やっぱり、オースタンかなぁ」


 フレイアは会話に交じらず、沈んだ様子で黙って壁際に控えていた。タカシが時折、心配そうに彼女の方をチラチラと見やったが、フレイアはじっと前を見据えたまま、表情を変えることはなかった。寂しそうでもあり、ちょっと怖くもあり、そして気のせいじゃなければ、ちょっと目元が潤んでいる。

 ツーちゃんは「フン」といつもの鼻息と共に足を組み直すと、滔々と語り始めた。


「まず、初めに言っておかなければならぬのは、オースタンが「拡散する国」だということだ」


 俺はタカシと一緒に近くの椅子に腰掛けつつ、尋ね返した。


「「拡散する国」?」

「オースタンでは、過去も、未来も、空も、命も、大地さえ…………拡がり、散じてゆく。私はオースタンで暮らしたことはない上、人でもないのでな。あるいは、貴様らにとってはもっとわかりすい言い方があるのかもしらん。だがとにかく、私が言いたいことは単純だ。オースタンは際限無く広がり続ける。膨大な虚ろを内包しながら、な」


 ツーちゃんは自らの髪の毛を片手でくるくると弄び、続けた。


「過去は消える。未来はたゆたう。貴様が、当然のように感じてきたその感覚は、実のところ、誰の世界でも当然という訳ではない。これまでも何度となく話してきたが、このサンラインや、サンラインと交戦中のジューダムでは、過去は逐一保存されるものだ。このため、グレンズ・ドア…………ではない、これではわかりにくいのだったな。時空の扉の、逆流が起こるわけだ。

 ここまで、わかるか? わからなければ、いつでも聞くが良い」

「あ…………う、うん」


 俺は返事しながら、ツーちゃんの急な気遣いに怯えた。あの傲慢極まりない彼女が、まさか多少柔らかくなっている? 恐ろしいことだが、いつものノリで話されるよりかは、だいぶ助かるのも事実だった。

 俺は


「うん、大丈夫」


と繰り返し、ひとまずは様子を窺った。

 ツーちゃんは淡々と話を続けていった。


「よろしい。

 オースタンという場所は、そうした性質のため、サンラインよりかはむしろ、トレンデに近いと言える。崩壊と創造が表裏一体であるという一点において、よく似ておる。

 …………わからない、という顔をしておるな」


 俺はいつの間にか開いていた口を閉じ、小さく頷いた。


「崩壊と創造から、もう一声」

「つまりな、壊れることと、創られること。それらは一連の流れとして捉えることができる。わかるか? 円環をイメージしても、直線をイメージしても構わんが…………ああいや、今のは余談だ。忘れよ。何にせよ、崩壊なければ、創造はない。創造なければ、崩壊はない。そういう話だ」

「ああ、ちょっとわかった気がする」


 タカシの答えに俺も同意した。ツーちゃんは一応満足したのか、一息吐いてまた喋り始めた。


「ゆえに、オースタンではな、規模の大小はあれ、崩壊の後には必ず再生が待っているものだ。壊れた過去は拡散し、たゆたう未来から、新たに世界が生じる。それが無理のない話なのだと、覚えてくれ。

 サンラインではそうはいかないが、オースタンではそういうこともあるのだ、とな」


 俺とタカシは互いに顔を見合わせ、特に深い意味も無く頷き合った。お前がわかるって言うなら、きっとわかるんだろう。そうだろう?

 ツーちゃんはやや呆れ顔で、さらに話し継いだ。


「つまり、何が言いたかったかと言うとだな、オースタンは崩壊したが、崩壊していない」


 俺は、今度は頷かなかった。タカシは俺が眉を顰めるより1テンポ先に、首を傾げた。


「ツーちゃん、わかんない」

「言い方が悪かったか。私は先に、「貴様らの生まれ故郷は」すでに崩壊していると伝えたろう。あれは、オースタンそのものが消滅したわけではない、という意味であった」

「んん? もう少し」


 タカシが片手の親指と人差し指を向かい合わせ、親父くさいジェスチャーで補足を求めた。

 ツーちゃんは顔つきからして、もうだいぶ苛々してきたようではあったが、それでも辛抱強く説明を加えてくれた。


「オースタンは一度崩壊した後、復活したのだ。それも崩壊直後に、崩壊前とほぼ何も変わらぬ姿でな」

「…………えっと、それじゃあつまり、オースタンはまだあるってこと? 俺たちの家族や、友達は、無事ってこと?」

「それは何を無事と呼ぶかによる。一度粉々に崩れ、偶々同じ姿にもう一度組み上がったものを、「同じ」と呼ぶかどうかだ。

 例えば…………そうだな。丁度、よく似た話がある。コウ。前に、貴様をトレンデの裏庭領域に転送してやったことがあっただろう。あれは「霊体転移」と言って、実はかなり高度な術であったのだが、あの最中に「バラバラ」になってしまう者は少なくない。なぜだか、わかるか?」

