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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
【間章】夢の底
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49、混沌の水底。過去との邂逅。俺が夢で見たこと。

 ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。

 竜の国での空中緊急脱出。影の国での魔術師からの襲撃。あらゆる困難を乗り越え、ついに俺たちはサンラインへと辿り着く。

 目的地に着いた俺は、「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けることとなる。

 だが到着して一息ついたところで、色々あって俺は自警団員のナタリーと共に「サモワール」という店への潜入捜査に協力する羽目になった。

 そして「サモワール」にて、敵の魔術師・リケからの襲撃に遭った俺達は、何とか窮地をしのいで生還したのだった。

 俺は夢を見ていた。夢の中で夢だと気付くのは珍しいことだが、その晩の俺は、不思議と自分が空想の世界にいるとちゃんとわかっていた。


 ――――…………レヴィが泳いでいた。

 例の魂の歌を懇々と響かせながら、彼は俺の周りを悠然と回遊していた。果てしなく広がる翠色の海の中で、俺は独りきりで佇んでいた。


「レヴィ、ここはどこなんだ?」


 問いかけたが、もちろんレヴィは答えない。レヴィはただ手招きをするように、優雅に尾ヒレを翻して海の深くへと潜っていった。


 俺はレヴィの作り出す下降流に引き摺られるようにして、彼の後を追った。

 ぶぅん、と、耳慣れない弾みのある音が俺を包み、気付けばあっという間に、俺は真っ暗な海の底に辿り着いていた。


 レヴィの巨体が、そこら中をフイフイと漂っている蛍に似た生き物の明かりに照らされて、ぼんやりと見えてくる。レヴィは、もう俺のことなど忘れてしまったみたいな飄々とした顔をして、音も無くどこかへ泳いで行った。

 蛍はレヴィが押しのけた大量の水に流されつつ、途切れがちに、暗い海の景色を照らし出していた。


 遠くに、リーザロットがうつ伏せになって倒れている姿が見えた。

 黒いヒルに襲われて苦しんでいる彼女は、そんな中でも、あえかに息を継ぎながら詠唱を続けていた。

 彼女の声は聞こえない。聞こえないけれど、確かに俺の肌をざわつかせた。

 彼女の頬に付いた痣と、血と、涙とが、彼女の苦悶を痛切に訴えていた。


「リズ、もういい! やめてくれ! 俺が頼んだからか? リズ!」


 俺は彼女に駆け寄ろうとした。俺が「思いきりやれ」なんて頼んだばっかりに、リーザロットは死にかけている。例え夢だとしても、見過ごせなかった。


「リズ!!!」


 ぐったりと俯いていたリーザロットの顔が、おもむろにもたげられる。

 蒼い瞳が静かに俺を映した。

 あまりに暗い、濁りに満ちた眼差し。

 俺は怯んで、足を止めた。


 リーザロットが何事かを呟く。俺に向かって伸ばされた蒼白い手が、闇の中でゾッとするほど浮いて見えた。

 彼女の身体を這うヒルが、じわじわと人の手の形へと変わっていく。無数の黒い手は彼女の全身を容赦無くまさぐり、やがては服の下に及んで、彼女を容赦無く蝕んでいった。


 リーザロットが小さく叫び、再び俯き、肩を縮込める。俺は口もきけずに見ていた。助けなきゃいけないのに、金縛りにあったように身体が動かなかった。

 リーザロットの声にならない悲鳴が、闇を渡っていく。俺はその悲痛な響きに、思わず耳を塞ぎたくなった。


 …………唾を飲み、危うく目を瞑りかけたその瞬間、蛍がゆっくりと灯を落とした。

 俺は溜息を吐き、その場にへたり込んだ。夢だ、これは夢だと、何度も自分に言い聞かせながら、脳裏に焼き付いたイメージを払拭しようとした。

 

 蛍は少しずつ、また暗闇の中に光を灯した。

 俺は自己嫌悪に苛まれながらも立ち上がり、平静を取り戻すべく、再度辺りの景色に目を凝らした。


 ややすると、浴衣姿のナタリーがふっと闇に浮かび上がってきた。

 引き締まった美しい太腿を露わに、彼女は刺青の手を必死で上へ、上へと伸ばしていた。サモワールで見た光景と全く一緒だ。


(ミナセさん――――!)


