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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
魔術師たちの愚かな宴 <饗膳>
73/411

44-2、魔法の「ま」の字。俺が猫の魔術師と出会ったこと。

 ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。

 竜の国での空中緊急脱出。影の国での魔術師からの襲撃。あらゆる困難を乗り越え、ついに俺たちはサンラインへと辿り着く。

 目的地に着いた俺は、「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けることとなる。

 だが、到着して一息ついたところで、俺は不運にも痴漢(冤)罪で自警団に逮捕されてしまった。自警団員のナタリーの助けもあり、一旦は事なきを得たものの、見返りとして「サモワール」という店への潜入捜査に協力する羽目になる。

 そしてその「サモワール」で、俺はまたもや敵の襲撃に遭ったのだった。

 俺は猫が好きだ。庭にやって来る猫と戯れるのは、ニートにとって一番の息抜きになったし、彼らが生きる独特の世界を視線や行動から辿ろうとするのは、非常に面白いことだった。何なら1日中だって平気で眺めていられるぐらいだ。


 …………だが。


 俺は今、目の前で人語を喋る猫と相対して、そんなほのぼのとした気分ではいられなかった。

 猫はすっくとしなやかな肢体を伸ばし、二つ足で立ちあがると、二つに分かれた三毛猫らしからぬ長い尾をゆっくりと立てつつ、静かにこちらへお辞儀した。


「勇者殿に、自己紹介。リケです。生まれついての雄猫。珍しや三毛猫」


 俺は戸惑い、隣りで同様に困惑しているナタリーを見やった。ナタリーはすぐにこちらを見やると、低い声で囁いた。


「噂は聞いたことある。魔法を使う、異国の獣。確か、塔の魔導師・ヴェルグツァートハトーの「一番弟子」。

 どうしてここに…………。ってか、「勇者」って何のこと?」


 俺は再び猫に視線を向け、唾を飲んだ。

 一番弟子ということは、もしかしなくても相当マズイ事態に陥っているらしい。ナタリーは知らないことだが、狙いは明らかに俺だ。

 俺は咄嗟にポルコを呼ぼうと口元に手をかざしかけて、直前でナタリーに抑えられた。


「ミナセさん。今はもうちょっと話を聞こう。何かの誤解かもしれないし」

(振り切ってみようと思う。どうにかまた魂獣を呼ぶから、待って)


 言葉と重なって、ナタリーの思考が流れ込んできた。俺は無言で頷き、再び猫を見た。


 リケと名乗った猫は、瞬きもせずにじっと俺たちを見つめていた。時々庭にやって来る野良猫も、よくああいう表情で俺を見ていたものだが、何だか別次元から心を見透かさているようで、いつも怖くなる。それに、今回に至っては本当に見抜かれている可能性も高かった。

 三毛猫のリケは一度、


「ニャア」


 と、柔らかに鳴いてから話を続けた。


「ヴェルグさんが、勇者殿を探してます。ですからリケも、お散歩がてらにお手伝い。そしたら偶然、こんな所に勇者殿。デートですか? 羨ましい」


 俺はナタリーから向けられる視線に、どう応じたものか悩んだ。話の流れ的に、俺が「勇者」と呼ばれていることは明白なのだが、白状すべきか、それともあくまでも黙ったままの方が良いのか。そもそもこんな事態になってしまった以上、隠す意味があるのか。

 俺は猫を見下ろし、努めて落ち着き払った。


「そんなところだよ。だから、邪魔しないでもらえると助かるんだけど」


 リケは首を傾げ、ニャオ、と鳴いた。


「それは無理な相談。見逃すことはできニャイ、ニャイ。みすみす獲物を逃がす気分じゃニャイ」

「どうやって連れて行くんだ? 俺は霊体だし、ここは一応、店の中だ」


 俺はなるべく時間を稼ごうとして、見え見えの話題を振った。肉体だろうが霊体だろうが、奴らにはあまり関係の無いことだろうし、店にバレずに侵入してこられたんだから、出ることだって造作は無いだろう。

 案の定リケは、そういう俺の心をちゃんと読んでいた。


「ニャ、それは問題ニャイ。良きに計らう。それより勇者殿は、どうしてそんな見え透いた時間稼ぎをするのかニャ?」


 猫の瞳孔がキュッと絞られるのを見て、俺は冷や汗をかいた。まだ攻撃的な気配は感じられないものの、その一歩手前の危うさは確実に匂っている。興味を持たれたネズミの気分だ。

