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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
魔術師たちの愚かな宴 <饗膳>
74/411

44-3、大いなる獣との邂逅。初めての猫語。俺がキスの仕返しをすること。(前編)

 ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。

 竜の国での空中緊急脱出。影の国での魔術師からの襲撃。あらゆる困難を乗り越え、ついに俺たちはサンラインへと辿り着く。

 目的地に着いた俺は、「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けることとなる。

 だが到着して一息ついたところで、俺は不運にも痴漢(冤)罪で自警団に逮捕されてしまう。幸い自警団員のナタリーの助けもあり、一旦は事なきを得たものの、その見返りとして「サモワール」という店への潜入捜査に協力する羽目になった。

 そしてその「サモワール」で、俺はまたもや敵の襲撃に遭う。

 今度の敵は、獣の大魔術師だ。

 世界で一番静かな場所。それは自分の内側にある。見えないものを探したかったら、絶対に訪れなければならない場所。


 ――――…………扉を感じる時はいつも、自分が世界から遊離したような感覚を味わう。ほんの一時だけ、時がふっと止まったように思えて、気付くと俺は扉に触れている。

 サモワールで見る魔法達とは違って、扉が形として目に映ることはない。扉はただ直接、魂に「在る」と伝わってくるだけだ。


 そこで俺は、ちょうど水門をいじるように、魔力を留めたり、溢れさせたりする。

 そもそも「扉」が何なのかは、俺には未だによくわからない。俺は色んな魔力があちらへ、こちらへと目まぐるしく飛び交う中で、手当たり次第に扉に触れて回っているに過ぎなかった。

 「あ! 嫌な予感がする!」と思ったら閉じておく。「わ! この勢いは使えそう!」そう思ったら、開けてみる。まだ綾目もつかぬ子供の遊びとよく似ている。


 実際、扉を開けたり閉じたりすること自体はすごく簡単だ。普通に扉を開閉する時のように、手をちょっと伸ばしてみたり、踏ん張ってみたりするだけで良い。

 力はほとんど要らない。難しい手順も、何一つ無い。こんな力で「勇者」だとか呼ばれても、正直、俺自身が戸惑ってしまうぐらいだ。


 「扉」の解放によって、魔力の流れがガラリと変わる。場に魔力が溢れると、その力は時に音となり、匂いとなり、あるいは色んな感覚が混ざり合った一連の景色となり、俺達の前に展開され始める。

 魔力ってのは、ある意味では電流みたいなものなのかもしれなかった。魔法も、電気も、目では見えないが、確かなエネルギーを持っている。そして入り組んだ回路を繋ぐ、スイッチが、俺。



 ――――…………俺は吹き荒ぶ黒い嵐の中で、ふと風が止み、音が飛び、世界が静止するのを感じた。

 憤怒に乱れた空の隙間から、灰色の雲が白々と覗いている。墓標のようなビル群が、我先にと救いの手を伸ばすかのごとく、そこへ向かって不気味に背伸びし続けていた。


 クジラの鳴き声が、雷鳴となって空から届く。


 直後、どう、と風雨が戻ってきた。俺は突風に巻かれ、叫び声をあげる暇も無く宙へ放られた。一瞬の無重力。俺は落下を察するや、身体を翻し、灰色の空へ真っ直ぐに視線を射った。


 ――――来い。


 全身全霊をかけて祈る。

 空の奥から大きな力が迫ってくる。物凄い勢いで、魔力を飲み込みながらやって来る。

 俺は一声、


「アーォ」


 と、自分の位置を知らせる鳴き声を絞り出した。多分、もう二度と喋れない、本格的な猫語。

 応えるように、重たく優しい声が後に続いた。


 Oooo-n…………Oooo-n…………


 俺は惚れ惚れと、灰色の空を突き破って泳いでくるクジラを見つめた。

 小さな小さな目が、真珠のように潤んでいる。俺は気を昂らせ、全身の毛を一斉に逆立てた。


 クジラは神々しくも無慈悲に、ビルや嵐を押し潰した。

 クジラの巻き起こす水流によって、俺の身体はバラバラと分解され、次第に人間の姿に戻っていった。

 手足に満ちて来る、懐かしい感覚。聴力やら触覚やらの感じが若干鈍くなった気もしたが、目はすごく良くなった。何てカラフルな世界。


 さらに、他にも戻ってきた感覚があった。

 温かで、柔らかな、安心感のある触り心地。俺はようやく知った魔力に触れて、息をついた。


(ミナセさん! まだ生きてる!?)