 彼女の切実な声が、弾丸となって俺の胸を撃った。

 そう…………あの時俺は、彼女を助けられなかった。


 俺は、逆さになって落ちていくナタリーを放っておけず、一目散に駆け出した。行ってどうすると考えるよりも、とにかく足が動いた。

 彼女がこのまま、どこか俺の手の届かない所に行ってしまう。本気でそう思い込んでいた。


「ナタリー――――!」


 彼女がつとこちらへ目を向ける。不安と懐疑とが入り混じった、妙な眼差し。

 彼女の唇がそっと開きかかる。俺は彼女に、あとほんの少しで触れられそうだった。


 だが、途端に蛍たちはプッツリと明かりを落とした。

 俺はいきなりの暗転に驚き、足をもつれさせた。勢い余って身体が思いっきり前へつんのめり、盛大に顔面からスライディングをかました。

 白っぽい砂埃を巻き上げつつ、俺はくしゃくしゃに顔を顰めて頭をもたげた。鼻の頭にできた擦り傷がヒリヒリと痛んだ。


「何なんだよ、もう…………」


 俺は鼻の傷を撫で、肩を落とした。


 思えば、何をそんなに必死になって追いかけようとしていたんだか。ナタリーは、リーザロットを追って、スレーンから文字通り飛んできたタリスカに助けられて(昨晩、彼女からそう聞いた)、ピンピンしてるっていうのに。


「まぁ、夢だし、理屈じゃないことも起こるか…………」


 俺は身体を起こし、その時になってようやく、自分の恰好を意識した。


「…………って、あれ? 何で俺、制服なんか着ているんだ? しかもこれ…………中学の?」


 俺は埃まみれの自分の姿をまじまじと見つめた。タイミング良く、蛍たちが俺の周りで再び光を放ち始める。


 まるで、というより、中学時代の自分そのものがそこに立っていた。

 裾の長い、ストンとした灰色のズボンに、男女どちらからも大不評だった丸襟の紺のセーター。やけにてろっとした布地の薄っぺらな赤いネクタイ。よく見れば、俺が弁当のケチャップを飛ばした染みもしっかり胸についている。

 何となく肌も若々しい気がするし、腹の贅肉もまだそんなについていない(!)。

 俺はいつの間にか、完全に中学生の姿に変わっていた。


 俺は唖然とし、ぽつねんと闇の内に立ち尽くしていた。

 何だか新鮮ではあるものの、ニートが中学生に戻ったからといって、別段何かやりたいことがあるわけでもなし。俺はせいぜい、もうずっと昔に捨てたはずのセーターやらシャツやらを、しみじみと懐かしむばかりだった。


 飛び回る蛍はそのうちに、ポツリ、ポツリとまた別の景色を照らし出した。


 今度は、小学生ぐらいの女の子の姿が見えた。ナタリーの時よりも蛍が少ないせいでよく見えなかったが、一見すると男の子のようにも見える、灰髪のショートヘアの子だった。


 彼女は屈んだり、首を左右に振ったりして、落ち着きなく辺りを歩き回っていた。何かを探しているらしく、切羽詰まった気分が、横顔からでもひしひしと伝わってきた。

 俺は見かねて、声をかけた。


「おーい、何か探しているのかい?」


 少女がハッとして辺りを見回した。

 俺は続けて、彼女を呼んだ。


「おーい、ここだよ!」


 暗くて見つかり難いのか、少女は訝しげに首を捻っていた。俺は彼女の方へ向けて歩み出し、もう一度叫んだ。


「おーい、こっちだってば!」


 少女がやっとこちらを振り向く。前髪に覆われて見えなかった目元が、蛍の光を浴びてパッと明るくなった。

 美しい紅玉色の眼差し。

 彼女はきょとんとした表情で、真っ直ぐに俺を捉えていた。


「あっ…………」


 俺が声を詰まらせたその時、蛍の光が一斉に失せた。


 またもや暗闇の中に置き去りにされた俺は、口を開けて途方に暮れた。


 …………今のは、フレイアか? 確かに面差しは似通っていたけれど、俺は彼女の子供の頃なんて全く知らない。もしや、俺は本格的にロリコンなのか? それは由々しき事態である。


