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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
魔術師たちの愚かな宴 <饗膳>
71/411

43-2、快楽と、夢の奥。俺が「扉」を求めて、彷徨うこと。

 ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。

 竜の国での空中緊急脱出。影の国での魔術師からの襲撃。あらゆる困難を乗り越え、ついに俺たちはサンラインへと辿り着く。

 目的地に着いた俺は、「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けることとなる。

 だが、到着して酒場でようやく一息ついたところで、俺に新たな悲劇が降りかかった。俺は痴漢(冤)罪で自警団に逮捕されてしまったのだ。

 幸い、自警団員のナタリーという女性に助けられ、一旦は事なきを得たものの、俺はその見返りとして、「サモワール」という店への潜入捜査に協力する羽目になった。

 だが、この「サモワール」。想像以上に厄介な場所だった。

 それにしても、「サモワール」は奇妙な空間だった。


 つらつらとやたらに長い廊下を歩んでいくうちに、何もせずとも、快い感覚が身体を掠めて飛んでいった。フレイアと手を繋いで「瞳の詩」を読んだ時と同じように、生身では見ることのできない光景が、次々と無意識の内に映り込んでくる。

 時間的にも、空間的にも、どこか歪んだ、ほろ酔いの夢のような景色たちだった。



 ――――…………一つの夢が空に満天の星を灯すと、また別の夢が月下に薄桃色の花を咲き乱れさす。

 吹き抜ける風は冷たく、甘い色を帯びていた。


 誰かのしなやかな手が、まるでピアニストのような繊細な手つきで俺を撫でては、ほの白い霧となって立ち消えていく。

 手の主の姿は視界の端に、ほんの微かだけ見ることができた。長い髪の、疲れた容姿の女性で、俺が目を向けるとすぐに背を向けて俯いた。

 女性は透き通った霧の手を、俺に向けてだけでなく、方々に伸ばしていた。


 魔力を帯びた風の合間を縫って、金の魚の群れが泳いで行った。

 魚たちはあっという間に遠ざかると、次第に綾なして一反の織物へと姿を変え、やがて艶めかしい女性の肢体を形作った。女性は白魚のような肌に、輝く金の衣を纏っており、誘惑的な流し目で俺を見やった。


 金の女はふと大胆に衣をはだけさすと、恍惚とした笑みと共に大きく上体を逸らせ、両手で手招きをした。すると、露わになった胸がダイナミックに迫り出し…………ではなくて、彼女のみぞおちに刻まれた魔法陣が、俄かに光り始めた。


 俺はヤバイと感じて急いで目を逸らしたが、その時にはすでに、俺の身体は彼女の魔力に捉えられてしまっていた。ズルズルと足が鈍るだけに留まらず、意識がある種の衝動で満たされそうになった。


 俺は慌てて、近くに薄く張られていた蜘蛛の巣に縋りついた。なぜ急にそんなことをしたのかはわからない。だが咄嗟に思いついたのは、それだけだった。

 蜘蛛の糸は当然、触った途端にふわりと切れてしまったが、俺はそれでも諦めずに残ったか弱い糸を手繰り寄せ続けた。自分が何をしようとしているのかは、相変わらずさっぱりだった。

 しかし、それでも辛抱強く辿るうちに、徐々に自分の身体が女の魔力から離れていくのを感じた。


 手繰って、手繰って、さらに手繰って――――…………。



 ついに糸の端までたどり着いたかと思った時、俺は無事、元の廊下に戻ってきていた。

 隣にはなんてことのない表情のナタリーがいて、静寂に包まれた寺院が、当然のように建っていた。

 ナタリーは冷や汗にまみれた俺に気付くと、不思議そうに首を捻った。


「あれ、どうしたんスか? 妙な顔して。もしかして、変な人に絡まれましたか?」


 俺は浴衣の袖で額をぬぐい、ナタリーに答えた。


「多分、そうだと思う。ちょっと危なかった。君は平気なの?」

「まぁ、一応これでも自警団員ですし、魔術を相手にするのは慣れているッスからね。それに、もし強引に近付いて来たら、こう!」


 言いながらナタリーは威勢よく拳を前に突き出し、歯を見せて笑った。俺は彼女を頼もしく思う一方で、やはり今まで見ていた景色もまた魔法なのかと、認識を新たにした。


 そもそもこの寺院からして魔法の産物だというのに、魔法というのはこんな調子で何重にでもかかってしまうものなのだろうか。「扉」の在り処なんて意識する余裕は一切無かったし、果たしてどうなることやら、何が何やら。