 明るい声が俺の全身を震えさす。俺は咄嗟に、ナタリーの身体を胸の前に引き寄せ、強く抱き締めた。


(えっ!? ちょっ、ミナセさ…………! 何…………!?)

(ごめん、我慢して)


 触れ合った肌を通して、ナタリーの青々しい魔力が俺の内に滲んできた。彼女の扉を、そっと押し開くと――――強引な抱擁は「そっと」とは言えないが、キスよりかはマシだ――――エメラルド色の海が、一気に部屋に溢れ返った。


 爽やかな潮の香りが吹き抜け、残されていた黒い風雨が、あっという間に晴れた。うねる魔力の流れが、大きな海流に乗って、ビルの破片を跡形も無く押し流していく。空の灰色は今や、海面から差す陽光にすっかり取って代わられていた。


 巨大なクジラの口が、閉じられる。

 俺は扉の閉まる衝撃を全身で味わった。


 濾された水流と共に、満足気なクジラの声が響く。ナタリーは俺の腕の中で、母親のような顔で心配そうにクジラを見守っていた。俺は緑色の浮遊感に包まれながら、リケの魔法を振り切ったことを確信した。


 ナタリーの胸の膨らみが柔らかく、慎ましく彼女の胸の鼓動を伝えてくれた。なかなかのボリューム感。滑らかな肌に、女性らしい繊細な息遣いが、俺の集中を少し掻き乱す。

 俺がなおも辺りを警戒していると、ナタリーが遠慮がちに呟いた。


(ミナセさん…………ちょっと、苦しいや)

「ごめん」


 俺は苦笑し、ナタリーを解放した。


「いきなり、悪かった。扉を閉じるのに…………アイツの魔法を堰き止めるのに、あのクジラをもっと自由に泳がせてやるために、君の魔力が、どうしても必要だと思ったんだ。だから、その、決してセクハラっていうつもりじゃなくて…………」

「せくはら?」

「ああ、いや、何でもない。とにかく、驚かせてごめんね」


 俺は頭を掻き、項垂れて一拍置いた。もう一つ、彼女には謝らなければならないことがあった。


「あと、その身体の傷…………」


 ナタリーは俺が言い淀んだ言葉の先を察したのか、黒く虚ろに開いた胸の穴をさすって答えた。


「ああ。「呪い穴」のことは気にしないで。元々私、父さんから魂獣を引き継ぐために、自分の霊体は消滅させてあったの。…………その、詳しい話は省くけど、ああいう大きな子を飼い続けるには、霊体って邪魔になったりするんだよね。

 だから、私は「無色の魂(カラーレス)」を使ってるんだ。…………「無色の魂」、知ってます?」

「いいや」

「霊体を失った人のために作られた、仮の霊体のこと。単純な構造だから、使える魔術が制限される代わりに、呪いも大方効かない。まぁ、その使える数少ない魔術すら、今は使えなくなっちゃったんだけども…………。でも、なんか、ミナセさんのおかげ、なのかな? なぜか使えるみたい。こんな広い力場が、一瞬で…………。どうして私、魔術が使えるんだろう?」


 俺は、入れ墨を不安げに押さえ、周囲を見渡すナタリーに言った。


「それは、俺が君の「扉」を開いたから、だと思う」

「その、「扉」って何スか? 私、あんまり魔術の用語は詳しくなくて…………」

「実は俺もまだ良くわかっていない。場の魔力を時々切り替えられる、そんな力らしい。…………ところで、呪い穴って治るのかい? 俺のせいで、本当にごめん」


 ナタリーはくりっとした目を俺に向けると、肩をすくめた。


「正直、治るかは専門の人に聞いてみないとわからない。でも、何にせよ、ミナセさんが謝る必要は無いッスよ。あの猫を追っ払ってくれたのは、ミナセさんなんだし、それに、私がミナセさんをここに連れてきたから、こんなことになったわけだしね」

「そう言ってもらえると、少し楽になる。ありがとう。とは言え、リケについては、本当に追い払えたのか、まだわからないんだけどね…………」


 俺はのびのびと回遊するクジラを眺めやって、溜息を吐いた。

 今のところ、消えたリケの行方を知る手がかりは皆無だった。いくら集中してみても奴の魔力は感じ取れず、このままでは最初の時のように、不意打ちを警戒することもままならなかった。