 と、深刻な疑惑に頭を抱える間も無く、消えた蛍はまたどこからともなく集まってきて、しっとりと次の人影を俺の前に照らし出した。


 鬼が出るか、蛇が出るかとつい身構えたが、明かりを受けて白く染まったその背中は、あっけないほど他愛も無いものだった。

 俺はホッと胸を撫で、呟いた。


「なんだ、あーちゃんか…………」


 俺は見慣れた妹の制服姿に、張っていた肩の力をどっと抜いた。あまり仲良しこよしという間柄とは言えないにせよ、やはり家族だとわかると安心できた。


 「あーちゃん」こと、俺の妹の「水無瀬朱音(ミナセアカネ)」は、家でいつもそうしているように、高校から帰ってきてすぐ、制服のまま足をソファに投げ出し、4つあるクッションを女王様のように占領して、コンビニで買ってきたお菓子を幸せそうに頬張っていた。その笑顔はお日様みたいに晴れやかで、ちょっとふっくらとしていて、実に幸福そうだった。


 俺はあえて、彼女には話しかけないでおいた。

 不出来な兄で、今やすっかり尊敬を失ってしまったが、俺なりにあの子のことはずっと見守ってきたつもりだった。10も歳が離れていると中々生活が合わず、一緒に遊んでやれる時間もあまり長くなかったけれど、それでも段々とあの子が成長していって、次々と新しい表情を見せてくれるのは嬉しかった。


 俺は妹のほくほくとした顔を眺めつつ、つられて笑みを漏らした。

 ああして、プリンでも羊羹でも好きなだけ平らげて(いや、やっぱり食べ過ぎは良くないか…………)、いつまでも元気にしてくれていたらいいのだが。


 あーちゃんは最後まで俺に気付くことなく、じんわりと淡く滲んで、闇の奥へ消えていった。

 俺は黙って妹の後ろ姿の手を振った。さようなら、あーちゃん。大福パフェと末永くお幸せに。


 まばらな蛍だけが、後を飛び交っていた。

 

 そうして俺は、再び周囲が明るくなっていくのを待った。

 蛍たちは風も無いのに、フワフワと不規則に、煽られるように飛び回っていた。鳥や飛行機とは違う、彼ら独特の飛び方は、見ていて妙に気持ちが浮ついてくる。


 俺は正面に、新たな人影を認めた。身体つきからして、すぐに男の影だとわかった。

 彼は今までとは異なり、自ら俺の方へと歩み寄ってきた。俺は闇の帳からゆっくりと姿を見せた人物に、思わず呼吸を忘れた。

 俺はかろうじて、震える声でこぼした。


「…………八神(やがみ)


 相手は冷ややかな目つきだけで答えた。素っ気ないが、至極彼らしい、懐かしい態度だった。


 俺は続ける言葉を失った。いかに夢とは言え、彼との再会は、それだけ信じられないことだった。

 八神は俺の幼馴染で、中学まで同級生だった。制服が大嫌いなヤツで(というか、学校自体が大嫌いだった)、今みたいに、いつだって大人びた私服で街をブラブラしていた。身体が大きくて、顔立ちが整っていて、それが妙に似合っていた。