 俺はあくまでも落ち着き払った素振りで、廊下を歩き続けた。


 歩いていると、再び夢が始まった。きっと、意識ある以上は逃れることのできないものなのだろう。夢は容赦なく、息次ぐ暇も無く、俺の周りに展開していった。



 ――――…………今度の景色もまた、美しい夜景からだった。

 花で満ち溢れた野原の真ん中に、ベールを被った女性がぽつねんと立っている。

 俺は努めて彼女を無視し、自分の道を歩み続けた。

 女性はするすると背後霊のように俺についてきて、薄い影となって俺に重なろうとしてきた。


 俺が身をよじって避けようすると、上空から数多の星を引き摺って、もう一つ途方もなく大きな影が落ちてきた。俺は堪らず息を飲み、目玉が飛び出るほどに目を剥いた。

 このままでは、巨人に飲まれてしまう…………そう覚悟した刹那、後ろにいた女の影がにゅうっと急激に伸び上がって、上空の影と盛大に衝突した。


 二つの影は拮抗する気団のように、せめぎ合い、混ざり合った。

 こぼれた影が黒い雨雫となって、バラバラと地上に降り注ぐ。会話しているのかもしれない、というのは俺の想像に過ぎないが、影たちはやがてじわじわと晴れ、失せていった。

 俺はホッと胸を撫で下ろし、気を取り直して進んでいった。



 ――――…………風に乗って聞こえてくる琴の音が、しきりに俺を宴へと誘いかけていた。

 賑やかしい音色に合わせて、民謡っぽい節の付いた歌が緩やかに伸びていく。消えた恋人を想う歌で、ありふれた内容の歌詞がかえって意識をぼんやりと鈍らせていった。

 

 そんな折、ぎょっとして我に返ったのは、およそ人間離れした太さの雄々しい腕が、俺の前を遮ったからだった。俺は立ち止まりかけたが、すぐに別の腕がその腕を絡め取って行ったがために、つかえずに済んだ。


 胸を撫で下ろしたのも束の間、ふと廊下の奥を見ると、いつからか美しい四肢の鹿に似た生き物が二頭、寄り添ってこちらを見つめていた。巨大な角を持った個体と、幾分小ぶりな角の無い個体。微動だにせず、じっとこちらを眺めている。


 彼らはふいに口元をひん曲げると、ケラケラと声を立てて笑いだした。彼らはお互いの身体をこすり合わせ、ツンとした汗ばんだ匂いを立てながら、いつまでもいつまでも執拗に笑い狂っていた。

 俺は怖くなり、早足で彼らの横を通過した。



 ――――…………もう少し行くと、降るような星空が俺の上空に広がった。

 星は時々流れ落ちて鮮やかな光線を引き、俺はその白い光の檻の中で、守られているような気分になった。


 ナタリーはいつも通り、リズミカルな足音を立てて俺の隣を歩いていた。何となく気になって見守っていると、つと彼女に触れかかる男の影が目に映った。


 黒いマニキュアがベッタリと塗られた尖った爪が、ツツとナタリーの首筋をなぞっていく。ナタリーはようやく気付いたのか、少し身を強張らせて歩調を崩した。

 俺はナタリーの手を引き、彼女を半歩程自分の傍へ近付けた。


「ミナセさん」


 ナタリーがハッとして呟く。男の手はそれと同時にゆるりと離れ、薄まっていった。物わかりの良い相手で助かった。物理でも魔術でも、俺は滅法喧嘩に弱い。

 ナタリーはちょっとはにかんだ笑顔を浮かべると、俺に囁いた。


「ありがと」


 俺は彼女の手を放しつつ「ん」と、意味不明な返事をした。クールに振る舞ったつもりなのだが、視線が泳ぐせいでコミュ障感の方が強かったろう。ナタリーはクスッと小さく笑い、こう続けた。