 俺はポルコを呼びたくて呼びたくてしょうがなかったが(呼んでどうなるかは、さておき)、どうにか堪えた。


「時間稼ぎなんか。ただ思ったことをそのまま言っただけだ。…………君は言葉が上手だね。どうやって覚えたんだ? 喋る猫なんて初めて見た」


 リケは表情を変えずに、俺の話に付き合った。


「リケは人間、結構好き。いつまで見ていても飽きニャイ、おバカで、嘘ばかり吐く。そしていつも、同じことしか言わニャイ。言葉ぐらい、そのうち覚えるニャ」

「魔法は? どこで使えるようになったの?」

「リケは、色んなお家に住んできたですニャア」


 俺は話題を探しながら、ふと自分の足元の畳を見やった。過度な緊張のせいかもしれないが、何となく、表面のイ草が解けて足に絡み付いてきたような気がしたのだった。


「ニャイ。それが、魔法」


 咄嗟にリケの方へ目を戻すと、リケは意地の悪そうな半眼になった。


「ある程度は、元から」


 俺は首筋に爪を立てられたと感じた。いかに俺が暴れようとも、所詮ここはリケの餌場に過ぎない。俺は玩具のようにつつかれて、転がされているだけなのだった。


「連れてってどうするの? 食べるの?」


 唐突に口を挟んできたナタリーに、俺は血の気が引く思いで縋りついた。

 ナタリーは俺を無視し、傍目にもわかる強い敵意を滲ませてリケに話しかけた。


「確認したいんだけど、猫さんが言っている「勇者殿」って、最近話題になっているあの「伝承の勇者」のことのだよね? ミナセさんがそうだって言うの?」

「ミャウ、そうらしい」

「そんな話、街には伝わってないよ」

「人間、嘘ばかり吐くから。本当のことが知りたければ、魔法」

「私は、あまり魔術は好きじゃないよ。魔術の創ったものだって、本当なんかじゃ決して無い。…………いずれにせよ、市民の安全を預かる身として、この人をあなたと行かせるわけにはいかない。例えどんな事情であれ、こんな出迎えの仕方は尋常じゃない」


 リケは尻尾を緩やかに振りつつ、やや低まった声で呻いた。


「ナー…………面倒な」


 ナタリーはさりげなく片手で手首の入れ墨を撫でつつ、言葉を継いでいった。


「あのさ、自分が何したかわかってる? こんなに大勢殺して、すぐに店の人が駆けつけるよ。「サモワール」の警備は腕利き揃いだし。大魔術師の猫様だって、多勢に無勢ってもんでしょ?

 ミケだか、ニケだか知らないけれど、猫さん、分が悪いよ」

「どうかニャー…………」


 俺はつと、細められたリケの目がパチリと見開かれ、煌くのを見た。


 ――――…………魔力が、一条の黒い光線となって部屋を貫く。

 漆黒の針は空間を真っ直ぐに裂くなり、墨のようにジワリと四方へ滲み出し、たちまち部屋を分厚い闇で塗り潰し始めた。


「ナタリー、こっちへ!」


 俺は反射的にナタリーの腕を引き寄せ、思い切ってリケの黄色い瞳を真正面から覗き込んだ。


 チリチリと焼けつく痛みが眼球に走る。暗闇が部屋をどっぷりと飲み込んでいく。リケの瞳だけがその中で、爛々と輝いていた。白と黄の強烈なフラッシュが瞳から発されている。俺はこれでもかと目を見開き、その光の中へ没入していった。

 

 白、


 黄、


 白、


 黒、


 白、


 黄、


 頭痛を呼び起こす激しい点滅の最中に、一瞬だけ黒い扉が見えた。俺は決して目を瞑るまいと、さらに眼瞼を押し上げた。自分の目が異様に充血していくのがわかる。

 フラッシュの速度が加速度的に増していく。乗じて、発される光の圧もどんどん膨れ上がっていった。


 白、

 