「えーっと、まずその「バラバラ」ってどういうこと?」

「そのまんまだ、阿呆め。自己を支えることができなくなり、霊体が瓦解する。幼児でもわかりそうなものだが、わからんのか?」

「はぁ」


 俺と同様、タカシも、ツーちゃんがいつもの調子に戻ってくれて少しホッとしたらしい。彼の顔にも、締まりのない笑顔が滲んでいた。

 ツーちゃんは俺たちを交互に見、眉間を険しくした。


「何を笑う…………。気味の悪い奴らだな…………。

 ともかく、私はあの時、何度も念を押したはずだ。決して「己」を離してはならない。絶対に、「水無瀬孝」であることを忘れるな、と。それはまさに、霊体が崩壊することを危惧してのことであった。下手に魔術の才や経験があると、かえって難しいところであったが、貴様が無知蒙昧かつ、桁外れに能天気なので幸いだった」


 ツーちゃんは事もなげに言い放ったが、冷静に考えれば、かなりイカれた話である。俺は自分がそんな危ない橋を渡っていたとは露知らず、知らねばこそ上手くいったのだと深く悟った。からくりを知った以上、もう二度とは挑戦しないつもりではあるものの、とりあえずは神様に成功を感謝しておこう。

 ツーちゃんは熱心に手を合わせる俺を訝しげに睨み、また足を組み変えた。


「と、まぁ、そんな話もある。それゆえ、何を「同じ」と見做すかは非常に難しい問題なのだ。そこに「水無瀬孝」の意志があれば、「水無瀬孝」なのか。たとえ水竜になろうと、土竜になろうと、コウはコウなのか。…………どうだ?」

「うん、そうだと思うよ。違ったら、困るよ」

「だが、オースタンの再生においては、その肝心の本人の意志の介入がまるで無かった。誰も気付かなかったのだ。それでも彼らを「本人」と見做すのか?」


 それから一拍置き、ツーちゃんは続けた。


「崩壊がいつ、なぜ起こったのか。それは未だにわからぬ。私も、貴様の検査のためにオースタンの気を探っていたところ、偶然に崩壊の痕跡を発見したのだ。貴様の気と現在のオースタンの気に異なった波長があることは、この私でもなければ、見過ごしていただろう。それ程に差は微々たるものであった」

「ならいっそ、気付かなければ良かったのに…………なんて」

「そうだな。当然の反応だ」

「…………ごめん」

「なぜ謝る?」

「意地悪した、気がする」

「…………」

「…………」

「私の方こそ…………すまなかったな。無神経だった」


 蒼ざめ、恐怖に慄く俺に、ツーちゃんは一転して、錐のごとき鋭利な視線をぶつけてきた。


「ああっ!! 忌々しい!! ええい、何だその態度は!? 腹が立つ、調子が狂う!! だから阿呆は阿呆らしく、馬鹿タレな口だけきいておれば良いというのだ!! まともにこの私と会話しようなど、百万年早いわ!! ああ、怒りで全身が痒い!!

 それより、おい、タカシ!!」

「ハイ!」


 唐突に指を差され、タカシが畏まった。ツーちゃんは彼に近寄っていって、強烈なデコピンをかますと、琥珀色の瞳を凛々しく瞬かせて言った。


「通常、肉体に刻んだ記憶というものは、霊体に刻んだ記憶よりも儚いものだ」

「はぁ」

「だが、時としてそれは逆転する。幾度となく繰り返し、長年に渡って肉体に練り込まれた記憶は、霊体に影響を及ぼす。どころか霊体の危機にあってすら失われぬ程の記憶に至っては、瀕死の霊体を蘇生させることさえあるという」