 俺はナタリーに再び話しかけた。


「店の人、まだ来ないのかな?」


 ナタリーは腕を組むと、眉根を寄せた。


「うーん。猫さんの張った魔力場がかなり強力だったからね。難しいかも。さっきも話したけど「無色の魂」でもない限り、そうそう突っ込んで行ける空間じゃなかったんですよ。私だって、レヴィがいなかったら厳しかった」

「レヴィ?」

「私の魂獣のこと。あの子、すごく頼りになるんだ。誰が最初に付けたのか知らないけど、ウチじゃ代々レヴィって呼んでいるの。良かったら、ミナセさんも呼んであげてよ。何だかもう、ミナセさんの声も怖がらなくなったみたいだし」


 俺はもう一度クジラを見やり、


「レヴィ」


 と恐る恐る呼びかけた。

 レヴィは特に何の反応も示さず泳ぎ続けていく風に見えたが、ナタリーは笑顔を作ってこう言った。


「ああ、良い感じ。もうアナタのことをバッチリ覚えたみたい」

「本当?」


 ナタリーはしばらくレヴィを目で追った後に、俺の方を見て続けた。


「珍しいことッスよ。人見知りのレヴィが、嫌がらずにまだ傍にいるのって。大抵、知らない人が近くにいると、サァーッと深い所に逃げて行っちゃうんスから。

 …………というわけで、全く見張りにはならない子なんスけど、誰かを無作為に攻撃することはないから、店の人もすぐにここに来られると思うッス」

「そっか、わかった」


 俺はナタリーと一緒になって腕を組みつつ、レヴィを見守った。



 サモワールの魔術師達が駆けつけてきたのは、そのすぐ後だった。

 彼らは例によって、幽霊のように音も無く急に現れ、レヴィをより遠巻きへと追いやった。


 俺は魔術師達が皆、入り口で自分を案内した男と同じ顔をしていることに気付いてギョッとした。よくよく見れば、各々似た顔つきをしているに過ぎないとわかるのだが、彼らの纏う雰囲気はあまりにも統一され過ぎていて、ほとんどクローン人間のようだった。


「無事ですか?」


 男の内の一人が不愛想に俺に尋ねた。酷薄そうな表情で、それだけに一層、頼りになりそうだった。

 俺はこくこくと頷き、ナタリーについて話した。


「彼女が、呪い穴を受けています」


 男はナタリーを一瞥すると、抑揚も乱さずに話し継いだ。


「問題無いでしょう。3年もあれば埋まります。それより、侵入者の痕跡線は採っていますか?」


 俺は男の威圧感にたじろぎ、聞こえた言葉をそのまま繰り返した。


「え、と、コンセキセン?」

「結構です。では、すぐに結界を張ります。退いていてください」


 男は俺達に構わず前へ出ると、仲間を引き連れて円形に陣を組み始めた。ナタリーは俺の手を取って魔術師らから一歩引くと、真剣な顔をして手首の入れ墨に触れ、ゆっくりと撫でた。


 レヴィが遠くで低く鳴いているのが、俺にも聞こえた。どこか緊張した、強張った歌声だった。

 魔術師達が早口で、滔々と呪文を奏でだす。一糸乱れぬ調子で、機械的に唱和していた。彼らの魔術への没入が高まっていくにつれ、その足元に五芒星が燦然と輝き始めた。


 俺は気を張って辺りを見回し、耳を澄ました。

 翠の海はどこまでも美しい。

 レヴィが一際高く、声を震わした。


 ――――来るか…………。


 俺は遥か遠方に、四足の獣がしなやかに肢を伸ばし降ってくるのを見た。

 堂々たる気位を纏い、小さな頭がスゥと上がると、金の瞳がキラリと鋭く煌く。二股の尾が幻を誘うように、妖しく揺れた。

 本作の関連短編に『酒と詩、そして戦闘機』http://ncode.syosetu.com/n0342du/という話があります。

 本作の主人公コウの中学時代のエピソードで、『扉の魔導師』でも重要人物となっている、コウの友人ヤガミが登場します。

 それほど時間をかけずに読める短編となっておりますので、よろしければこちらもご覧ください。

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