 黄、


 黒、


 白、


 黒、


 黄、


 黒、


 光が差す度に、悲鳴じみた金属音が頭蓋に反響する。目から血が垂れる。陳腐なまやかしだと思いたい。


「くっ…………閉じろ!!!」


 俺は扉の解放を押し留めようと、歯を食いしばって踏ん張った。

 だが必死の抵抗も虚しく、リケの魔力は俺を押し潰し、どうと場に流れを巻き起こした。


 溢れ出た圧倒的な光の大津波を前に、俺は本当にあっけなく、木っ端微塵に消し去られた。眩しい。もう一転の黒も見つからない。

 堪らず目を瞑ると、ストンと綺麗に暗幕の落ちるイメージがよぎった。


 カチャンと錠の音が響く。鎖がジャラリと乱暴に落ちる。

 俺はもう瞼を上げられなかった。開けようとしても、何も感じることができない。



 …………やられた、らしい。


 無力な、暗い浮遊感だけが身体に残されていた。


「たわいもニャイこと…………」


 リケの退屈そうな呟きが耳をかすめる。同時に俺は、生ぬるい空気のクッションにぐるんとくるみ込まれた。


 重力と体感が、身に纏わりつくようにのしかかって来る。本来の身体の感覚から大きくかけ離れた奇怪な感覚だった。


 「重い」と感じたら、それ以上何も感じることができない。ひたすらに身体が石のようになってしまう。

 「痒い」と感じたら、もう重さのことなど忘却の彼方で、俺はただ痒いだけの肉の塊になる。

 「寒い」のに、どうして寒いのかがわからない。考えられない。

 「苦しい」のに、その正体が一向に辿れない。


 一つの感覚が、瞬く間に俺の全てを支配してしまう。自在に繋がれていたはずの感覚が、織り上げられていた「自分」が、何か妙な回路で完全にコントロールされていた。


(助けてくれ!)


 俺は夢中で叫んだ。

 声はあえなく闇に吸い込まれていく。


 何か音が聞こえてくるけれども、何の音かわからない。どこから聞こえてくるのかも、わからない。

 無理して考えようとすると、今度はそちらに意識が傾いてしまう。


 「どこから」「どこから」「どこから」「どこから」…………


 俺の意識は当てもなく、虚空をさまよっていく。


 やがて、世界に突如として光が満ちた。


 ――――…………まず感じたのは、喉の奥にしつこく残る洗剤の甘さだった。

 身体中の関節が軋んでだるく、視界が霞んでいた。足元に溜まっている、オイル混じりのギトギトとした雨水が冷たい。

 そこはかとなく感じる、血の金属味。煙草に似た粘つく苦み。灰色がかった煙が目に沁みる。身体中が痒かった。


 俺はアスファルトの上に無造作に転がされて、曇った空をじっと見つめていた。少し身をよじると、濡れた毛布と、濡れた毛皮が、やけにじっとりと重く感じられる。

 俺は死にかけの、皮膚病の捨て猫だった。


 林立する高層ビル群が無感情に俺を見下ろしていた。一瞬、東京に帰ってきたかと思ったが、すぐに本当の街にしては静か過ぎると思い直した。


 俺はどうにか身を起こそうともがいた。だが、もがけばもがくほど、関節の痛みが激しくなり、身動きできなかった。風が吹くたびに、全身がツゥと冷たくなっていく。まともに感覚が調和しているのは良いが、これでは意識が凍りついていくばかりだった。


 ポツポツと雨が降り始め、雨脚が強まってくると、俺はいよいよ深刻に寒気を感じ始めた。歯がガチガチと忙しなく鳴り、鼻がキリキリと痛む。吐く息はあえかに白く、微かな風が骨の髄にまで凍み入ってきた。反抗する体力も気力も失せていく。


 いつしか俺の顔を、偉そうな猫が覗き込んできていた。笑えることに、そいつはきちんとレインコートを着込み、俺と同じように白い息を吐き、長靴を履いていた。


「…………何が、目的なんだ?」


 かろうじて俺が問うと、紳士ぶった面持ちのリケは目を細めて返してきた。


「リケは、ヴェルグさんのために、勇者殿を迎えに来ました。さっきも言ったですニャ? もっと知りたかったら、ヴェルグさんと直接話してみればいいと思いますニャ」

「…………ナタリーは?」


 リケは冷たい瞳でこちらを見下ろしつつ、髭を撫でながら語り続けた。


「勇者殿は、「扉」の魔術師だったのナ。懐かしいですニャア。昔、リリシスとかいう、同じことが得意なおバカさんと一緒に、旅をしたことがあったニャ。

 それにしても、本当に呆気無い始末。折角こうして遊びに来たのに、リケはガッカリ、ションボリですニャ。もしかして、勇者殿は、魔法の「ま」の字も知らニャイのでは? リケはたくさんの「ま」の字を知ってますよ。一つ、教えてあげましょうか?」