「はぁ…………。でも俺、別にそんなに肉体に刻み込んだ…………やりこんだことって無いよ? 何事も続いて3年がいいところの、根性無しだし」

「ところが、そうとも言い切れん」

「えっ? まさか、隠された才能?」


 ツーちゃんはうんざりしたのか、胸躍らせるタカシから、フイとこちらに視線を移した。


「何も、難しいことでなくても構わんのだ。ただ歩くだけであれ、横たわるだけであれ、身体の髄に確と刻まれた記憶であれば、それは魂のよすがとなり得る。それが良き縁か、悪しき縁かに関わらず、身体は魂を繋ぐものだ」

「はぁ」


 俺はタカシと一緒に首を傾げた。話が読めない。

 ツーちゃんは俺をひたと見据え、続けた。


「コウ。タカシが気付かぬのであれば、貴様に何か覚えがあるのではないか? その魂に映り込む、己の身体の記憶について」

「待って。何の話? 確かに散歩は好きだったけど、そういうこと?」

「違う。あれは物の例えだ。いくら何でも、そう簡単な話ではない。これは貴様の検査結果を、より詳しく読み解くための問いだ。真剣に考えろ。…………どうだ、何か思い当たることはあるか?」

「うーん…………。さぁ…………」


 俺は言葉を濁し、さらに首を捻った。

 本当は、心当たりが無いことも無かったけど、フレイアの手前、格好悪過ぎて言えたものでは無かった。


 カーテンを締めて、ひたすらに泣いて布団にくるまっていた時期の記憶なんて、健全なニートとなった今では軽蔑ものの過去である。精神的な修羅場はもうとっくの昔に乗り越えたし、あの頃の悩みは完全に、とまでは言わないが、解決した。ここは、しらばっくれても構わないだろう。

 ツーちゃんは小さな肩をひょいと竦めると、首を横に振った。


「フン、まぁいい。言葉にならぬ程に刷り込まれた記憶、ということもあろう。むしろ、それこそが本来の記憶の姿よ。尋ねた私が愚かだった。

 それにしても、タカシの意識まで織り込めば、少しは原因が掴めるやもと思っていたのだがな…………当てが外れた」

「本当に、見当もつかなかったの?」


 多少の罪悪感から俺が問うと、ツーちゃんは腕を組んで天井を仰いだ。


「…………魚がいた。白い小魚だ。覚えておるか?」

「いや、全然。何の話?」

「まぁ、無理はない。獣性共力場では自我が安定しない傾向にある。痕跡線と言えば、あの魚だけだが、何せこれだけではな…………。何とかはしてみるがな」

「コンセキセン」


 俺はサモワールでも聞いたその単語を繰り返した。何となく意味は掴めるのだが、もう少し突っ込んで知っておいたら、いずれ役に立つこともあるだろうか。

 ツーちゃんは俺の顔を見、簡単な説明を加えた。


「痕跡線とは、魔力の足跡のようなものだ。ざっくり見方を知っておくだけでも、かなり役に立つ」

「そうなんだ。扉の力の役にも立つかな…………」

「まぁな。やってみるか?」

「! うん、やってみたい!」

「なら、後で良い教本を貸してやろう。勉強せよ」

「でも俺、字が読めないよ」

「それは後で適当に何とかしてやる。私の手にかかれば、造作も無い。

 …………ふむ。生徒がやる気だと、私は嬉しいぞ。グレンのあの教本は非常によくまとまっておる。初学者の貴様ならまぁ、基礎の学習に朝夕1時間を費やし、他に8時間を割り当てるとして…………ざっと1週間というところか? 悪くないな」

「え!? 1日、10時間!? それ、現実的じゃ…………」

「コウ、偉いぞ。素晴らしいアイデアだ」


 俺は意気揚々と書棚へ歩いていくツーちゃんの背中を、後悔いっぱいに見守っていた。あの人は本当に、本心からナイスアイデアだと思っているのだろうか? 10時間×7日間が? 嘘だろう? そんな受験生みたいな真似をしたところで、26歳の俺では絶対に集中がもたない。っていうか、15歳の頃だって、そんなに勉強したこと無い!