 八神はしばらく黙って俺を見ていたが、ややしてから、ぶっきらぼうに言った。


「相変わらずダセェのな、お前」


 俺は久しぶりに、前世で聞いたんじゃないかって思えるぐらい、久々に蘇ってきた声に、どうにか返事した。


「あ、ああ。そう」

「肯定してんじゃねぇよ、全く…………。ガキみてぇな顔しやがって」


 八神はそう吐き捨てると、毒々しく、だが、どこか物悲しげに続けた。


「…………多分、お前は気付いてねぇと思うが」


 八神の頬を、蛍がしんみりと照らして去っていく。今にも崩れ落ちそうな重たい暗闇が、彼の背に深々と圧し掛かっていた。


「…………この世界は、夢じゃない。

 影の奥にも影がある。黒を幾重にも塗り重ねて、ようやく見える絵もある」


 八神は静々と言葉を紡いでいった。


「俺は、突っ張っちゃいるが、所詮一重の黒に過ぎない。俺に世界は見えない。一生、永劫に、過去さえ、縛られる定めだ。

 俺には、お前が本当は誰なのかすら、わからなくなるだろう。

 俺はもう…………己のことさえ、満足に描けない」


 俺は、この時にはすでに彼が、俺の記憶の中の彼なのだと、気付いていた。


 一際空の高い、15歳の秋の日に、学校の屋上で、全く同じことを聞いた覚えがあった。全く意味がわからなくて、だからこそ逆に、強烈に印象に残っている。


 八神は欄干に突っ伏して、声を殺して泣いていた。


「コウ。頼むから…………頼むから、黙って聞いてくれ。覚えていろなんて、言うつもりはない。

 俺はお前を、この世界を、裏切る。

 忘れてくれ、むしろ。その方がお前の、お前の大切な人間のためにも、なる。

 …………だが、せめて、

 せめて、この瞬間だけでも、

 …………足掻かせてくれ」


 蛍が灯を落とす間際、彼の涙が一雫、深淵に滴り落ちた。



 ――――…………遠くから、レヴィの声が聞こえた。

 彼は魂の歌を機嫌良く響かせ、こちらへ泳いで来た。一体どこを散歩してきたやら、やけに愉快そうだった。


 レヴィはぐんと勢いをつけて俺の横を抜けると、たちまち身体を翻して、闇の海を急浮上していった。

 巨体の起こした水流が、蛍と伸びた俺の髪を滅茶苦茶に掻き乱す。


 俺は躊躇した後、レヴィを追って闇を蹴った。まだしばらく海底を覗いていたい気もしたが、あまり長く過ごせば、俺まで空想の中に溶けてしまいそうだった。


 俺は何度か闇の海をキックし、陽光が豊かに降り注ぐ澄んだ翠の大洋へと戻っていった。


 夢の中は懐かしいけれど、すごく愛おしいけれど、決していつまでも浸るべき場所じゃない。

ずっといたら、きっと未来への扉が全部、閉じてしまう。 

 俺は光の粒が無限にきらめく水面へ、そっと身を浮かばせた。



 ――――…………目を覚ました時、俺は柔らかいベッドの上にいた。

 清潔なマットと、良い匂いがする毛布にふっくらと包まれて、俺は長らく眠っていたようだった。

窓から差し込む光が、うっすらと茜色に滲んでいた。


「…………やっと起きたか、阿呆め」


 枕元から聞こえてきた辛辣な声に、俺は寝惚け眼を向けた。


「…………ツーちゃん。おはよう」

「何がおはようだ。もう鈴の刻だ」


 鈴の刻がいつだかわからなかったものの、俺はとりあえず半身を起こし目をこすった。


「リズは?」


 ツーちゃんは呆れ顔で長々と溜息を吐くと、心底浮かない口調で言った。


「リーザロットは峠を越えた。…………ひとまずは、一命を取り止めたと言えよう」

「よかった…………。…………ご飯は?」


 ツーちゃんはもう一度長い、今度はとても長い溜息を吐き、答えた。


「貴様というヤツは…………。マヌーだって、飯の前には身繕いをするというのに…………。

 貴様がサモワールから朝帰りして、もう丸2日が経過しておる。貴様はその間、ずっと寝込んでおった。帰ってくるなり、館の入り口の長椅子でぶっ倒れていたのを、わざわざこの私が、長旅で疲れきったこの私が、ここまで運んできてやったのだ! それを貴様、一言の感謝も無しに、言うに事欠いて「飯」だと? ふざけおって!」


 俺は頭を掻き、肩をすくめた。そんなこと言われたってという気持ちはあったけれど、とりあえずは筋を通した。


「悪かったよ。ありがとう、ツーちゃん」


 ツーちゃんはフン! と偉そうに鼻を鳴らすと、細い腕と足を大胆に組んで続けた。


「とにかく! タカシも無事に帰ってきておることだし、早速貴様の検査を行うこととする。必要な物も、貴様が眠りこけている間に全部揃った。…………私が荷卸ししたんだぞ? このお月様、お天道様も畏れる大魔導師の、ツヴェルグァートハート・ハンナ・エル・デル・マリヤーガ・シュタルフェア様が、自ら!」

「検査…………?」


 俺は呟いてから、やっと思い出した。そう言えば、元々はそんな話のために街へ出掛けたのだった。すっかり忘れていた。

 ツーちゃんは俺をきつく睨み、付け加えた。


「コウ。検査の前に予め言っておくが、恐らく貴様の身は、サンラインの危機に関わるだけには留まらぬだろう。貴様にはそれだけの…………凄まじき「業」があるとみた。

 …………コウ。いや、あえて呼ぶ。

「「扉」の魔術師」よ。

 貴様は、何としてでも、強くならねばならん。

 いずれ因果の深みに、風穴を穿つ程に」


 大魔導師は琥珀色の瞳を研ぎ澄まし、淡い夕陽の下、さらにその眉間の陰影を濃くした。

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