「変な場所だよね、ここ。私、ああいうのにそうそう免疫が無いってわけじゃないんだけど、ここだとどうしても気を張っちゃうみたい。調子が出ないんだ。ここの魔力を嗅いでいるとさ…………」

「あんまり辛かったら、無理はしない方がいいんじゃない?」

「ううん! それ程じゃない。ただ、お酒の匂いが苦手ってだけ。多分、この界隈を抜ければ問題無いと思う」


 俺は彼女の「魔力を嗅ぐ」という表現に興味を持った。


「君は、魔力が匂いで感じられるの?」

「そう、ありふれているでしょ。ミナセさんは、どうなんスか?」

「俺は…………大抵、味みたいに感じるよ。時々は温度で感じることもあるけど。…………甘かったり、苦かったり。温かかったり」

「へぇ、時々そういう人がいるって聞いていたけれど、実際会ったのは初めてッス。

 あっ! そしたらじゃあ、ちょっと聞いてみたいんスけど、私の魔力ってどんな味します? 何に似てる?」


 俺はナタリーの翠玉色の目を見つめ、率直に答えた。


「君は、葉っぱみたいだった」

「へ? お茶みたいってことスか?」

「いや、葉っぱ」


 ナタリーはふと真顔になると、眉をぎゅっと険しくした。


「ミナセさん。…………モテないでしょ」


 俺は頭を掻き、返答は差し控えた。

 何でだろう。若葉みたい、って素敵なことだと思ったんだけどなぁ。



 鶴の間の襖を開け放つと、そこにはお馴染みの畳の間が…………無かった。

 俺とナタリーは惰性で敷居を跨ごうとして、危ういところで踏みとどまった。


「うわ! 何スか、これ…………!?」


 ナタリーの問いに、俺は答える言葉を持たなかった。


 十畳程の広さの部屋には、一面、隙間無く針の山――――華道で使う剣山を、大型にしたようなもの――――が敷き詰められていた。

 尖った針の群れはその銀色の輝きによる、研ぎ澄まされた無言の圧力でもって、俺たちを大いに歓迎していた。


 部屋の四隅には蝋燭が不気味に赤く揺らいでいた。良く見れば剣山の針は各々、気ままに伸びたり縮んだりを繰り返している。ウニにしてはあまりに凶悪な見た目だ。


「ここ、マジで通るんスか? っていうか、本当にここが3階へ行くための魔法陣なの?」


 ナタリーの再度の問いに、俺は渋々応じた。


「そう、みたい」


 俺は部屋の突き当りに見える、床の間の花瓶が上り口だと踏んでいた。

 花瓶は一見、ものすごく地味だったけれど、どこか人を惹きつけてやまない、奇妙な魅力を振り撒いていた。

 静寂かと思えば、不穏。かと思えば、虚無。見る者に何か危うい感情の揺らぎを惹起するのは、「扉」とよく似ていた。


 中庭からの冷えた風が、ひとひとと細やかな霜となって、あの花瓶の周りに降りていっているのがわかった。あの花瓶に、もっと間近に触れることができれば、きっと3階への「扉」が開けると思うのだが…………どうすれば。


 俺は何の考えも思い浮かばないまま、ナタリーにもう一度繰り返した。


「どうにかして、ここを渡らなくちゃ」


 ナタリーはしばらく黙って俺を見つめ返していたが、やがて覚悟を決めたように一度頷いた。


「わかった。よくわからないけど、ミナセさんを信じる。こういう攻撃的な魔法陣への切り込み方って、私一つしか知らないんだけれど…………やってみるよ。

 気を付けてください。――――――――これから、ちょっと大きな魂獣を、呼ぶから」


 ナタリーは雄々しく浴衣の袖をたくし上げ、良く響く詠唱と共に、入れ墨の腕を高々と頭上に掲げた。

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