 ツーちゃんはしばらく棚を眺め回した後、結局は何も持たずにこちらへ戻ってきた。幸い、目当ての本が見つからなかったらしかった。


「すまん。そう言えば、誰ぞに貸したままだった。誰であったか…………」


 俺は胸を撫で下ろし、冷や汗を拭った。

 いや、俺だって強くなりたいし、「勇者」としての責を果たしたいとは思うが、ツーちゃんが言うところの勉強は、俺にはあまりに無茶だった。剣の修行の方が、まだマシかもしれない。

 ツーちゃんはまだどこか諦めのつかない表情で辺りを見渡していたが、再び机の前に陣取ると、溜息と一緒に腕と足を組んだ。


「しょうがない。また次の機会にしよう。

 それで、そう。小魚の話の続きだ。あれについて、今一つ貴様に尋ねたいことがある。

コウ、貴様には弟がいるのか?」

「? いいや、いないよ。妹ならいるけど」

「貴様はその魚のことを「俺の弟」と呼んでおったのだ」

「全く覚えてないなぁ。あっ、もしかしてその魚、ネオンテトラじゃなかった? お腹に光る青い線が入っている、ちっちゃい魚。昔、家でたくさん飼っていたんだ」

「違う。そんな気味の悪い魚ではない。半透明の、白い魚だった。…………というか、貴様は魚を弟と呼ぶのか? つくづく変な男だな…………」

「すごく小さい頃だって。初めてのペットだったから、弟のように可愛がっていたんだよ」

「うむ…………それはそれで多少の縁はあろうが、恐らく今回は関係が無かろう。あの魚には、オースタンの自生種にはまず見られない、濃い魔力を感じたからな」

「あの青線、ちょっと魔法っぽいと思ってたんだけどなぁ」


 ツーちゃんは話にならないとばかりに、長く溜息を吐いた。


「わかった、もう十分だ。次の話に移る。何かオースタンのことについて、他に聞きたいことはあるか?」


 俺はタカシと顔を見合わせ、お互いに同じことを尋ねたがっていると知った。妙なところで、ふいに以心伝心するから不思議なものだ。

 俺はツーちゃんに、やんわりと尋ねた。


「その、わかればでいいんだけどさ。壊れる前のオースタンと今のオースタンって、何が違うの? 微々たる差って言っていたけれど、具体的にはどんなこと?

 あと、その崩壊と復活って、自然に起こったことなのか、それとも誰かがやったことなのか、知りたい」


 急にフレイアの視線が俺に向く。俺はちょっとドキッとしたが、彼女は何も言わず、依然表情を曇らせたままだった。

 ツーちゃんは「ううむ」と長く低く唸り、渋面を作った。


「違いか…………。答え難い質問だな。私は元のオースタンを詳しく知らぬし、今のオースタンのことも詳細には調べておらぬ。それに元々、人ならざる私と貴様とでは世界の認識方法がズレている。貴様が期待するような具体的な答えは、私には差し出せぬであろう。例え貴様にとって大切な、決して見過ごせぬ物が消滅していたとしても、私にはそもそも、その物自体が見えていなかった可能性さえあるのだ。

 …………究極的には、貴様の世界は貴様にしか見えぬもの。貴様の目で直に見なければ、何が壊れ、何が創られたのかは、わからぬだろう」


 ツーちゃんはやや同情的な(そんな時、彼女の琥珀色は少しだけ茶色く沈む)眼差しを俺とタカシに向け、言い継いだ。


「…………とは言え、傍目にもすぐにわかる変化は何も無いと言ってよかろう。世界の形はそのままだ。空の色も、大地の轟きも、星月の巡りも、一切変わらぬ。人も獣も相変わらず、縷々と命脈を紡ぎ続けておる。歴史にもざっと見、齟齬が無い。

 ただ、魔力場には若干の変動があった。オースタンの裏庭領域であるアルゼイアから、魔力が滲み込んできている。アイラム侵食の初期状態だが、まぁ、アルゼイアの魔術師共のことだから、その気になれば、あっさりと修復するだろうよ」

「アルゼイア…………? いや…………よくわかんないけど、とりあえず、ありがとう。それじゃあ、細かいことはともかく、俺の家族や友達は平和に暮らしている、ってことでいいんだよね? 地球が爆発したわけでも、太陽が消滅したわけでもない、ってことで?」