「遠慮する」


 リケは勿体ぶった歩調で俺の周囲を歩きつつ、言葉を続けた。


「変なニャツ。これでは貴重な扉の力も、猫に小判。…………本当に、お前が「勇者」なのかニャ?」


 俺を見るリケの瞳孔が細まり、瞳の黄色が再び妖しく揺らめく。俺は寒さで身体が震えっぱなしであることを幸運に思いながら、精一杯悪態付いた。


「知るかよ、そんなこと。「勇者」なんて役目、そっちで勝手に決めたことだろう。俺はお前らの弟子になんてならない。何にもならない。ただの水無瀬孝なんだ。十分、気に入っている。

 それにガッカリしたってことなら、こっちだってそうだ! 喋る猫だと期待してみれば、結局ただの魔法使いじゃないか。イリスと同じだ、ウンザリだ、ションボリだ、退屈だ!」


 俺は薄ら笑いを浮かべ、リケのピタリと固まった表情を眺めた。アーモンド形の大きな目は、今や完全に据わっていて、髭はピンと真っ直ぐに前へ伸びていた。耳が時折、ピクピクと小刻みに動く。まるで本物の猫のようだと、妙な考えが浮かんだ。

 やがてリケは囁きかけるように、俺の耳元に近付いてこぼした。


「イリスさんと一緒というのは、さすがに失礼、千万。万死に値する。

 けどまぁ、本心を聞く限りでは、大して悪気は無かったようだから、今日は許してあげますニャ。…………二度目はニャイけど」


 俺は一体イリスの何がそんなに気に障ったのか疑問だったが(いや、わかるような気もするが)、短く「わかった」とだけ答えた。わざわざ絡むほどのことでもない。

 リケは糸のように目を細めると、心底軽蔑した顔で、ずぶ濡れの俺を見下ろした。


「それより、勇者殿。そろそろ諦めた方が良いですニャ。リケは、待ちくたびれた」


 俺は動かない身を、それでもなお強張らせた。


「な、何のことだ?」

「とぼけても、無駄ニャ。勇者殿はお連れのお嬢さんを、さっきからずっと待っているでしょう。リケを振り切る算段があるって、さっきお話してましたし。…………遅いですねぇ。もうとっくに、一人で逃げちゃったのでは?」


 俺が返答に詰まっていると、ふいに視界が黒く霞んだ。


「――――!?」


 次の瞬間、黒い砂嵐が俺の周りに渦巻いた。「裁きの嵐」ほどではないが、猫の身には十分強い風だった。

 ビルや空が、あっという間に黒ずんで見えなくなっていく。癇癪を起こした子供の、滅茶苦茶な殴り書きのようであった。

 雨が暴れ回る。リケは自分だけは周りに丸いバリアを張って、のうのうと辺りを見渡していた。俺は風に巻き上げられた毛布に必死で絡み付きながら、雨風に紛れて響いてくる、リケの穏やかな声を聞いた。


「やれやれ。退屈だなんて言われてしまったら、もうちょっとだけリケが遊んであげなくちゃ。

 待ち人も、ホラ、すぐそこまで来ているニャ」


 砂嵐は猛烈な勢いで俺の視界を埋めていった。世界を強引に、隙間無く、容赦無く塗り潰す風。怒りが空間に満ち満ちている。

 俺はぐるんぐるんとゴミ袋のように毛布に引き摺られながら、息を殺し、雨を浴び、扉の在り処を探った。


 目を閉じる必要は、無い。

 ただ意識を、澄ませ。

 呼吸を、整え。

 何も、考えない。

 扉を辿るために、場に馴染む。


 俺は静寂のさらに奥深くへ、水よりも、風よりも、遥かに透明になって、溶け込んでいった。

 先日、『酒と詩、そして戦闘機』http://ncode.syosetu.com/n0342du/という『扉の魔導師』の関連短編を投稿しました。

 本作の主人公コウの中学時代のエピソードです。『扉の魔導師』でも重要人物となっている、コウの友人ヤガミが主軸となったお話です。

 それほど時間をかけずに読める短編となっておりますので、よろしければこちらもご覧ください。

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