「ああ、そうだ」

「良かった。それならまぁ…………よくわかんないけど、良かった」


 ツーちゃんは俺の答えを聞き、「フゥ」と肩を落とした。それから彼女はチラとフレイアを見やり、また浮かない顔で俺とタカシに目を戻した。


「まったく。またフレイアに怒鳴られかねんゆえ、言うまいと考えておったのだがな。貴様は阿呆の癖に、どうしてこう時々、ピンポイントで問題を突いてくるのか。いくら気を遣っても、もういい加減、合わせきれん」


 ツーちゃんは眉間にぎゅっと皺を寄せると、ハッキリと続けた。


「コウよ。タカシたちが来る前に話していたことをもう一度、考えてみろ。旅立つ時、貴様は何を捨ててきたのか? 貴様は何の「扉」を開いてきたのか?」


 俺は急に輝きを鋭くした琥珀色の圧力に押され、縋るような気持ちでフレイアを仰いだが、そこでもあの激しい紅玉色の眼差しに追い詰められた。フレイアの、正直に話して欲しい、という俺への強い意思が、ぴりぴりと肌に伝わってくる。

 俺は彼女たちの迫力にたじろぎ、仕方なく答えた。


「「扉」って…………時空の扉の、ことじゃないのか? 俺はあの時、フレイアに扉を開いてもらって」


 俺はタカシと一緒に、首をすくめた。


「竜の国へ行って、トレンデに行って、サンラインに来た。扉の力についてタリスカに聞いたのはその後だったから…………本当に、何もしていない。知らないよ」


 ツーちゃんは落ち着いた調子で、目を逸らすことなく言った。


「ああ。だから、何も知らない貴様は、無意識に「扉」を開いたはずだ。そうしてフレイアの時空移動の魔術を、貴様は知らず知らずのうちに歪めてしまったのだろう。…………いくら不慣れなフレイアとて、何も理由も無しに、そう何度もしくじるはずはない。貴様の「扉」の力に影響されたとみるのが妥当だ。

 ゆえに、私は尋ねたのだ。貴様はなぜ、オースタンを捨ててきたのか、と。時空の扉を通るだけの…………己の世界を壊すだけの、動機が知りたかった。「扉」を開く原動力となるのは常に、貴様の意思。その意思の正体を、確かめたかった。

 …………自殺志願者ではないという。嘘とも思えぬ。

 では、なぜ?」


 俺は口を噤んだ。何と答えよう。


 というか、もしかしてこれは、俺が疑われているのか? 俺が「扉」の力で、無意識にオースタンを崩壊させた、と。


 俺はツーちゃんと、それからフレイアを見た。二人は緊張を深く潜ませた面持ちで、じっと俺を見つめ返していた。

 俺は捨てられたワンダと同じ顔をしたタカシを見つめ、呟いた。


「俺は…………。

 俺は、主人公になりたかったんだ。夢でもいいから、自分の物語を生きてみたかった。サンラインのことより、オースタンのことより、目の前の女の子を助けたくて。それだけで。

 俺は…………何も捨ててなんかない。ただ、自分で変えられる何かが欲しかったんだ」


 フレイアの目が大きく見開かれる。ツーちゃんはいつもの溜息と共に、机に頬杖をついた。何も言わないその横顔に、もう沈みかけの夕陽が差し込む。


 俺は言った後、すごく恥ずかしくなったが、不思議と後悔は無かった。

 今まで自分だけで抱えていた思いが外に降ろせて、気持ちがスッキリした。


 俺は、大切な物を守るために来た。

 そしてそれは、本当のところ、サンラインのことじゃない。俺自身の、魂のことだった。フレイアの紅く澄んだ眼差しに打たれて、そう決めた。

 彼女と旅に出て、「俺」の物語を始めよう、って。


 何が夢だって、現実だって、魂だけは変わらない。

 世界を救う「伝承の勇者」だとか言われても、あくまで俺はただの「水無瀬孝」だ。どれだけ火のお化けに囁かれたって、忘れなかった。忘れられなかったこと。


 ――――俺が戦う理由。

 それは、俺が俺であるための、証明なんだ。

 

 俺は顔を上げて、宣言した。


「俺は…………今はまだ、自分の力のことも、役目のことも、よくわかってない。ツーちゃんの言う通り、タダ飯喰らいのマヌーだかグゥブだってのは、本当だと思う。それに…………もしかしたら本当に、無意識にオースタンを壊してきてしまったのかもしれない。調べる術すら、俺にはない。

 でも、どうか信じて欲しい。

 俺は冷やかしでこの世界に来たわけじゃない。本当に、本当に何かを変えたいって思って、やって来たんだ。俺は俺のためにも…………絶対にやり遂げる。投げ出したりしない。必ず、強くなる。だから」


 信じてくれ、と続けようとした時、ふとフレイアが俺の前に歩んできて、跪いた。


「コウ様」


 言いながらフレイアは鮮やかな目を俺に向けた。一点の曇りも無い、綺麗な瞳だった。


「申し訳ございません。フレイアが間違っておりました。大変失礼ながら、私はコウ様のお気持ちの程を勘違いしておりました。

 実を申しますと、私は自分がコウ様を無理矢理に連れてきてしまったのではないかと、ずっと後悔しておりました。竜の上で、常にお傍にと誓いましたのに、サモワールまで駆けつけることも叶わず、コウ様とタカシ様がひどくお怪我をなさってお戻りになったと伺った時には、不甲斐なさで胸が潰れそうでした。…………もし、もし万が一、コウ様がこのままお目覚めにならなかったら、フレイアにはもう償いすら許されぬと…………。

 ですが、この度コウ様のお気持ちを伺って、私は自らの浅はかさを痛感いたしました」


 フレイアは真っ直ぐに俺の目を見ていた。そのあんまりのストレートさに、俺はついに最後まで言葉を挟めなかった。


「コウ様のご覚悟がそれほどまでにお強いものだとは、愚かな私にはわかりませんでした。浅慮にして、コウ様を差し置き、琥珀様にも無礼な口を利き、差し出がましい真似をいたしましたことを、深く反省します。

 …………コウ様。私は、あなたをどこまでも信じます。コウ様はあんな小さな私を信用して、命まで救ってくださいました。私はあなたのために、この魂全てを捧げます。…………裁きの主に、誓って」


 フレイアが両手を胸の前で組み、項垂れる。

 俺は当惑を隠しきれないながらも、どうにか一言答えた。


「ありがとう、フレイア」


 フレイアはふんわりと微笑みを滲ませ、


「はい」


と答えた。


 俺はその時、自分がいつの間にかタカシと融合していたということに、ふと気が付いた。懐かしい身体の感覚が、かえってどことなく気分を浮つかせる。一体何がきっかけだったのか、本当にわからない。

 眼前に控えるフレイアは頬を少し赤く染めて、じっと俺を仰いでいた。彼女の澄んだ紅の眼差しは、いつまで眺めていても飽きない。

 俺だって、君がいなければ…………。


「…………おい貴様ら、いつまで見つめ合っている?」


 ツーちゃんに呼びかけられて、俺はハッと彼女の方を振り返った。


「ツーちゃん、俺」

「ああ、もう良い。貴様のことは良くわかった。この阿呆め」

「信じてくれる?」

「元々、責める気など無い」

「…………嬉しいよ」


 ツーちゃんは「フン」と鼻息で返事すると、不機嫌を隠すことなくそっぽを向いた。彼女はその姿勢のまま、乱暴に言葉を放り投げた。


「フレイア」

「はい、何でしょうか?」

「何だかどっと疲れた。後は任せる。「邪の芽」のことは、お前もよく知っておろう。適当に、お前が必要だと思うことをコウに伝えろ」

「えっ…………。ですが」

「専門的な話は、後で気が向いたら私がする。「コウ様」に気遣うのは、もううんざりだ、たくさんだ、こりごりだ」


 言うなりツーちゃんは片手をヒラヒラとさせて、俺たちを追い払う仕草をした。表情はよく見えないが、どうも本当に疲れている風だった。

 彼女の隣では、腹を空かせたリルバラ鼠がキーキー鳴きながら、忙しなく机に齧りついていた。ツーちゃんはそんな鼠たちに、赤沼の土からほじくり出した僧蝶花の種を無造作に放ると、ぐったりと机に伏せった。


 俺とフレイアは顔を見合わせ、一緒に部屋から出て行った。


「ツーちゃん、ありがとう」

「琥珀様、先程は申し訳ありませんでした。失礼します」


 俺たちの声かけにも、ツーちゃんは顔を上げることは無かった。

 グラーゼイほどでは無いのだろうが、彼女もまた、毒を吐き続けていないと死んでしまう生き物なのだろう。

 俺に言われたと知ったら、烈火のごとく怒るだろうが、本当に変なヤツだ。

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